103、黒い水産み
「な、え、月の中に………天使?」
マレさんでも、理解しづらいようです。
無理もありません。私もこれを知ったときは理解できませんでした。
理解………したくありませんでした。
「あの黒い雨は、照月の中の天使が堕天しかかっている影響で溢れ出した、魔界からの呼び水です。このままではあの照月が街に落ちるどころか、堕天使が街を蹂躙しかねません。私の友人が獄油を止めてくれてはいますが、それもいつまで持つか………」
「それを私に、どうにかしろと………?」
「………マレさんは妙に察しが良いですね」
ソファに大人しく座ってくれているマレさんは、若干怯えながらも私の真意を探ろうとしています。
ただ、マレさんだけにどうかしてもらいたいわけでもありませんし、マレさん自体にはそこまで用はありません。
私が今一番欲しいのは、マレさんが作ったという『騎士ノ遺剣』、その詠唱文です。
「え、でも、あの魔術は失敗作で………というか、なんで知って………?」
「事態は一刻を争います。早く、教えてください」
私が『騎士ノ遺剣』の存在を知っている理由。
それは、あのダークエルフの学者ニャテルさんに、記憶を少しだけ覗き見る『頭透かし』の魔術を使ったからです。
通常であれば、相手を疑うような魔術の行使は禁忌にも匹敵します。ですが、私はこの魔術の無詠唱が可能で、相手に悟られることなく記憶を覗き見れます。
それでも、進んでやろうとは思わないですけれど。
あのときは、たった数日でいくつも魔術を作ったことが信じられず、ニャテルさんの記憶で確認しようとしたのですが、その中で『騎士ノ遺剣』を発見しました。
この魔術さえあれば、障壁もすぐに………
「わ、分かりました。えっと、じゃあ言いますよ………?」
「はい、お願いします」
「それじゃあ、『騎士ノ遺剣』の詠唱は───」
そうして、マレさんから『騎士ノ遺剣』の詠唱を教えてもらいました。
いわゆる納品用ではなかったので、詠唱文だけでは上手く想像できませんが、ニャテルさんの記憶でしっかりと予習済みです。ここまでハッキリとした記憶があれば、無詠唱もできそうですね。
あとはこれを、月にいる私の同志に届けるだけなのですが………
「照月の周りにも魔導を打ち消す魔術が展開されています。飛行に関する魔術は無効化され、『騎士ノ遺剣』を投げ込もうにも、剣に触れた時点で落下………いえ、それより酷いことになるでしょう。一体、どうすれば………」
魔導で自分自身を照月に撃ち放つことも考えましたが、私の素の身体はサンドリヨンさんほど頑丈ではありません。
騎士ほどの重厚さがあれば問題はありませんが、その騎士を私は持っていないんです。
貴族が所有する騎士を借りてもいいですが、諸々の手続きを踏まねばならない以上、それでは遅すぎます。
適任は、冒険者ギルドにいる騎士ですが、あそこのギルドマスターは勘が鋭いです。噂では、読心術を嗜んでいるとか。
マレさんに入れ込んでいるようですし、この状況がバレれば厄介なことになりそうです。
しかし………
「この際、背に腹は変えられませんね。マレさん」
「はっ、はい………」
「私は今から出ます。この部屋には何重もの魔術障壁を展開していますので、マレさんが何かしら妙な行動をした場合は、それ相応の反動が来ると思ってください」
「分かりました………」
マレさんは未だ怯えた目で私を見ています。分かってはいましたが、中々に堪えますね。
信頼を裏切った形なので、当然と言えば当然なのですが。
「………では」
無詠唱で転移魔術を起動し、冒険者ギルドを思い浮かべます。
一瞬の浮遊感と方向感覚の喪失の後に、見慣れないバーが見えました。
「きゃっ!? 学園長様!?」
バーにいた受付嬢が小さく悲鳴を上げます。
他の冒険者さん達も驚いているようですが、さすがは『予想外が想定内』を生業にしている者達です。即座に順応して次々と席を外しました。
厄介事が舞い込んだと、察したのでしょう。現に、雨のないはずのこの国で雨が降っていますし。
「突然来てしまい、申し訳ありません。ギルドマスターはいらっしゃいますか?」
「え、あ、は、はい!」
