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ブラックなネコ  作者: 椿 雅香
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佐藤公子さんの場合(6)

 商店街をうろうろしていると、食堂の壁に張り紙してあるのに気が付きました。


『急募 店員。経験者歓迎。委細相談に乗ります』


 ガラスケースがあって食品サンプルがならんでいる、いかにも昭和って感じの食堂です。サンプルの中には、きつねうどんや親子どんぶり、それにカレーライスもあります。多分、この店の一番のご馳走は、寿司の盛り合わせでしょう。一人前の桶にマグロやタコやエビといった定番の握りと巻寿司やいなり寿司が並んでます。


 とりあえず、寝場所と食べ物を確保する必要があるけど、ここなら、交渉次第で上手く行くかも……。

 ダメ元で、住み込みでって頼んでみよ。ダメなら、アパートでも借りるか……。

 そやけど、こんな昔の田舎にアパートなんかあるんやろか?

 悩んでても始まらん。当たって砕けろや。

 


 というわけで、公子さんは当たって、砕けることなく仕事と寝場所と食べ物をゲットしたのでした。


 


 井田屋食堂。


 それが、公子さんが働くことになった食堂の名前です。

 何しろ、緊張しすぎて、まともに食堂の名前も見ないで飛び込んだので、紺色の暖簾に白抜きで大きく書いてあった食堂の名前に気付かなかったのです。後々、笑い話のネタにされることになります。


 レトロというほど洒落た感じでもなく、実用本位の野暮ったい食堂です。店主もレストランというより食堂と言った方が似合うことが分かっていて、この店名にしたのでしょう。

 入口はアルミの引き戸です。下半分が腰板みたいな感じで、上半分がすりガラスになっている、昔よくあったあれです。 

 井田屋食堂は、五十歳ぐらいの夫婦が経営しています。ご主人は背が低く痩せてますが、力仕事の多い食堂の大将を長くやっているせいでしょうか、筋肉質の典型的な働く男です。奥さんも背が低いのですが、こちらは丸々とした体形で、いかにも食堂のおばちゃんという感じです。

 五十歳ぐらいというと、公子さんの実年齢より若いのですが、何しろ、この世界での公子さんは、パッと見十七、八歳です。食堂の主人夫婦にとってみれば、公子さんは自分たちの子供より若いと思ったようです。 

 井田屋食堂では、ご主人が料理を作り、奥さんは皿洗いや接客それに配達をこなします。少し前まで娘さんが手伝っていたのですが、一か月ほど前に結婚して家を出て行ってしまったので人手が入用だったのです。

 公子さんの仕事は、奥さんの仕事の手伝いです。皿洗いに始まって、客の注文を取ったり、料理を運んだりすることになりました。時々、出前を頼まれることもあるそうです。

 壁にかかっているカレンダーによれば、この世界は昭和四十七年だということです。パラレルワールドかどうかは別として、過去であるのは間違いありません。

 カルチャーショックだったのは、奥さんの説明がいかにも適当だったことです。

「えっとね、まず、お客さんが来たら、お冷運んで注文取るでしょ。注文をこの紙に書いて厨房の主人に伝えるの。その時、テーブル番号も書いておかないと間違えやすいから気を付けてね。で、お金もらうとき、このメモでもらうから、最後はレジのところでまとめるの。まあ、習うより慣れろって言うじゃない。おいおい覚えてくれれば良いわ」

平成のファミレスのように、何から何までマニュアルで決まっているわけじゃないのです。むしろ、

 

 この時代にマニュアルなんかがある方が少ないんじゃないかと、無理やり納得しました。脱食感が半端ないですが、そんなこと気にしてたら、ここでは生きていけません。

 

 ファミレスだったら、注文を機械で処理してデータを厨房へ飛ばすところですが、そんな機械はありませんし、そもそも、そこまでマニュアルどおりに働くことを求められているわけではないのです。実際、注文をメモする用紙も文房具屋で普通に売ってるものでした。 

 でも、こういう仕事なら、三十年以上の主婦歴を持つ公子さんにとって、お手ものです。料理だって、家庭料理なら大抵のものをこなしますから、いざとなれば、厨房に立つことだってできます。

 後に、店主の急病でピンチヒッターとして厨房に立ったとき、客から喝采を浴びることになるのですが、それはまた別の話です。


 住み込みで働きたいと申し出た公子さんの希望は、思ったより簡単に叶えられました。というのは、お嫁に行った娘さんの部屋が空いていたからです。

 二階の奥の四畳半は、日当たりは今一ですが風通しがよく、ちょっと前まで、娘さんが使っていた布団もそのままで、そのまま使わせてもらうことになりました。

 話が決まると、早速、奥さんが布団を干して、清潔なカバーをかけてくれました。

 

 公子さんの元いた平成の大阪では、住み込みなんて聞きません。でも、公子さんは、子供の頃観たテレビドラマに住み込みで働くシチュエーションがあったので、知っていたのです。

 そういえば、数年前にレンタル店で借りて観た映画にも住み込みで働く設定がありました。一緒に観た子供たちにはカルチャーショックだったようですが、昔は住み込みという雇用形態があったのです。

 住み込みとは、雇い主の家に一緒に住んで働くことです。被用者は住居や食事の心配をしなくて良いことと、雇用者と寝食をともにすることで両者の間に一体感が生まれるメリットがありますが、就労時間があいまいになったり、プライベートの時間がとりにくいというデメリットがあります。

