99、熟れ割れた無花果
あれから、だいぶ時間が経った。具体的に言うと一週間くらい。
その間に色々あった。
まず、子ども達の入学が認められた。
ちなみに、学園長は俺がマレってことはもう分かってたらしい。
だからか、俺の子どもってだけですんなりいけた。ただ、本人達の学習とそれに伴う自立を促すために寮は別々になった。
だけど、子ども達は結構乗り気で、二度と呪いの影響を受けないって学習に没頭してるらしい。
でも、学園長に話に行ったとき、入学を認める代わりに変な条件を出してきた。
いわく、学園長が要請したとき、一度だけ必ず協力してほしい、と。
一応、命の危険はないって言ってたし、それを飲めば入学金とか諸々の出費も肩代わりしてくれるから、それに頷いといた。
同席してたニャテルさんは思うところがあるのか不審な目をしてたけど………まあ、学園長なんていう責任ある立場の人が、そう嘘をつくはずがないっしょ。
んで、こう色々あって、俺は今ほぼ一人暮らしになってる。
たまーにニャテルさんとかライムが様子見に来たり、ついでに食べ物とかもくれたりする。学食が三食出るから持ってこなくていいって言ってるんだけど、そしたら今度はお菓子を持ってくるようになってきた。
なんか、餌付けでもされてんのか?
あと、バルデルハラ街のギルドマスターからの手紙で、デラクル達がどういう結末を辿ったのかを知らされた。
ルルノイはデラクル達との決闘とその結果をお祖父様、つまりはサイルガ家の当主に報告して、デラクル達を出家っていう体のいい追放で、サイルガ家の息子達の転落劇は幕を閉じたらしい。
ルルノイはお祖父様が私を見てくれるようになったって喜んでるっぽいし、ハッピーエンドかな?
これから汚名返上に奔走するから忙しくなるけど、いつかどこかで決闘のお礼をしたいとも書かれてた。
正直、命の恩人に恩を返しただけだから、これでお礼されたらこっちもお礼してっていう無限ループになりそう。まあ、あっちは侯爵らしいし、もう会うことはなさそうだけど。
ま、そういうことで、ルルノイとか子ども達とかの用事は終わった。
じゃあ俺はその後何してたかというと、常熾の灰を利用した魔術の改良を主に、エンガラスさんに色々聞いたりしていた。
常熾の魔術は、入学の話を学園長にしに行ったとき、正式に新しい魔術として『灰燼の魔術』の名前を貰ったんだけど、ついでに常熾について色々教えてもらった。
学園長いわく、常熾が不死な理由は、ある神の力が宿ってて、半分魔法みたいになってるかららしい。
んで、その常熾を元にした『灰燼の魔術』もその力をちょっと宿してて、壊れないのもそのおかげだと。
そして、その神は本来、灰というより炎を司っていたらしい。かなり古いせいで学園長も知ってるのはそこまでらしいけど、俺はそれを利用して、生成した灰の武器に炎をエンチャントすることを思いついた。
でもなんか、不死鳥が灰から蘇るみたいに、灰の内から炎を巻き起こす感じでエンチャントできるようにしたんだけど、なぜか白い炎が混ざるようになった。
学園長に聞こうとしたんだけど、決闘以来、貴族達からの説明要求が多いらしくて、忙しくて話せなかった。
あ、あと、武器のバリエーションを増やしたし、ポインターのポインターを服の中に入れて、そのポインターから一定距離離れた別ポインターは消えるように設定したりした。
これで『灰燼の魔術』の改良は終わりで、次はエンガラスさんに聞いた結果。
エンガラスさんの答えだと、やっぱり『魔女の道導』で入れるのは発動した本人だけらしい。
別の人が無理やり入ろうとすると別空間に飛ばされて、空間の穴に落ちない限り出られなくなる牢獄になるっぽい。
じゃあ、ライムに『魔女の道導』を教えればいいと思ったけど、ライムは風の魔術しか使えないらしくて、結局俺一人でしか入れないことが分かった。
んで今日、ジバからアリスを取り戻すために、追憶書庫に行く予定になってる。
「持ち物は何も持ってかなくていいらしいし………これで行くか」
寮の一室で、準備を整える。
手に持ってくものはないけど、子ども達が新しく作ってくれた眼帯をつけて、ついでに作ってくれたポーチを腰に下げた。
ポーチの中にはライムやニャテルさんから貰ったお菓子が入ってる。向こうで小腹が空いたとき用に入れといた。
「ん、これでよしと………んじゃあ、行きますか」
『魔女の道導』を唱えて、あの白い扉を出現させる。
これから丸一日、向こうで大体一週間を過ごすことになる。
一応、事前にどういう作戦で行くか聞いてるけど、それが上手くいく保証はない。それでも、エンガラスさんは俺を無事に帰すことを約束してくれた。
「………信用しすぎかなぁ」
もしかすると、俺は約束に弱いのかもしんない。
まあ、分かったところで、警戒する以外何もできないけど。
「んじゃ、いってきまーす」
気を取り直して、誰もいない部屋にそう言ってから扉を開けた。
「お久しぶりでございます、マレ様。と言っても、そちらではあまり時間は経っていませんが」
「あ、はい、久しぶりです、エンガラスさん」
