107、月と陽は共に
全ての音が、止まる。
目の前には、あのときから全く姿の変わらないリーリョちゃんと、その他見たことのない面々。
そして、『私』を守ろうとしているクランジェリスがいた。
その誰もが、私を見て動きを止めている。
「ね、ネル………!」
リーリョちゃんが感極まった様子でこっちに来るけど、それを手で制する。
リーリョを悲しませるかもしれないけど、今はクランジェリスへの対処が先。
そのクランジェリスは………
「──────!!!」
音にならない咆哮みたいな憤怒が、湖に波紋として広がる。
多分、私を偽物、もしくは天使の力を奪った略奪者って認識したのかも。
だからこそ、その殺意は白い騎士から私へと変わる。
「なっ、相手はこちらだぞ───ッ!」
クランジェリスは動揺していた白い騎士のそばをすり抜けると、私に向かって剣を振り上げる。
それを見てリーリョちゃんが慌てた顔をするけど、もう忘れちゃったのかな?
私は、天使だって。
「『光壁』」
目の前に薄く仄光る壁を出現させて、クランジェリスの剣を阻む。
魔導が使えずとも、こうした天使の力は問題なく使えるし、この身体は魔法、いわゆる従来の古い魔術と相性が良いみたいで、種火の魔術も上手く使える気がする。
とりあえず、クランジェリスの動きは止めないと。
「───!」
「『光壁』、『光鎖』」
何かを察して避けようとしたクランジェリスを壁で囲んで、光でできた鎖で縛る。
クランジェリスならこの程度の鎖は断ち切れるはずだけど、その鎖を見て動きを止めた。
この鎖は、私が敵と認めた者にだけ巻き付けるもの。例え私のことを偽物だと思っていても、鎖を巻き付けられたという事実そのものに混乱しているみたい。
その隙に、光壁で何重にも囲む。これで多少の時間稼ぎはできるはず。
「リーリョちゃん!」
「え、あっ、はい!」
リーリョちゃんに目配せして、昔教えたあの魔術を使わせる。
私は魔導の中で種火の魔術しか使えないから、他の魔導を使いたいときはいつもリーリョちゃんにお願いしてた。
だから、この状況と私の声色で、リーリョちゃんは勝手に判断してくれる。
「『雷霆』!」
リーリョちゃんがそう叫んだ瞬間、この夜空の天蓋、その天辺から眩い光がクランジェリスへと降り注いで、轟音とともに光壁を砕きながら炸裂した。
リーリョちゃんが使う魔導の中で、最も強いもの。
それは私達天使の故郷の『天界』由来の力で、万物に対して圧倒的なダメージを与える。
それでも………
「───!!」
クランジェリスが振り回した黒い鎖が唸りを上げてリーリョちゃんに迫る。
私はそれを光壁で防ぎながら、攻めあぐねている白い騎士の背後に回った。
クランジェリスは雷霆を知ってるから、思ったよりのダメージはないはず。でも、目眩しにはなった。
「───?」
最大の敵である私を見失って、クランジェリスが周りを見渡し始めた。
白い騎士は私のやることを察してか、動かないでいてくれている。ただ混乱して動けてないだけかもだけど。
その騎士に、囁きかける。
「私がサポートします。あなたはその剣を当てることだけ考えてください」
「ま、マレ殿? いや違う………………だが、承知した」
白い騎士はまだ混乱していたみたいだけど、それでもなんとか飲み込めたようで、手にある剣を握り直した。
それを確認した後、すぐに詠唱を開始する。
「火よ、偉大なる白陽よ。敵なるに白の雨を降らせろ、『序雨』」
それは種火の魔術の中でも、高位のもの。
白く燃える火の雨を降らせる魔術で、対象を絞らないからこそ避けにくい魔術。
「───!?」
「おおっ!」
白い雨の中に、それでも白い騎士は躊躇なく突っ込んだ。
でも、対策はしっかりていて、剣を上に掲げて直前まで傘のようにしながら、クランジェリスに斬りかかる。
でも、クランジェリスはそれを剣で受け止めて、そのまま力で押し返した。
