佐藤公子さんの場合(2)
公子さんは、可愛いオタクのおばあさんです。
いやあ、大変やわぁ。
口ではぼやきつつ、顔は正直なものです。どうしても、ニヤついてしまいます。だって、公子さんは知らない道を歩くのが大好きなのです。
スーパー(ゴール)の方向は分かっています。家(スタート地点)から見通せる、あののっぽのビルの脇の道を進んで路地に入るのが最短コースです。だから、目印ののっぽのビルを目指して、明らかに私道と思われる路地を突っ切って、駐車場も突っ切って(止めてある車の間を縫ってゆくのです)、ただひたすら前進するのです。でも、路地というのは意地悪なもので、突然、行き止まりだったりしますから油断できません。何とか大きな通りへ出ると、ゴールは間近です。
そんなこんなで新しい道を開拓していたとき、ことが起こりました。
路地の角を曲がると、既視感を感じたのです。
ここ、前に見たことあるわ。
どこで見たんやろ。
でも、ゆっくり考えている暇はありません。何しろ、全速力で歩いても二十五分はかかるのです。もたもたしてたら、三十分以上かかってしまいます。実際、最初の頃は、道が分からないこともあって本当に三十分以上かかったのです。
ぼんやりしている場合じゃない、と、体勢を立て直して速度を上げると、眼の前を黒い影が横切りました。
今の何やろ?
影の正体は、黒いネコでした。
黒ネコ。
西洋では、縁起が悪いと言われます。
でも、公子さんは気にしません。だって、宗派が違うのです。公子さんの家は浄土真宗ですので、十三日の金曜日だって怖くありません。バッチ来いです。
公子さんにとって、黒いネコは、セーラームーンの登場人物(動物?)です。
ただ、セーラームーンに出て来るネコなら、額に三日月の模様がありました。でも、残念なことに、このネコの額には三日月模様はありません。代わりに、星の形の模様があります。
これが五芒星なら面白いのに。
公子さんが何ともオタクっぽいことを考えたとき、気が付きました。
ネコが路地の手前で、おいでおいでしているじゃありませんか。
これが本当の招き猫です。
公子さんはイヌ派ですので、イヌは好きでもネコは得意じゃありません。
ネコって、自分勝手で人間の言うことを聞かないからです。
でも、目の前のネコが、おいでおいでするという非常識な現実に興味が湧きました。
「何か用?」
公子さんが恐る恐る尋ねると、ネコは少ししゃがれた声で答えました。
「この道を真っ直ぐ行くと別の世界に通じてるんだけど、あんた、行きたくねえか?」
ネコが人間の言葉をしゃべったのです。普通なら腰を抜かすところですが、公子さんはガッツポーズしました。
「それって、異世界ってこと?」
ネコがしゃべるだけでも十分異常です。でも、非日常を求めるオタク気質の公子さんにとって、すこぶる魅力的なことでした。
公子さんは、瞬時に、このネコは人間と対等もしくはそれ以上の存在だと判断しました。
そして、ワクワクしながら交渉を開始しました。
「でも、タダでってわけには、いかんのやろ?」
そうです。
タダより高いものはない。
甘い話にゃ、気をつけろ。
美味しい話にゃ裏がある。
降って湧いたような幸運には、裏に必ず何かあるはずです。
マクベスは魔女たちに美味しい話を持ちかけられました。そして、その提案に乗ったために破滅したのです。動くはずのないバーナムの森が動いて、想定外の敗北を見たのです。
魔女は嘘はつきません。でも、真実も言いません。
そんな危ない話に乗った方がバカなのです。
「そんな美味しい話、信じると思う?どうせ、行った先で生贄かなんかにされるか、二度とこっちへ戻れんようになって終わるんやろ?
言っとくけど、ウチ、こっちの生活捨てるわけにはいかんのや。主婦がおらんと、ウチのみんなが困るから」
「せっかくのチャンスなのに、つまらんババアだ」
こんな可愛いおばさんを捕まえて、ババアとは何て言い草でしょう。
今日は寒いからカーキ色のダウンジャケットを着て裏起毛のあったかいベージュのパンツをはいてますが、モスグリーンのマフラーがおしゃれで十分可愛いはずです。
このネコ、目、悪いんやない?
腹を立てる公子さんを無視して、ネコは、いかにもつまらなそうな顔をしました。そして、ツンと鼻を上にあげ、シッポをピンと立てたポーズを決めて(きっと、自分では、カッコ良いと思っているのでしょう)路地の奥へと歩いて行きました。
気がつくと、煙のようにどこかへ消えていました。
夢やったんやろか。
ネコが人間の言葉を話すなんて、あり得ないことです。
昨日ネット小説読んで夜更かししたから、疲れているのでしょうか。公子さんは、小さくため息をついて、スーパーを目指しました。