あの暗い空間を抜けて書庫に着くと、エンガラスさんが入り口で待っていた。
その手にはもう、幾本もの本が積み重なっている。
「こちらへどうぞ。再度ご説明させていただきます」
「分かりました」
エンガラスさんについていき、書庫の中心、魔女の机のそばに移動する。
この前来たときはまだ散らかっていた机の上は綺麗に何もなくなっており、代わりにエンガラスさんが本をどかんと置いた。
その本のタイトルは一切分からないけど、黒い外装に金属で補強されているので、とりあえず確実に平穏なものではないことは分かる。
「ああ、マレ様は気にしないでもいいですよ。これらはわたくしが使うものですので」
「は、はぁ………」
「マレ様には、これを使っていただきたいと思っています」
そう手渡されたのは、一冊のメモ帳みたいな小さく薄い本。
エンガラスさんに促されて開いてみると、ちょうどよく物が収納されているページが見えた。
「これは………指輪、ですか?」
「『太陽の似輪』というものでして、着用者にささやかな陽の祝福を与えます。この書庫にて調べた結果分かったことなのですが、ジバは太陽の光に弱いようなのです。正直言って気休めに近いものですが、やらないよりかはやった方がいいでしょう?」
「………確かに、そうですね」
呪いの装備ってわけでもなさそうだし、着けとくか。
問題は、どの指に着けるか。なんか指ごとに意味がありそうだし、そもそも入るかどうか………
「人差し指………少し狭い? なら中指は入らないし、小指はゆるゆるだし、親指は論外だし………」
残る指が薬指しかないんですけど。
まあ、左手に着けなければいいか。
「着用でき………いえ、着用できたようですね」
「………はい」
一瞬エンガラスさんに変な顔された。左右関係なく薬指自体に意味があるっぽい。
でもここしか着けれないから、まあ気にするだけ無駄か。
着け終わった後だけど、一応指輪をよく見る。
その指輪にほとんど装飾はなく、銀色に輝く輪に小さなオレンジ色の宝石が嵌め込まれてるだけ。その宝石も、そういう綺麗さだからそう感じただけで、実際はガラスとかかもしんない。
………これ、本当に祝福ある? それっぽいだけの指輪じゃないよね?
「ご安心ください。この書庫の全ては魔女自らがその効力を確かめております。しかし………確かにあの時からかなり時間が経ちました。信仰が廃れていてもおかしくありません。それも含めて、気休めなのですよ」
「あ、そういうことですか」
ってことは、マジで気休めの気休めじゃん。
あれか? 部外者には強いコレクションを渡せないとか? そう考えると妥当な気がしてきたな。
強いコレクション渡した瞬間に裏切られるとかありそうだもんね。俺は絶対やんないけど。
「マレ様? 説明をしてもよろしいですか?」
「あ、は、はい」
そうして、エンガラスさんの説明を聞く。
と言っても、俺はジバとエンガラスさんを引き合わせる案内役とその戦場の舞台になるだけで、直接参加しないからそこまで深い説明じゃなかった。
簡単に言えば、エンガラスさんが俺の夢の中に入るから、そこでジバへの道案内をして、あとは遠くで見てるだけでいい、らしい。
ジバがどこにいるか知らないけど、夢に入れば分かるようになるらしい。どういう理屈かは説明されなかった。
「ここまでで何か質問はございますか?」
「んー………いえ、ありません。大丈夫です」
「そうですか。では、早速で申し訳ありませんが、こちらへ」
エンガラスさんに案内されて、ある本棚の奥、はしごやら脚立やらで壁ができて部屋になってるところにたどり着いた。
その部屋の中心には木枠の高級そうなベッドが一つ置かれていて、その上にある枕も一つだった。今回は添い寝しなくていいらしい。
「マレ様がそのベッドでお眠りになられた後、その夢の中へわたくしが入ります。その後は、先ほど説明した通りに」
「了解しました」
エンガラスさんに促されて、ベッドの上に寝転がる。
すると、書庫全体の明かりが段々と弱くなっていき、そばにいるエンガラスさんの服がどうにか視認できるくらいまで暗くなった。
エンガラスさんは顔が真っ黒だから、表情は全く見えない。
「ジバの姿を確認しましたら、速やかにその場を離れてください。決して戦いを見ようとは思わないように」
「はい、分かりました」
「では、迅速な入眠のため、少し魔法をかけさせていただきます」
魔法? 睡眠に関する魔法もあるの? ってことは、睡眠を司る神も………
あれ? そういえば、睡眠の魔法って前に受けたことがあるような………
「失礼します」
「んむっ!?」
口の中に、布の何とも言えない味が広がる。
やっぱり、グランシアさんが使っていたのと同じ、口に指を突っ込んで眠らせる………まほ………
「さて、わたくし達も──────
「んあっ?」
気づいたら、見たことある黒い空間で倒れていた。
上体を起こして周りを見回しても、誰もいない。
「………待ってればいいのかな」
体勢を変えて体育座りになる。
床は金属質で冷たいけど、インナースーツのおかげで寒くはない。
というか、夢なのにこういうのも再現されんだな。それとも、夢だから?
