89、渡りに船
「これはまた酷い惨状だな………」
瓦礫が飛び上がっていた真下に向かってみると、そこはどこか見覚えのある路地裏だった。
だけど、周囲を囲む水殿には木材が残ってなくて、何か大きいものがが突き通ったみたいに暴風の跡がくっきりと地面に残っている。
その見るも無惨な現場の中心で、レモンは塵一つ被ることなく佇んでいた。
その華奢に見える片手に黒ローブを持ちながら。
「レモン、また派手にやったな」
「あ、お姉様。親玉は見つかりませんでしたが、この通り下っ端は捕まえました」
ライムが話しかけるとレモンは笑顔で振り向き、黒ローブをこちらへ投げてくる。
黒ローブは地面に放り投げられた衝撃で呻いて、身を捩った。
一応、まだ生きてるっぽい。
「適当な路地裏を歩いていたら、それっぽい奴を見つけたので声をかけたんです。すると逃げ出そうとしたので追いかけると、こんなものを投げてきたので迎撃しました」
レモンは懐から数本のナイフを取り出す。
そのナイフは標的にかすりもしなかったのか、砂で汚れていた。
「これは迎撃の範疇を超えている気がするが………よくやったレモン。あとはこいつから聞き出せばいいだけだ」
「な、何をだ………私はただ、この路地裏を歩いていたらそこの女に襲われただけだが………」
「貴様がどう思っていようが関係ない。私のやることは一つだ」
「………街警団が来るぞ」
この声、知ってる。俺を後ろから羽交い締めにしてた奴だ。
でも、俺のことは分かってないらしい。まあ、この変わりようなら、せいぜい親戚くらいにしか思ってないんじゃないかな。
「私達ならば、この街の警備なんてあってないようなものだ。それより、今吐いた方が身のためだぞ」
「ふん、領主様に歯向かうこともできん惰弱な犬が、何をほざく………」
「ほう?」
ライムの目が鋭く、冷たくなっていく。
この黒ローブは俺を攻撃した主賛会だから何をしてもいいけど、あんまりグロイのはやめてほしいなぁ………
「………マレはギルドマスターに説明してきてくれ。レモン、一緒に尋問するぞ」
「分かりました」
ライムとレモンは黒ローブを引きずって、さらに奥の路地裏へ入っていく。
それと入れ替わるようにして、別の路地からギルドマスターとセーネインさんが駆けつけてきた。
その後ろには、どこかで見たような男性もいた。
「ファドマさん、無事ですか!? 何があったんですか!?」
「あ、それは………」
息を切らしながら質問してきたセーネインさんに答えようとして、言い淀む。
ギルドマスターは俺の視線に気づいてくれたのか、男性に何か指示してライム達が進んだ路地とは別の、少し手前の路地へと行かせた。
「………はい、これでいいでしょう。それで、何があったのですか? まあ、おおよそ察しはついてますけど」
改めて質問してきたギルドマスターに、さっきの状況を伝える。
答えを聞いたギルドマスター達は難しそうな顔をしてたけど、やがて顔を上げた。
「把握しました。魔術師に匹敵しそうなあの二人を放っておくのは心配ですが………今は主賛会に対応しましょう。僕は周りを警戒しておきます。あと、調査員への対応も任せてください。その間、セーネインとリムさんはここが『現場』である証拠を探してください。この荒れ具合では難しいでしょうが、お願いします」
「了解しました」
「分かりました」
「それでは」
ギルドマスターはそう言うと、男性が行った路地に入る。
って、そっか、あの男性って、タモティナを探しに来た捜索隊の中にいた人だったはず。結構偉い人っぽかったけど、調査員なんだ。何を調査しに来たんだろ。
「リムさん、時間はあまりありません、早く探しましょう。何か決定的な証拠になりそうなものがなかったか、思い出せませんか?」
セーネインさんに急かされて、当時の記憶を探る。
でも、明確な敵を前にしている状態だったから、周りの景色なんて覚えてない。あの後は一人じゃないって分かったから余裕が生まれたけど、アリスが起きる前は割と絶望してた。
それでも覚えてるのは………
「………あ、バケツ」
「バケツ………ですか?」
確か、斬られた右腕はバケツの中に捨てられてた。
俺の方は止血されてたけど、斬られた腕に治癒魔術なんてかけても意味ないから、この惨状でも血が目印になる………はず。
「なるほど………それを探しましょうか。それがあれば、目撃証言と合わせて主賛会の違法性を指摘できるはずです」
セーネインさんと一緒に、腕の入ったバケツを探す。
でも、目印になるはずの血はなくて、バケツも見渡した限りでは見当たらなかった。
もしかして、あのバケツだけはその場で回収した?