私の言葉に、受付嬢がすぐに裏手へ回ります。
しかし、以前訪問したときと、受付嬢の服が違いますね。いつの間に変えたのでしょうか。
そんな取り止めもないことを考えながら待っていると、思ったよりも早くギルドマスターが降りてきました。
その隣には、ニャテルさんもいます。どうやら歓談中だったようですね。もしくは、あの黒い雨についての話をしていたか。
「………学園長様が、何の用? もしかして、あの雨を説明してくれるの?」
以前会ったときとは別人のように、ギルドマスターは鋭く睨んできます。やはり、警戒されているようです。
彼女ほどの用心深い人ならば、警戒せずにはいられないのでしょう。
実際、それは当たっています。
「簡単に言えば、あれは災厄の予兆です。あの雨を止めるには、あなたの騎士の協力が必要です」
「だから、転移まで使ってこっちに来たの? そこまで緊急性があるなら、どうしてもっと早く来なかったの?」
ギルドマスターは訝しげな視線を私に向けました。
確かに、その通りです。災厄を防げれるのなら、行動は早い方が良いです。
現在は、雨が降り始めてからかなりの時間が経っています。その間に何をしていたのか、疑問に思っているのでしょう。
それを答えようとすれば、マレさんのことを言わなければなりません。そうすれば、ギルドマスターは絶対に協力しようとはしないでしょう。
ここは心苦しいですが、嘘を貫くしかありません。
「雨の調査に少し手間取りました。ですが、解決方法や対処法はすでに把握しています。あなたの騎士の協力があれば、今日中に解決できると約束しましょう」
「そう。で、報酬とかはどうする?」
さすが冒険者ギルド。仕事の前に報酬の話ですか。それほど信用していないということなのでしょうね。
それは理解できますが、少し不可解です。私は、そこまで信頼を損なう行為をしたでしょうか。
いえ、もしかすると………
「学院の紫記章を差し上げましょう。それと、そちらが望む金額も」
「ふーん………じゃあ、マレちゃんは?」
………やはり、ですね。
どう知ったのか分かりませんが、私がマレさんに危害を加えたことは分かっているようです。
ならば、こちらも無理に隠す必要もないでしょう。
「もちろん、それ相応の報酬と弁償はします。今は緊急事態なので、手荒な行為であったことは認めますが、それはこの国のためということは理解してくださると助かります」
「………なるほどね。それじゃあ」
ギルドマスターは右手を上げると、何かを掴むように握り込みます。
すると、私の背後、つまりギルドの入り口からガシャガシャと鎧の音が響いてきました。
「アイリス、要請により馳せ参じた」
「うん、いつもありがとうね。それで呼んだ理由なんだけど、学園長がアイリスちゃんの力を借りたいってさ」
振り向くと、私の背を優に超える巨躯が見えました。
その鎧は黒い雨によって汚れながらも、その威厳と圧は失われていません。
「了承した。このアイリス、今より学園長殿の指揮下に入る」
「え、あ、よろしくお願いします」
私としては、この速度で仕事を引き受けてくれるのはかなりありがたいです。
しかし、あの疑り深いギルドマスターがなぜ許可したのか、そしてこの騎士もなぜ躊躇いもなく従うことを決めたのか、分かりません。
分からなすぎて、もはや怖いです。従うふりをして別の何かをされでもしたら、ネルを助けに行けなくなってしまいます。
ですが、私はもう、進むしかないのです。
制限時間が来てしまったのですから。
「では、一緒に転移させていただきますが、転移酔いはしますか?」
「そこまで悪くない。連続は遠慮いただきたい」
「分かりました」
とにかく、騎士も対象に含めながら転移を発動させます。
その瞬間、ぐにゃりと歪む視界の中、一度も言葉を発しなかったニャテルさんと目が合いました。
「───?」
ニャテルさんのその目には、明らかに焦りが浮かんでいました。
まるで、こちらに助けを求めるような。
しかし、次の瞬間には、周りの景色は校長室へと変わっていました。
「………ふぅ。酔いは治った。して、我は何をすればい──────マレ殿?」
「あ、アイリスさん?」