「夢とはちょっと違うから、だねー」
「え?」
真上から、声が聞こえた。
咄嗟に顔を上げると、口が見えた。
真っ赤な向日葵の大輪のように大きく開かれた、無数の真っ白な歯が無造作に並ぶ口が。
「やばっ───!?」
「マレ様!」
知らない女性の声とともに、身体が横方向へ強く引っ張られる。
その一瞬後、ジバの口が地面とぴったり重なった。
「んもー、最初で終わらせたかったのにー」
子どものようにそう言うジバは、明らかな殺意を持ってこっちに振り返る。
だけど、その禍々しい口から逃がすようにまた強く引っ張られた。
「んぐぇっ!」
「申し訳ありませんが、今少し我慢してください!」
一気にジバの姿が小さくなったかと思えば、さっきまでいたところにジバが大口を開けて突っ込む。
夢の世界だからか床は全く壊れず削れもしないけど、歯と床が激突するギャリィィィン!という音は如実にその威力を物語っていた。
「待ってよー」
「ネコエニシ! 援護を!」
「言われずとも!」
俺を掴んでいるであろう女性がそう叫ぶと、ジバの前にバスと同じくらい大きな光が飛び込む。
その光は猫の形を成しており、口を開けて突っ込んでくるジバの頭目掛けて猫パンチを繰り出した。
「………って、あの猫って───!?」
どこかで見たことがあるような猫を思い出そうと記憶を探る直前、優しく輝くその大きな身体が暗闇に溶ける。
いや、違う。何か黒いものが前に出てきて見えなくなっただけだ。何かに、遮られている。
「マレ様、申し訳ありません。まさかジバの動きがここまで早いとは………」
後ろから声が聞こえて振り返ると、天使がいた。
動きやすいようにか短くされた純白のドレスに、頭上で輝く一部が欠けている輪、金色に煌めく長髪、艶めくように蒼い瞳、そして、この暗い空間に溶けるように黒い二対の翼。
その凛々しく端正な顔を持つその女性は、翼が黒いことを除けばどう見ても天使だった。
「マレ様? いかがしましたか?」
「あ、えっと………誰、ですか………?」
「………ああ、申し訳ありません、失念していました。この姿ではお会いしていませんでしたね。わたくしはエンガラスでございます」
「え? ………………えぇ!?」
この天使が、エンガラスさん? 確かにカラスっぽい羽根だし………いやでもエンガラスさんは男性で………
「?????」
「混乱させてしまい、申し訳ありません。ですが、奴がマレ様の無意識領域にいる以上、マレ様にもこの姿は知られるわけにはいかなかったのです」
「あ、あー………なるほど?」
そういえばそうだ。ジバが俺の中にいるってんなら、エンガラスさんとの話も聞いてるのか。
だからエンガラスさんは具体的にどう戦うのか言わなかったし、ジバは速攻で数減らしに来たわけか。
んじゃあ、あの猫って………
「マレ様の御想像の通り、あのランプの中にいた、追憶書庫の全ての照明を管理しているネコエニシです」
「名前あったんですね………そして普通に喋れたんすね………」
エンガラスさんの声に応えたあの「言われずとも!」って、多分ネコエニシさんの声だと思う。
今のエンガラスさんどころかジバの声より高かったし。
「駄弁ってないで早く代われ!」
「そろそろネコエニシが限界そうですね。マレ様はこの場でお待ちください」
「あ、は、はい」
エンガラスさんは俺の服を放し、翼を広げてジバとネコエニシさんが激突する戦場へと向かう。
羽ばたく翼が見えにくいせいでまるでホバー移動しているようなエンガラスさんは、周囲の虚空から三本の白い槍、というかでっかい針?を召喚してジバへ飛ばした。
「では、事前の作戦通りに!」
「はいはい」
ジバの注意がエンガラスさんへ向いた瞬間、ネコエニシさんは素早くこっちに駆け寄って俺の目の前に座る。
なんか、ネコエニシさんは戦闘に参加しないっぽい?
