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ブラックなネコ  作者: 椿 雅香
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佐藤公子さんの場合(1)

第2章  佐藤公子さんの場合 


 佐藤公子さんは、どこにでもいる平凡なおばさんです。

 今年めでたく還暦を迎えましたので、おばさんというより、おばあさんと言った方が早いかもしれません。


 ババアは、一日にしてならず。


 公子さんだって、生まれたときからおばあさんだったわけじゃありません。

 生まれたときは赤ちゃんだったわけですし、幼稚園にも通えば、小学校にも通いました。中学の部活で汗を流した時代もあれば、大学の受験勉強に苦労した時代もあります。

 ぶっちゃけ、食べてしまいたいほど可愛いと言ってもらった(?)幼少期もあれば、恋に恋する夢見る乙女だった時期もあるわけです。


 そんな公子さんにとって、小学校の頃は、中学生がものすごくしっかりした大人に見えたものです。

 中学に入ると、高校生がまぶしく輝く大人見えました。

 受験という試練を乗り越え高校生になると、大学生が大人に見えました。

 あの、なんとも言えない『むさくるしさ』が、大人のあかしのように思えたのです。

 まあ、簡単に言うと、早いとこ親元を離れて自立したくてたまらなくなったのです。

 何とか大学受験をクリアして念願の下宿生活を始めると、社会人に憧れました。

 経済的にも親から独立したくなったのです。

 その頃の公子さんにとって、社会人とは、自分の食い扶持を自分で稼ぐ一人前(!)の存在だったのです。


 どの時期でも、三十代の女性は自立した存在で、輝いていました。


 ところが、自分が三十になって、愕然としました。


 中身は、高校生のままだったのです。


 誰だって三十になれば分かるはずです。

 確かに体は老朽化します。これを、世間では老けると言います。

 五十メートルを七秒台や八秒台(人によっては六秒台や五秒台という場合もあるでしょう)で走ったことなんか夢のまた夢です。体に無駄な贅肉が付いて、つまりは重くなって、よっぽど意識して運動を継続していない限り、思い通りにいかなくなってくるのです。そして、公子さんは、意識して運動をしていない普通のおばさんになっていたのです。

 でも、中身というか、心は継続しています。だから、気分は高校生のままというか、中学生のままというものありっちゃありなわけで、十分あり得ることだったのです。


 オタクだって年をとると、年寄りのオタクになります。

 腐女子は立派な腐バアバになります。

 皆さんも、自分の胸に手を当てて〇十年後の自分を想像してみてください。きっと、立派な年寄りのオタクや腐バアバもしくは腐ジイジになっていることでしょう。




 さて、話を公子さんに戻しましょう。


 そんなわけで、高校生か大学生のまま年を重ねた公子さんは、四十になっても、五十になっても、還暦を迎えた現在いまも、中身はそのまま――つまり、高校生か大学生のまま――です。

 そりゃあ、六十年も生きてきたのですから、それなりの経験はしました。

 大学へも行きましたし、就職もしました。結婚もしましたし、子供も二人産みました。

 親は子供の成長とともに親として育つと言われていますが、彼女の場合、子供が二歳のときも、十歳のときも、二十歳のときも、対等でした。つまり、二歳や十歳の子供と対等に付き合った――遊んだり喧嘩したりした――わけです。

 彼女が還暦を迎えた今、当然といえば当然ですが、子供たちは成人しています。つまり、大人になってしまったわけです。


 ここに至って、彼女は子供と精神年齢が逆転してしまったことに気付きました。


 子供たちを想像力豊かな人間に育てようと、せっせと児童書の読み聞かせをしたのが悪かったのでしょうか。

 子供たちより、公子さんの方がファンタジーにハマってしまったのです。

 まあ、もともとそういうたちだったのでしょう。しかも、子供が小さいという免罪符は水戸黄門の印籠のようなもので、ファンタジーごっこをしても傍からとやかく言われません。

 何とかレンジャーごっこや魔法使いごっこをしても、周りから奇異な目で見られないのです。

 むしろ、「良いお母さんね」と褒められたりするのです。

 公子さんは、ラッキーってな調子で、その特権を最大限に生かしたのです。

 子供は歯が生え始めるまでは妖精が見えるというお話を読んで、歯が生える前のわが子には妖精が見えるんじゃないかと本気で研究したり、洋服ダンスの中が異世界へつながっていないかワクワクしながら調べたりしました。

 そんなことをしているうちに、公子さんは、大人になっても妖精が見える人がいるんじゃないかと思うようになりました。

 だって、幽霊や精霊、妖精それに妖怪といった類が見える人が出て来る小説や漫画だってたくさんあるのです。火のない所に煙は立たない。きっと、本当に見える人がいるに違いありません。

