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ブラックなネコ  作者: 椿 雅香
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富岡武史さんの場合(1)

第3章 富岡武史さんの場合


 富岡武史さんは、三十八歳。一流大学を卒業後、テレビでよくCMを見かける大手の会社に就職しました。以来、エリート街道を突っ走り、激務に励んでいます。

 仕事は本当に忙しく、九時に帰宅できれば恩の字です。毎月の残業時間は八十時間を優に超え、離れて暮らす両親が過労死の心配をするほどです。

 忙しさにかまけて女の子と付き合う暇もなかったせいで、気が付けば、友人たちの多くが結婚して家庭を持っているのに、武史さんは未だ独り身のままです。

 これまで、独身の気楽さを満喫していた武史さんも、だんだん結婚したくなりました。家に帰ると、妻や子供がいる生活に憧れたのです。

 誰だって、誰もいない部屋に帰るより、心許せる信頼できる家族が待つ家へ帰りたいものです。家族というのは、毎日顔を突き合わせているとうっとうしいこともありますが、全くいないというのも寂しいものです。だから、少々うっとうしいことがあっても、一人ぼっちよりマシだと考えるようになったのです。

 

 でも、結婚したくなったとたん、想定外の問題に直面しました。

 いくら結婚したくても気に入らない相手とは結婚したくありません。だって、結婚してすぐに離婚なんてことになりたくありませんし、そもそも、結婚相手に信頼と安らぎを求めているのに、結婚生活にストレスを感じるようじゃ話にならないからです。


 でも、武史さんには、どうやって気に入った相手を探したら良いか見当もつかなかったのです。 

 

 武史さんは、学歴も身長も収入も高く容姿もイケてますので(いわゆる三高に、容姿のレベルも高いので四高とでも言うのでしょうか)、プライドも人並み以上にあります。そんなプライドの高い武史さんは、自分から職場の後輩たちが出掛ける合コンに交ぜて欲しいとは言い出せなかったのです。

 もっとも、後輩たちにしても、武史さんのような神さまに祝福された同性を合コンに誘うのは嫌でしょう。下手すると、女の子を全員とられてしまう可能性だってあるのですから。


 では、武史さんは、どうやって生涯の伴侶を見つけたら良いのでしょう。


 結婚したくなるのに時間がかかった武史さんは、結婚したくなったとたん、結婚相手を探すのに永遠とも思えるほど時間がかかることに気付きました。

 しかも、仕事が忙しく、たまの休日は、溜まった家事をしなければなりません。じゃないと、いくらワンルームでもたちまち住むに堪えない状態になるからです。最低限の掃除と洗濯(できれば炊事も)をしなくちゃ、きちんとした身だしなみを整えて仕事に集中することができないのです。

 つまり、武史さんの生活には、出会いを期待できるシチュエーションが入り込む余地が全くと言っていいほどなかったのです。

 

 このまま行けば、生涯独身という、気楽といえば気楽ですが寂しい人生で終わりそうで、早いとこ、何らかの手を打たなければ……、と、内心の焦りを隠しつつ、仕事に追われる毎日で、休日に、家事をこなしながら、こういう用事を手伝ってくれる人が側にいてくれれば良いのに、とため息をつくのでした。



 そんなとき、不思議なネコに会ったのです。

 

 ほとんど外食で、家では朝食ぐらいしか食べない武史さんでも、週に一度はスーパーへ行きます。

 朝食用に、パンや果物、サラダ用の野菜(切ってサラダになったもの)、牛乳や野菜ジュース、それにティシュペーパーやトイレットペーパーなんかを買いに行かなければ、生活できないからです。

 

 その日も、近所のスーパーへ買い出しに出かけました。

 久しぶりに朝寝坊ができる土曜の朝です。十時頃起きて、近くの喫茶店で優雅にモーニングを頼みました。武史さんは、休みの日、喫茶店でモーニングを食べることにしています。自分に対するご褒美として、週に二日は、思いっきり時間を贅沢に使うことにしているのです。そうやって、鋭気を養い充電するのです。

 土曜日の午前中のことで、喫茶店も空いてます。

 ゆっくりコーヒーを味わって、窓から道行く人を眺めました。

 道行く人はみな楽しそうで、休日を誰かと楽しもうと右へ左へ歩いて行きます。

 武史さんは、何となく、一人取り残されたように感じて、少し落ち込みました。今ここに、恋人がいたら、もっと楽しいことでしょう。でも、それは、ないものねだりというものです。


 思えば、中学高校時代は、友人たちがクラブ活動したり男女交際をしたりして青春を満喫しているのを横目で見ながら、人並み以上に勉強しました。大学へ入れば、受験勉強から解放されて、サークル活動もできるでしょうし、恋人もできるだろうと思っていたからです。でも、いざ、大学に入ってみると、大学はゴールじゃありませんでした。大学をゴールだと思って遊んだ友人は、就職に苦労していました。

 武史さんは、大学でも、サークル活動こそ楽しみましたが、勉強の手を緩めることをせずスキルアップしましたので、人もうらやむ会社に就職できましたし、会社に入ってからも目覚ましい活躍ができました。