頭を振って酔いを追い出した騎士は、すぐにマレさんのそばに駆け寄ります。
それに対し、マレさんもその手を伸ばして、私から隠れるようにその巨躯の後ろへと移動しました。
「これは………どういうことか、説明していただけるか」
「時間があまりないので手短にはなりますが、端的に言えばマレさんが雨を止めるのに必要であり、この緊急事態ゆえに少し手荒に来てもらいました。後々に埋め合わせはすると約束しましょう」
「………把握した。それで、雨を止めるのに我は何をすればいい?」
騎士だからこそ、与えられた任に忠実ですね。今の私にはありがたいです。
ならば、私もそれに応えねば。
「まずは、これを」
マレさんに教えてもらった『騎士ノ遺剣』を唱え、まるで剣という記号を具現化させたようなシンプルな長剣を騎士に手渡します。
「これは………」
「これをお持ちください。私があなたを月まで打ち出し、その剣にて月の周りに展開されている魔法障壁を打ち壊してもらいたいのです」
「………なるほど」
騎士はその剣を少し眺めた後、切っ先を下に向けて胴の前で保持しました。
鞘がないゆえの私達への配慮でしょう。
「そのまま月の内部へ突入することになるので、かなりの衝撃があなたを襲うことになるでしょう。それを受ける覚悟は───」
「我は騎士なり。我が主の命に従い、其方の命に従うのみ」
「………そうですか、ありがとうございます」
あの障壁さえなければ、転移で直接月の中へ入ることができます。
マレさんは………想定外の障壁への対処用に連れていくとしましょうか。
転移酔いが酷いらしいので、即戦力には………いえ、私のために動くわけがないですね。動けるまでその場で待機していただく他ないでしょう。
「では、猶予はありません。この窓から打ち上げますので、こちらに近づいてください」
「了解した」
騎士は私の言う通りに窓際に移動し、剣を上に掲げます。
その後ろにいたマレさんは騎士についていくのは違うと思ったのか、ソファに戻って縮こまりながら座りました。
その姿を見ていると、ネルから言われた言葉が脳裏を刺してきます。
『%%%ちゃんは、やっぱり嫌? でも、私はそんなことをしてる%%%ちゃんが好きだよ。嫌だって言いながら、それでも皆を見捨てない%%%ちゃんが』
違うんです。私は、私にその笑顔を向けてくれるあなたが好きだったんです。
見捨てない云々ではなく、あなたの為に、そして自分の為にやっていたんです。
しかし、今の私は、それすらもできていません。
自ら望んでいたはずのことを、これっぽっちも。
「………気分が優れぬか?」
「あ、い、いえ、大丈夫です。それより、準備はいいですか?」
「ああ、我は常に準備万端だ」
「では───」
私はそれを覚悟してきたはずです。ここで立ち止まるわけにはいきません。
何を犠牲にしようとも。
「─────────」
学園長が不思議な発音の羅列を発すると、アイリスさんの身体に何かオーラみたいな紅い光が纏わりついて………って、これどこかで見たような………?
「では、行きますっ!」
「よしッ!」
二人とも掛け声を出すと、アイリスさんが何か大きな手に引っ張られたみたいに急に窓の外に放り投げられる。
と思えば、その勢いのまま直角に曲がって、真上に向かって飛ばされていった。
あの質量をあの勢いで飛ばすって、学園長はどんだけ魔力あるんだ?
もしかすると、システム含めた俺より多い?
「マレさん」
「え、あ、はい!」
ぼーっと窓の外を眺めてたら、学園長から名前を呼ばれた。
でも、学園長はまだ窓の外、真上にある月をじっと見ている。
「あの騎士が障壁を破ったのを確認したら、すぐに月内部へと転移します。内部に危険は少ないはずですが、念のため用心してください」
「は、はい、分かり………え?」
え、なに、俺も行くの? なんで?
あ、確か、学園長には今の俺が今までの魔術を使えないことを伝えてなかった。
もし学園長が俺を戦力に数えてるのなら、そこんところは伝えないと。
「………でも」
伝える必要はあるか?
学園長の目的は分からないけど、俺を石化させてまで連れてきた、というより誘拐したんだぞ?
