81、狂人の引き金
「す、すみません、お腹は空いてなくて………」
「そうですか? なら………道中で食べられるように、小さなお菓子を持っていきましょうか」
俺に呪いがかかっていることが判明してからは、ベイラさんは途端に優しくなった。
どうやらこの呪いは、仕組みが分かっていれば真っ向から抗うことができるようだ。
時折り不快感を示すような表情になるので、完全に消えたわけではなさそうだが。
目の前の黄金色に装飾された豪奢なテーブルの上には、これまた豪華な食事が所狭しと並んでいる。
しかし、庶民的な『質より量』ではなく、高級レストランで出るような、大きな皿に一口二口だけ盛り付けられたものだ。
料理が多いからではなく、皿が大きいからテーブルが埋め尽くされている、の方が正しいだろう。
「………お嬢様、もうよろしいのですか? 料理はまだ残っていますが」
「ごめんなさい、あの邪神と相対する日が近いと実感したので、緊張が………」
俺と対面に座る少女ルルノイの手は、確かにわずかに震えている。
相対するということは、戦う気なのだろうか。
文字通りの、神と。
「安心してください、お嬢様。我々には切り札が二つもあります」
「そういうことでは、ないんですが………」
そう、ルルノイは俺の方を見る。
そういえば、ルルノイ達は俺を探しにこの街へ来たはずだ。なぜ俺を探していたのだろうか。
いや、俺をテイムしたからだろう。しかし、今度はなぜサンドワームをテイムしたのかという疑問が浮かんでくる。
なぜ、砂漠に置いていったのかも。
「一旦、食事の時間はこれで終わりとしましょうか。残りは冷やして保存してもらいましょう」
俺が問いを口にする前に、テンさんが食事を持ち上げ始めた。
ベイラさんも食後の後片付けを行い、あっという間にテーブルの上が綺麗になる。
「少し、急ぎましょうか。解決の目処が立ったのなら、もたもたしている時間はありませんからね」
ルルノイはそう言い、ベイラさん達とともに部屋を出た。
俺も、その後を追う。
「お嬢様、日傘を持ってきました」
「ありがとうございます、ベイラ。それで、孤児院はどこにあるんですか?」
どうやらこのまま出発するようで、赤いカーペットが敷き詰められた廊下を歩きながらそう問われる。
しかし、俺はここがどこかすらよく分かっていない。
とりあえず、壁近くの墓地の隣にあること、鐘があることを伝えるが、どうやらギルドより先に行ったことはないらしく、道案内を任せられた。
「あ、えっと、確かこっち………です」
しかし、こちら側に来たのは初めてなので、道は全く分からない。
一応、逃げる時用に黒ローブの隙間から見えた景色は覚えていたので、それを頼りに城館へ向かう。
その間、ベイラさんはルルノイと、テンさんは俺とで日傘に入った。テンさんは呪いの影響を受けていないらしいので、抵抗はないらしい。
度々転ぶ俺をテンさんが支えながら、どこか物々しい街並みを抜ける。
「………ここから先は、冒険者ギルドに寄った以来ですね」
城館を通り越し、見慣れた街並みが目に入る頃、ルルノイはそう溢した。
ギルドに寄った時というのは、俺が神無塔の調査から帰ってきた時だろう。
あそこから、俺の運命は大きく変わったように思える。
もっとも、転生なんてしている時点で変わった運命だが。
「………話にあった通り、ギルドは営業を停止しているようです」
「ここまで活気が無くなるんですね………」
ベイラさんとルルノイの言った通り、見れば必ず誰かが出入りしていた冒険者ギルドは、今やそのドアを揺らす者はおらず、水殿に嵌められた窓ガラスの先は真っ暗だった。
こうなった原因は、嫌というほど分かっている。
そのギルドも通り過ぎ、やがて周りの水殿が少なくなり、空き地が多くなる。
ここまで俺達を見ていた奇異の目も、感じなくなった。
「墓地が横にあり、鐘がある………あの教会のようですね」
俺よりも身長が高いベイラさんが、俺よりも早く教会を見つける。
そして、その教会の目の前に着いた。俺が来たときのように、庭には多くの子どもが走り回っている。
「………賑やかですね」