「ウチは君の守護だ。それ以外はしない」
えぇ………? もしかして戦闘向きじゃないとか?
「ウチはそもそもこの作戦に乗り気じゃないからな。まあ、嫌々やってるというわけだ」
その言葉通り、ネコエニシさんは欠伸をしながら寝転がる。
飛びながらジバと戦闘しているエンガラスさんとはえらい違いだ。
「君もあとは見てるだけ。寝ててもいいぞ」
「えぇ………?」
ネコエニシさんはそう言うけど、遠くの方とはいえガキンガキン鳴ってる戦場がすぐそばにあって眠れるほど肝は据わっていない。
というか、ここで寝れるの? ここ、夢じゃなかったっけ?
便宜上夢って言ってるだけで、本当は全くの別物………?
キィィィィィィィィン!!!
一瞬思考モードに入りかけたのを咎めるように、一際大きな剣戟の音が響く。
それで顔を上げると、エンガラスさんが召喚した槍の一本が空高く飛んでいくのが見えた。
だけどその槍は途中で闇に溶けるように消えて、エンガラスさんのそばに再召喚される。
しばらく戦闘を見たけど、ずっとそんな感じだった。
エンガラスさんが飛びながら槍を飛ばして、ジバはその身体に見合わない速度で回避、もしくは虫っぽい鋭い脚で弾いて、そのままエンガラスさんに噛みつこうとするけど、そのときにはもうエンガラスさんは回避行動に入ってて、どっちも有効打を与えられていない。
ただ、戦闘技術に関してはエンガラスさんがわずかに上なのか、ジバはたまに回避をミスって脚が何本か斬り飛ばされてる。
このまま戦いが続けば、いつかはエンガラスさんが勝つと思う。そう、このままなら。
「めんどくさいなーもー。みんなー、出てきてー」
痺れを切らしたらしいジバがそう言うと、周りからガタンッ!という何か硬いものが落ちたような音がいくつも響く。
その音の中でも一番近いところに目を向けると、ピンク色で拳大の大きさの木箱が一つ落ちていた。
「え、何?」
突然、その箱の蓋が音もなくスライドして開く。
その中から、到底箱には入りきらないはずの人の手がぬるっと出てきた。
「………え?」
「なるほどな。そう来るか」
手は箱の淵を掴み、自らの身体を引き上げる。
手の平にすら入り切るほど小さな箱の入り口から出てきたのは、明らかに箱の大きさと釣り合っていない虚ろな目をした全裸の女性。
だけど、それから目を離そうとかいう思考は出てこなかった。
なぜなら、その手に包丁を持って、俺に向けていたから。
「周りを見ろ。ウチらは囲まれたらしい」
ネコエニシさんの言う通りに周囲を見回すと、同じような木箱がいくつも落ちていて、そこから何人もの女性が這い出てくる。
女性の髪色や肌色、年齢、種族すらバラバラだけど、全員例外なく包丁を持っていた。
一応、エンガラスさんの方にも何人か行ってるけど、元より飛んでいるからかあまり影響はないっぽい。
「カラス、こっちは大丈夫だ!」
ネコエニシさんがそう叫ぶと、こっちを気にするようにチラチラ見ていたエンガラスさんはジバとの戦いに集中し直す。
いや、まあ、それはそうなんだけど、多分この場にいる最高戦力ってエンガラスさんだよね? この女性達を怪我なく抑え込むには俺とネコエニシさんでは心許ないけど………
それとも、ネコエニシさんはそんなの考えないタイプ?