その間、当然クランジェリスには燃える雨が降り注いでいるけど、当の本人は全く気にしてない。
もしかして、火守りの騎士だから火炎耐性ある? 初耳なんだけど。
「───!」
「ぐっ………!」
今度はクランジェリスが攻勢に転じて、白い騎士に剣を振り上げる。
それを光壁で防ごうとするけど、勢いを少し殺すことしかできずに、剣は白い騎士を捉える………はずだった。
「間に合いました………!」
いつの間にか白い騎士の姿が無くなって、虚空にクランジェリスの剣が振られる。
リーリョちゃんの声をした方を見ると、膝をつく白い騎士とそれに寄り添うリーリョちゃんが見えた。
多分、2回連続で転移を発動したのかな? でも、そうしたら………
「あ、やっぱり………!」
予想通り、白い騎士が元いた場所に、あの魔導を切る剣が転がっていた。
クランジェリスは多分触れないけど、剣で打ち合えるのなら………
クランジェリスは転がっている剣を見つけると、自分の剣でそれを弾き飛ばす。
私の本体の方へ、当たらない勢いで。
「………やっぱり、クランは強いね」
嫌だった。例え今目の前にいるのが抜け殻だったとしても、その身を他人に斬らせるなんて。
それでも止めるのがそれしかないと呑み込んだのに、クランジェリスはそれを簡単に防いでくる。
せっかく………せっかく私が、親友を殺す覚悟を決めたというのに。
「もう、怒ったから」
右手の薬指を見る。
なんで持っているのか分からないけど、このおかげで私はこの身体に移れたし、あの方と私をより深く繋ぐこともできる。
稀さんには申し訳ないけど、これを使わせてもらおう。
嵌っているのを取り外して、それを両手で包む。
その小さな小さなガラスの破片、それでもかつての信仰の力を確かに宿している。
その指輪に小さく、囁いた。
「『顕現』」
「───!?」
白い騎士を相手にしていたクランジェリスが、驚いたようにこっちを見る。
それもそのはず、この詠唱は私にしかできない。『天使』であり、『ネル・ラリウス』の私にしか。
力を奪ったとしても、完璧に模倣したとしても、それは私にしかできない。
「火よ、偉大なる白陽よ───」
「──────!!!」
クランジェリスが、白い騎士の存在さえも忘れて私の方へ突貫してくる。
でも、間に合わない。間に合うはずがない。この文言は、魔導の使えない私がもしもの時のために、何回も練習してきたものなのだから。
「───遍く全てを、その魂を律せよ!」
指輪が、眩い光を放つ。
これは、『顕現の儀』。太陽の都で『灰の王ヤギラ』が使った、『白陽の王』を喚び出す魔法。
でも、この時代はもう、白陽への信仰は廃れているはず。十分な顕現にはならないだろうけど、火種になりうるこの身体なら───
「ネ、ル………?」
リーリョちゃんの微かな声が、黒い湖に広がる。
クランジェリスは上を見上げて静止し、他の皆も動きを止めた。
その視線の先にあるのは、私の頭上に浮かび真っ白な光を放つ球。
眩しすぎてその正体がなんなのかは見えないけど、その神々しさは、誰もが神だと実感できるほどの畏怖があった。
その球が、ゆっくりと前へ降りてくる。
これはかなり不十分な顕現で、もはや喚び出せたかどうかすら怪しいけど、これほどの力があるなら問題なし。
「それじゃあ、クランジェリス」
「──────」
クランジェリスは呆然と、光球を眺めている。
兜のせいで表情は見えないけど、物凄い面白そうな顔してると思う。
それが見れないのが、残念かな。
「ばいばい」
片手を光球にかざして、それをそのままクランジェリスへ振り下ろす。
光球は動こうとしないクランジェリスに直撃して………一際強く光った。
「──────」
声は無かった。
ただ、最後まで光球を見ていた。それだけだった。
「クラン、ジェリス………」
リーリョちゃんの小さな声が響く。
