84、遺産
「本当に、ファドマちゃんなんですか………?」
「え、えと………はい」
前より少し低くなった声で、ルルノイの問いに頷く。
ルルノイは信じられないといった顔で、それでも全部飲み込んだように俺をまっすぐ見つめてきた。
大人になったせいで服がぴちぴちになった俺を。
「えっと、それで、あの後何があったんですか………?」
朝日が窓から差し込む迎賓館の豪奢な部屋の中で、ルルノイからの問いに応えていく。
まずは取引の成否とその結果。次に、紋章を取り戻したことと、ついでに身体も治してもらって、しかも大人にしてくれたこと。
アリスのことは、色々とややこしくなりそうだから言わなかった。
「………転落劇の対価としては貰いすぎな気もしますが………まずは、交渉が上手くいったことを喜びましょうか。ありがとうございます、ファドマちゃ………いえ、ファドマさん」
「えっと………どういたしまして………?」
なんでさん付けになったのかは分からないけど、とりあえずそう応えておく。
実際に取引を進めたのはアリスとジバ自身だし、俺は最終決定してただけだから、「どういたしまして」も違う気がするけど。
「しかし………身体が大人になるのは、良かったんですか?」
「え? まあ、子どものままだと大抵の武器は持てないですし………」
「そうです、か………」
俺の返答に、なぜかルルノイが少し傷ついたような表情になる。
そばで控えてるベイラさんとテンさんもそれに気づいたみたいだけど、何とかしろと視線で俺に訴えかけてきた。
いや、原因も分からんのにどうしろと。
とりあえず、今後の話へと話題を変える。
「えっとそれで、これからどうするんですか? 紋章は取り返したので、次は学院に?」
「あ、はい、今この中で一番最後に叔父様方を見たのがファドマさんですから、目撃場所の学院が次の行き先になると思います」
となると、俺としては学院に戻ることになる。
そういえば、呪いに関してジバは何も言っていなかったけど、これはもう解けたと考えていいのか?
「そう、ですね………一般的に呪いとは、身体に付与されるものです。なので、身体が変わったのなら、呪いはもうない………と考えていいと思います」
「お嬢様の言う通りです。呪術は半永久的なものではありますが、それは肉体に対してのみであり、身体が変われば呪いはもうないと思っていいでしょう」
ルルノイの言葉にテンさんがそう付け加える。
それなら、まあ、安心かな? というか、ジバが身体を変える提案をしてきたのは、これも理由なのかな。
ほっと安心して息を吐いていると、ルルノイが難しそうな顔をしてるのが見えた。
「ベイラ、馬車は出ますか?」
「………交渉の間、テンに砂上船も確認させましたが、ここ最近は混んでいるようです。おそらく、あの組織と冒険者ギルドとのいざこざでしょう」
「そう、ですか………」
そういや、行きはライムで帰りは転移だったから実感が湧かなかったけど、ここから魔術学国まで普通に数ヶ月かかるはず。
その間にサンドワームやら大トカゲやらの襲撃があることを考えると、歩きはもはや論外。砂漠を歩くとか自殺行為だし。
「ん、いや………?」
もう俺の呪いは解けてるはず。ギルドなら馬車の一つくらい持ってるだろうし、頼べば………
『貴女は僕の同郷ではないことを、分かっていましたね?』
「………………………」
あれは、呪いがなかったとしても、いずれ訪れる結末だと思う。
そもそも、ギルドマスターが言う『同郷』が何なのかさえ分からない。まあ、それが分かったとしても、もう手遅れだろうけど。
「はあ………」
「………お嬢様」
ため息をついて落ち込んでいると、ベイラさんがルルノイに何か耳打ちする。
ルルノイは驚いたように顔を赤くしながらぶんぶんと横に振ってるけど、ベイラさんのもう一言で動きを止めた。
「………ファドマさん」
「え、はい、何ですか?」
覚悟を決めた表情で、ルルノイが俺を見上げる。
「お風呂、行きましょう」
「え? またですか?」
「は、はい、またです。だ、ダメですよね!」
なぜか安心したようなルルノイだけど、確かに汗はかいたし、朝風呂も悪くない。
「いや、入りたいです」
「え!? は、入るんですか!?」
「え? いや、はい、入りますけど………」
もしかして、何か不都合が………
「あ、いや、その………一緒に入るんですか?」
「あ、それなんですけど、身体が変わったんで、手伝ってほしいんですけど………」
「それは………そうですね。はい………」
ルルノイは顔を真っ赤にしながらそっぽを向く。
もしかしてソッチの気があるタイプなのかな? それはまあ………別にいいけど。
ってか、恥ずかしがるならなんで誘ったん………
「………っぱ、人間ベースにサンドワームを付け加えたみたいな感じだな」
「何か言いましたか?」
「あ、いや、何も」
身体をゴシゴシ洗いながら、身体を確認していく。
前の亜人のときとは違って、排泄口は人間と同じだったし、尻尾を湯船の中に垂らしても穴は開かなかった。前はサンドワームが素体だったけど、今は人間が素体になってる感じだ。
肌の色は変わってないし、瞳は直接見たわけじゃないけど、視界にあのぼんやりとした円がないしズームもできないから、重なってもない。
じゃあ俺は………何だ? サンドワーム………ではないし、でも人間でもないし………いや、『アリスの形』に整えられたサンドワーム、なのかな?
