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さよならホームラン  作者: 多手ててと
7回

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7回裏

 『過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える』


 フリードリヒ・ニーチェの残した言葉の深淵を私は理解できない。だが、私自身の個人的な経験としては納得できるものがある。私は自分の未来を夢に見ることができ、その夢の中で得たスキルを現実でも活かすことができるからだ。だがそれが本当に夢なのかどうかはわからない。いつ見ることができるのかもわからない。だからむしろ『胡蝶の夢』というべきなのかもしれない。ニーチェと荘子が繋がるのは不思議だ。


 そんな私は今大学で医学を学んでいる。私は昔見た夢の中で医者だったのでその経験を持っている。だから医学生、それも臨床の場に出るようになったばかり(大学によって臨床に出る時期は違うがウチの大学は4年生半ばと早い)の身でありながら、現役の医師なみの意見を述べるので、臨床医としての資質が高いと評価されているようだ。だが一度町医者として過ごした経験をそのまま使うのは面白くない。


 だからこの人生では研究者としての将来を考えいる。私がこれまで夢で学んだ多くのこと、つまり医者、教師、コンサルタント、宇宙飛行士、投資家、経営者、女子アナ、そういった経験から得た観点を研究者としての立場で活かすことができるのではないだろうかと考えている。


 多くの研究職の中から医学を選んだのは、やはり私自身の志向に合っているのだろう。


 一方で研究者の道を選んだことに不安があることも理解している。私のコアスキルは他者とのコミュニケーションに偏っているように思われる。それは研究者としてよりも臨床医としてより助けになるのではないだろうか。


 ん、うーん。そうかなあ? 私って結構テレビ局で浮いてたよね。私って本当にコミュニケーション能力ある?


 ああ、よくわからない、こういう時は身体を動かして頭を空っぽにするのが一番だ。幸いにして私はそちらのスキルも持っているのだから。


 高校を卒業した後、私は医大に進むと同時に女子硬式野球の活動を再開した。高3の夏以降のブランクは問題にならなかった。むしろ女子のフィジカルで男子に交じって高校野球で活躍できたことは素晴らしいことだと評価された。高校野球で私は監督も務めて実績を出したから、指導者としてもより一層の期待をして頂いている。悪く言えば背負わされている。


 女子硬式野球は相変わらずマイナーで、クラブチームも少ないし、代表の活動期間は短く、大きな大会もまだ少ないけれど、それでもこれまでの夢の中で見た未来よりは明るいと私は思う。


 大学生である私はクラブチームには参加していない。所属しているのは大学の野球部だ。ただうちの大学はキャンパスがいろんなところにあって、グランドがあるキャンパスは医学部から遠いのが難。受ける講義のコマ数が多い医学生の私にとって、平日は自主練しかできない。だから土日は思いっきり部活をする。高校野球は私が尽力してようやく女子には開放されたけれど、大学野球は女子でも男子に混じって参加できるところが多い。


 大学の公式野球にはいろんなリーグがある。私のような医学生であれば、「東日本医科学生総合体育大会」に所属している大学もある。だがこの大学はいわゆる六大学野球に参加している。


 「おはようございます」


 ユニフォームに着替えた私が挨拶すると後輩たちが『うっす』とか、まあいろいろ挨拶を返してくれる。4年生の私は最上級生だ。4年生は、いや3年生でも普通の学生は就職活動をしなければならない。このまま野球で食べていこうという選手だけが残っている。医学部の私は後2年大学に在籍するけれど、野球部の公式戦には出られなくなるというよくわからない謎ルールが連盟にある。


 だから来年からは練習に参加させてもらえるだけだ。なお監督から、5年生になったらコーチになることを勧められており、コーチになるかクラブチームに行くかを真剣に考えている。


「滝沢さんってなんでそんなに野球上手いんですか」


「正しい練習を続けているからかな」


クールダウン中に後輩が話しかけて来たからそれに答える。


「試合でも全然ミスしないですし、判断も早くて正確じゃないですか」


「それは経験かなあ。夢でもよく野球してるよ」


私はこう見えても小学生から世界大会を経験しているのだけれど、直接それを言うのは自慢話が過ぎるだろう。


「夢ですか。あんまり夢でまで野球したくないスね」


「見る夢は選ばれへんからなあ」


 私は時々大阪弁を交えて話す。特に相手が関西人だとつられて関西弁になる。これも昔覚えた処世術。私は野球部のチームメイトと少し壁を感じることがある。それは私が女子であること、これも自慢だけど美人なこと、医学部生であること、甲子園で活躍して六大学でもレギュラーなこと。そんなものか? せやからたまにわざとアホなことをしたりもしてるんやけど、あまり効果がないようだ。美人は損だぜ。


