4話・サロモネ男爵もお気の毒
「お帰りなさい。どうだった?」
「ミルダ、ただいま」
高級馬車で自分の借りているアパートメントの前に降り立った時、カッソは門扉の前で出迎えた許嫁の顔を見て抱き着いた。二人は結婚を見据えてすでに同棲していた。
「どうしたの?」
「色々あってさ……。ミルダの顔みたら安心した」
「お腹すいていない? 夕食用意してあるわよ」
「それは楽しみだ」
「じゃあ、食べながら何があったか教えて」
この日、カッソはミラジェン子爵家に招かれていた。迎えに来たのはエスメラルダ公爵令嬢で緊張しつつ、子爵邸に向かった。この間、閉店間際に訪れたご令嬢はエスメラルダ公爵令嬢だった。彼女はミラジェン子爵令嬢と懇意にしているらしく、サロモネ男爵夫人やその娘について、最近の動向を調べているようだった。
ミルダは今を時めくミラジェン子爵家にカッソが招かれたと聞き、朝からそわそわしてカッソの支度の手伝いをしてくれていた。首を長くして待っていたのが分かるぐらいに興味津々といった瞳を向けてきた。
夕食はトマトとチーズのカプレーゼに、鳥肉の照り焼きに、コーン炒め。そしてオニオンスープ。薄切りにしたバケットに、バター。ミルダの作る料理は何でも美味しい。毎日、彼女の作る料理を楽しみに、カッソは仕事をしているようなものだ。グラスには赤ワインが注がれた。お代わりの冷やしたボトルも二本用意されていた。
「お疲れさまでした」
「きみも料理や洗濯ありがとう」
「ミラジェン子爵家ってどうだった?」
「瀟洒な白い建物で洗練されていたよ。庭も芝生が敷かれていて中央に大理石の噴水があって、東屋も大理石で統一されていた。まるで小さな宮殿みたいだったよ」
「いいなぁ。私も行ってみたかった」
ミラジェン子爵家は、この国一番の大富豪貴族だ。今回はある事情から招かれたが、今後、伺う予定があるかどうか分からないので、カッソはミルダに安請け合いすることは出来ず、苦笑で応えるしかなかった。喉の渇きを覚えてワイングラスを飲み干すと、人心地付いたような気がする。彼女が新たにボトルからワインを注いでくれた。
彼女の羨まし気な目線を受けても「次は一緒に行こう」と、言えないカッソは、それでも彼女が知りたがっていた情報を伝えることにした。
「あの薔薇の指輪の件、事情が知れたよ」
「サロモネ男爵夫人は何か企んでいた?」
二人の間でサロモネ男爵夫人は、何かやらかしそうな気がしてはいた。カッソは頷いた。
「あの指輪で前セレビリダーデ侯爵の気を引き、自分の父親はあなただったのですね?と、騒いだらしい」
「嘘でしょう?」
ミルダは驚いていた。そんなことに使われたの? とでも言いたげだった。
「勿論。前セレビリダーデ侯爵は否定したらしいが、中にはそれを信じる人も現れて、その場が慌ただしくなり、男爵さまが連れ帰ったそうだけど、その一件でサロモネ男爵夫人は前セレビリダーデ侯爵の隠し子では?と、噂が立ったようだ」
「そんなことないのにね。でも、それって私達、罰せられるのかしら? 指輪に文字入れしたのは確かだし、虚偽を手伝ったことにされない?」
「その辺りは大丈夫だよ。エスメラルダ公爵令嬢とミラジェン子爵令嬢が、男爵夫人が勝手にやらかしたことだから、私達には咎が及ばないようにすると約束してくださった」
青ざめる許婚に大丈夫だと微笑んで見せると、彼女はほっとした様子を見せた。そして彼女のグラスも空いていることに気が付いたのでワインを注いだ。
「逆にその証言で、男爵夫人が何やら画策していたと証明できたし、未払いの方もミラジェン子爵令嬢が責任もって支払わせるとおっしゃっていた」
「その割にはあなた、浮かない顔ね?」
「不甲斐なくてさ……」
カッソは食事の手を止めた。ミルダはグラスに口を付けている。カッソはミラジェン子爵家を辞して、家に帰って来るまで拘っていた気持ちを吐き出すように言った。
「いきなりサロモネ男爵夫人が来訪して、ミラジェン子爵令嬢を罵り、手を上げた」
「まあ……」
