104、シュネーと呼ばれたあの子
「───さん、リーリョさん、起きてください」
「んん………?」
どこか懐かしい声で久しく呼ばれていなかった名前を呼ばれて、徐々に脳が覚醒します。
未だ重たい瞼を開けると、白く美しいドレスを着た可憐な少女の姿が目に入りました。
その少女は心配そうに、けれどどこか安心した様子で微笑みます。
「やっと起きましたか、リーリョさん。うなされていたのですが、何か悪い夢でも見ましたか?」
「私、は………」
未だ霞がかる頭を振って起き上がると、少しずつ状況を思い出してきました。
私はリーリョ。今年で10歳になる人族で、シュネーお姉ちゃんとは友達。
そして、シュネーお姉ちゃんは可愛く格好いい天使で、隣にはいつもクランお兄ちゃんがいた。
「リーリョさん、本当に大丈夫ですか? あれだけ大騒ぎしたのですから、もっと休んでていいんですよ」
「ううん、大丈夫。変な夢見ただけだから」
もう一回周りを見ると、ここは私の家だった。
今日は家族がいなくなって初めての私のお誕生日会で、シュネーお姉ちゃんとクランお兄ちゃんが持ってきてくれた沢山の花飾りが部屋中にぶら下がっている。
でも、クランお兄ちゃんの姿は見当たらなかった。
「ああ、クランジェリスはお片付けをしています。今日は夜更かしをしてもいいですが、明日には極力響かないようにしてください」
「私もお手伝いするー」
ソファから降りて、ドアを開ける。
すると、いつもは大きな鎧を着ているのに、今日は黒い外套を着たクランお兄ちゃんがテーブルを拭いているのが見えた。
クランお兄ちゃんは私を見つけると、優しく微笑む。
「リーリョ嬢、あなたは休んでください。今日はあなたの誕生日ですから」
「えー、でも………」
「そうですよ、リーリョさん。リーリョさんはいつも働きすぎです。まだこんなに小さいのに………」
シュネーお姉ちゃんはそう言うけど、私ももうシュネーお姉ちゃんと同じくらいの身長まで成長した。
もう何もできない私じゃない。
「休むことも仕事の一つです。休憩は、次の仕事に使う体力を回復させるための仕事なんですよ」
「クランお兄ちゃん、でも、私は………」
「ダメです。リーリョさんは休んでください。少しぐらい、保護者らしいことをさせてください」
ああもう、その顔はずるいよシュネーお姉ちゃん。
そんな泣きそうな顔をされたら、その通りにしなくちゃいけなくなるじゃない。
「………分かった。でも、明日からは私がやるから!」
「ええ、リーリョさんのできる範囲で、頑張りましょう」
シュネーお姉ちゃんとクランお兄ちゃんにおやすみなさいを言って、あの部屋に戻る。
ここにも飾り付けがあって、後でクランお兄ちゃんが片付けに来るんだろうけど………ここで私が寝れば、そのままにしてくれるかな?
この部屋の飾り付けは私がやったんだから、私が片付けしたい。これだけは譲れない。
「子どもっぽいって言うかな………」
分かってる。こんなのはわがままで、良くないことだって。
でも、シュネーお姉ちゃんとクランお兄ちゃんは、本当はこの村にいるはずじゃなかった。
魔物の襲撃で家族を亡くした私のために、一緒に住んでくれてる。
使命があるって、言ってたのに。
「えっと………ヒツギ?だっけ」
シュネーお姉ちゃんのお師匠様のお師匠様のお師匠様の………とにかくうんと昔のお師匠様から続く皆の願いが、ヒツギ。
そのヒツギをするには、ヒツギに適した人が必要みたい。
シュネーお姉ちゃん達は『火種』っていうのをお師匠様から受け継ぎながら、そのヒツギのための人を探してた………はずだった。
「それを、私が邪魔しちゃった………」
お母さんもお父さんも、お兄ちゃんも妹もいなくなった私のために、シュネーお姉ちゃん達は旅をやめちゃった。
あのとき何もできなかった、皆を置いて逃げた私なんかのために。
「リーリョさん? まだ寝ていないんですか?」
「い、今寝る!」
ソファの前でうろうろしながら考え事してたら、シュネーお姉ちゃんがドアを少し開けてこっちを見てた。
咄嗟にソファに寝転がると、シュネーお姉ちゃんは苦笑いしながらドアを閉める。
そしたら、部屋にまた暗闇が戻った。
皆を見捨てた罪悪感も一緒に。
「………ごめんなさい」
分かってる。あのときの私はもっと小さくて、私がいたって何も変わらなかった。
でも、私が生きてたせいで、シュネーお姉ちゃん達はこの村に留まってる。
私が、生きていたせいで。
「ごめんなさい、ごめんなさい………」
「リーリョちゃん、起きてください。今日は成人祝いですよ」