「その可能性もありますが、風で巻き上げられてどこかへ飛んでしまった可能性もあります。探す範囲を広めて───」
セーネインさんの言葉が不自然に途切れる。
探す手を止めて振り返ってみると、セーネインさんはこの広場を囲む水殿の一つ、下に隙間ができている水殿を凝視したまま固まってた。
「………セーネインさん?」
セーネインさんの近くに寄ってみると、セーネインさんは隙間を指差す。
その隙間をよく見てみると、何かがウゴウゴと蠢いていた。
え、なにこれ、虫? にしては大きいし動きも………
「あ、違う、これ、腕………?」
少しだけ左目の布を外して見ると、妙に赤く小さくなった腕に無数の蝿が集っていた。
いや、蝿だけじゃなくて、小さいトカゲとかもいる。生態系のスカベンジャーは今日も懸命に仕事を全うしてるみたい。
でも、その腕は俺のだから返してねー
『種火』を唱えて、隙間にいくつか放り込む。
すると、蝿達はその熱と儚い煙を嫌がって霧散し、その蝿達を狙ってたトカゲ達もそれを追ってどこかへ行った。
その隙に隙間に腕を突っ込んで、かつての自分の腕を引き抜く。
「………よく触れますね」
「元が自分の腕なんで、そんな気持ち悪くはないです。見た目はこんななってるんですけどね」
引き抜いた腕に皮膚は残ってなくて、血が抜けた桃色の肉と真っ白な骨が剥き出しになってる。
たった一晩でここまで喰われるなんて、砂漠はえぐいね。まあ、そのスカベンジャー達が腕に群がってたからかは分からないけど、主賛会には見つからなかったから結果オーライってとこかな。
「とりあえず、証拠品は確保できましたね。あとは撤退ですが………」
セーネインさんは目を閉じて耳を澄ませた後、路地の一つに目を向ける。
「ちょうど良い時間ですね」
「………少し手荒にしてしまったが、大体の情報は吐いた。今ならギルドも諸手を挙げて主賛会を潰せるぞ」
路地の奥から、ライムとレモンが戻ってきた。
ライムの手には、何かに濡れてさらに黒みが増した黒ローブが引きずられてる。
中身はあまり見ない方がいいな、これ………
「ギルドマスターはどうした? 一緒じゃないのか?」
「今は調査員と主賛会の相手をしているはずです」
「主賛会はいいが、調査員が邪魔だな………………よし、とりあえずギルドに戻るぞ。こいつも証人として連れていく」
ライムが黒ローブを引きずりながら、先導して路地を歩いていく。
レモンとセーネインさんがそれについていき、俺もその後を追った。
「チッ、そうか、騒ぎになっているのを忘れていた」
「………ごめんなさい、お姉様」
「レモンが謝ることではない。それより、どうする? 私達はいいとして、こいつが邪魔だぞ」
裏路地から大通りを覗くと、人の壁が見えた。
その壁は街警団っぽい人達が押さえていて、そのうちの何人かはこっちに向かっている。
こっちにはまだ気づいてないっぽいけど、このままじゃ俺達の方が悪いように見えちゃう。
「レモン様は自衛のためで通ると思いますが、問題はファドマさんの腕の方です」
確かに、こんなの持ってたら何かしら呪術をしようとしてたように見えるかも。
でも、だからってせっかくの証拠品をどっかに捨てるのは無理だし、俺の腕って言っても絶対信じてくれない。拾ったが一番無難なんだろうけど、それも怪しすぎる。ワンチャン俺のポケットに入れてバレないよう願うしか───
「あ、いや、あれでいいかも?」
「ファドマさん? あれって───」
