6回裏
思うに私はこれまで勤勉過ぎたと思う。小学生の時から野球と勉学に励み、高校では女子で初めて甲子園の土を踏んだ。正直、根を詰め過ぎたと思う。
もうちょっと享楽的に生きた方が良いのではないだろうか? そう言うわけで私は大学を一般受験して、野球からは引退することにした。そして今回もトモカズは神宮スパイクスに入団したので、うちも東京の大学を受けた。
親の目を離れたこともあり、私は大学生活を楽しむことにした。花の都大東京。おしゃれなお店で友達と美味しいランチを食べ歩いたり、レンタカーを借りて日帰りの温泉旅行に行く。これこそがやはり大学生の青春ではなかろうか?
合コンやその類のイベントにも何度か誘われたけれど、流石に彼氏がいるのでその手のものは断った。むしろ友達を神宮に誘って彼氏自慢をした。私が1年生(東京では1回生とは言わないようだ)の間に試合に出始めたからだ。
でも中継ぎだから出るか出ないかわからないのが悩みの種。まあ気楽に野球見物できるなんていいご身分だと思う。私がそうやって惰性で生きながらモラトリアムに満ちた学生生活を満喫している間も時間が流れ、私が就職活動をする頃には、トモカズはもちろん、他の高校の時のチームメイトたちもプロの試合に出始めた。みんな頑張っとんな。
かつてのチームメイトが一生懸命汗を流している間にただひとり、のたりくたりと生きている私だけれど、就職先はあっさりと決まった。テレビ局のアナウンサーだ。いわゆる女子アナ。
自分でいうのは恥ずかしいけれどルックスはかなり良い方だと思う。マルチリンガルで、知識も豊富。スポーツでも過去の実績があって、はっきりくっきり話すことができる。複数の局から内定をもらったが、その中から気が向いたところを選んだ。
でも野球もそうだけど、華やかに見える世界ってそれなりに大変。それは女子アナも同じだった。私の場合スポーツ班に配置された。プロ野球担当だ。私のキャリアを考えると当然ともいえる。
だが私が実況を担当すると、それだけでクレームが入ることもある。
「セカンドへ送球、タッグは……タイミングはアウトでしたが、タッグをうまく躱したように見えましたが……判定はアウトのようです。解説の高砂さん、どうでしょう」
「今のは完全にアウトだろう」
いや放送席から見てもグラブが空振りしとったやん。高砂さんまで騙されてどないすんの? ランナーも不満そうやし、ショートはしてやったりという顔をしとるやろ?
だがまだビデオ判定のリクエストがルール化するまでには10年近くの歳月が必要だ。そしてこういうことがあるとこのようなクレームが局に届く。
『野球を知らん女が実況すんな』
私ほどルールも技術もプレイヤーも知り尽くしている人物がこの世界にどれくらいいるのか不思議だが、実際こういう輩はいる。実況で少なくないクレームを頂いた私はグランドに降りて仕事をすることが増えた。例えばヒーローインタビューなど。なぜかはわからないが、実況と違ってこちらは女性アナウンサーに抵抗を感じる視聴者が少ないようだ。
だが、しかし……。
今日のお立ち台は、この試合唯一の得点になった先制ツーランホームランを打ったベテランのキャッチャーだ。
『今のお気持ちはいかがですか?』
私はそういうテンプレート的な事は聞かない。ジャーナリストとして聞きたい部分を聞く。女子アナがジャーナリスト? などと思う人もいるかもしれないし、多分選手にも煙たがられていると思うが
「8回の表、ノーアウト二塁一塁のピンチを上手くセカンドゴロでダブルプレイにしました。あの時の配球について教えてください」
実際先ほどまでの試合の一番の見どころはあそこだったと思う。相手は打率も高くホームランもある左バッターだった。
「そうですね。まずは慎重にアウトローから入って」
「はい、要求通りのチェンジアップだったと思います。2球目は高めのストレートがボールになって、3球目は牽制で間をとってから、内角に再びチェンジアップで上手く仕留めてらっしゃいましたね。かなり思い切った配球だったと思うのですが」
「あー。2球目ちょっと制球が乱れたので、1旦牽制を指示しました。3球目も外に外すつもりだったのですが……でも、タイミングをずらして上手く打ち取れたと思います」
「ありがとうございます」
これでまたクレームが来た。
『お前の話を聞きたいんじゃないんだよ』
『ちゃんとホームランについて聞け』
あのホームランは完全にすっぽ抜けのカーブやん。それを見逃さなかったのはもちろん素晴らしいのだけれど、それよりは8回のダブルプレイの方が知りたいと思わない?
私にとっては天職だと思ったし、真面目に仕事をしているのだけど、私の評価は一部のマニア層相手しか受けない。そして何年か経つと顔見知りが多くなったのも良くなかった。
「今日はえりりんかぁ。何を聞かれるんやろなあ」
何が『えりりん』やねん。確かに彼とは小学生からの付き合いで気心は知れてるけど、高校時代でもうちの事、『たきざー』って呼んでたやんか。私はビジネスライクに高見沢選手に聞く。
「5月に一軍に上がってから、打率が3割3分、盗塁も2桁が見えてきました。昨年よりもテイクバックのタイミングが早くなったように思えるのですが、そちらの方が高見沢選手に合っているということでしょうか」
「いや、俺にそのバッティング教えたえりりんの方が、俺より良くわかってるんちゃうのん?」
そういう返しは求めてないんよ。高見沢はうちがトモカズとずっと付き合っているのを知ってるから、そのあたり安心して絡んでくるんやろうけど、普通の人はそんなん知らんねん。
『滝沢は高見沢を狙っているな』
『小学校からジュニアで同じチーム、中学高校と同級生だから親しいんじゃね?』
『なにそれ、ストーカー? 怖い』
『高見沢だけでなく、いろんな選手に対してなれなれしいよな』
『でも高見沢同様、小学校からの付き合いのある大貫とは互いに塩対応。大貫は滝沢の正体を知ってるんだろう』
なんやねんこれは!
いや、どっかのネットに書かれるのは仕方がないと思う。だがいくら三流とは言えコンビニにも置かれている週刊誌の記事としてはヤバいだろう。『匿名記者の座談会』? ちょけとんのんかい、あん?
私が週刊誌を床に叩きつけると、トモカズがニヤニヤと私を見ていた。
「なあ? あんたなんでこんなん買って来るん?」
私はできるだけ真面目な顔をして聞いた。トモカズは半笑い。
「いやもらったんよ。『えりりん』はモテモテで羨ましいな、って思ったんやけど」
「式挙げてないし公表してないけど、トモカズは私の夫やろ? 結構前に籍入れてるやんなあ?」
私が本気で怒っていることがようやく通じたのだろう。トモカズは少しだけ真面目な顔になったが、薄ら笑いが透けて見える。
「いやいや。モテる女性を妻にできてアリガタイことだと思っとるんよ。ホンマに」
私は床の週刊誌を蹴とばした。
「あかんわ。もうこの仕事辞める。プー太郎になる」
「ああ、それはええと思うわ。今シーズンこのまま完走したら流石に大台に乗るやろうし。俺も枝里子に家にいて欲しいし」
トモカズは満面の笑顔や。寿退社するのはあまり気が進まないんよね。でも正直マスコミがうちに合ってないのも確かや。やっぱり今の仕事は辞めよう。こっから外資系の投資会社とかどうやろか? フリーのデイトレーダーの方がええかな?