「練習再開するぞ。バッテリーはブルペンに入れ」


 コーチの掛け声で私はブルペンに急いだ。さて練習するか。今度また試合があって、そのうち1試合は私が先発だと監督から聞いている。最近ようやく宜野座カーブやシェイクが使い物になるようになってきたから、現役選手のうちに六大学で試しておきたいんだよね。


 神宮球場は私にとって思い出深い球場だ。夢の中でも何度か訪れたことがある。私はそのマウンドに立って、新しく使い物になるようになった変化球や、敢えて試合ではあまり使わなかった変化球も交えながらイニングを消化していく。


 今日は夜にプロのナイトゲームがある。この神宮球場の併用日にあたるので、いつもより試合開始が早い。それなのに私も含め打撃が好調で、攻撃中に適度にキャッチボールをする必要があった。攻撃が長くて、守備の時間が短いというのは良いことだ。でもちょっと長すぎるかな。国立大学以外の相手に打者1巡するイニングが複数あるのは珍しい。そして六大学野球にはコールドゲームが無いので延々と試合が続いてしまう。


 6回を無失点で投げ切ったところで私は降板し、後輩にマウンドを譲った。あとはアイシングして帰る準備をするだけ。この後どれくらい時間がかかるのかと思ったが、7回からは急に試合が引き締まってランナーがほとんど出ないままゲームが終わった。6回までのバッティング練習はなんだったのだろう。とは言え、もうとっくに日は傾き、プロ野球選手がナイトゲームの練習準備を始める時間だ。


 神宮球場は学生野球のために作られたものだから、大学側の使用が優先される特殊な球場。でもプロの試合がある日は今日のように試合が早く始まるし、9回が終わると延長なしで引き分けになるので、このようにプロの試合開始が遅れることはほとんどない。


 私たちが高校球児のように急いで後片付けをしている時にプロの選手が入って来た。一塁側なのでスパイクスの選手たちだ。


「枝里子、今日のピッチングすごくよかったやん。いつもよりナックル多くなかった?」


 クローザーだからこの時間はまだ暇なのだろう。トモカズが私に話しかけて来た。


「いや、あれはシェイクやで。最近やっと使い物になる程度には投げられるようになったんよ」


 私も気安く答えたが、周囲にはあまり良く思われなかったみたい。


「すいません。学生さんは早く出てください」


 トモカズは話を続けようとするが、さすがに係員から注意が入ったので、トモカズにはほなね、と言ってベンチを出た。


「滝沢さんって、大貫選手と知り合いなのですね」


「そう、同じ高校やで」


 むしろ知らんかったんかい、と私は思った。なんなら小中も少年野球も同じや。


「いや、でも、その、仲が良いみたいですね」


 おおっ? この野球部にそんな恋愛面で敏感な奴がおるとは終(つい)ぞ知らなんだわ。しかし自信はないはずや。うちはとぼけることにした。


「まあ小学校から同じやからなあ。腐れ縁いう奴やね」


 私が追加情報を提供すると後輩は「そうっすか」と返してきた。これで誤魔化すことができたかはわからない。


「サイン貰えばよかったですね」


 えっ、そっち? 確かにトモカズはもうすっかりスパイクスのクローザーとしての立場を確立しとるからなあ。そろそろトモカズが先発しているところも見たいけど、スパイクスにいる間は多分抑えのままなんやろうな。


 プロの試合が始まるまでもう少しかなと思った頃、うちらを乗せたバスが神宮球場の駐車場を出た。大学はこうやってバスがあるからええなあ。高校の時はこんなんなかったから電車で練習試合に通ってたな。


 うちは少しだけ高校時代の頃を思い出した。でも明日は月曜日やからまた医学生をやらなあかん。研究の道に進むなら早いうちに教授にも話をした方がええやろな。でも面倒くさいなぁ。

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