「あるでるいすく くれんのりあ りう りう でりでるんだけら」
セーネインさんの言葉を待たずにそう唱えると、目の前に白いドアが現れた。
そのドアを少し開けて、隙間に腕を放り込む。これなら絶対にバレないし、中の時間はゆっくりだから腐敗するのも遅いはず。
「マレ、今のは何だ?」
「あー、後ででいい?」
「………分かった」
ライムは少し複雑そうな顔をしながらも、皆の後ろに移動した。首輪が見えやすいようにか、首元を少し開けながら。
俺も街警団に備えて、ドアに消えるように念じて何もなかったように表情を固める。
「ッ!? 誰だ! って、あなたは………」
こっちに気づいて驚いた街警団が、一歩前に出たセーネインさんを見て固まった。
「冒険者ギルド所属の、セーネインです」
「も、申し訳ありません。先行して調査に来てくださったのですか?」
「はい、奥にはギルドマスターと国からの調査員がいます。今も調査しているはずです」
「ご協力ありがとうございます!」
「いえ、私達ギルドとしても街は守らねばなりませんから。それではこれで」
セーネインさんはすぐに話を打ち切って街警団の横を通り抜けようとするけど、さすがにそれは通らなかった。
「申し訳ありません、そちらの方々は?」
街警団の一人がにこやかに、それでも逃がさないというような圧を出しながらそう聞いてくる。
まあ、ギルドにはいない人がいれば、そりゃ怪しむよね………
「私は私刑囚のライムだ。今はこのセーネイン?の管理下にある」
「私はライムお姉様の妹でございます」
「と、ということは、二人ともウィンダリア家ですか………そちらの女性は?」
「あ、えっと………」
まずリムはサンドワームのときのだからダメ。マレは魔術学国でしか使ってないから、ここで言ったら密入国になってダメ。ファドマが一番無難か? 身分証の名前もそれだし。
「………私はファドマです」
「………なるほど」
俺達と受け答えしていた街警団が他の団員に合図を送ると、その団員達は裏路地の奥へと走っていった。
残るは、目の前の位が高そうな団員。その男性は、身長で勝る俺をそれでもしっかりと見つめてくる。
「ファドマさん、ご職業は?」
「え? えーと………無職です」
「なるほどなるほど。この街にはいつから?」
「それは、えっと───」
「少し、すみません」
とりあえず答えようとした俺と街警団の間に、セーネインさんが割って入ってきた。
街警団はそれを訝しむように見ていたけど、セーネインさんが意地でも退かないと悟ると、無言で他の団員達を追っていった。
「………はぁ、これではレルン様に言える立場ではありませんね」
セーネインさんは俺に背を向けながらそう呟く。
なんか、やっぱり俺がいると周りに迷惑がかかるみたい。今この場でそれ言うほど馬鹿ではないけど。
「………あいつ、マレに夢中でこいつに気が付かなかったぞ」
「いえ、私の管理下にあると自ら言ったので、詳しく調べる必要はないと判断したのでしょう。それより、早くギルドへ戻りましょう」
「あ、少し待ってください」
もう一度『魔女の道導』を唱えて、現れたドアを少し開ける。
すると、予想通り黒い空間に腕がそのまま置かれていたから、それを回収してドアを消した。
「これでいいですね。それでは行きましょう」
今度はセーネインさんが先導して裏路地を抜ける。
当然、大通りの野次馬達は俺達に声をかけてきたけど、それを無視してギルドへと直行した。