 ただ、残念なことに、公子さんにはそういう能力ちからがなかっただけです。




 あの日が、来るまでは。




 

 あの日、あの時、公子さんは自分の目を疑いました。


 確かに、ネコは、あの路地を進むと別の世界へ行けると言っていました。

 ネコがしゃべるはずがありません。それが、常識というものです。

 でも、さっきのネコは、日本語をしゃべり、なおかつ公子さんと交渉までしてのけたのです。

 

 夢……なのでしょうか。

 

 試しに頬をつねってみましたが、しっかり痛いのです。

 

 ここは、さっきまで公子さんがいた、平成の大阪の街とは、まったく様子が違っています。

 町。確かに、家々が立ち並ぶ町です。

 ただ、どの家も二階建てまでで、中には平屋もちらほら見えます。

 違和感を感じたのは、ビルなんか影も形もなかったからだと気が付きました。公子さんが暮らしていた平成の大阪では、あちらこちらにいくつかビルが見えたものです。お店とか会社とかレストランとかアパートとかマンションといったものが、視界に入ったからです。

 そこは、商店街のようでした。看板があったりなかったりしますが、軒に突き出たテントに○○商店とか△△精肉店とか××鮮魚店とか書いてある店が通りの両側に並んでいます。どの店も間口は小さいですがたくさんの商品を並べています。

 一定の間隔で並んだ街灯には、『中央通り商店街』と書いた小さなプレートが付いています。アーケードはありませんが典型的な商店街です。

 ただ、どの店も、精一杯目立とうと工夫しているのでしょうが、いかにも野暮ったいのです。

 角の店の外壁にホウロウの看板が飾ってあったりして、まるで昭和です。

 昭和。

 第二次大戦に負けてがれきの中から立ち上がった日本人が、男は企業戦士として、女は戦う男の背中を支え、先進国の仲間入りをするまで経済力を高めた、あの高度成長期のようです。

 しかも、既視感があります。

 公子さんの実家のあるあの田舎町に似ていました。



 

 公子さんには、幽霊や精霊、妖精それに妖怪といった類のものを見る力はありません。

 ただ、もって生まれた想像力で、知らない裏道を通るとき、次の角を曲がると異世界や別の時代へ行くんじゃないだろうか、とドキドキするのです。

 実際、生まれながらにそういう力があるならともかく、そうじゃない人は、道を歩いてるとき、何かのはずみで異世界にスリップするぐらいしか、非常識な経験なんてできそうにありません。


 非常識な経験。


 犯罪に手を染めるとか、ふらっと失踪するとかすれば、平凡な日常から脱出することはできるでしょう。

 でも、公子さんの倫理観では、犯罪も失踪もあり得ないことでした。

 いくら平凡な毎日に退屈したとしても、非日常にあこがれたとしても、犯罪者や失踪者にならずにすんでいるという現実は、公子さんの限界でしたし、それはまた、公子さんが年相応の大人になった証拠でした。

 いくら中身は高校生のままだといっても、公子さんだって大人になっていたのです。


 人は非日常を求めて旅行に出かけ、知らない土地でいろんな経験をします。中には、旅の恥はかき捨てとばかり、思い切りはちゃけた行動をとる人もいます。

 でも、現実問題として、公子さんには、長期の旅行に出かけるほどのお金もありませんし、専業主婦の身ではそうそう家を空けることもできません。公子さんの家は、公子さんのおかげでで清潔に保たれ、美味しい食事(たまに失敗して、ひどい食事ものを作ってしまうこともありますが、それはご愛敬というものです。触れないことにしましょう)が提供されるのです。

 結局、公子さんは毎日の買い物程度のショートトリップ(万歩計によれば、せいぜい五千歩から一万歩程度)で満足するしかないのです。



 公子さんの目下の悩みは、近所のスーパーが閉店してしまったことです。おかげで、買い物するのに、前の三倍以上歩かなくてはならなくなりました。

 これは、公子さんにとって、重大な問題でした。以前なら七、八分でスーパーに着いたのに、今は二十五分もかかるのです。最初の頃は、足が痛くなったほどです。

 もっとも、自転車という文明の利器があるのです。歩くのが嫌なら、自転車で買い出しすれば良いのです。自転車だと十分程度で行けるはずで、これを徒歩ですまそうとすることに問題があるのかもしれません。

 ただ、公子さんは、熱中症が心配な夏ならともかく、秋から春にかけては歩いて買い物することにしています。運動不足も解消しますし、何よりダイエットにも良いからです。

公子さんに言わせれば、昔の人は買い物だって旅行だって徒歩だったのです。安易に車や自転車に頼る現代人の方がどうかしているのです。



公子さんは、多分、七十、八十になっても、高校生のような気分で生きて行くのです。そして、多分、死ぬとまで、オタ活を楽しむことでしょう。

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