クランジェリスの姿はもうそこにはなく、鎧どころか鎖さえも残っていなかった。
それはつまり、私を縛る鎖の固定元が消えたということでもある。
今なら、私の身体を破壊できる………んだけど………
「………少し、間に合わなかったかな?」
この黒い湖の中心に、誰か立っている。
皆、クランジェリスの対応でいっぱいいっぱいだったから、誰かがあそこまで行くことはできなかった。
最初からそこにいる、私を除いて。
「さよならも、言えないかも………!」
今、私の意思はこの稀さんの身体に宿っている。
だから、堕天しかかってる身体の影響は受けてないし、身体の動きを止めることもできない。
今の私の身体は、地獄に蔓延る怨霊と同じ、『破壊』の意思でもって動こうとしてる。
リーリョちゃんにさよならを言いたくてこの身体に入ったのは、失敗だったみたい。
私の身体はまだ完全には堕天していないけど、少しずつ地獄に呑まれているのは分かる。
完全に堕天したら、私の意思に関係なく衝動的に破壊行為をするようになるはず。
学園の上に浮かぶこの月が落ちれば、大きな被害が出ることになる。
そんなこと、させない。
「リーリョちゃん、最後の仕事を頼んでいい?」
「え、あ………」
呆然と私の身体を見てたリーリョちゃんにそう声をかけると、少し驚いた後に、ふるふると首を横に振った。
私のお願いを察したのかも。だからって、止めないっていう選択肢はないけど。
「ごめんねリーリョちゃん。リーリョちゃんにしか、頼めないから」
「嫌………です。嫌、なのに、そんなの………ずるいじゃないですか………」
リーリョちゃんはその大きな目に涙を浮かべながら、それでも今度は頷いてくれた。
もう何年経ったのか分からないけど、リーリョちゃんもだいぶ成長したみたい。
「我は、どうすべきだ?」
「え?」
横から声をかけられて振り向くと、クランジェリスと打ち合っていた白い騎士が立っていた。
でも、その手には剣はなく、さすがにこの状況で戦力として数えるのは難しい気がする。
でも、あの魔法を耐え抜いたのなら………
「万が一、この身体が傷つきそうになったら、庇ってくれますか?」
「承知」
稀さんではないと分かっているはずなのに、白い騎士は間髪入れずにそう答えた。
稀さんはこの騎士の主だったのかな?
「あのー、私は………?」
また声をかけられて振り向くと、知らない女性がいた。
この人は………
「………あ、ずっと障壁で何かしてた人?」
「えっと、獣の魔女って言うんですけど………」
魔女。かつてその言葉が示す意味は良いものではなかったけど、私達の学園が世界に広まっていくにつれて悪い意味は消えていった。
今はどうかは分からないけど、そう名乗ったということは今でも決して悪い意味ではないみたい。
「あ、ええとそれで、何をすればいいかでしたよね。とにかく私を、あの私の身体を動かさないようにしてください。何をしてもいいですから」
「破壊も、ですか?」
「はい」
「分かりました」
獣の魔女は頷いて、その岩の杖を私の身体に向ける。
これで全員が、戦う準備ができた。
「それじゃあ、これから最終決戦………」
これを終わらせれば、太陽の遺志は完全に消える。でも、もうそれでいいと思った。
灰の王だって、炎が接がれるのを望んでいなかった。
激しく燃えた盛炎は、やがて消える運命にある。それを拒否してかつての栄光を追い求めても………火は結局消えてしまう。
灰の王はそれが分かってたからこそ、最初は『火の王』と名乗っていたのに、最後は灰の王として死を迎えた。
だから、私は、この火を………
「ネル、来るよ!」
「………うん!」
「………何もないな」
あれからずっと歩き回ってみたけど、本当に何もない。
しかも、ここはジバと戦ったあの空間とは少し違うみたいで、俺の思ったことは具現化されなかった。
つまり、夢とかじゃなくて、普通に意識空間とかそんな感じかも?