「ふう、皆さま、お疲れ様でした」
外の野次馬達の声が響く中、ギルドの執務室で一息つく。
窓から差し込む光はもう傾いていて、時間が経つにつれて野次馬の声も小さくなっていった。
でも、まだギルドマスターが帰ってこない。さすがに街警団に逮捕されてはないだろうけど、街警団もろとも主賛会に何かされてる可能性はある。
見せしめで子どもの腕と足を斬ろうとする奴らだし、今こうして証拠も出揃ったから、自棄になった奴らが何をしてきても不思議じゃない。証拠を拾ったって知ってるかどうかは分からないけど。
「………ギルドマスターを探してきます」
俺と同じことを考えてたのか、セーネインさんがドアに手をかけた。
でも、それをライムが呼び止める。
「待て、お前は騎士相手に戦えるのか?」
「………いえ、ですがそれで躊躇っているようでは───」
「私も共に行こう。レモンはマレを守っていてくれ」
「了解しました、お姉様」
トントン拍子に進む話にセーネインさんは驚いてたけど、その優しさが沁みたのか少し微笑んだ。
「ありがとうございます」
「勘違いするなよ。私は主賛会をこの手で潰したいだけだ」
「………可愛くないですね」
「あいにく、可愛さを売りにしてるわけではないからな」
セーネインさんとライムはそう話しながら部屋を出ていく。
残されたのは、俺とレモン、そして身じろぎ一つしない黒ローブの男。
これ、死んでない? 大丈夫? 証人としてまだ使える?
死んでないかツンツンしてみると、わずかに動いてるのが分かった。
でもこれ、治療しないとヤバイんじゃ………
「まあ、いいか」
敵だしね。敵の心配するだけ無駄っしょ。
「ういしょっと………」
黒ローブから離れて、ギルドマスターが使っていた机に斬られた腕を置いた後、イスに腰掛ける。
今日はマジ疲れた。朝はジバとの取引だったし、昼は大書庫に行ったし、皆に色々説明したし、さっきは主賛会とのゴタゴタだったし………
「って、あ、ミズノ向こうに置いてきちゃった………」
忙しすぎて、ミズノを迎賓館に置いてきちゃった。
最近は子ども達と一緒じゃなかったし、皆で出かけることもあまりなかったから、そういう意識が持ててなかった。
怒ってるかなぁ………今は迎えに行けないし、ライム達が帰ってきたら誰かと一緒に迎えに………
「えっと、マレさん………?」
「あ、え、はい?」
声をかけられて顔を上げると、いつの間にかレモンが目の前に立っていた。
妙にモジモジしつつ、赤面してる。
………風邪か? レモンはこっちに来るのは初めてらしいし、慣れない土地で弱った?
「あの、すみません、お手洗いは………?」
「………あ、そういうこと。えっと、ここから出て左の突き当りのはずです。でも………すみません、サンドワームでは排泄なんてなかったんで、曖昧かもです」
「な、なるほど。教えてくださりありがとうございます」
レモンは一礼して素早く部屋を出ていく。
っていうか、赤くなってモジモジしてたのってそういうこと?
「貴族ならまあ、恥ずかしがるのも無理ないか。俺も行っとこうかな」
あ、いや、この服ならそのまましてもよかったはず。
服着けたままするのはめっちゃ怖いけども。
「というか、本体に説明書入ってないもんかね」
左腕を撫でるみたいに指をスライドさせると、白い袖から浮かび上がるみたいにいくつものアイコンが現れた。
本で読んでたから分かってたけど、実際に見ると改めて技術の高さが分かる。これが、『旧文明』?