どこか羨ましそうに、ルルノイは庭で駆け回る子ども達に目を向ける。
その子ども達は俺達に気づいたのか、そそくさと教会の中へ入っていった。
それを合図にしたかのように、ノックもしていないのにドアが開く。
「あの、こんなところに何の、要件………で………」
「………あ、えっと、ただいま、です」
ドアから出てきたのは、シーエさん。その瞳が、大きく揺れて見開かれる。
そして、
「ごめんなさい! ごめんなざぁい!」
突然抱きつかれ、シーエさんの修道服に顔が埋まる。
しかし、それを苦しいとは感じず、むしろ身体の芯が温まるような感覚に包まれた。
「一体何が………えっと、どちら様で………?」
シーエさんに抱きつかれているのでよく見えないが、どうやらビューリさんも出てきたようだ。
ビューリさんからだと、俺は見えていないらしい。
「仔細は省きますが、こちらの子が孤児院に戻りたいと」
「戻りたい、ですか? そんな子は………マレ、さん?」
ようやく俺の姿に気がついたのか、シーエさんの肩越しにビューリさんと目が合う。
しかし、ビューリさんはすぐに目を逸らした。
「………ここは暑いので、中で話しましょう」
ビューリさんはそう言い、ルルノイ達を中へ招き入れる。
シーエさんも、なぜか俺を抱えたまま中へ入った。
「マレ! 帰ってこれたの!」
中に入った瞬間、アイレからの突撃がシーエさんを襲い、シーエさんの腕から離れた俺の左手をアイレが握る。
「良かった………本当に良かった………!」
「えっと………ただいま?」
「ただいまじゃないわよ! なんで出るときに一言言わなかったのよ………!」
「ご、ごめん、まだ皆寝てたから………」
「起こしてよかったのに………」
アイレは目に涙を浮かべながら、さらに固く手を握る。
まるで、もうどこにも行かせたくないように。
その感情はとても嬉しいのだが、それを向けられる理由が分からない。
確かにアイレと約束したが、それはりゅか姉ちゃんと離れないというもので、アイレからここまでの好意を向けられる理由はないはずなのだが………
『あ、稀君、お帰りな………………な、んで、腕が………?』
アイレの好意に戸惑っていると、後ろからりゅか姉ちゃんの声が聞こえた。
振り返ってみると、りゅか姉ちゃんの大きな瞳が、俺の存在しない右腕を捉えたまま震えている。
『ねぇ、なんで………何があったの………?』
『えっと………まあ、色々?』
『色々で、腕失くすの?』
『………まあ、うん』
りゅか姉ちゃんは心配そうな、そして奇妙なものを見る目を俺に向ける。
自分でも分かっているが、右腕を無くした割には冷静に振る舞う俺が不思議に見えるのだろう。
自分自身でも、そう思っている。腕が一本消えているはずなのに、それに過敏に恐怖することなく過ごせている。
この世界に生きると決めていても、目の前の事象を他人事だと認識する癖は直らなかったようだ。
『その色々を説明して………くれる?』
『………分かった』
「………私も話に混ぜなさいよ」
若干蚊帳の外にいたアイレも分かるように、それぞれの言語で説明する。
孤児院の前に冒険者ギルドの方で世話になっていたこと、ギルドを敵視する組織に見せしめにするために腕を斬られたこと、ビューリさんとの外出はその組織に会うためのものだったこと。
そして、ビューリさんは脅されていた可能性が高いこと。
件のビューリさんは、ルルノイ達に詰められ少し引き気味になりながら話をしていた。
「………そーゆーこと。これは………シーエもあんなことになるわね」
そういえばと思いシーエさんの方を見ると、しなしなになりながら床にへたり込み、その背中をアイさんにさすられている。
普通シーエさんと俺は逆だと思うのだが、その背に抱えているものの重みが全く違うのでこうなっているのだろう。
俺はアイレとのの約束くらいしか背負っていない。他のものは全て、呪いに奪われている。
『これが異世界、なのかなぁ………』
他に背負っていたものがあるのか思い返していると、どこかやるせない表情でりゅか姉ちゃんが呟いたのが聞こえた。
前世とこの世界での違いを、改めて実感したのだろう。