「魔術………は使わん方がいいか。あっちの魔力を勝手に使うことになるかもしれんし」
あれから、全く音沙汰がない。
体感的には30分くらい経ってるって感じてるけど、時計がないから正確な時間は分からない。
堕天使との戦いがどんなもんか分からないけど、まだまだ時間はかかりそう。
「暇だー」
魔術も魔法も使えないし、することがない。
何か探してもっと歩いてもいいけど、もうそんな気力もない。
ただぽけーっとしたまま、この黒く冷たい床に寝転がって、深淵のような暗い空を見るだけ。
「………これからどうしようかねぇ」
とりあえず、ここから出た後のことを考える。
学園長達が月の落下を防げたとして………子ども達は学院で学ぶし、ライムも妹さんと暮らすみたいだし………あれ、俺は何もすることない?
「いや、ジバとかアリスがいるか」
また様子を見に行かないといけないし、ジバが復活するまでに封印の準備も………
「………なんで俺がこんな色々………いや、そもそも───」
俺はこの世界で何がしたい?
人の役に立つとか言いながら、皆はどんどん離れて、引き止めることもできてない。
皆、帰る場所がある。なら、俺の帰る場所は?
学院の学生寮?
学国の冒険者ギルド?
バルデルハラ街の冒険者ギルド?
それとも、最初の水殿?
異世界から来た俺の、帰る場所は?
「いや、帰らなくていい………のか?」
帰る場所はなくても、やることはある。
アリスのことにジバの復活への対処、子ども達の面倒とかもあるし………
「使える魔術も増やして、仕事も見つけないと………」
………これ、高校生のやることか?
忘れがちだけど、前世ではまだ高校生だったんよな。
バイトもしたことないし、そもそも人付き合いもそれほど得意じゃなかったし。
それなのに、サンドワームの身体になって、生物を食べて、殺し合いをして、何度も身体を弄られて………
「あ、ちょっとヤバイか………?」
ふと、思考がクリアになってきた。
今まで考えようとしてこなかったこと、無視しようとしてきたことが、牙を剥く。
「なんで俺は、死ぬのも、殺すのも………」
今までの境遇、体験が少しずつ現実味を帯びる。
あれだけ言われてまだ、自分の行動、そしてその思考が狂っていたことに、今の今まで気づいていなかった。
「普通、帰ることを目的にするだろ………なんで俺は始めからこの世界で生きようとして………?」
『人型になる』という目標。
もしかしたら次元の切れ目か何かあって、そこから来たかもしれないし、そこから戻れたかもしれないのに、俺はそれを探すことではなく、この世界で生きることを優先した。
多分、舞い上がってたからだろう。偶然にも、非日常にその身を投じることができたのだから。
予想だにしない刺激は、それそのものが麻薬となり興奮を促し、そして俺は………
「戦いにも、参加した………」
戦争とは程遠い日本の男子高校生が、サンドワームの身体となって動物を噛み殺し、人との戦闘にも躊躇しない。
何度も死にかけたのに、それに対して何も対策を取ることはなく、ただ周囲の流されるまま生きている。
やれと言われたことをやり、人の為と狂った。
「でもじゃあ、どうすればよかったんだよ………」