その理由がなんであれ、俺が学園長に従う理由はないし、今のうちに逃げるのが最善なんだろうけど………
「お願い………ネル………!」
窓の外に身を乗り出しながらそう呟く学園長からは、俺にはない『芯』が見えた。
絶対に譲れない、大切な何かを持っている人特有の輝きが、見えたのだ。
「………………………」
俺は、人の役に立つことが好きだ。
そして、それに関連して、こうして目的のため必死にひた走る人を助けるのも、好きだ。
俺が持てない輝きを持って、俺が出せない全力を出す。それも、何者にも強制されることなく、自発的に。
他人のために自分を犠牲にするのは簡単だ。
でも、自分の身を切って助けるよりも、全身全霊をもって助ける方が絶対に良いし、それが正解だと思う。
そんな、俺にできないことを全力でやってる人を見たら、そりゃあ助けたくもなる。
それが、自分に害を為した人だとしても。
「障壁の突破を確認! 飛びますよ!」
「………はい!」
転移酔いに備えて、頭を動かさないようにうずくまる。
その瞬間に、身体全体が歪み曲がるような、ぐにゃりとした気持ち悪い感覚が襲ってきた。
でも、それは一瞬だけで、気づけば冷たい地面に座っていた。
もしかしてだけど、腕がいいと転移中の時間も短縮できる?
まあ、結局酔うは酔うんだけど。
「騎士は………無事のようですね。魔女はもう少し先でしょうか」
隣から学園長の声が聞こえる。
アイリスさんがどこにいるか分からないけど、無事らしい。
そんで、魔女ってなんだ? 月の中には天使の他に魔女もいるの?
いや待って。そういえば、ここが月の中?
考え続けて少し落ち着いた頭を動かして、周りを見渡す。
すると、今まで見上げてきた月と同じ色に薄く輝く床と、その周りに浮かんでいるはずの星が貼り付けられた黒い天井が見えた。
横に壁はないらしく、緩く湾曲したドーム状の天井が周りを囲んでいる。
神秘的、というより、アトラクションの裏の顔を見せられたみたいな気分だ。
作りものと分かっていても、それでも今まで見ていた幻想が人の手によるものということが、否応なしに突きつけられる。
幻想が現実へと戻るその中で、天井と床の境目から最も遠い場所、つまり月の中心の床に、何か黒いものが広がっているのが見えた。
そして、三つの人影も。
「障壁はあと二枚。それも、全て打ち破ります………!」
学園長はそう言うと、一番手前の人影、黒い何かから少し離れたところにいる人影へと進み始める。
これ、俺もついていった方がいいか?
いや、まずはアイリスさんか。月まで飛ばされたはずだし、絶対しんどくなってるはず。
とりあえず、天井と床の境目に近い場所を見渡す。
すると、ちょうど学園長とは真逆の方向に、亀裂の入った床とその隣に跪くアイリスさんが見えた。
それに向かって、小走りで駆け寄る。
「アイリスさん、大丈夫ですか?」
「ま、マレ殿か。我は無事だ。これを耐えねば、騎士失格と言えよう。して、学園長殿はどこに?」
「そのまま真っ直ぐ、中心のあの黒いのに向かいました」
「ならば、我も向かうとしよう。マレ殿は我の少し後をついてきてくれ。得体の知れぬこの場所では、離れる方が危険だ」
「わ、分かりました」
アイリスさんに従って、その少し後ろをついていく。
でも、アイリスさんは学園長の護衛なのか、俺が全力で走っても追いつけないくらい速い。
見た目では歩いてるように見えるのに。
「はあっ………はあっ………アイリスさんっ………速っ………!」
とにかくアイリスさんとの距離を離されないように走っていると、向かっている方向が急に光り始めた。
「うわっ、ちょっ、なに!?」
思わず立ち止まると、その瞬間、前から強い風が吹いてきた。
それは一瞬だったけど、明らかに向こうで何か起きたのは分かった。
ちなみに、アイリスさんは今ので立ち止まることなく走ってった。度胸ありすぎでしょ………
とりあえずまた走っていって、なぜか止まったアイリスさんの背に追いつく。
息を整えながらなんで止まったかアイリスさんの前を見てみると、騎士ノ遺剣を持った学園長と、全く知らない女性がいた。
「え、誰………?」
後ろ姿しか見えないけど、その女性はシスターが着けるような修道服を着ていて、頭には見たこともない花でできた花冠が乗っている。