「ミラジェン子爵令嬢を庇って、エスメラルダ公爵令嬢が頬を叩かれた」
ミルダは口元に手をやり、目を見張る。ワイングラスは空いていた。そこにあらたにワインを継ぎ足し、話の先を促してくる。
「公爵令嬢様が? それで男爵夫人は?」
「謝りもせずに、逆に何で邪魔をすると言い出して収集がつかなくなった」
「あのお方は常識に欠けるから、納得させるのにも大変でしょうね」
「ああ」
ミルダは納得した素振りを見せながらも、公爵令嬢達に同情していた。
「それであなたは自分が身代わりになれば良かったのに、公爵令嬢が叩かれてしまい凹んでいると」
「そうだよ」
「でも、それはもう起きてしまったこと。あなたに出来ることはもう何もないわ」
「そうだけどさ──」
だから不甲斐ないと自分を責めていたのね? と、ミルダに言われてカッソは頷いた。ミルダはカッソの正面の席についていたが、椅子から立ち上がるとすぐ隣の席に腰を下ろした。
「突然のことだったのでしょう? ミラジェン子爵令嬢の一番近くにいたのが公爵令嬢だったのではない?」
「それはそうだけど……」
距離的に子爵令嬢を庇いやすい位置にいたのは公爵令嬢だったのは確かだ。しかし、公爵令嬢の動きは機敏だったなと今更ながら気が付いた。ミルダはカッソの隣でぐいとグラスを煽った。
「貴族のご令嬢方は護身術を習っていると聞いていたが、凄いよな。一瞬の判断でそれを見極めるなんて。まるで子爵令嬢の騎士のようだった」
「エスメラルダ公爵令嬢は毅然としていて麗しいご令嬢ですものね。その場面見てみたかったわ」
ミルダがきゃあ、素敵。と、はしゃいだ声を上げた。普段なら不敬にも取られかねない言葉を不用意にミルダは言ったりしない。彼女の顔色を窺うと、目がとろんとしてきていて、頬が赤くなってきていた。ミルダはお酒に弱い。酔ってきているようだ。
「ねぇ、ねぇ。それであの猿真似夫人どうなった?」
「ミルダ。きみまで。もう、酔っているね?」
猿真似夫人とは、ご贔屓のお貴族様の奥方様がサロモネ男爵夫人を馬鹿にした言葉だ。滅多に他人を悪く言わないミルダでも、この間の一件は腹に据えかねる出来事だったらしい。仕方ないかもしれない。カッソも苦手な相手だ。
「なんで猿真似夫人は、あの指輪持っていたの?」
「どうも、彼女の父親が君の話していた庭師だったようだよ。母親が亡くなってからその指輪を見つけて、今回のことを企んだようだ」
「ふ~ん。罰当たりね。親が立派な人でも、子供がそうとは限らないのね。でも、あの母娘は似た者親子か。天国で指輪の持ち主が泣いているわね」
父親が仕事で評価されて褒賞として得た指輪を、その妻は後生大事にとっておいたのだろうに、それを自分の欲の為に利用するなんてとんでもない人物だとミルダは言った。
「サロモネ男爵もお気の毒。とんだ女狐どもに騙されて」
「まあ、そのうちサロモネ男爵も目が覚めるんじゃないかな?」
カッソはサロモネ男爵夫人や、その娘の悪評を聞くたびに、段々男爵が気の毒になってきていた。サロモネ男爵は、貴族社会になれない母娘の為に、奔走して頭を下げ回っていると聞く。いくら惚れた相手とはいえ、高位貴族にも平気で喧嘩を売るような女性とは、いい加減に縁を切るべきだと思う。
「男爵さまは女性を見る目がなかったようだな」
そう呟きつつ、静かになってしまった隣を見れば、愛しい婚約者が船を漕いでいた。
「ミルダ。駄目だよ。ここで寝てしまっては。風邪を引くよ」
「ん……」
もう彼女は夢の中の住人と化している。こうなってしまっては、なかなか目が覚めないことは分かっているので、カッソは彼女を抱き上げた。寝室まで向かう中、「少し重くなった?」と、問えば、無意識なのか彼女の小さな拳が胸に当てられた。
「痛てててて……」
それでも手は離せない。いつしかこの腕に抱くのは二人の愛する子供に代わったとしてもこの先、彼女のことを憎からず思う気持ちに変わりはないだろうと思うから。腕の中のですやすやと眠りに入っている、自分のお姫さまに頬を寄せてカッソはキスをした。