引きこもりのように最初の水殿で閉じこもれば、確かにここまでの色んな体験はせずに済んだだろう。
だけど、それは出会いも同じで、ライムにもギルドマスター達にもニャテルさんにも孤児院の人達にもりゅか姉ちゃんにもギンセイジュ団の皆にもアリスにも書庫の二人にも、そして子ども達にも会えなくなる。
なんというか、それは、嫌だ。その内の何人かに殺されかけてるけど、それでも、嫌だと思った。
「でも、このままじゃ、結局………」
そう、このままでは、確実に戦いに巻き込まれるのは目に見えている。
それはなぜかは、今までの物語が証明してくれるだろう。
力あるところに責任あり、責任あるところに諍いあり。
俺が出会った者達は皆、力があり目的があり、俺はそれに巻き込まれる形でいた。
なら、そこから離れるだけで、比較的穏やかな生活が………
「んなわけないか。奴隷の制度とかもまだあるみたいだし」
新たに作り出した魔術があったとしても、一人でできる範囲には限りがある。
なら仲間を作ればとなるだろうが、現実を直視した今、今までのように軽く話しかけられる自信はない。
生きるためであろうとも、一度ついた癖は直りにくいものだ。
「なら、今までみたいについていかないといけなくなるけど………」
また死を目の前にして、俺は『人』でいられるだろうか。
いや、それこそ『人』らしく、生き汚くもがこうとするのだろうか。
それが、仲間を追い込むとしても。
「それは………嫌だ。だけど、怖いもんは怖いし………」
今の俺は、魔導抜きで考えれば、一般人より少し強い程度だろう。
それはライムと比べるまでもない差があるだろうし、子ども達にさえ負けるはず。
じゃあ強くなるか?と聞かれれば、むしろ戦闘にならない道を探す。自衛できる力を身につけるではなく、逃げる方を選ぶ。
俺は、その程度の人間だ。誰かを助けるなんて、自分の身さえ守れない奴が何を抜かしてるんだと言われるだろう。
いや、俺が、俺自身にそう思っている。
「皆はなんで、こんな俺を拒絶しないでくれてるんだろ………」
正直、ジバの呪いで独りになったとき、『ああ、やっぱりか』と思った。
多分俺は、人の好意、信頼それ自体を信じられないんだと思う。
だって、俺がそうだから。
「………難儀なもんだねぇ」
これを他の人に言えば、絶対面倒臭い奴として距離を置かれるだろう。
だから言えないし、言えないから真に信じることもできない。
不器用とでも言うべきか。必ずどこかに妥協点はあるはずなのに、それを探しきれない。
あの天使の言う通り良い人を見つければ、この悪癖も直るのかもしれない。希望的観測すぎるけど。
「………とりあえず、またこれからの方針を固めなきゃな」
『死』を直視した今、なるべく国の外には出たくない。
出なくても殺されかけたのが何回かあるけど。
「子ども達の面倒を………いや、自立も目的だったから、安易に会うのはダメか。書庫に入り浸っても、あっちでは時間の流れが早いからなぁ………」
いや、戦闘にならないという点では最適………………そういやジバがいたわ。書庫の魔力を吸って復活が早まるんだっけ。
「めんどくさー」
じゃあなに? 俺は何してればいい?