 

 公子さんが、住み込みの提案をしたのは、この世界の住宅事情がよく分からなかったからです。適当なアパートや下宿といった物件があるなら、そこを借りれば良いのでしょうが、そもそもこの野暮ったい町にアパートなんて洒落たものがあるのかどうかすら分かりません。それで、様子が分かるまでどこかのお世話になった方が良いと思ったのです。

 ぶっちゃけ、右も左も分からない異世界で、風俗や習慣といったものを学ぶのに、住み込みほど手っ取り早い方法はないという計算があったことも事実です。


 井田屋食堂は毎週月曜が定休日で、それが公子さんの休日です。

 

 よっしゃ、休みの日は、この町の探検しよ。ついでに、商店街のお店冷やかして歩こ。

 

 遊ぶ気満々の公子さんの計画は、しょっぱなからくじかれました。

 というのは、商店街のお休み自体が月曜だったのです。まあ、当然と言えば当然で、商店街がお休みだから井田屋食堂も定休日なのです。

 仕方がありません。大人しく商店街以外の探検をするしかありません。

 

 残念。

 

 こうして、公子さんは、無難にこの町の探検、ではなく、調査を開始することにしました。

 

 

 この商店街の名前は、『中央通り商店街』と言います。

 中央通りという以上、町の中心地なのでしょう。でも、どう見ても、地域の中心とは言いがたいのです。

 少し歩くと広がっている田んぼや畑のある郊外とどう違うというのでしょう。どこも違いません。

 ただ、チンケな商店街ではありますが、商店街の南の端に鉄道の駅があり、鉄道を利用してここよりもっと田舎から買い物に来る客もいるようです。しかも、この商店街は町の人々の生活を支えていて、正直、この商店街がないと町のみんなが困ることでしょう。

 中央通り商店街が、どのぐらいのエリアをフォローしているのか、公子さんには分りません。

そもそも、この地域の全体像も分からないのです。

 ただ、十五分も歩くと人家の密集した地域から出てしまうのは確かですし、その外には、田んぼや畑が広がっていて、そこに点在する農家の人々もこの商店街を利用しているようです。

 商店街には、いろいろな店があります。

 八百屋、肉屋、魚屋、豆腐屋、乾物屋、米屋、酒屋、雑貨屋、本屋、洋品店、呉服屋、薬屋、手芸用品店、和菓子屋にケーキ屋そして、園芸店から花屋に、喫茶店や食堂(公子さんの勤務先です)まであります。

 大工道具や農作業に使う機械や道具を売る店もありましたが、こういった業務用の品を扱う店は商店街の端っこにあり、消費者を相手にする店が中心部にあるようです。

 商店街の一筋北の通りに地元資本らしい小さなスーパーを見つけましたが、ちんまりと建っていて、商店街と共存しているようです。

 美容院や床屋、クリーニング屋それに医院や歯科医や整骨院なんかもありました。規模は小さいですが、ここに来れば一通りの用は足せるようです。

  

 井田屋食堂は、毎日午前十一時にお店を開けます。店の掃除をして暖簾をつると、営業開始です。

 常連さんが何人かいて、公子さんもすぐに顔なじみになりました。

 この世界のみなさんは働き者です。というのも、働けば、それなりに生きていけるからです。

 どこかにお金持ちがいるのかもしれませんが、少なくともこの地域には、見当たりません。

 お店の経営者も雇われている従業員も、どちらもそれなりに働いて、それなりに人生を楽しんでいます。

 お店の営業時間が終わると、晩ご飯を食べ、テレビを見たりします。娯楽らしい娯楽は、テレビと映画ぐらいです。町の人たちは、休みの日、映画を観に行ったりします。

 駅の近くに小さな映画館があって、少し前にヒットした映画をやっているのです。三本立てで、結構楽しめます。

 商店街と東の田園地帯の境界あたりに小学校があって、子供たちは月曜日から土曜日まで毎日、学校で勉強します。公子さんは、学校が、昔、週休二日制じゃなかったことを思い出しました。

 商店街の二筋南の通りを西に進むと、田園地帯との境界辺りにお寺があります。ちなみに、お寺の子供も小学校に通っています。お寺の隣にプロテスタントの教会があって、日曜礼拝なんかをやっていて、信者の人々が毎週通っているのですが、これに対抗しているわけでもないのでしょうが、お寺でもしょっちゅうお参り(信者が集まって念仏を唱えたり法話を聴いたりします)があるのです。

 公子さんは浄土真宗ですので、通うならお寺の方ですが、このお寺の名前は極楽寺というありがたい名前で、公子さんは名前負けしているんじゃないかと思うのでした。

 とにかく、公子さんは井田屋食堂に腰を据えて、この世界の生活を楽しむことにしました。

 他に、やることもなかったので、ここでの生活こそ、公子さんの望んだ非日常だと思うしかなかったからです。


 でも、せっかく異世界へ来たのに、井田屋食堂での毎日は、元の世界で公子さんがやっていた主婦の仕事と変わらないような気がして、どこか違うと思ってしまうのでした。


 

 



こうして、公子さんは、仕事と住居を手に入れたのですが、何か、やってることが、元の世界でやっていた主婦業と似たような感じで不本意に思うのです。

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