 ただ、あんまり器用なたちじゃないので、勉強に時間をとられすぎて、恋をすることができなかったのです。

 確かに、バレンタインデーにはチョコレートを山ほどもらいましたし、好きになった女性もいました。でも、告白してデートを重ねて恋人同士になるという手順を踏む気になれなかったのです。

 

 そもそも、女の子というのは、手のかかる生き物で、相手こちらの状況を理解せず、やれ、どっかへ遊びに連れてって欲しいとか、何か食べに連れてって欲しいとか、何か買って欲しいとか、言いたい放題言うものです。

 友人たちの恋人がみんなそんな感じなので、武史さんは、恋をする前から、女の子のことを面倒くさいものだと思い込んでしまっていて、わざわざ面倒事をしょい込もうという意欲が湧かなかったのです。

 武史さんの人生で失敗があるとすれば、高校もしくは大学で恋人を作っておけば良かったのに、それをしなかったということです。

 高校や大学でできた恋人と交際を続け、じっくり愛を育んで結婚していれば、こんな事態に陥らなかったのです。


 でも、今さら高校時代に戻ることもできません。失敗は速やかに忘れ、これからの方策を練る方がよっぽど建設的です。

 武史さんは、小さなため息をついて、自分にカツを入れました。


 武史。終わったことをクヨクヨしても始まらんぞ。人生、これからだ。

 頑張れ!武史。明日は明日の風が吹く。きっと良いことがあるさ!


 そう自分に言い聞かせます。

 小さく息を吐いて、喫茶店を出て、スーパーへ行こうと歩き出すと、目の前を黒いものが横切りました。

 目をこすって、よくよく見ると、それは、一匹のネコでした。

 額に白い星の形の模様のある黒いネコです。

 

 ネコは、おいでおいですると、先に立って歩き出します。

 

 思わず、ネコの後を付いて行きました。

 

 後で考えると、初対面の人間においでおいでするような胡散臭いネコに付いて行くなんて正気の沙汰とは思えません。

 きっと、溜まりに溜まった疲れのせいで、思考能力が低下していたに違いありません。

 

 ネコに導かれて路地を進むと塀があって行き止まりになりました。

 ネコは、塀を背にしてしゃがれ声で告げました。

「あんた、若くなりたくねえか?」

 

 突然、ネコが口を利いたので、武史さんはギョッとしました。

 普通、ネコは人間の言葉を話しません。

 絶句する人間には慣れているのでしょう。ネコは、武史さんの反応なんか気にもとめずに続けました。

「この塀を越えたら、自分の好きな年になることができるぜ。どうだい?塀を越えてみねえか?」

 

 愕然としました。


 さっきまで、高校時代からやり直せたら良いのに……と、考えて、ついつい後ろ向きになる自分を叱っていたのです。

 どんなに否定しても、あの年頃の方が恋人に巡り合うチャンスが多かったんじゃないだろうか、という思いが湧いてきて、その度に頭を振って自分を叱りつけていたのです。

 歩きながら、独り言を言っていたのを聞かれたのかもしれません。

 

 でも、こんな胡散臭い提案があるでしょうか。

 しかも、提案しているのは、人ではありません。


「でも、元の年齢に戻れなくなるのは困る。仕事に行くのに、若い姿のまま行くわけにもいかないし」

「大丈夫。元に戻りたくなったら、俺と同じ姿のネコを探して、元に戻りたいって言えば良いんだ。そいつが元に戻してくれる」


 本当でしょうか。

 そもそも、ネコが人間の言葉を話すこと自体、非常識なことです。非常識が、ネコの皮を被って非常識な提案をしているのです。

 二重否定は、肯定に通じます。非常識が口にした非常識は、非常識じゃない、つまり常識的なことなんじゃないだろうか。

 疲れが溜まっていたせいでしょう。いわゆる心身耗弱状態だったに違いありません。

「じゃあ、高校生に戻って恋人を捕まえて、元の姿に戻って結婚すれば良いから……十五、六にしてくれるか?」

「念のため訊くが、若返るのはお前だけだ。親がいないから一人暮らしになるが、それでも良いか?」

 

 ライトノベルにあるような一人暮らしの高校生。

 小説を読むときは、気楽で良いと思っていたのですが、いざ、自分が高校生として一人暮らしをするとなると、一人暮らしに疲れているだけに、とんでもないような気がしました。

 時間に融通が利く大学生ならともかく、長時間授業に拘束される高校生になるなら、衣食住全般、親の世話になりたいですし、なるべきです。ぶっちゃけ、その方が楽です。


「親は、若返らないのか?」

「俺が若返らせることができるのは、お前だけだ。親は関係ない」

 仕事ができる武史さんは、即座に決断しました。

「分かった。高校を卒業した頃にしてくれ」

 大学生の場合、下宿して親と離れて暮らす場合も多いものです。親が一緒じゃないなら、最年少はその辺りでしょう。

「了解だ。契約成立。お前の計画が成功するよう祈ってるぜ」


 ネコの少ししゃがれた声を背中に聞きながら、武史さんはゆっくり塀に近づくと、ダメで元々だとばかり、ヒョイと飛び越えました。

 




武史さんも魔が差したようです。頭の良い人なのに、間違うことってあるのです。

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