やっぱ自己研鑽か? 戦闘にならなくなる方法としては、相手とそれほどの差をつければ、『戦い』から『蹂躙』へと変わるんだろうけど………
「それくらい力をつけるのに何年かかるんだって話だし、思い返せば疑問もあるし………」
その疑問とは、魔導への適性のこと。
というのも、魔導適性は生まれついての体質で、どう足掻いても変わらないはずなのに、俺の場合はほとんどの魔術が使えなくなった。
原因としては、アリスが抜けたからか、もしくはジバがそう改造したからか。
どっちもそれなりの可能性があるのが悩ましいところだ。
「アリスが魔術適性持ってたかもしれんし、ジバが弱体化のためにほとんどの魔術を使えなくさせた可能性もあるし………」
しかしまあ、これは今考えても仕方ないだろう。
とりあえず分かっているのは、俺が使えるのはアリスから教えてもらった魔法と、種火の魔術とそれから派生させた自作の魔術だけだ。
となると、種火の魔術からどれだけ派生魔術を作れるかで俺の強さが決まりそうだ。
そうなると、図書館とかで知識を深めた方が良さそうだ。ついでに、ジバへの対抗策も探せば、有意義な時間になるだろう。
「えーと? じゃあ、俺はこれから学院の図書館にこもって、種火の魔術とジバについて調べる。それでいいか」
時々、書庫にも行かないと。アリスは俺にだけ反応を示していた。
あっちはあっちでジバの封印、もしくは完全破壊する方法を調べてるみたいだし、その進捗も気になる。
「じゃあ、これからのことはこれで決まり………………ん?」
ふいに、視界の端に光るものが見えた。
それは亀裂のようで、細長く稲妻状に走るその光は、徐々にこっちへと亀裂を広げる。
「な、なんだ? 現実の方からの光か?」
咄嗟に後ずさるけど光の方が速く、亀裂が足元まで走った。
その瞬間、蜘蛛の巣状に割れる床が俺を支えきれなくなったように、破片のように壊れ───
「え、マジ───?」
身体が重力に従って、下へ引っ張られる。
ただ一瞬の浮遊感の後に、味わいたくもない『落下』の感覚が全身を包み込んだ。
それと同時に光が視界全てを支配して、目を瞑っても光は貫通し───
やがてそれは柔らかく、不規則に強弱を繰り返すようになった。
ようやく目を開けられると思った瞬間、別のことにも気づく。
落下の感覚が消えて、尻尾が押し潰されるような感覚がする。
「んん………?」
何が起きてるのか分からなくて目を開けると、見慣れない白い天井が、いや、前世でもよく見た病室の天井が見えた。
まさか元の世界に?とも一瞬の淡い希望を抱いたけど、尻尾の強烈な感覚がそれを否定する。
「ど、どうなって………?」
まさか気絶? というよりかは、堕天使との戦いが終わって、今の今まで寝てたって感じか?
身体に不調は感じない。強いて言うなら、尻尾が少し痛い。
とりあえず体勢起こして、尻尾を楽にする。
と同時に、起き上がる途中の視界に、俺が寝ているベッドの横に立つ人物の姿が映った。
「その、ごめんなさい」
それはあの黒い空間で出会った儚い天使であり、しかしその姿はガラスのように透き通り、向こう側でひらめくカーテンと暖かな陽が差す窓が見える。
まだこの状況への処理も追いつかないところへのこの追い打ちで呆気に取られた俺をよそに、半透明の天使は話し始めた。
「あなたと話した後、私はリーリョちゃん、今は学園長でしたっけ。とにかく、あの場にいた皆と力を合わせて、私の肉体を破壊しました。ですがその、堕天一歩手前でしたので、あなたの魔力すらも使ってしまい………」
天使は申し訳なさそうにしながらそこで一度言葉を切り、また話し始める。
「あなたの『火種』としての才能、いわば魔導適性を燃やし尽くしてしまいました」
「………え?」
え、才能を燃やすってどうやって………いや、そうじゃなくて、それってつまり───
「魔導が使えなくなったっていうことですか………?」
「………本当に、申し訳ありません」
ということは、だ。俺は今後、どんな魔法も魔術も使えず、この身一つで生きなければならないということになる。
無理だ、そんなの。俺は魔導でこそ、まだ戦いの土俵に立っていられたのに。
「か、代わりになるか分かりませんが、あなたの身体の内にいた禍々しい気配を、ある程度ではありますが浄化させておきました」
「じょ………え、浄化? ジバって浄化できんの………?」
そんな、アンデッドみたいな奴だったのか?
でも、ある程度ってことは完全じゃないだろうし、タイムリミットが延びたって感じか?