「………今はそれじゃないか。説明は………設定にヘルプとか入ってないかな」
歯車のアイコンを押してみると、ズラーっと大量の設定項目が現れる。
とりあえず一番下までスクロールすると、やっぱりヘルプがあった。
「トイレ関係は………お、あった。んで………『排泄に関して・着衣したまま可能です。そのまま出しても服外へ転送される他、洗浄機能を操作し、直接体内から転送もできます。また、転送先も設定から変更できます』」
え、むっちゃ便利じゃね、これ。
もしかしてこの服、『脱がなくていい』がコンセプト? もうそうとしか考えられないんだけど。
まあ、このインナーは1秒に2000M消費するから、一日中着けてると配布Mの半分消えるんだけどね。それだけの機能は備えてるってことか。
「ってか、そう考えるとサウナ機能ってめっちゃ魔力食うんだな………」
インナーが1秒2000Mに対して、サウナは1秒1MM、つまり1000000M。
文字通り桁が違い過ぎる。サウナなんでこんなバカ食いなんだ………
「それは置いといて、試しにやってみるか」
俺も部屋から出て、トイレに向かう。
一瞬、前世の慣れで男子トイレに入りかけたけど、誰も見ていないとはいえ今の身体を鑑みて、女子トイレに入った。
すると、ちょうど個室から出てきたらしいレモンとすれ違う。
「あら、マレさんもですか?」
「あ、はい、暇なうちに出しとこうかなと」
「確かに、まだ誰も帰ってきてませんしね。それにしても………不躾な質問だとは分かっているんですが、その服でどう………やるんですか?」
レモンは不思議そうな顔で俺の全身を見る。
そもそもこの服を見たことがないはずだからその疑問も分かるけど、どう説明したらいいか………
「えっと、まあ、全部脱ぐしか………」
「大変そうですね………………手伝いましょうか?」
「あ、大丈夫です」
「あ、そ、そうですよね。すみません………」
説明を放棄したらレモンはそう提案してきたけど、自分の提案が何を意味してるのか遅れながら理解したらしく、そそくさと手を洗ってトイレを出ていった。
これで、転送先を間違って指定して失敗しても、誰にも見られずに済む。
個室に入って、また布面モニターを起動する。
現れたアイコンの中から雫の形のものを選ぶと、案の定洗浄関係の項目が出てきた。
「えーと、排泄物の転送先………なるほど、自分を起点にしてる感じか」
『転送先の変更』を押すと3Dの人体モデルが現れて、そのモデルの股間部に二つの点が見えた。黄色が尿、茶色が便らしい。
とりあえず、その二つの点を左の手のひらのちょっと前に移動させる。これなら、わざわざ座らなくても手を便器に向けるだけでよくなるはず。
『変更の保存』を押すとモデルは消えた。
「んで、手を向けて………『転送の開始』か」
早速手を便器に向けて、転送を開始させる。
すると、『スキャン中です』という文字が一瞬だけ見えた後、『転送を開始します』の文字ががすぐに出てきた。
そして、手のひらから黄色の液体と茶色のぬちゃぬちゃした物体が少しだけ出てきて、便器にそのままボトリと落ちる。
「………転送先、まだ近かった?」
一応手のひらを確認すると、何もついてなかった。
それで一安心していると、目の前に『転送を終了します』という文字が出てきた。
………え、終わってなかったの? じゃあさっき覗き込んだときに、顔にぶち撒ける可能性あった?
なんだその銃口を覗いちゃいけないみたいなのは………
「………とりあえず、これで無事トイレは終了か。すっきりした感じはないけど………まあ、自分の穴から出したわけじゃないから、そんなもんか」
トイレを流して、個室から出る。
そのまま流れで手を洗おうとしたけど、まずインナーがあるし、そもそも汚いものには触れていない。
「でも洗っちゃうよな~」
例え触っていなくても、これはもう癖みたいなもんだ。
それに、もし手を洗わないことの方が癖になったら普通に不潔だしね。
一応、もはや欠片みたいになってる石鹸をちょびっとだけ使って、軽く手を洗う。
それをタオルで拭くと同時に、ギルドの壁を叩く鈍い音が聞こえた。音の方向とこもり具合からして、入口に誰かいるらしい。
とりあえず部屋に戻って、レモンと合流する。
「………どうします? 私は初めて来たので、勝手が分かりません」
「いや、私もこんな状況は初めてなので、どうすればいいか………」
また、ドンドンドンと音が鳴り響く。
どうやら、相手はこっちが出てくるのを待ってるらしい。つまり、出てくるまで諦めない可能性がある。
「どこかで確認………あ」
離れたところから訪問者の姿を確認できないか考えたところ、ここ執務室は入口のちょうど真上だったことを思い出した。
全身は見えないだろうけど、人数と何を着ているかくらいは分かるはず。黒ローブならレモンに吹っ飛ばしてもらおう。
下に音が響かないようにそっと窓を開けた後、慎重に下を覗き込む。
オレンジ色に染まって人通りが少なくなったギルド前の通りに、二つの人影が見えた。
どっちも女性みたいで、服は………あれ、この服って………
「………ハンター?」
「ん? いるじゃないか。おーい、下りてきてくれ!」
俺の呟きを耳ざとく拾ったハンターが、こっちに向かって大きく手を振る。
隣にいた編纂者もこっちに気づいて小さく手を振った。
「お知り合いなんですか?」
「いや、まあ、ある意味………?」
ハンターと会ったのはサンドワームの姿だったから、あっちは俺のことは知らないはず。多分、ギルドの職員と勘違いしてるのかな?
