2話・庭師に与えた指輪が、どうしてサロモネ男爵夫人の手に?
「皆さま。大変お騒がせして申し訳ございません。只今のお時間から店内におられるお客さまがご購入の際には、当店よりサービスと致しまして、月の雫と言われている東洋の真珠をプレゼントさせて頂きます。どうぞごゆるりとお買い物を楽しまれてください」
そう言って店の奥に引っ込むと、椅子に座らせた新人従業員を前にミルダが事情を聞いていたようだ。従業員はカッソを見ると涙ながらに謝罪してきた。
「店長。お騒がせして申し訳ありませんでした」
「何となく事情は察したけど、きみの口から何があったのか教えてくれるかい?」
「はい。あのお客さまは家にあった指輪を持ってきているのだけど、それに文字を入れて欲しいとおっしゃられて……」
その指輪をこの店で購入した物か聞いた所、男爵夫人が機嫌を損ねたのだという。
『そんなの知らないわ。この指輪がどこで買ったものかなんてあんたに関係あるの? あたしはただ、文字を入れて欲しいって言っているの。意味わからない』
『お客さま。まことに申し訳ありませんが、文字入れは当店で購入された商品のみと決まっております』
と、お断りした所、気分が悪いと言いながら冒頭の「あんたじゃ話にならないわ。ちょっと、店主を出しなさいよ!」になったらしい。
接客という仕事にはクレームが付き物だ。この店のお客さまは善良な人ばかりなので、感情任せに従業員に当たるような人は稀にしか現れない。そのたまたまに当たってしまった新人従業員は、ツイてなかったとしか言えなかった。
「きみは悪くないが、このようなお客さまに当たってしまうこともある。次からはそういう厄介なお客さまに声を掛けられた時は、『少々、お待ちください』と、言ってその場から離れてベテラン従業員に振るか、僕を頼ってもいいから。一人で対応しようとしなくてもいいからね」
「……はい」
「今日は災難だったな。ショックだっただろう? 気持ちを切り替えて仕事に戻れそうかい? 無理のようなら早退しても構わないよ」
泣いて目を腫らしている従業員にそう聞くと、「今日はすみません。帰らせてください」と、涙声で言われたので帰らせることにした。お客さまの悪意に慣れていない新人従業員には、必ずどこかでぶつかる案件だ。それにしてもサロモネ男爵夫人があのような人物だったとは、カッソにとっても衝撃的だった。噂以上の厄介な人物かも知れない。それと同時に、指輪とにらめっこしているミルダの様子も気になった。
「ミルダ。さっきはどうした? どうしてその指輪の文字入れを受け入れたんだい?」
ミルダはこの店お抱えのジュエリーデザイナーにして、カッソの婚約者でもある。彼女とは政略ではなく恋愛して付き合い始め、交際二年目には将来一緒になることを決めて、カッソの方から婚約を申し込んでいた。
もともとは学友で、彼女の美術的センスに目を付けて、学園卒業後は自分の持つ店で働かないかと誘ったのがきっかけで、それまではただの同級生でしかなかったのに、彼女の仕事に真面目な姿勢と、誠実な人柄に惚れ込んだのはあっという間だった。
その彼女が、当店では禁じている他店の品物の文字入れを今回のみと言って引き受けたのは、クレーマーの男爵夫人から従業員を守る為の他にも、何か理由がありそうな気がした。彼女は預かった指輪を手袋越しにまじまじと見つめていた。
「勝手に引き受けてごめんなさい。どうしても見過ごす気にはなれなくて……」
「その指輪に何かある?」
「この指輪は父の手がけた物かも知れない」
「きみのお父さんの?」
「ええ」
彼女の父は一流彫金師で、金属加工が得意で主に建物や、アクセサリーの宝飾品関係も手掛けていたと聞く。
「この指輪を良く見て。ルビーの中にバラが咲いているように見えるでしょう? こういった細工物が父は得意だったの」
「そうか。きみのお父さんの作品だったのか」
彼女の父は一年前に亡くなっている。余命を告げられベッドの上で残り少ない日々を過ごしていた彼女の父の前で、カッソは彼女との結婚を誓った。ミルダの父はそれを聞き、安心したかのように半年後には逝ってしまった。彼女の父親の喪が明けて、彼女との結婚式を数か月後に控えていた。
「父が若い頃の作品よ。父はその頃、セレビリダーデ侯爵から依頼されて薔薇の彫刻の指輪を頼まれたと言っていたわ。侯爵さまはそれをある庭師への褒賞に作らせたって」
「庭師への褒賞?」
「私は入ったことはないけど、セレビリダーデ侯爵邸の庭は壮大で目を惹くのですって。中でも薔薇園が見事で訪れる人々の目を奪うとか。その庭師への感謝の気持ちを指輪に込めて贈ったそうよ」
「庭師は男性だよな? どうして指輪を?」
貴族が自分の屋敷に努めている使用人に褒賞を与える話はよく聞く。セレビリダーデ侯爵家と言えば、王妃さまの実家で当主が宰相を行っている家柄だ。その当主が庭師に指輪を贈った? 他にも褒賞を用意できそうだが、どうして身に着ける宝飾品を?
「侯爵さまから褒賞は何がいいか聞かれた庭師が望んだのですって。その頃、彼は結婚したばかりだったけど、貧しくてとても結婚式を挙げられる状況になかったから、せめて妻に結婚指輪くらい贈りたいと言われたそうよ」
「その指輪がこの指輪?」
「そうだと思うわ。父は同じ物を作らない主義なの」
確信を持ったようにミルダは頷く。彼女は幼い頃から父の手元を見て育ったと聞くから、見る目は確かだろう。そうなると疑問が湧いた。
「その庭師に与えた指輪が、どうしてサロモネ男爵夫人の手に?」
「それも気になって引き受けたのだけど……。何か手がかりといえるものはないわね」
その日は二人で指輪を前に頭を悩ませたものの、彼女の父が手掛けたセレビリダーデ侯爵の依頼の品が、評判の悪いサロモネ男爵夫人の手にどうして渡ったのか答えは出なかった。それでも相手が誰であれ、持ち込まれた指輪に文字を入れると請け負ってしまった以上はそれをなかったことにはできない。相手の希望に沿うように「dear・R」と、文字を入れた。夫人が残していったお金ではせいぜい一文字が入れられるぐらいだったが、ああいった輩には無駄に近づかない方が良い。
カッソは彼女同様、今回のみと割り切ることにした。
実際、三日後に指輪を取りに来た男爵夫人は「悪いわね~」と、言いながら機嫌よくそれを指にはめて帰った。カッソは彼女を見送る時、「ありがとうございました」とは言ったが、常連のお客さま達に掛けるような「また、お越しくださいませ」とは言えなかった。
まあ、本人も気にしてなさそうだったし、今後夫人がお店に姿を見せることもないだろうと、思っていた。