「その、分かりやすいよう浄化という言葉を使っただけで、具体的にはあの存在に『真名』を思い出させただけです」
「真名、ですか?」
「その者がその存在になるための名前、と言いますか、いわばこの世界での立ち位置を示すものと思ってもらっていいです。あなたの内にいる者は、それを意図的にぼかすことで邪悪なものになろうとしていたようなので、それを阻止させて頂きました」
………よく分からん。名前があるだけでこの世界にいられるってこと?
ジバはそれをぼかしてたみたいだけど、だから邪悪になるってのも分からない。
ジバにとって真の名前は、邪魔なものだったってことだろうか。
「もし、あなたが意図的にそうさせていたのでしたら、天使の立場から忠告します。神を冒涜するのはやめた方がいいです」
「あ、いや、むしろありがとうございます。封印とか色々やらないといけないんで………」
「そうなんですね。でしたら、それはもう考えなくてもいいかと。真名を思い出せば、自ずと自らの役割に戻ろうとします。やがては、あなたの身体から出ていくと思います」
え、てことは、封印やら何やらを考えなくていいってこと?
エンガラスさんにも伝えないと。というか、それが本当か確かめてもらった方がいいか。
「あの、私にできたのはそのくらいです。ごめんなさい」
天使はそう、頭を下げる。
だけど、俺の魔導適性の代わりに、本当に神を浄化できたのなら、それは割の良いトレードじゃないか?
俺の中に巣食っている以上、逃げも隠れもできなかったし。
「まあ大丈夫………です。これもありますし」
俺はそう、今着ている作業服を広げる。
ある程度の防御力と便利な機能を備えているこの服は、あるだけで日常における大きなアドバンテージになるだろう。
生きるだけなら、そう難しくないはずだ。皆が、魔導を使えない俺を見限らなければ。
「そ、そうですか。旧文明の遺物とはいえ、そこまで過信できるものでもないとは思いますが………あなたがそう言うのなら、そう思っておきます」
少し苦笑いになった天使は、ふと何かを思い出したように俺から視線を外し、少し目が泳ぐ。
しかし、すぐにまたこっちを捉えて、微笑んだ。
「ごめんなさい。もう、時間が来てしまったみたいです。あなたに幸あることを祈っています」
「え? あ………」
天使は捲し立てるようにそう言うと、半透明だったその身体がさらに透き通り始め、徐々に視認しづらくなっていく。
しかし天使はそれを最初から分かっていたように、怖がることなくただ微笑むだけだった。
「それでは、さようなら」
「え、あ、はい………」
天使の輪郭が少しずつ見えづらくなり、やがて完全に消える。
そこに残るものはなく、その後ろではただカーテンが微風に揺れていた。
「………さよなら、言えたんかな」
天使が俺の身体を借りていた理由。確か『リーリョちゃん』という人にさようならを言いたいから、だったはずだ。
最期まで笑っていたのは、それを無事に済ませたからだろう。
俺も死ぬときは、未練もなく逝きたいものだ。
「まあ、それは置いといて、今の状況は………」
ベッドから足を下ろして、冷たい白い石床が踏みながら部屋を眺める。
最初の病室という印象は当たっていたようで、そこそこ広い真っ白な部屋には、俺が寝ていた窓際のもの以外のベッドが三つとそれとセットになった棚と机、そしてそれらを隠すためのカーテンがしまわれた状態でぶら下がっていた。
そのベッドに他の患者の姿はなく、この広い病室には俺一人しかいないようだ。
だだっ広い病室は照明らしいものはなく、開け放たれた窓から差す陽の光だけが、この病室を明るく照らしている。
「………どこだ? 病院があるって聞いたこと………いや、ライムがなんか言ってたような?」
決闘のとき、ライムがなんか言ってたような気がするけど、上手く思い出せない。
でもまあ、天使がここについて全く言及していなかったから、少なくとも国の外に出たわけではないはず。