とりあえず訪問者は敵じゃなかったから、下に降りて入口に向かう。
「誰もいないから、もう閉まってるかと思ったぞ」
「え? まあ、実質閉まってる状態らしいですけど………何か用があるんですか?」
「それは………」
俺の質問に、ハンターは編纂者の方を見た。
すると、ハンターのアイコンタクトに気づいた編纂者が話を引き継ぐ。
「重要な話ですので、ギルドマスターさんを交えて中で話したいと思っているのですが、今ギルマスターさんはいらっしゃいますか?」
「あ、すみません、ギルドマスターはまだ戻っていなくて………いつ戻るのかも知らされてないんです」
「そうですか………では、中で待っていてもよろしいですか?」
レモンと顔を見合わせる。
ハンター達が敵ではないのは確実だけど、ギルドマスターという責任者がいない状況で勝手に中に入れるのはダメだと思う。しかも、執務室にはあのグロテスクな腕と気絶してる黒ローブがある。
でも、ここで追い返すのも………
「おや、ハンターではないですか」
どうしようか迷ってたら、今一番聞きたい声が聞こえた。
その方向へ目を向けると、ギルドマスターとセーネインさん、ライムにミズノがいた。ミズノを迎えに行ってくれてたらしい。
「こんな時間にどうされましたか?」
「長期間の調査の結果、砂割竜が竜巣を飛び出した理由が分かりまして」
「………なるほど。中へお入りください」
ギルドマスターはハンターと編纂者をギルド内に案内する。
皆もそれに続いて中に入ってくけど、ミズノだけ俺の方に来た。
「ごめん、ミズノ。置いてきちゃって」
「大丈夫、お母さんにしたことと比べれば、罰にもなんない」
「それとこれとでは、話が違うと思うんだけどねぇ………」
ミズノと手を繋いで、ギルドの中へ入る。
皆はもう執務室に行ったみたいで、俺を待ってたっぽいライムだけ受付カウンターのそばに立ってた。
「ん、ライム、上に行かないの?」
「私は一度学院へ戻ろうと思っている。マレが生きていたことを向こうに知らせたいしな」
「魔力は足りるの?」
「安心しろ、先ほどギルドマスターから予備のムギ薬を何本か貰った」
ライムはそう言って、懐から何本かの薬瓶を取り出す。
確かあのときは三本消費してたから、これで足りるみたい。
「では、私は暗くならないうちに行く。マレは思いっきり休め。これまでの疲れ、今日の疲れ、色々溜まっているだろう。どこかで消さなければ、ずっと溜まっていくばかりだぞ」
「うん、分かった」
「そうか」
俺の返答にライムは微笑むと、すぐにギルドを出て暁色の空へ飛び上がった。
その小さな姿が太陽の沈む壁で見えなくなるまでミズノと一緒に見送った後、またギルドに戻って執務室に入る。
執務室ではもう皆座っていて、その中でもギルドマスターは険しい顔をしていた。
他の皆も、悩んでいるような困ったような雰囲気になってる。
ちなみに、腕と黒ローブは部屋の隅に追いやられてた。ハンター達は気にならないのかチラッと見てみたけど、考え事で気にしてる余裕はないっぽい。
「………ああ、ファドマさん、どうぞこちらへ。最初から話すとしましょうか」
俺達に気づいたセーネインさんがイスに誘導してくれたので、ミズノを膝の上に乗せながらそのイスに座る。
その瞬間、ハンターと編纂者は怪訝な顔で俺の方に向いた。
「………ギルドマスターさん、失礼ですが、この方は話を聞いて大丈夫なのでしょうか?」
「ええ、もちろん。むしろ、聞いてほしいのです。ファドマさんも被害者なのですから」
ギルドマスターの答えで納得したのか、ハンターと編纂者はすぐに警戒を解く。
確かにその説明はあってるけど、それだけでいの?