「んえ………?」
シュネーの声で起きると、朝の眩しい光が目を刺してきた。
それのおかげで脳が覚醒して、シュネーのさっきの言葉の意味を理解し始める。
「………あ、そっか、今日だね。私の20歳の誕生日」
「ええ、そうです。私達以外は参加しないのが残念ですが………」
シュネー達、というよりシュネーはかなり昔の人らしく、年歳の節目には儀式をする習慣があるみたい。
それで、今日は私の20歳の誕生日。この日は『月視の儀』っていうのをやる。シュネーの時代では、この儀式を経て魔導への道が解禁されるらしい。
つまり、今日から私も魔導を学べるようになる。だから、この儀式の参列者が私達以外にいないのは気にしていない。
「魔物の襲撃を跳ね除け、この数年で街規模にまで発展してもなお、リーリョちゃんを疎むとは………」
「まあ、私は魔物を誘い込んだ疑惑があるし」
私がというより、狩人だったお父さんが血抜きを怠って、血の臭いで魔物を呼び寄せたかも?ってのを村人の誰かが言ったせいで、私は周囲から疎まれている。
でも、シュネーとクランがいるおかげで、ちっとも寂しくない。
「それでもですよ。それに、リーリョちゃんがそんなことやるはずがないと、何度も皆さんに言って───」
「それはもういいよ! 結局、皆は皆の信じたいものを見てるだけなんだから」
「す、すみません………私は先に行きますね」
びくっと肩が小さく跳ねたシュネーは、私から逃げるように部屋から出ていく。
ガチャンと音を立ててドアが閉められ、静寂が部屋を包んだ。
「………あ」
怒鳴ってしまった。
でも、怒りたくなるのも許してほしい。私はもう前を向いてるのに、シュネーはずっと過去を見せようとしてくる。
辛いだけの過去なんて、ゴミクズ以下なのに。
「………私も行こ」
寝間着は………そういえば昨日、すぐ外に出れるように寝間着じゃなくて外用の服を着たんだった。
じゃあ、そのまま出よう。
「よいしょ………っと」
ベッドから降りて、シュネーがこの日の為に用意してくれた新品の革靴を履き、ドアを開ける。
リビングにはもう誰もおらず、代わりに誕生日会に用意される花飾りがこんもりとテーブルに置かれていた。
これらは『月視の儀』が終わった後の祝会で使うもの。でも、シュネーもクランも儀式に参加するから、結局儀式の後に三人で飾り付けすることになる。
まあ、それもまた一興ということで。
「持ってくものは………何もないか」
どうせすぐに戻ってくる。何か忘れても、儀式の場所はそう遠くない。
「………行ってきます」
誰もいないリビングにそう言い、家を出る。
暖かな日差しを遮って空を見上げると、雲は少なく今日は暑くなりそうだった。
その下に、同じく日に照らされている街並が見える。
数年前まで木造の家が数えるほどしかなかったこの村は、シュネー達が開いた魔導教室でどんどん栄えて、今では石造りの家の方が多い。それどころか、噴水や魔物除けの高い石壁、冒険者ギルドもある。
少なくなった馬を使って三回も助けを求めたのに、シュネー達が来るまで私達を助けなかった国のお偉いさんをもてなすためだけの迎館も。
「………………………」
文句を言うつもりはない。
そもそも、私はもう過去を捨てた。周りはまだネチネチ言ってくるけど、シュネー達がここに留まったおかげで村が栄えたからか、気にする人も少なくなっている。
栄えるのを快く思わない人とか、この村を長年見続けてきた老人とかからは嫌な視線を向けられるけど。
「………そろそろ行かなきゃ」
変わり果てた村を見回すのをやめて、足を進める。
道行く人から向けられる不快な視線を無視しながら石畳になった道を歩いていくと、すぐにシュネー達の魔導教室が見えた。
その建物はシュネーが覚えている学校を模していて、白い石壁に緑色に着色された木床、かつてのこの村なら貴重だったガラスの窓が何十枚もある。
その窓から見える中には、鉄で補強された机と椅子がいくつも並べられていて、それぞれがセットになっていた。その机と椅子が向いている方向にはシュネーが『コクバン』って言っている濃緑色の大きな板が壁に張り付いていて、そのコクバンにはいつも白い粉みたいなもので難しいことが書かれている。
でも、今日は私の月視の儀で貸し切りだから、コクバンには何も書かれていない。
この街で唯一の学校の扉に手をかけて横に引くと、扉は音もなくすんなりと開く。
中を見た感じシュネー達はまだ来てないみたいだから、先に儀式の準備を───
パーーーン!!
