4-8 倉田叶⑩
良太に遅れて六花が戻ってきたのは、昼休みが終わるギリギリだった。
ほとんどのクラスメイトには、良太と六花の態度は今まで通りに映ったことだろう。
でも、倉田叶には、ささやかな変化に気が付いていた。
一見すれば、わかりそうもない些細なことだ。
目を合わせて話す時間が短くなった。
笑う表情が少しだけ陰っている。
ただのクラスメイトならわかりはしない。小さな変化。
良太も六花も、『これまで通り』を努めて果たそうとしている。
だから、生まれる歪み。
叶は、わざとその歪みに気が付かないようにした。
とはいえ、二人の不協和音を取り持つのも幼なじみの勤めだ。
下校時間。
叶の補習授業ももう終わり、幼なじみ三人で帰宅することにした。
学校近くの踏切が開くのを待っている間に、
「ねえ、良太。今日も勉強会もしない?」
「まだ英語手がついてないからやりたいなー」
「英語なら六花が得意だし、このまま帰りに六花の家に行ってさ」
カンカンと鳴り響く踏切の音が大きくなる。
叶が振り返る。
ああもう、踏切の音がうるさい。
六花は俯いたままだった。
叶の言葉に反応していない。
「六花?」
心配になって六花の元に近づいた。
「……なんで……」
踏切の音がうるさく聞き取れない。
「え?」
「カナ……そうやって……わたしは……わたしは……」
彼女が震えている。
「どうしたの六花?」
六花は鞄の中に手を突っ込み、引き抜いた。
彼女の手には黄色いカッターが握られている。
様子がおかしい。
確証はない。
でも、この異変に似たものを、叶は以前に経験している。
――そんなわけない!
脳裏に浮かんだ予想を否定する。
「ちょっと、六花……危ないからしまいなよ」
カチカチと刃を延ばし震える手で叶にカッターを向ける。
思わず、距離を取った。
六花の歪な悪意が自分に向けられている。
疑問が浮かぶが、やはりそれに押しとどめる。
そんなわけない。
自分の勘違いだ。
良太も事態に気がついて、六花を止めようとする。
「おいおい、ちょっとまてよ、りっちゃん」
だが六花は良太の静止も聞かない。
「カナがいなくなればわたしは幸せになれるって……」
ふらふらとした足取りで、叶へと歩み寄る。
三メートル。
「わたしが持ってないものを持って、いつも羨ましかった。わたしは……わたしは……」
六花の目は焦点が合っていない。
二メートル。
「カナが、そんなカナが大嫌い!」
カッターを引き寄せ、六花が走った。
「叶!」
良太の声がした直後、衝撃が叶を襲った。
周囲から沸き上がる悲鳴が聞こえた。
気が付けば、叶は突き飛ばされていた。
こぼれ落ちる鮮血の雫。
叶はその光景を呆然と眺めていた。
彼女の位置からでは良太の傷口はハッキリと見えないが、彼の足元に血だまりが出来ているのがわかる。
制服のブレザーを貫通して、その下のYシャツすら超えて、良太の腹部にまで、六花のカッターの刃が到達しているんだろう。
「いってぇ……。なあ、りっちゃんやめろよ」
苦悶の声の良太は、六花の肩に手を置いて説得する。
両手を赤く染めて六花は自分がやったことを理解していないのか、純粋な疑問を浮かべていた。
「リョウくん?」
良太は腹部を押さえて一歩、二歩と後ろによろめいた。
夕日が苦痛で歪む良太の顔を照らす。
「お前、今日変だ。この前まで叶がおかしいと思った。それは俺の中で解決した……。だから、せっかく元通りだって思った。昨日だって三人で……」
「ち、ちがう、わたしは……」
六花は、良太の血にまみれた自分の両手を、恐怖と驚きが同居した表情で見つめる。彼女の顔が青ざめていく。自分が何をしたのか、徐々に理解してきているんだろう。
「ああ、今日の六花はどっかおかしい。そのせいだ、気に……するな……」
呼吸が粗くなり、彼はその場に踞った。
「うわああああああああああ」
六花の悲鳴が響いた。