りゅか姉ちゃんはすでに成人しているので、会社での見せしめと言えば減俸やら左遷やらなのだろうが、この世界では腕が飛ぶ。
さすがにここまでのものは極端なのだろうが、前世ではあり得ないことだ。
『その組織も街のためにしてるみたいだし、ここも稀君と引き換えに色々貰ったみたいだし………』
『………え、そうなの?』
『うん、野菜とかお金とか色々。多分、稀君を引き渡せじゃなくて、稀君と引き換えになのかな? 稀君の言う通り脅されてしたんだろうけど、なんかこう言ったら稀君に失礼だけど………あの量は子ども一人と引き換えにしては多すぎると思う』
『………なるほど』
ビューリさんが俺を引き渡したとき、何か考えがあるように見えたのはそういうことだったらしい。
おそらく、その取引のことを考えていたのだろう。
子どもの腕一本、実際には足も持っていかれそうになったが、それを対価に物資や金を受け取れるのなら、ビューリさんが承諾するのも無理はない。
そもそも、あんな組織なのだから武力で迫られた可能性もある。
「………まあとにかく、もうその組織とは話はついたの?」
「多分。こっちも強硬手段使ったから、話がついたというより一時中断みたいな感じだけど」
「………何よ、強硬手段って」
アイレはそう問い、答えを待つ。
もう本人がそばにいるのだから、答えても問題はないだろう。そもそも、一時とはいえアイレとの約束を破っていたので、俺には説明責任がある。
「ええっとね………実は、お………私はサイルガ家の………なんだろう、奴隷………なのかな? それを盾にしてその組織から逃げた。だから多分、あの組織はもう手出しして来ないと───」
「ちょっと待って、奴隷?」
「思う」の言葉を遮り、アイレが詰め寄ってくる。
話が分からないりゅか姉ちゃんがおろおろしているのを尻目に、アイレは声を潜めた。
「いつ、なの?」
「い、いつって?」
「いつ、奴隷にされたの?」
「え、さ、さあ? 多分、生まれたときから?」
「………生まれたときから?」
スッとアイレの目が細められ、ルルノイの方に向く。
何か勘違いしているようなので、アイレの手を掴み返した。
「ちょっと待って。ルルノイ………あっちのサイルガ家は関係ないと思う」
「………そう」
アイレはすぐにこちらに向き直ったが、怒りを孕んだ瞳は未だルルノイの方に向いている。
説明のためにルルノイをサイルガ家と紹介したのだが、それは失敗だったかもしれない。
『あの、ごめん、どうなってる?』
『あ、いや………なんでもない』
俺の言葉にりゅか姉ちゃんは怪訝そうな顔になるが、追及はしなかった。
『ってか、ごめん、言うの忘れてた』
『ん、なに?』
キョトンとするりゅか姉ちゃんに、ここにいられる時間があまりないことを伝える。
唐突すぎてりゅか姉ちゃんは一瞬何を言われたのか分からないようだったが、すぐに引き止めようとしてきた。しかし、あの組織が来る危険性が残っていることを伝えると、しぶしぶ引き下がってくれた。
だが、これはアイレとの約束を破ることになる。
一応、アイレにそれを伝えるが………
「………つまり、約束を破るつもりなのね?」
アイレの目が、ルルノイに向けたものと同じものになる。
それを見て、かつて俺に向けられた目を思い出した。それは、非常識を責める目だ。
「………ごめん」
「………いいわよ。だって、仕方ないんでしょ? あなたが謝ることじゃない」
絶対、そう思っていないだろう。
そして、アイレは俺の癖も見抜いてそうだ。だからこそ、その言葉が出る。
「とりあえず、大体の状況は分かった。この後はどうするの? ここにいられないなら………サイルガ家のところに行くの?」
「そうなる………かな。今聞いてみる」
ビューリさんとの話は一段落しているようなので、アイレから逃げるようにルルノイに近づく。
笑みを消していたルルノイは俺に気づくと、すぐに笑顔になった。
「ファドマちゃん、どうかしましたか?」
「あの、これからどうする………んですか? 私はどこに………?」
「あ、それは………」
