106、運命とはかくも美しく残酷であり
───はっ!?
「な、何が………」
「大丈夫? 魔力にあてられた?」
目を開けると、真っ黒な湖が見えました。
その上で、白い騎士と黒い騎士が激しい戦いを続けています。
「見ての通り、一騎討ち状態だね。あの騎士を倒さないと鎖が解けない魔術みたい」
さすがは魔女。遠目から見るだけで魔術を解析しています。
そして、分かっていたことですが、その『倒す』は、殺害という意味を持っているのでしょう。
つまり、クランジェリスを殺さなければ、ネルを解放できません。
ですが、そんなことは最初から分かっています。いくらでも時間はありましたから。
「騎士同士の戦いは誉あるものとして介入はご法度ですが………時間がありません。加勢しましょう」
「いいの? その、魔導を断ち切るあの剣で解放できるんじゃ………」
それは私も考えました。
しかし、もう時間がかかり過ぎたんです。魔天に見られてもいないクランジェリスは、ただの人間です。
つまり、今クランジェリスを縛る魔術を消し去ってしまえば、クランジェリスは即座に死亡するでしょう。
100年以上の時を癒す魔導など、世界のどこにもありません。
「………分かった。じゃあ、もうやるよ」
「はい、もう終わらせましょう」
魔女とともに、無詠唱での魔術を放ちます。
私は不可視の刃を放つ『獣狩り』を、獣の魔女は半透明の大蛇の前身を召喚し噛みつかせる魔法を唱えました。
「──────!」
「むっ!?」
先に届いたのは蛇の方で、クランジェリスに牙が突き立てられます。
しかし、その牙は鎧どころか鎖すら断ち切れずに、剣で両断され形を失いました。
そこに私の魔術が届きましたが、どうやって知覚したのか剣で完全に防御され、続くアイリスさんの攻撃を避けられます。
「ちょ、あれホントに人間!?」
「堕天に伴って強化されているのかもしれません………」
完全な堕天を終えるための守護者。かつて火を守るために縛られることを選んだ騎士は、その火種が踏み潰されようとしているのを見守ろうとしているのです。
混濁した記憶の、それでもなお残された遺志に従って。
「そんなこと、させません」
幸い、なぜかは知りませんが、アイリスさんは『騎士ノ遺剣』を持っています。
あの剣で一撃でも与えられれば、鎖は完全に断ち切られるはず。なら、その一撃を与えられる隙を用意しなければなりません。
「弾幕を張ります。いけますか?」
「うん、いける。ただ、私のは一撃重視なのが多いから、そこはごめん」
「いえ、手数が少しでも増えるなら、それでいいです」
威力ではなく数に特化した古い魔術の詠唱を始めます。それは東のさらに遠くの地に伝わるもので、『精霊術』とも呼ばれるものです。
詠唱が完了すると、私の周りに青い小さな光がいくつも現れました。それらはゆらゆらと少し漂った後、矢のごとき勢いでクランジェリスに向かいます。
しかし………
「これでは足りませんか」
まるで虫を払うかのごとく、剣の風圧だけで光が消えていきました。
その隙を狙うかのようにアイリスさんの突きが繰り出されましたが、それが上に弾かれ体勢を崩したところに鋭い蹴りが入り、巨体がいとも簡単に吹き飛ばされます。
そこに続いた追撃を半透明の狼達の大群が阻みましたが、次々と両断されて消えていきました。それでもアイリスさんの立て直しには間に合い、二人の騎士は再度打ち合いを始めます。
「………一応、それなりに魔力は込めたから鉄くらいの固さはあるはずなんだけどね」
「私の記憶通りなら、鋼すら素手でへし折ってましたよ」
「………ねえ、ホントに人間なの?」
自己申告では人間ですが………常に天使に仕えてきた一族です。何らかの能力があっても不思議ではありません。
本人に魔導の適性がなく遠距離攻撃を持たないのが幸いなのでしょうが………その代わり、近接がとんでもなく洗練されています。
特に、魔導への対処が徹底されているようですが、クランジェリスはむしろ苦手と言っていたはずです。
「………自ら進んで縛られたわりには、かなり恨んでるじゃないですか」
おそらく、自身とネルを拘束した連中に対抗するため、でしょうね。
その連中は魔天に会いに行くと言い、途中で私がけしかけたサンドワームの群れに襲われて全滅しましたが。
今この国に蔓延る軟派な貴族達は、魔天への遠征に参加せず、細々とこの学院を支えてきた連中の残り者達です。粛清こそしませんでしたが、私は、いえ私達はまだ彼らを恨んでいます。例え、今の彼らがやったことではないと分かっていても。
「ぼーっとしてる暇ないんでしょ? もっと押し込むよ!」
「………あ、は、はい!」
魔女の声で我に返り、すぐに魔術を放ちます。
しかし、急ぎ過ぎたためか私の魔術は『騎士ノ遺剣』に当たってしまい、魔女の魔法も簡単に回避されてしまいました。
ここはもう、クランジェリスが致命的な失敗をするまで繰り返すしか………
