5-2 倉田叶⑪
良太の血は、六花の白い手を汚しながら、ぽたぽたとアスファルトに赤い斑点を作る。
泣きそうな顔をして叶は、腹部を押さえてうずくまる良太をみる。
どうしてこんなことになったの?
どこで間違えたの?
昨日は三人で楽しかったじゃない。
六花も良太も笑ってて、私だって笑ったのに。
いつまでもああいう何気ない日々が続けばいいと思ってたのに。
私は六花も良太もいる日常を守ろうと思ったのに。
どうしてこうなったの。
やっと自分が戻ってこれたと思った日常が音を立てて崩れていく。
どれほど実力のある絵描きを集めれば、叶が描いた日常を描き直すことができるだろうか。どんなシナリオライターなら彼女の日常を平穏のままにできただろうか。
時間は巻き戻らない。
もう戻れないんだ。
泣きそうになりながら、それを堪えて、視線を前に向けた。
良太を刺したカッターナイフを持った六花が虚ろな瞳で立っている。
「ねえ、六花……どうして?」
問いかけに意味なんてないことがわかっていた。
でも、問うしかなかった。
叫び声を上げた彼女の表情には危うさがある。
踏切が開き、せき止められていた人の流れが再び動きだす。
だがほとんどの人間は、叶たちを気にかけて足を止めていた。中には警察や救急車を要請する声さえ聞こえる。
しかし、そんな周囲のやりとりも、気に止めない。
「カナさえいなければリョウくんは私をみてくれる。わたしだけをみてくれるの。あれ? どうして、リョウくんを刺して? 違う。わたしは誰も刺したくない……この血は誰の? カナ? リョウくん? あははは、どうして……わたしは……あはははは」
錯乱状態の六花には自分が何をしたのか、今がどういう状況なのかわかっていない。いや一度認識した現実を自己否定してるんだ。
ただ事実として、カッターの刃の先端からアスファルトへと赤い雫がしたたり落ちている。
「六花!」
正気に戻って! と彼女の名前を呼ぶ。
だけど、彼女は乾いた笑いを発するだけだった。
笑う。
嗤う。
だが、ピタリと止めて、
「わたし、全部思い出したの」
声に感情がない。
何を?
彼女は叶の疑問に答えるように、
「わたし、殺されてたんだ……。ホント……最悪だよね。あの連続殺人事件の最初の被害者ってわたしなの」
六花は哀しみに歪んだ笑顔を浮かべた。
鏡があったら自分がどんな表情を浮かべていたのか見てみたい。
六花の言葉で、自分の中に在った疑問が繋がった。
いないはずの四人目の被害者。
それは自分と同じ高城第二高校の生徒。
六花から感じた異変。
殺されたと証言する生者。
――ふざけないで。どうして六花が。
さぞや哀しみと怒りに歪んでいる表情をしていることだろう。
叶の困惑を加速させるかのように、
「あぁ、やっぱり君はサイコーだよ、リッカ」
六花であって六花ではない声が聞こえた。
「君の絶望は実に心地いい。さあ、怖がらないで。あとはワタシに任せなさい」
大気が弾けた。
六花を中心に風が渦巻く。
叶はナハトに言われるまでもなく事態を直感した。
この事態を引き起こした存在を。
わかっていたのに否定しつづけていた。
でも、現実におきてしまった。
だから、己が取るべき行動を選択した。
倉田叶としてではない。
魔法少女ロザリアとしてだ。
「ナハト、良太をお願い――現界領域!」
指を鳴らす。
音に合わせて、世界が、変わった。
それが日常と非日常が切り替わる瞬間だ。
広がっていく現界領域をみながら、叶は泣きそうになるのを必死に堪える。
きっかけはささやかなものだったはず。
小さな、小さな、恋だったんだと思う。
白原六花から黛良太への恋心。
誰もが抱く権利がある。
淡い恋心だったんだと思う。
ごめん、六花。
領域の展開を終えると、傍らに青年が立っていた。
ナハトのこの姿を見るのは久しぶりだ。
神々しく輝く天使の輪と、純白の羽は彼の気高さを象徴しているようだ。
翡翠色の瞳には呆れが宿っている。
銀のロザリオにして、叶の監視役天使ナハトだ。