ルルノイは少し言葉に詰まった後、何か覚悟を決めたかのように顔を上げる。
「ファドマちゃんは私のところへ来ていただきます。そこで、今後の話をしたいと思っています。いいでしょうか?」
いいでしょうか?と言われても、こちらはサイルガ家の所有物だ。命令には従わなければならない。
もっとも、今の俺には紋章はなく、厳密にはルルノイの言葉に強制力はないが。
とにかく、ルルノイの問いに頷き、ついていく意思を伝える。
するとルルノイは、安心したような、しかし何かを後悔するような複雑な表情になった。
それに首を傾げていると、ベイラさんがルルノイに声をかける。
「お嬢様、そろそろ時間が」
「わ、分かりました。ファドマちゃんは、その、お友達とのお話はいいんですか?」
「あ、少し待ってください」
慌ててアイレ達のところに戻り、二人に今の話を伝えた。
アイレはまだあの目をしていたが、りゅか姉ちゃんの方はどこか決意めいた目になる。
『………分かった。会えなくなるわけじゃ、ないんだよね?』
『た、ぶん。歩いて来れる距離だし、時間があればまた来れると思う』
『………うん、良かった。私、ちょっと危なかったしね』
りゅか姉ちゃんが自嘲気味に放った言葉に、首を傾げる。
りゅか姉ちゃんが危ないというのは、どういうことだろうか。
『あ、トイレのときのやつじゃないよ。稀君は、感じなかった?』
『えっと………何を?』
『自分で言うのもなんだけど………私、稀君に依存しかけてたみたい』
『それは………』
良いとは言えないが、悪いとも言えない。
言葉も通じず、知らない街、知らない身体の状況で同郷を見つけたのなら、依存してしまうのも無理はないだろう。
『うん、稀君は優しいから、否定しないことは分かってた。でも、だからダメなの。私は稀君の優しさに甘えて、自分では何もできなくなっちゃう。あ、稀君がダメなわけじゃないからね?』
『………でも、言葉とか色々、どうするの? この世界には翻訳書はないよ?』
『そこは、稀君から教えてもらった魔術でどうにかする。使えることは分かったんだから、あとは作るだけ。だから、私は大丈夫。自分のことは、自分でどうにかする。だからね稀君、遊んできなよ』
『あ、遊ぶ?』
『そ、遊んで。今言うのも変だけど、伝えられるうちに伝えとかないと。んで、本屋で立ち読みした本に書かれてた言葉だけど………逆境こそ楽しめって。そういうマインドで生きてた方が楽らしいよ。今の稀君は………ちっとも楽しそうじゃない。自分で分かってる? 私、今の稀君の笑顔は見てないよ』
言われてみれば、久しく表情筋を動かしていない気がする。
りゅか姉ちゃんの言いたいことは理解できる。しかし、腕一本斬り落とされて笑うなど、無理な気がする。
だが、りゅか姉ちゃんは見たいのだろう。
今の俺の笑顔を。
『………あ、これも稀君の優しさに甘えてたね。ごめん、忘れていいよ。腕失くして笑うなんて………』
そうだ、分かっているはずだ。
皆と感覚がズレている自分は何なんだと自問自答したときに、理解したはずだ。
俺は、人の為になることが好きだと。
ならば、ズレてるならズレてるなりに、りゅか姉ちゃんの為にやってやろうではないか。
「こう、変なところで吹っ切れるのもズレてる理由なんだろうけど………」
『どうしたの? って、稀君?』
『ん、何?』
『………いや、何でもない』
りゅか姉ちゃんは俺が吹っ切れたのに気づいたみたいだけど、言葉にはしなかった。
まあ、直前まで落ち込み気味だった人が急に元気になったら、結構怪しいもんね。
でも、それが俺。
できるなら早くやればいいのにそれを引き延ばして、自分でも分からないトリガーで吹っ切れる。
皆とどこかズレていて、それが苦痛で、でも気にせず接するときもあって。自分でも分からない自分の心に、思いっきり振り回されてる。
でも、そこに一本の軸を立てれば、それを中心に動ける。
我ながら、狂人みたいに思える。やることなすこと滅茶苦茶で、でも芯はあって。
だったら、その狂気に沈めばいい。それを他人に望まれれば、なおさら。
今回の芯は、「笑え楽しめ」
りゅか姉ちゃんのために。