そう考えていたそのときです。
私達の背後、マレさんがいるところから、この国にいる限り見れるはずのない暖かな光を感じました。
それはまるで、春の陽気のような………
「『木漏れ日』」
どこか安心したくなるような、緊張が解ける暖かみが全身を包み込み、抱擁してきました。
それは、子どもの頃に忘れてしまった、あの子より低い身長だったときの記憶を呼び覚まします。
「あ、ああ………」
目の前で家族を喰い殺され、何もできずに森へ逃げて木の上で一晩過ごした後、極度の緊張と疲労で落ちそうになった私を包み込んでくれた、柔らかく暖かな翼の抱擁。
とうの昔に忘れていたはずのその感覚が、私を包み込んでいました。
「え、これは、シュネーの………?」
困惑する魔女の声が聞こえます。
それもそのはず、今まさに堕天しかかっている本人は湖の中心におり、私達の後ろにいるはずがありません。
ですが、マレさんは信者であり、『降ろし』まで出来た『火種』です。
ならば、同じことが起こっても不思議ではありません。
「ごめんね、リーリョちゃん。こんなことになって」
ネルではない声で、けれど懐かしい雰囲気を感じました。
そこでようやく、私は振り向きます。
マレさんに一時的に宿った、ネルの方を。
「んあ?」
気づくと、真っ暗な世界で一人、ポツンと立っていた。
「………え?」
俺はさっきまで月の中にいたはず。ここはどこだ?
他の人は………いないか。
辺りを見回しても暗闇が広がるばかりで、誰の姿も見えない。
でも、この空間を知ってる気がする。
「ジバの空間と同じやつか………?」
ジバはまだ俺の中にいたはず。
もしかして、月の魔力を吸収してめっちゃ早く復活してきたとか───
「ごめんなさい、こんなところに閉じ込めてしまって」
「───え?」
後ろから声が聞こえて振り向くと、いつの間にか天使がいた。
でも、エンガラスさんの天使化したときの姿とは違って、輪は欠けている方が多いし翼もボロボロで折れているように見える。
それでもその少女は優しく微笑んで、こっちに一歩近づいた。それだけで、全身が暖かな空気に包まれる。
「私はネル・ラリウス。今、あなたの身体を借りている者です」
「え、は、ネル・ラリウス………借りている………?」
え、なん、どういうことだ? ネル・ラリウスって最初の魔導師で、大昔の人なんじゃ………
「ネル・ラリウスという名は、襲名したものです。先代の魔導師からこの名を継ぎました」
あ、そういうこと。え、いや、でも、身体を借りてるってなんだ?
「言葉の通り、あなたの身体を借りている………いえ、あなたからの了承を得なかったのですから、乗っ取っているという表現の方が正しいかもしれません」
「の、乗っ取っている………?」
「あ、いえ、決して悪用したいわけではなくて………その、私の親友がかなり切羽詰まっている状況で、助けたくて………」
天使の少女が慌てて弁解する。
その様子から、確かに悪意はないことは感じられるけど、俺も切羽詰まった状況にいるはず。
でも、まあ………あの戦いで俺が役に立つことはないだろうし、いいか。
「………それはなんとも、寂しいですね」
「寂しい、ですか?」
「誰かに信じてもらえないというのは………ただひたすらに孤独を呼び込みます。いつかの私だって、そうでしたから」
少女の表情が暗くなる。
それと同時に、何か気づかされたような気がした。
信じてもらえないこと。それが、何か………
「私は、一切の魔導が使えませんでした。ええ、天使なのに、です。できることと言えば、もっぱら雑用と知識を蓄えることだけ。先代からは、継承候補にすら入っていませんでした。彼女の最愛の弟子が、野心の火に焼かれるまでは」
「………………………」
「種火を己が為だけに使おうとした彼は、先代に名を賭けた決闘を申し込み………焼死にて敗北し、先代もその場で継承者を決めなければならないほどに傷を負いました。そして、私が指名されたのです。そもそも魔導が使えない、私が」
できないから、選ばれる。
先代の下にいたということは、相応の努力をしていたはず。なのに、『使えない』という理由で選ばれた。
それは、なんとも屈辱的だったはずだ。それまでの努力を全て、否定されることと同義なのだから。
「ええ、私もそう思っていました。頼りにされたんじゃなくて、最悪がないから選ばれただけ。襲名してからは、他の弟子達から嫌がらせを幾度となく受け、私自身もそれが妥当だと思っていました。あの子が来るまで、の話ですが」
「あの子………?」
「太陽の都から続く火守りの一族であるクランジェリス。その子は、私が魔導を使えないにも関わらずそれでもずっと一緒にいてくれました。そればかりか、私が助けてくれるからと、少々強引な方法で嫌がらせを止めました。もう一度言いますけど、私は魔導が使えないんですよ? なのに、あの子はずっと、私を信じてくれました」
無条件の肯定。無償の愛。