「安心しろ、傷つけるわけではない。だが、こっちも傷つけられたくないのでな。少し乱暴になるぞ」
「え? うわぁ!?」
ネコエニシさんに服を掴まれたかと思うと身体が一気に引き上げられて、なんかモコモコとした暖かい地面に降ろされる。
突然の動きに瞑っていた目を開けると、視界の下半分がネコエニシさんの背中で埋まっていた。
「動くぞ。振り落とされんよう気をつけろ」
「あ、は、はい!」
両手両足で背中にしがみつくと、それを確認したネコエニシさんが立ち上がる。
それだけでまるで飛行機みたいな、自分は一切動いていないのに大きく動いたような感覚が襲ってきた。
立ち上がるだけでコレなら、走ったときには………
「んぐっ!?」
「口は閉じろ。舌を噛むぞ」
ネコエニシさんの身体が派手に動き回り、その上にいる俺の身体も激しく上下する。
乗ったことないけど、あの暴れる牛の背中で耐える遊具のごとくめっちゃ揺れる。それはもう、馬車とは比較にならないくらいに。
「………んぶっ」
「あ? ………お、おい! ウチの背中に吐くなよ?!」
「それは………もちろん………」
少し、揺れが小さくなる。
でも吐き気はそれだけで収まるものでもなく、決壊寸前で口を押さえた瞬間、ネコエニシさんが止まった。
「早く降りろ! ウチの服を汚すな!」
「は、はい………」
なるべく頭を動かさず、滑るようにネコエニシさんから降りると、これ以上動かないと安心したのか吐き気が少し引っ込む。
早鐘を打つ鼓動が落ち着くのを待ってから、あまり無理せずに周りをゆっくり見回すと、女性達とはもうかなり離れていて、さらにその奥に戦場が見えた。
女性達はゆっくりと近づいてくるけど、ジバから離れると命令の効きが悪くなるのか、ほとんど立ち止まっている女性もいる。
「………ここまで離れたら問題ないらしいな」
「みたいですね」
一息ついて、ネコエニシさんの隣に座る。
ネコエニシさんも脅威はないと判断したのか、その大きな身体を横にした。
そのまましばらく、戦況は動かなかった。
いや、若干エンガラスさんが優位だから全く動いてないわけではなかったけど、何十分も変わり映えしない状況では動いているように見えなかった。女性たちのせいでもっと離れたから見えづらくなったし。
その女性達は、すでに全員が止まって人の壁ができている。落ち着いた今だから分かるけど、女性だけじゃなくてライムと同じくらいの少女もいるし、女性少女関係なく大きく傷ついてる人もいる。傷口は塞がってるけど、正直見るに堪えられないほどグロイ。
この人達ってもしかして、アリスみたいにジバと取引した人達なのかな。
あれ? じゃあ、アリスも………?
「………いるの、かな」
一応探してみるか………
左目の眼帯を取って、人の壁を注視する。
普通なら過剰に拾ってしまう光ですぐに目が痛むはずだけど、ここは黒い空間だったおかげで、目は全く痛まずに探すことが出来た。
それは多分、良かったことだと思う。
でも、俺はソレを見つけた瞬間、見なければ良かったと思った。
「おい、どうした? 何かあったか?」
「………………あの、緑色の肌の人の右、少し下に───」
「緑色の肌………大鬼族か? そんなものも捕えていると………………君は見なくていい」
俺と同じものを見つけたネコエニシさんが、尻尾で俺の目の前を塞ぐ。
その仄かに光る尻尾のせいで左目が痛み始めたけど、それでも目を閉じれなかった。
「さすが邪神、といったところか。いつも人の尊厳を踏み躙る………」
俺が見つけたのは、紛れもないアリスだ。
でも、今のアリスは他の女性達と同じように虚ろな目で包丁を握り、そして………
「お腹が大きく、なってた………」
「………この距離でそこまで見えるのか。見えてしまったか」
あれは、太ってるわけではない。むしろ、腕や足は前見た時より細くなってた。
でも、それとは反比例するみたいに、不自然にお腹が盛り上がっている。
考えられる可能性は二つ。
一つは、極度の栄養失調でお腹にガスが溜まってる可能性。確か、栄養不足過ぎて腸が上手く動かず、ガスを放出できなくてお腹だけが膨らむことがあるらしい。餓鬼の由来でもあったっけ。
そしてもう一つは、妊娠している可能性。正直、こっちの方が高いと思う。栄養不足にしてはまだ手足が太いし、ガスが溜まってるだけとは思えないほど膨らんでいる。
「君は考えなくていい。どうせ勝つんだ、後はカラスに放り投げてれば───
「じゃじゃーん」
ネコエニシさんの声を遮って、聞こえないはずの子どものような声が聞こえた。
それと同時に、上からボタボタと生暖かい液体が降りかかってくる。
髪の毛を伝って左目を塞ぐように溢れてきたソレを拭うと、その液体が何なのかが分かった。
「………血?」
「なっ、カラスは──────!」
「こいつのことー?」
どちゃっと重たそうな音を立てて、目の前に真っ赤なナニカが落ちる。
それは人の形を成していて、頭には光り輝く輪っか、そして何枚かの翼が………
「エンガラス、さん………?」