「───へ?」
教室に入った瞬間、耳をつんざくような破裂音とともに、目の前が色とりどりの紙片に包まれる。
それらが舞い落ちた先に見えたのは、穴の開いた円錐状の何かを持っているシュネーと、苦笑いしながら小さく拍手しているクランだった。
「え、な………?」
「お誕生日おめでとうございます。リーリョちゃん」
「誕生日おめでとう、リーリョ嬢」
気づけば、教室内の内装も変わっている。
私の好きな、花弁が四枚しかない白い花の飾りが至るところに付けられており、それ以外の花の飾り付けもされている。
それに加えて、人がおらず閑散としていたはずの中は今や人で溢れかえっていて、その全てがこの教室でよく見る顔ぶれだった。彼らは笑顔で拍手し、口々に「おめでとう」と言葉を発する。
「えっ………と、これは一体、どういうこと………?」
「実は、クランジェリスにお願いして、魔術で中を隠してもらったんです。あなたを驚かせたくて」
そういうことじゃない。
いや、まあ、それも確かに説明が欲しかったけど、私が聞きたいのは、なんでシュネー達以外がいるのかということ。
私を祝う人なんて、シュネー達以外にいないはずなのに。
「リーリョ嬢、あなたはあなたが思う以上に優しい。その当然の結果と言えよう」
「………どういうこと?」
私は、シュネー達以外に優しくした記憶なんて───
「俺、教室の場所が分からないとき、あんたに教えてもらったんだ。ご丁寧に簡単な地図もくれてさ。俺ぁよそ者だから、教室以外も描いてくれたのはめっちゃ助かったぜ」
「私は、魔術の勉強で行き詰っていたとき、誰かに聞くのが恥ずかしくて勉強が全然進んでなかった。そんなとき、あなたは声をかけてくれた。分からないことは恥ずかしいことじゃないって、教えてくれた」
「僕は目が悪くて何回も転んだけど、お姉ちゃんが毎回薬草を持ってきてくれた。あとで他の人に聞いたんだけど、あの薬草ってここじゃ珍しいもので、手に入りにくいって言われた」
「俺は───」
次々と、私を褒める話が湧き出てくる。
そのせいで、背中をなぞられるみたいに気持ち悪い。
「ま、待って待って! 私はあんた達に褒められるつもりでやってない! 暇だったから、そのついでにやってただけで………!」
村から街になる過程で、私が借りてた畑は新たな建物を作るための土地になった。今では、シュネー達が開いている魔導教室のお金で暮らしている。
私じゃこの村で働けないし、シュネーの助けになるならって、確かに人助けはしてた。でもそれはシュネーのためで、別にその人のためになろうとしてじゃ………
「やらない善よりやる偽善。リーリョちゃんがどのような目的で人助けをしたのかは分かりませんが、それでも人助けは人助けです。あなたのおかげで助かった人がいるんですよ」
「リーリョ嬢は認めないだろうが、あなたは優しい。それは恥ずかしいものではないし、隠すものでもない。ただ、シュネー様も含めて、俺達はそんなリーリョ嬢が好きだ」
「うう………!」
二人からそんな真っ直ぐな目でそう言われると、否定しにくくなる。
でも、私は私自身を優しいとは全く思わない。優しい人というのはきっと、シュネーみたいな人のことを言うと思う。
困っている人を見捨てられなくて最後まで助けようとして、見返りを求めずにただの善心でそれを行う。シュネーから褒められようとして人助けする私とは、全然違う。
「でも、リーリョちゃんはやめないのでしょう? 私は、そんなあなたが大好きですよ」
「それはもう分かったからぁ………」
そう気軽に好き好き言わないでほしい。その好きを言おうとするだけで大いに恥ずかしがっている私が、かっこ悪く見えるじゃない。
というか、そうじゃない。私は儀式をしに来た。さっさと終わらせて家に帰ろう。
