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ブラックなネコ  作者: 椿 雅香
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富岡武史さんの場合(2)

 塀の向こうは、下町の細い路地でした。

 振り返って後ろを向いても、さっき超えた塀は見当たりません。そもそも、ここはどこで、自分はどこから来たのでしょう。

 

 ネコは、若返ると言っていました。でも、武史さんが元いた世界で若くなるとは言わなかったことに気が付きました。

 武史さんは、どこか別の世界へ紛れ込んでしまったのです。


 騙された。


 いや、騙されたというには語弊があります。ネコは嘘をついたわけではありません。ただ、真実を言わなかっただけです。

 多分、武史さんは十八歳になっているはずです。これで、若くなっていなかったら詐欺です。

 ただ、詐欺罪というのは、図利目的または加害目的を持って欺罔行為を行った人間に成立するもので、いくら加害目的を持って欺罔行為を行ったとしてもネコには成立しません。

 うかうかとネコの言葉を信じた武史さんがバカだったのです。

 

 後悔先に立たず。

 

 起きてしまったことを悔やんでも仕方がありません。とりあえず、今いる世界がどんなところか調べることにしました。


 

 

 路地を抜けると、商店街に出ました。

 街灯に『中央通り商店街』と書いた看板が付いています。

 それにしても、何と野暮ったい商店街でしょう。まるで昭和です。ドラマで見た高度成長期の田舎の商店街という感じです。

 ただ、武史さんの元いた世界と違って、活気があります。武史さんの元いた世界では、商店街がさびれて、あちこちシャッターが下りたままになっていました。俗に、シャッター通りと言われるほどです。

 ここの商店街は野暮ったいのですが、いかにも活気があって賑わっています。

 

 洋品店のショーウインドウのガラスに顔を映して、驚きました。

 着ている服こそ変わらないものの、確かに、十八歳と言っていい風貌になっています。気のせいか、手のしわも減っているようです。

 若返ったら、女の子をナンパして、そのまま元の年齢の自分と付き合ってもらおうと思っていた武史さんですが、まさか別の世界もしくは別の時代へ来ているとは思いませんでした。

 

 でも、異世界や別の時代の女の子を元の世界や時代に連れて行くことはできるのでしょうか。大問題です。そして、それができたとして、二人の間に子供はできるのでしょうか。

 そもそも異世界や別の時代の女の子と恋愛をすることは可能でも、結婚して夫婦になって、子供を作ったりすることができるという保証はありません。

 人種が違う相手と結婚して子供ができると、両方の親の特徴が混ざり合った子供が生まれます。でも、異世界や別の時代の人間と結婚して子供ができたという話は聞いたことがありません。

 いや、天の羽衣みたいな例はあるにはあるのですが、あのお話では、子供について言及されていたでしょうか。子供が生まれていたように思うのですが、どういう子供だったのか触れられていなかったような気がします。

 まさか、自分自身を実験台にして、どんな子供ができるか試してみるわけにもいきません。


 仕方がありません。


 手ぶらで帰るしかないでしょう。

 でも、せっかく若返ったのにやりたいことができないなら、若返った意味がありません。無茶苦茶不本意です。

 

 踵を返して、元いた世界へ帰ろうとして気が付きました。

 

 さっき見たとき、ここへ来るとき飛び越えた塀がないのです。塀があれば、逆に越えて戻ることができるでしょう。でも、塀がないのに、どうやって戻れば良いのでしょうか。


 武史さんは、必死で戻る方法を考えました。


 ネコは、何と言っていたでしょう。


「元に戻りたくなったら、俺と同じ姿のネコを探して、元に戻りたいって言えば良いんだ。そいつが元に戻してくれる」

 確か、そう言っていました。


 つまり、あのネコと同じ姿のネコを探して、元の世界へ戻りたいと言わなければ帰れないのです。


 やっかいなことになりました。

 ネコを探さなければならないのです。


 ネコなんて、どこにでもいます。ただ、あのネコと同じ姿のネコ(!)じゃないといけないのです。

 でも、探すにしても、この世界がどんなところか知らないと無駄が多く効率が悪いだけです。とりあえず、この世界を知るために努力しようと思いました。

 そして、てっとり早くこの世界を知るため、本屋を探しました。




 宮森書店。


 ところどころペンキが剥げ掛かった看板の本屋は、商店街の南の端、駅前にありました。

 間口はそんなに広くないのですが、奥行きがかなりあって、様々なジャンルの本が置いてあります。

 とりあえず、この世界の地理や歴史を知らなければ何もできません。でも、地理のコーナーには、『日本地図』とか、『アメリカ地図』とか、漠然としていて、そもそも武史さんが今いる町がどこなのか分かりません。

 歴史のコーナーも似たようなもので『日本の歴史』、『イギリスの歴史』、『中国の歴史』などと並んでいますが、そもそも、見るからに昭和と思われる今が西暦何年で、武史さんが元いた西暦20××年から何年前なのか(未来じゃないことは確かです)、全く分からないのです。

 そこで、週刊誌が並んだコーナーで立ち読みすることにしました。週刊誌には、普通、裏表紙の隅っこに発行日が書いてあるものです。そこを見ることにしたのです。

 昭和四十六年五月七日発行と書いてあります。

 昭和四十六年は、西暦1971年です。つまり、四十年以上前ってことになります。もちろん、武史さんは生まれていませんし、武史さんの両親だって、まだ高校生というところでしょう。

 発行所は、東京の有名な出版社になっていましたので、ここが日本のどこかだということが分かりました。


 もし、ここがパラレルワールドだったら、何をしても元の世界は影響を受けません。でも、そうじゃなかったら……万一、元の世界の過去だったら、ここで恋人をゲットしても元の世界へ連れて帰ることはできません。歴史が変わってしまうからです。

 でも、ここが、パラレルワールドかどうかなんて、どうやって証明できるでしょう。

 例えば、歴史上の重大事件を未然に防いだり、逆に歴史にはなかった大事件を引き起こしたり、歴史上の重要人物を殺害したりするような歴史に重大な影響を与えるような無茶をして、元の世界へ帰って歴史が変わってなければ、ここがパラレルワールドだという証明になるでしょう。

 一番確かなのは、ここではまだ高校生の両親を探し出し、彼らを殺害して元の世界へ戻って自分が存在するかどうか確認することです。でも、そんな危険な証明はすべきじゃありません。というより、そんな暴挙をするほどバカじゃありません。

 ただ、ここが、単純にタイムスリップした過去かパラレルワールドのどちらか証明できない以上、ここでできた恋人を元の世界へ連れて帰るべきじゃありません。万一、過去だった場合、歴史が変わることになるからです。

 つまるところ、ここで恋人を作っても、ここへ来た本来の目的が達成できないことになります。

 

 何のことはありません。本屋へ来る前、考えていたことが、情報を得たことによって明確になっただけのことです。

 恋人をゲットできない以上、こんなところに長居は無用です。さっさと帰ることにしましょう。

 明日も仕事があるのです。こんなところで消耗しては、仕事に差し支えます。


 仕方がない。手ぶらで帰るか……。

 

 不本意ですが、武史さんは、単純にネコの口車に乗って異世界へ紛れ込んだおっちょこちょいということになります。面白くありませんが、それが事実でした。

 

 ……へこむ。


 武史さんは、手に取っていた週刊誌を元に戻して本屋を後にしました。

 



武史さんは、ここが単なる過去かパラレルワールドか悩んだあげく、どっちか分からないことに失望し、さっさと帰ることにします。

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