「では、僕が話すとしましょう。今回ハンター達が訪問した理由は、砂割竜の調査結果の報告です。そして先ほどそれを聞いたところ、砂割竜が竜巣を離れた原因はどうやらサイルガ家にあるようなのです」
「またサイルガ家、ですか………」
「ええ、ですがルルノイ様ではなく、息子達が原因でしょう。報告では、高価なガラス杯や装飾の多い土瓶の破片などが広範囲に渡って落ちていたらしいです。ルルノイ様は外へ出られていなかったでしょうし、そもそもそんなことをする方とは思えません。それに………」
「はい、砂割竜の巣を調べたところ、竜除けの香薬が入った壺と、同じく竜除けの高音盤が発見されました。壺は割れて周囲へ大きな影響を与えており、高音盤もしばらく動き続けていた形跡がありました。なので、これは飛竜の襲撃などで落としたのではなく、意図的に落とされたものと思われます」
話を引き継いだ編纂者は、懐からいくつかの破片を取り出した。その破片からは、何か酸っぱい臭いが漂ってくる。これが多分、香薬?
この香薬も高音盤もどういうものか知らないけど、つまりは熊がいる穴倉に熊除けスプレーが放置されたみたいな感じか。
そのせいで帰りたくても帰れず、ストレスが溜まって狂ったとか───
「今、あなたが考えているように、私達も最初は巣に帰れないストレスによるものと考えていました」
どこか悲痛な表情で、編纂者は話を続ける。
胸元に、大量の付箋みたいなのがついたパンパンの手帳を握りしめながら。
「ですが、竜除けの品々が落ちた後も、砂割竜が巣にいた痕跡があったんです」
ということは、熊が熊除けスプレーを無視して滞在してた感じ? 野生動物がそんなことするほどの理由………?
「………巣には、子どもがいたんです。孵化して間もない、砂割竜の子どもが。しかし、竜除けの香薬はいわば弱い毒です。それをまだ身体の弱い幼体が長時間吸えば、そう長くない時間で………」
………ああ、だからか。だからタモティナはあのとき、ああ言ったのか。
『なんで………なんでお前がそんな目になるのッ!? お前がやったことなのに、なんで………なんで!!』
つまり、砂割竜も被害者で、復讐者だった。
復讐相手が完全に間違ってるけど、竜にそれを見分けるほどの知能はないだろうし、砂割竜はもう狂ってた。とりあえず怒りを発散しないと気が済まなかったんじゃないかな。
「………砂割竜も、完全な加害者ではなかったわけですね。ですが、僕達には街を守る務めがあったことは、理解していただきたいです」
「それはもちろん。外部からの影響とはいえ、あそこまで狂った個体はもう元の場所には帰れない。あの場で終わらせる必要があった。だが、原因への断罪と再発防止については、私達は止まらない」
確固たる意思で、ハンターはギルドマスターを見据える。
それに対してギルドマスターは、どこか愉快気に笑った。
「………何かおかしいか?」
「ふふっ、いえ、申し訳ありません。様々な困難があった後に都合のいい展開が来ると、嬉しくないはずがありません」
「………どういうことだ?」
「今、このギルドは少々無理してしまい、営業を停止しているのです。しかし、砂割竜のような事件を起こさないためには、ハンターと密接に関わっている冒険者ギルドが適任です。つまり、あなた方が『仕事』を持ってきてくれたおかげで、ギルドは強制的に稼働を始めます。それに、あのサイルガ家の息子達に対抗しうる勢力が増えることは喜ばしいことなのですよ」
ギルドマスターはそう言いながら、俺に向かって視線を送る。