「シュネー、早く儀式して早く帰ろう。いや、早く儀式してくださいお願いします」
「あら、少しからかいすぎましたか。では、早く終わらせましょうか」
幸いにもシュネーは私の希望通りに動いてくれて、教壇へと上がる。
シュネー用に低くされたその教壇の上には、大事そうに布で包まれた白い欠片が載っていた。
「さあ、こちらへ。この欠片を持ってください」
シュネーの言われた通り、隣に立って欠片を手に取る。
欠片は手のひらに収まるくらい小さいのに、金属みたいに重い。なのに、金属みたいな冷たさはなくて、むしろ手のひらがじんわりと暖かくなってくる。
「そのぬくもりに意識を向けて、目を閉じてください。欠片の熱にだけ集中するのです………」
もう、周りから騒ぐ音は聞こえない。
誰もが黙って成り行きを見守る中、私に突き刺さるその多くの視線を無視して、手のひらの中にある欠片だけに集中する。
熱はやがて手を伝って腕に、全身に広がっていた。
風邪のときのように、まるで熱に浮かされるようなぼんよりとした感覚の中、目に光を感じた。
半ば無意識的に目を開けると、そこはもう教室の中じゃなかった。
『え………?』
白い空に白い地面、ふらふらと舞う小さな白いモノ。お父さんが語ってくれた『雪降る北の地』によく似たその場所は、けれど寒さは感じなかった。
手の中にある欠片の熱のおかげなのか、それとも私はこの光景を『見ている』だけなのか分からないけど、確実に分かるのは、ここが欠片の故郷ということ。
いや、正確には………
『綺麗………』
雪原の中に聳える、大きな大きな、空を覆っている雲に触れているように見えるほど大きな鉄の半月。
下半分は地面に埋もれているように見えるその月のツルツルとした表面には小さな棘がいくつも生えていて、くすんだ鉄の壁がその月を囲っている。ただ、その壁は月に比べて小さく見えるだけで、実際は何百人の身長を合わせても届かないほどの高さだと思う。
欠片は、そんな月に反応している。
いや、欠片が実際に何かしら反応してるんじゃなくて、ただそう感じる。
『あなたは………帰りたいの?』
問いかけても、欠片は何も反応しない。
自分でも問いかけてから、この質問は的外れだと感じた。
欠片はこの地上の月に反応しているだけで、何かしようとしているとは感じられない。
でも、月とこの欠片は繋がっている、それだけははっきりと感じた。
『──────』
しばらくこの壮観な光景を眺めていると、月を覆う棘の一本が、仄かに光った気がした。
その瞬間、欠片から急速に熱が失われていく。
『あ───』
まるで崖から突き落とされるように全ての感覚が抜け落ちていき、けれど次の瞬間には私を地面に縫い付ける重力の感覚が戻ってきた。
「リーリョちゃん、お疲れ様です」
「───あ」
目を開くと、シュネーの顔が見えた。
周りを見回してもあの月はなく、見慣れた魔導教室に戻っていた。
周りにはまだ、この教室の生徒が私を見守っている。
「これで、リーリョちゃんは『魔天』に一瞥されました。あなたの行く道が輝ける月に導かれるように」
いつも寝る前にシュネーが言っているその言葉とともに、いつの間にか離していた欠片が布に包まれる。
それだけで、さっきの光景が現実か幻想かが曖昧になった。
「ねえシュネー、あの月は………」
「そうですねぇ、私の、いえ、私の先祖の故郷と言いますか………とにかく、全てが始まった地と認識していてください」
「全てが始まった地………?」
「私もそう伝え聞いているだけなので詳しいことは分かりませんが、気になるのなら魔導の腕を磨き、かの地を目指してみてください。あそこには、全て問いに対する回答があるとも言われていますから」
………いや、私は行かない。
私はシュネー達から離れない。どんなときも、絶対に。
見捨てて逃げるなんてこと、二度とないように。