にしては、人間のときより力が上がってる感じしないし、サンドワームのメリットは何もない。
これ、ジバが身体を変えるのを提案した理由って、俺が負けるように調整するため………
「………なわけないか」
転落劇を対価として受け取ってたから、その対価を自ら潰すようなことはしないはず。そもそも、あのままの身体の方が勝率は低いだろうし。
ということは、あの神から見て、俺はサイルガ家の息子達に勝てる?
「ん~………?」
この身体能力で男三人に勝てるとは思えない。ということは、今の俺は魔術・魔法が使える………のか?
そういえば、アリスが教えてくれた魔法がある。そのうちの一つに、アリスの友達らしい『魔女』の部屋に入ることができる『魔女の道導』がある。いわゆる合鍵みたいなものみたいだけど………
「教えてもらっただけなんだよなぁ………」
その『魔女』の部屋に勝手に入っていいのか分からない。アリスは「あいつはどうせ面白がるからいい」って言ってたけど。
まあ、今は入る意味もないし、あと二つの魔法も考えてみるか。
「『覚醒』と『重奏』、ねぇ………」
『覚醒』は、対象者の意識を無理やり覚醒させる魔法。これでアリスは起きてたっぽい。
『重奏』は、あらかじめ唱えておいた魔法や魔術を任意で発動させる魔法。いわゆる、ストックができるやつみたい。
『重奏』は便利だし、実際アリスは「魔女が使ってたのを覚えてた」て言ってたから強力なものなんだろうけど、そもそも魔術使えるかどうか………
ってか、そうだよ。まず魔術・魔法が使えるか確かめるのが先だよな。風呂出たらやってみよ。
「あ、あのう………」
「んえ? あ、はい」
後ろから声をかけられて振り向くと、白く濁った黒い何かが視界を横切り、後ろにいたルルノイに直撃した。
「きゃ!?」
「え、これ………あ、髪か。すみません、大丈夫ですか?」
そういや、腰まで伸びてたのを忘れてた。首が若干重く感じるのも、これが原因か。
ってかそうじゃない。今結構な速度で当たってたけど、本当に大丈夫か?
「だ、大丈夫です」
ルルノイはそう言ってるけど、髪とともに当たった石鹸の泡のせいで目を開けられてない。
両手でゴシゴシこすってるけど、それじゃあ目が腫れる原因になる。
「ちょっとすみません」
「え?」
ルルノイの横を通り抜けてシャワーを手に取り、お湯を手に当てて勢いを殺してから、そのままルルノイの目に流す。
ルルノイは最初だけビクッと反応したけど、そのあとは手を下ろした。
その様子が、かつての弟の姿と重なる。
昔は今のルルノイみたいに、よく一緒に風呂に入ってた。
大きくなってからはそんな機会はほとんどなくなったけど、あの頃の常音は素直で可愛かったなぁ………
「………そういえば」
りゅか姉ちゃんも転生してたし、常音も転生してる?
いや、常音だけじゃなくて、お父さんもお母さんも………
「………探してみようかな」
「ん、ま、まだですか?」
「あ、すみません」
ずっとルルノイにお湯をかけ続けていたことを思い出し、シャワーを下ろした。
「………流れました?」
「えっと………はい、もう大丈夫です。痒くありません」
ルルノイの目に泡が残ってないことを確認してから、シャワーを元の位置に戻す。
ってか、シャワーもまんま前世のシャワーと同じだ。なんで水回りだけこんな進んでんだか。
「………あ、で、何ですか?」
「え? あ、そうでした。ですが………湯船に入ってからにしましょうか」
ルルノイに誘われるまま、俺も泡を流して湯の中に足を踏み入れる。
その瞬間に心地よい感覚に包まれ、そのまま全身を湯に沈み込ませた。
「あ゛あ゛あ゛ぁぁ………」
「………本当に気持ちよさそうですね」
同じく湯に全身を浸からせたルルノイが、どこか感心するみたいに微笑む。
この世界に来てから風呂がより気持ちよく感じるようになったけど、これってサンドワームだからか?
こう、水に触れる機会が少ないとかで。いや、この砂漠は周嵐があるし、単純にお湯の刺激が強く感じてるだけなのかも。
考え事をしながら、昨日より少し狭く感じる湯船の中で足を伸ばす。
湯がちゃぷちゃぷと揺れて、腕に湯ではない感触が触れた。
「えっと、隣失礼します………」
「んう………?」
ゆっくりと首を回すと、すぐ隣にルルノイがいた。
角度的にルルノイの身体はよく見えないから、気にせずさらに湯に沈む。
「………聞きたいことがあるんですが、大丈夫ですか?」
「んえ? あ、はい………」
なんか真剣そうに聞いてきたけど、お湯の中で溶けてる今聞かなきゃいけないことか?