そして、右手には学園長を超す長さの石でできた武骨な杖を持っていた。でも、その杖の先には、宝石はついていなくて、魔術に使うための杖ではないみたい。
「では、第三障壁も破ります。衝撃に備えてください」
「うん、いいよ」
学園長が剣を振り上げる。
その瞬間、直感的にヤバイと感じて、すぐさまアイリスさんの後ろに滑り込んだ。
その直後に、さっきこの身で感じたような猛烈な風が、アイリスさんでも遮られなかった分が俺の服を揺らす。
バタバタと暴れる作業服を押さえつけながら、それでもアイリスさんの後ろから少し乗り出して前を見てみると、剣を振り下ろした体勢の学園長と、その目の前で崩壊していく透明で大きい破片が見えた。
その破片は床に当たっても壊れず、それどころかすり抜けて消えていく。
「これが、障壁?」
さっき少し聞こえた学園長の話だと、多分これが障壁。
じゃあ、その先にあるあの黒い何かとその上の二つの人影は………
「第三障壁、突破。進みます」
「………うん」
学園長は剣を投げ捨てると、そのまま黒い何かに向かって歩き出す。
その隣の女性も、学園長と一緒に歩き始めた。
「我らも動く。用心を怠るな」
「は、はいっ………」
アイリスさんも動き始めたので、俺もその後ろについていく。
周りを見渡しながら少し歩くと、段々と黒い何かの正体が見えてきた。その上にいる人影も。
「火守りの騎士、クランジェリス………」
学園長がそう呟いたのが、小さく聞こえた。
でも、それを騎士というには、禍々しすぎた。
近づいてようやく分かった黒い液体、獄油の湖の上に、その湖の下から伸びた太い鎖を幾本も背負い、もはや鎧かも鎖かも分からなくなった黒い装甲を身に纏って佇んでいるのは、アイリスさんと同じくらいの巨躯の騎士だった。
鎖が巻き付いたその両手は一本の大剣を掴んでおり、その大剣を杖のように地面に突き刺している。
もはやそういうオブジェのようになっていたその黒騎士は、それでも顔を上げた。
「………正気はないみたい。覚悟はできてる?」
「ええ、とうの昔に」
学園長が手を突き出し、女性が杖を構えると、黒騎士もそれに応えるように大剣を引き抜いた。
「──────」
吐息のような、かすれた呼吸音が静かに響く。
黒騎士が何か言ったことは分かったけど、たとえ聞き取れていても判別不可能だと思う。
それくらい、その騎士に理性があるとは見えなかった。
「………クランジェリス、悪いけど、そこを退いてもらう」
学園長が黒騎士にそう言うと、詠唱をするためまた口を開けた───その瞬間、
「我が行こう」
アイリスさんが声を上げた。
学園長が驚いたような顔で振り向くと、アイリスさんは腰に差さっていた鞘から、騎士ノ遺剣を引き抜いた。
そういえば、アイリスさんにあげたんだった。
「月の中にいるとは、よほど古の騎士と見える。またとない機会、手合わせしたい」
「………分かりました。アイリスさん、ここは任せます」
「承知した」
アイリスさんが剣を構えながら、学園長の前へと出る。
黒騎士はそれに反応して、より深く腰を落として、切先をアイリスさんに向けた。
「………いいの?」
「あの獄油を止めるには、かなりの魔力が必要だと思われます。今は魔力を温存すべきです」
「そうじゃなくて、あの騎士、知り合いなんでしょう?」
「………知り合いどころか、初恋相手ですよ」
なんか学園長と女性の話でしれっと重要なことを聞いた気がする。
でも、騎士同士の戦いが始まる寸前で、そこに意識を向ける余裕はなかった。
だって、騎士同士の戦いなんて、ゲームの中でも中々見れないし、騎士自体がもう格好いいし。
今の状況じゃ不適切なのは分かってるけど、これでも元男子高校生。注目せずにはいられない。
「──────」
「参るッ!」
でも、俺は黒騎士の後ろの方が気になった。
二人の金属が硬く打ち合うその後ろ、三つ目の人影が見える。
それは遠目だから人影に見えていただけで、今見ると、黒騎士に巻き付いているのと同じ、湖から伸びる無数の鎖が何か縦長なものに巻き付いていた。
そして、その鎖から黒い液体が溢れ出している。獄油を、産み出している。
ん? ってことは、あれが天使………?