「まったく君はボクが断ったらどうするつもりだったんだい」
「なんだかんだで応じてくれると思ったのよ」
「状況が状況だ。仕方ない」
「ありがとう。良太をお願い」
頷きナハトは屈み、うずくまっている良太の腹部に手を伸ばした。
淡い白い光が良太を包む。
苦痛を訴えていた良太は驚いたように、
「……痛みが消えた?」
不思議そうにしながらも良太は立ち上がった。
彼の疑問に天使はただ素っ気なく答えた。
「サービスだ」
膝に手を突いて、ゆっくり良太が立ち上がる。
風が止んだ。
中心にいる六花の姿が徐々にみえてきた。
彼女は己を抱きしめるように腕を交差している。
「やった。やったぞ。ワタシは手に入れた」
喜びに震えるように、六花から『誰か』の声がした。
「叶……わかってるな、あれは」
ナハトに最後まで言われるまでもない。
アレが何かぐらいわかっている。
「わかってる。だから私も――」
叶は鞄からポーチを取り出し、紫色の飴を取り出す。
――もう迷ってられない。覚悟を決めよう。
じっと飴を見つめて、頷く。
良太に声をかけた。
前に彼から言われたことがある。
――俺は、叶がロザリアだと思うんだ。
自分は彼の疑問に答えていない。
だから、叶は今その答えを口にした。
「これから話すのは、とある少女のお話」
「なんだよ、こんなときに」
「こんなときだからよ」
苦笑混じりに返答して続ける。
「その少女はこれまでの人生を何となく過ごしていました。友人も、家族もいる。それが当たり前だと思っていたの。でもね、あるとき、少女は事件に巻き込まれました。もう助からない。そう自覚したときに、死ぬのが怖くなりました。何もかも失ってしまう、まだやりたいことがあるのに」
飴玉をころころと手の中で転がす。
「そんな少女を哀れんだ神様が声をかけました。生命をあげる代わりに、私と契約しないか? 少女は喜んで契約しました。そして少女は魔法少女として生きることになりました」
自分でも泣きそうな顔をしているのがわかる。
それでも精一杯の笑顔を良太に向けて
「ごめんね。良太が考えてるように私がロザリアなの」
「おい、叶!」
アマルを口にした。
戦おう。
戦うんだ。
六花に取り憑いたメアを倒そう。
「全ての絶望も、罪も、哀しみも、私が祓う! 装着!」
黒い蕾に包まれ、魔法少女ロザリアへ変身する。
黒い三角帽子、紫色の髪、鮮血を塗ったような赤い唇、姿を変えた倉田叶がそこに居た。
変身を終えると黒い蕾が弾けて、花弁の破片が宙を舞った。
「叶……お前……」
「うん……ナハトと一緒に下がってて」
「いいのか、ボクの助けは?」
天使の手助けを首を振って拒否した。
「あなたが素直に協力してくれると思わない。それに六花は私がどうにかする。それが私がしなきゃいけないこと。だから、良太を……」
「ああ、わかったよ」
天使は頷いてみせる。
叶は前へ出る。
強欲な空想で杖を生成する。
ゆらゆらと舞い散る黒い花びらの中、叶は六花の姿をした存在をにらみつける。
「六花を返して!」
「うるさい、神の代行者ね。せっかくこの身体を手に入れたのよ、返すわけないじゃない」
六花の身体が変化した。
背中には制服を突き破って出現した一対の黒い翼。袖は溢れる魔力で弾け、白い腕が露わになる。
手足には黒い逆十字の紋様が浮かび上がる。
左目の下に、涙のようなマークが浮かぶ。
結っていたゴムが弾けて髪が靡く。
だが、その髪は赤く染まっていく。
「ワタシはレヴィア。属性は嫉妬。覚えておきなさい。これからあなたを殺すものよ」
蠱惑的に笑った。それだけでレヴィアの魔力が膨れ上がった。
先日戦った白の騎士と違い、レヴィアは上位のメアだ。
そう確信を持って断言できる。
人語を操り、確かな知性がある。
しかし、言葉を交わせようが、知的であろうが決して相容れない。
メアは絶望を欲し、ロザリアはメアを狩るものだ。
今、叶はロザリアとしての使命よりも、幼なじみを救うために戦うことを選んだ。
「六花でそんな風に笑わないで!」
先手をとる!