それとも、溶けてる今だから?
頭の中でぼんやりとそう考えてると、ルルノイは俺の目を真っ直ぐに見てきた。
「ファドマさんがこれまで体験したことを、教えてほしいんです。信じていないわけではありませんが、素性の分からない人物を決闘に参加させると、双嵐龍が怒る可能性があるので………」
「あー………」
ルルノイは自分がサキュバスの子孫であることも、これからしようとしていることも話してくれている。
しかも、ルルノイがいなきゃ呪いを解けなかった。呪いにかかってからの俺は衰弱してたし、命の恩人とも言える。
なら………もういいか。
「実はぁ───」
「───ってことです」
ひとしきり喋り終えて、一息つく。
ルルノイには、進化で亜人になったことと、ジバのせいでサンドワームを抜かれて人間になってたことを話した。
んで、その反応は………
「………ごめんなさい。よく分かりませんでした」
………まあ、湯で溶けてる中で話したから、話は分かりづらかったと思う。
でも、俺がこの状態なのに、質問をしてきたのはルルノイの方だからなぁ。
「ですが、ジバに目をつけられた理由は分かりました。魔物が人になるなど、聞いたこともありません」
ということは、街中で見る亜人達は、魔物から進化したわけではないらしい。
人間が魔物に近づいたのかな? まあ、あんま気にせんでもいいか。
「………………………」
「………何ですか?」
なおもジッと見つめてくる瞳に視線を返すと、ルルノイは悲しそうな雰囲気で目を逸らした。
多分、俺が意思を持ってる理由を言わなかったことに失望してんのかな? 魔物が人化しただけで喋れるわけないし、人間につくこともないしね。
じゃあ転生者だってことを言えばいいじゃんってなるけど………正直に言えば、また嘲笑われるのが怖いんだよなぁ。ルルノイはそんなことしないはずだから、普通に俺の問題ってだけだ。
「………いつか、言えると思います」
「あ、はい………ありがとうございます」
互いに目を合わさずに、だけど隣に並んで温まる。
しばらく何も言わなかったけど、隣に誰かいるっていうのは、少し心地よかった。
それから少しして、ルルノイが立ち上がる。
その身体の末端は赤く染まっていて、もうのぼせる寸前なのが分かった。
「………そろそろ出ましょうか」
「分かりました」
若干ぬるくなった湯船から立ち上がって、ルルノイと一緒に風呂を出る。
当然、ルルノイの身体からは目を逸らしましたとも。もうこういうことに慣れたとはいえ、見ていい理由にはならない。
それから、風呂の前にある更衣室に置いてあったタオルを取って全身を拭く………んだけど………
「これ、時間かかるなぁ………」
思ったより髪が長くて、しかも量も多いから中々乾かない。拭かないとせっかく乾いた背中をびっしょびしょに濡らしてくるし。
「あ、手伝いますね。お風呂では、結局何もしてませんし」
「ありがとうございます」
確かに、意外とこの身体は動かしやすくて、転んだりとか何か不便なことはなかったから、普通に二人で風呂に入ったみたいになってる。
ルルノイはそれを気にしてるらしい。風呂の誘いは、俺の正体を確かめるためのただの口実だっただろうに。
それならそれで、直前に誘いを撤回しようとしてたのもおかしいけど。
そのルルノイは、なぜか真剣に俺の髪を拭いている。
なんかすっごい丁寧にやってくれてるけど、あとでばっさり切るつもりなんだが………
「………よし、これで完璧ですかね」
「あ、ありがとうございます」
「いえ、私がしたくてやったことですので。それより、早く部屋に戻りましょう。少し長風呂し過ぎたかもしれません」
確かに、30分はお湯に浸かってた気がする。
さらにそこに髪を乾かす時間も足すと、一時間は二人っきりになってる。護衛であるあの二人が心配しないわけがない。
「………って、あれ、着替えがない」
「あ、すみません、ファドマさんが大きくなるとは予想できなかったので。ベイラにお願いしてきます」
ルルノイは素早く新たな寝着に着替えると、更衣室を飛び出していった。
さっきから妙に張り切ってるけど、なんだ? いや、ずっと顔赤かったし、俺から離れたかっただけか。
拭き残しがないか確認しながら待ってると、少ししてドアがノックされ、少し開いたドアの隙間から着替えが滑り込まれた。
「ファドマさん、着替えです。終わった後、話し合いがあるので、直接部屋に来てください」
「分かりました」
ドアが閉まった後に聞こえたのは、ベイラさんの声。
話し合いというのは、今後のことだと思う。主に、学院までの移動手段が議題かな?
「まあ、とりあえず着るか………」
ベイラさんが持ってきてくれた着替えは、俺がさっきまで着ていた服のサイズが大きいもので、そのそばには若干赤いのが残った渡り鳥の祈願だった。俺が寝てる間に洗ってくれてたらしい。
「………あとでちゃんとお礼するか」