勝手に出たなら、さすがにそれも謝るだろうし。
「病院じゃなくて、学院の医務室か? 外を見れば………」
とりあえずここがどこか確定させるため、ベッドの横の窓に近づく。
すると、ここは割と高いところだったようで、少し下に陽に照らされた学国の街並みが見えた。
「………ん? なんか、違う?」
その街並みに違和感を感じたけど、その瞬間に心地の良い微風が髪を揺らす。
今まで全く気にしていなかったその髪が妙にくすぐったくて、両手で髪を抑えた。
『死』と同じように、この『身体』も、無視していた。
気にするほど余裕がなかったとも言えるけど。
「性別変わったのに、すんなり適応してるよなぁ………」
適応というよりかは、諦めに近いかもしれない。
身体を作り変えるなんてこと、それこそジバみたいな神にしかできない。
なら、この身体で生きていくしかない。
「でも、脇毛とかないのは助かるな」
人型になってから随分と経つが、いわゆるムダ毛は一切生えてこない。
まるでずっと時が止まっているみたいな感じで少し気持ち悪いけど、そういう諸々の面倒がないのはマジで助かる。
後々時間があれば、もう少し今の身体を見て、しっかり頭に入れた方がいいかもしれない。
ただまあ、そのときの恥じらいは無視しないといけないだろうけど。
「………って、そうじゃない。ここは学院っぽいし、やっぱ医務室か。なら、専属の先生がいるかも?」
窓辺から離れて、部屋を見渡したときに見えたドアのノブに手をかける。
そのときだった。
「マレ!」
目の前のドアが勢いよく開け放たれ、しかしドアは外開きだったため頭をぶつけることなく、ドアを開いた人物と対面する。
「ら、ライ───
「マレ!!」
小さな身体が俺の腰に激突し、そのまま両腕が回される。
その腕はかなりの力が込められていて、だからこそ今のライムが抱いている感情の重さがひしひしと感じられた。
そのライムは、俺の胸に顔を埋めたまま、動かない。
だけど、俺の胸はそこまで大きくもないので、ライムの顔が少しだけ見えた。
「な、泣いてる、の………?」
「黙れ。そのまま動くな」
無愛想な言葉とは裏腹に、その声は明らかに震えている。
とりあえず言われた通りに動かず、だけど何もしないのもアレなので、ドアの先を見る。
ドアの先には廊下が広がっており、左右を見るにこの部屋は一番奥のようだ。
また、ライム以外には誰もいないらしく、医務室と同じく白い廊下は閑散としていた。
「………………………」
「………………………」
そのまま、ただ沈黙が続く。
ライムの腕はまだ外されず、それどころかどんどん強く締めてくる。
作業服のおかげかまだ痛くはないけど、このままペースならあと少しで痛くなりそうだ。
でも、この状態で何をどうすればいいか全く分からない。
「………ライム?」
「………………………」
返事はない。
それどころか、さらに腕の締めつけが強くなった。
怒ってるらしい。
「ちょ、ちょっと、分かったから………!」
とにかく落ち着いてもらおうと、ちょうどいいところにあったライムの頭を優しく撫でる。
何も思いつかなかったがゆえの咄嗟の行動だったが、ライム的には正解らしく、すぐに腕の力が弱まった。
「………落ち着いたと思えば、これだ。お前はどれだけ巻き込まれれば気が済む」
「これは不可抗力だし………でも、うん、ごめん」
少しイラついているようなライムの声に、謝罪で返す。
あのとき、突然やってきた学園長を警戒していれば、石化も誘拐もされなかったかもしれない。そうなると月がどうなるか分からないけど………
「あれ、月………夜は………?」
ここで、ようやく陽の光があることへの違和感に気づく。
夜が、無くなっている。
「私が説明しよう。ついてこい」
「え、あ………」
俺に表情を見せず素早く顔を背けたライムは、俺の手を強く握って歩き始める。
その手に引かれるまま、ライムについていった。