暴食なる追っ手を展開。
一羽の鳥が生まれる。
「いけ!」
杖を振る。
主人の命令に従い、暴食なる追っ手は羽ばたき、敵を狙う。
「そんなもの」
ゆったりとしたしぐさで、レヴィアが手を振るった。
四発の黒色の魔弾が、迫る暴食なる追っ手を迎え撃つ。
羽ばたく鳥を撃ち落とそうとする魔弾が着弾する。
「甘い!」
暴食なる追っ手は相殺されない。
それどころか一回り大きくなっていた。
暴食なる追っ手は魔弾の魔力を喰らい、その身体を大きくする。
「捕食と追尾か」
「そのまま喰われろ!」
叶の言葉に応じるように、暴食なる追っ手は嘴を大きく開ける。
追撃は意味を成さないと理解したレヴィアは防御を固めた。
防御も、魔力を使っていない。
使えば、暴食なる追っ手に喰われることを理解している。
着弾。
光が弾ける。
叶はそれでも安心しない。
「まだだ!!」
魔弾を合計十二発追加する。
それでも攻撃の手を止めない。
撃ち込む魔力弾を更に増加させ、その数が百を超えると、
アスファルトを蹴り、一気に距離を詰める。
「空想変化!」
杖が一瞬消え、次には一振りの剣へと姿を変える。
「なんで、六花を!」
剣を振り上げ、魔弾で生まれた光の中に飛び込んだ。
斬撃を放った直後だった。
「なんで? 教えてあげるわよ、魔法少女」
刀身を白い手が受け止めていた。
その左掌にうっすらと赤い筋が生まれる。
光が消えていく。
レヴィアの赤い瞳が叶を見つめていた。
「この子はね、惨めに殺されていく中で生きていたいと願ったんだよ。そしてそこのガキを手に入れたいと願っていた。とてもワタシ好みの絶望だったのよ」
「そんなことで!」
力を込める。
このまま、押し切る!
「そんなこと? あらやだ。ワタシがあのときリッカの声を聞かなければ、死んでいたのよ?」
そういえばと思い出したかのようにレヴィアは言葉を続けた。
「リッカを殺した男には、ワタシが飼っていたメアをつけてあげたんだけどどうだった? 楽しめたかしら?」
連続殺人に宿っていた白の騎士のメアのことだ。
「ふざけないで、お前の娯楽のために!」
「怒られる言われはないし、むしろ感謝して欲しいわ。この子が生きていたからガキに想いを伝えられたし、アナタだって楽しかったでしょ、カナちゃん?」
挑発するようなレヴィアの口調に、
「そうだとしても、お前は六花を!」
「煩い小娘ね、燃えなさい――焦がれの炎」
ぼうっと黒い炎がレヴィアの右手に生まれる。
生まれた熱に気が付いた叶は、剣を手放して、後ろに跳ぶ。
しかし、僅かに黒い炎が行使される方が早かった。
叶の右手を焦がした。
それだけでは終わらなかった。
小さな、とても小さな炎が、叶の右手に灯ったと思うと、それはすぐに大きくなり右腕ごと燃やし尽くそうとする。
「くっそ!」
戸惑うこともなく、叶は再度剣を生み出すと、己の右手首を切断した。
ゴロっと地面に落ちる手首は、やがて黒い炎に燃やし尽くされた。
切断面からは血が溢れる。
「あら、思いっきりがいいのね。あのまま焦がれの炎に喰われてしまえばよかったのに」
「あんたにだけは負けられないのよ!」
おそらく焦がれの炎は、対象物に少量でも引火すれば、火力を増ますのだろう。
――相手を喰らうまで消えない炎……。
右手首の切断面を抑えながら、
「リッカを返して!」
「それはできないわよ。だってこの肉体はワタシがもらったんだもの」
レヴィアの正面に六つの炎が生まれる。
そして象るのは炎の剣だ。
「串刺しになりなさい!」
射出された剣が、迫る。
六つの剣を見て、叶は横に跳んだ。
着地。
だが、レヴィアはすぐに第二射を繰り出した。
「ほらほらどうしたの神の代行者。逃げてばかり?」
「っさい!」
第二射を転がって回避する。
アスファルトを炎の剣が穿つ。
第三射、第四射、そこで回避が間に合わなくなった。
叶の両肩、右太腿を貫く。
傷口が炎に灼かれる。
「っ!」
痛みを堪え、炎の剣を抜き捨てる。
「これで!」
魔弾を撃つ。
だが、それらはレヴィアに届く直前に黒い炎に包まれて焼失する。