確かに、あの息子達に立ち向かうためには支援が多ければ多いほどいい。でも、そもそも移動できなければ………
「………え、あ、そういうことですか?」
「ファドマさんも気づきましたか。そうです、そういうことです」
ギルドマスターは魔術学国に行く移動手段を、ハンター達の飛行船で補おうとしてる。
実際、この街と竜巣を半日で飛んだあの飛行船なら、他の手段より格段に早いはず。さすがにライムには負けるだろうけど。
「こちらの状況を話しておきましょうか」
話についていけてなかったハンター達に、ギルドマスターがこれまでの経緯を説明する。
まず、俺がサイルガ家の一人娘ルルノイの所有物であること。ルルノイは俺を使って叔父達、つまりはあの悪名高いサイルガ家の息子達を貶めようとしてること。そして、そのサイルガ家の息子達がいる魔術学国に行くための移動手段がないこと。
「なるほど………つまりは、私達は協力できるということか」
「ええ。ですが、全ての結果はファドマさん次第となります」
「うぇっ?」
急に、話の矛先が俺に向いた。
いや、確かに俺が勝つ前提の話だけど、砂割竜に関しては普通に犯罪どころの話じゃないから、司法に掛け合えば決闘関係なく断罪できると思うんだけど………
「見たことのない装備を着ているようだが………戦闘についてはあまり上手そうに見えないな。よし、魔術学国に向かう数日間、私が鍛えよう」
「ええ………」
なぜかノリノリのハンターがこっちに来て、どこか楽しそうに肩を組んできた。
編纂者は少し怪訝な顔をしてたけど、ハンターの様子を見て何か諦めたみたいに微笑む。
「その話で行きましょうか。詳しいことはまだ分かっていませんが………サイルガ家に罰を受けさせることができるのなら、私達も支援を惜しみません」
「ありがとうございます。では、もうそろそろいい時間ですし、夕食としましょうか。と言っても、備蓄品しかないのですがね」
ギルドマスターはそう言いながら腰を上げて、セーネインさんと一緒に執務室を出ていった。
ハンターと編纂者は諸々の確認があるのか、二人して手帳をを覗き込んで何か話し始める。
「………お母さん、暇?」
急に手持ち不沙汰になった俺の心境を察したのか、ミズノが顔を見上げてきた。
まあ、なんか話し合いは終わったみたいだし、ギルドマスター達が夕食持ってくるまでは確かに暇だけど………
「お母さんが、その………いなくなった後、私達は魔術の勉強をしてたの。お母さんは魔術が好きだから、その話をしようと思うんだけど………」
「え、勉強してたの? 聞かせて」
「う、うん、あのね───」
ミズノはまだ俺に引け目を感じてるのか、こっちの表情を窺いながら喋り始める。
その話を聞くと、ミズノ達は俺が追い出された後、グランシアさんやニャテルさんから魔術の基礎を教わって、俺が作った魔術をそれぞれで改造して自分の得意魔術にしてたらしい。
………学んだの、応用じゃなくて基礎だよね?
「え、えと、それはお母さんの子どもだから………」
「それはそんな関係ないと思うけどねぇ………だって、ちゃんと頑張ったんでしょ?」
「でも、その魔術作ったのはお母さんだし………私達は改造だけだし………」
ミズノは照れくさそうにしながらも、どこか暗い影が抜けない。
引きずってほしくないのになぁ………
「………向こう着いたら、見せてくれる?」
「う、うん!」
張り切ってるみたいだけど、やっぱり仄暗さが残ってる。
これはミズノだから? それとも、子ども達は皆こんな感じ?
どっちにしてもこのままじゃ嫌だから、どうにかして吹っ切れさせないと………