ときに毒になりうるそれは、少女にとって最高の薬になったようだった。
証拠に、少女の語り口がさっきより軽く、表情も明るくなっている。
「だからなのかは分かりませんが、私は『種火の魔術』だけ行使することができるようになりました。それからは、各地を巡り、火種を探し、リーリョちゃんと出会ったり、学校を建てたりしました。それらは全て、私を信じてくれるクランジェリスと、ずっと私を助けようとしてくれていたリーリョちゃんのおかげです。ですから、もう寂しくありませんでした」
一呼吸置いて、少女はこっちを見る。
「稀さん。自分を信じてあげてください。それは、裏切ることのない揺るぎないものです。過去の私は、それをクランジェリスから受け取りました。そうして、ここまでやってこれたんです。独りではなくなったんです。稀さんも自分を信じてあげれば、自ずと答えが見えてくるはずです」
「答え、ですか………」
分かってる。これまでも、この世界に来てからも、俺はなんとなく漂い生きてるだけだった。
現実なのにどこかゲームを見ているような気分で、幾度となく死にかけた時も、ああこれで終わりかと、まるで動画が終わったときのような軽さがあった。
真剣じゃない。その一言で、俺の態度は説明できる。
だって、真剣にやれば、周りから笑われる。努力を否定される。人とズレているということは、つまりそういうことだ。
だから、踏み込めない。本当の自分を出せない。笑われるかもしれないし、受け入れてもらえないかもしれない。なら、そもそも踏み込まなければいい。
例えそれで孤独になったとしても。
「………………………」
こう、自信のある人を見る度、妬ましくなる。なんでそんなに自信があるのか、なんで誰かを信じられるのか。
俺はそんな人と違って、常に一線を引いている。だから裏切られたときも、ダメージからの回復が早かった。
だって、信じてくれる以前に、俺が信頼していないのだから。
だから、俺は………
「難儀なものですね。無責任な言い方になりますが………良い人と巡り合えれば、その気持ちも軽くなるでしょう。私の場合、その巡り合わせが非常に早かっただけです」
結局、運なのだろう。
ただ、だからといって───
「───自ら探さないことには始まらない、その通りです。ですから、頑張るしかありません」
「………はい」
旅でもすればいいか? それか、アリスが消えたあの地に向かって………
「ええと、待ってください。話が脱線し過ぎてて………あ、そうです、あなたの身体を借りている理由ですよ」
むしろこっちの話が本筋っぽかったけど、少女はそれを話に来たわけではないらしい。
「えっと、私がネルだってことは話しましたよね。今、私は堕天しかかっているんです。その前に、私の身体を破壊しなくてはいけません」
「え、でも、それは………」
「本来、天使の寿命は200年ほどです。月によって無理やり延命してきましたが、本来は土に還っているはずなんです。リーリョちゃんには申し訳ありませんが、ここでさよならを言わないといけないんです。その、ですので………」
再び、少女がこっちを見る。
その目は力強く、だけど懇願しているようだった。
「あなたの身体で、お別れさせてください。お願いします」
ここまで話してくれたとはいえ、相手は無断で身体を乗っ取り、今もまだ返していない。
そう否定の要素を真っ先に思い浮かべるのが、俺が人とズレている所以だろう。
「………はい、いいですよ。身体を傷つけなければ、いくらでも」
「ええ、それはもう絶対に傷つけません! 必ず無事に返します」
少女はそう、強く頷く。
それがただただ、眩しい。
こんなにも、必死になれるものがあるなんて。
「あなたにも、いつかできますよ。絶対に譲れないものが」
「………そういうもんですかね」
「そういうものです。では、私はこれで」
話したいことはもうないらしく、小さく手を振る少女の姿が徐々に薄く、透明になっていくかのように消えていく。
これから少女は死に向かう。それも、自分自身の手で、そうするのだ。だというのに、少女の顔はこれ以上ないほど晴れやかだった。
「これで、心残りを作らずに済みそうです。本当にありがとうございました。それでは、さようなら」
「あ、はい、それじゃあまた」
「………また、ですか」
少女はくすくすと笑った後、完全に姿を消す。
最後笑ってたけど、何かおかしなこと言ったか?
というか、向こうが終わるまで、俺このまま? この真っ暗な空間で?
「………まあ、我慢するか」
あっちで何が起こってるのか分からないけど、あんな眩しい人が別れの挨拶をしに行ったんだから、その邪魔はしちゃいけない。
そもそも、この身体も俺のじゃないし。
「俺も乗っ取ったって形なんかなぁ………?」
もしかすると、この空間を探せば、サンドワームが見つかるかもしれない。
今は暇だし、何もやらないよりかはマシだろう。




