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ブラックなネコ  作者: 椿 雅香
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武史さんと和也くん(2)

 公子さんは、武史さんが連れてきた男の子を見て、一目で平成から来た青年だと気付きました。

 リクルートスタイルだっただけじゃありません。

 髪をトサカのように逆立てていたからです。

 後に、「この時代で髪逆立てると、寝癖やと思われるだけや。やめた方が良ろし」と忠告して、和也くんに煙たがられることになるのですが、それはまた別の話です。

 その時、これが本当の老婆心だと武史さんに笑われたのですが、公子さんにしてみれば、知らない世界へ来て難渋している和也くんが少しでも適応しやすいよう気を遣っただけなのです。

 和也くんの身長は、百七十五センチぐらいでしょうか。武史さんほど高くありません。痩せてひょろりとした体形で、優し気な顔だちをしています。

 

 他の客もいなくて暇だったのを良いことに、二人の話に聞き耳を立てました。そして、かつて、子供たちが就活で苦労したことを思い出しました。

 和也くんも、きっと苦労しているのでしょう。そこを、あのブラックなネコにつけこまれたのです。


 何て意地悪なネコでしょう。


 公子さんは、改めて腹が立ちました。

 一刻も早くあのネコの兄弟のネコを探して、元の世界へ帰らなければ、と、思うのでした。

 

 でも、和也くんに生活力はあるのでしょうか。とりわけ、一人暮らししていける甲斐性はあるのでしょうか。

 右も左も分からない異世界もしくは別の時代へ飛び込んで来たのです。武史さんと一緒にフォローしてあげた方が良いかもしれません。いえ、フォローしてあげるのが、先輩としての務めです。


 ウチと武史さんで、あんたの住むとこも仕事も見つけてあげるさかい。大船に乗ったつもりでおり。


 そういう思いを込めて微笑みかけたのです。


 

 武史さんの提案を受け入れた和也くんは、三人で黒ネコ捜索大作戦を繰り広げることになりました。平たく言えば、三人で協力してネコを探すことにしたのです。そのためにも、この世界でのベースキャンプ――住み家と仕事――が必要です。

 住む場所は、武史さんと同じ高島アパートにしました。ちょうど、武史さんの隣の部屋が空いていたからです。

 仕事は、公子さんが探してくれました。

 小川工務店の事務です。前の事務員さんが定年退職して新しい人を募集していたのです。


 この仕事を見つけて来た公子さんによれば、

「和也くんて、堅苦しい数字扱う仕事に向いてる思うんや。

 けど、銀行や信用金庫、農協なんかは、コネがないと入れへん。田舎ってそういうもんや。次点って意味で、公務店の経理もやる事務ってどうや?」

だそうです。

 

 和也くんの就職が決まった日の晩、武史さんの部屋で和也くんの就職祝と歓迎会を兼ねた宴会が催されました。公子さんが高島アパートに入るのは、初めてです。

 公子さんが、肉じゃが、アジの南蛮漬け、それにサラダなんかを持って来たので、男二人は大喜びです。

 どっちかというと、和也くんより武史さんの方が喜びました。

「公子さん、南蛮漬け作ってくれたんだ。

 この前、井田屋食堂でおまけって出してくれたの、無茶苦茶美味しかったから、もう一遍食べたいって思ってたんだ」

「ホント、美味しいっすね。公子さんってマメなんすね。就職先まで世話してもらって、ホント感謝してます」

「良いの、良いの。小川公務店の社長さんから、良い人紹介してもらったって喜ばれたし。せいぜい頑張って仕事してや」

「はい。頑張ります」

「でも、外回りなんかで出歩くときは、ネコ探すの忘れないように。

 優先順位として、僕たちの一番はブラックなネコの捜索だ。小川工務店の社長には悪いけど、仕事はほどほどにしといた方が良いよ」

「はいはい。武史さん、そんなにネコネコって言わんといて。あんたは、〇〇〇〇やから、早よ帰りたいんかもしれんけど、せっかく来たんや。楽しまな損や」


「ええっ?武史さんって、〇〇〇〇なんすか?」


 和也くんは、絶句しました。〇〇〇〇なんて、和也くんがダメ元でエントリーシートを提出した会社で、そもそもエントリーシート自体通らなかった超がつく一流企業です。


「そうや。何が悲しうて、こんなとこ流れて来はったんやろって感じやろ?」

 公子さんがコロコロと笑います。


 和也くんは、武史さんをマジマジと見つめました。


 本当にそうだ。一流企業に就職してエリートしてたのに、何が悲しくてこんなところへ流れて来たのだろう。

 恋人が欲しかったから、と言ってたけど、本当だろうか。


 二人の視線に耐えきれなくなった武史さんが、反撃を試みました。

「公子さんだって、県庁へお勤めだったんでしょ?」


 それまで武史さんを見ていた和也くんが、今度は、公子さんの見やりました。ほとんど、がん見と言って良いほどで、失礼なほどです。


 でも、就職活動中の和也くんにとって、公務員は憧れの職業です。難しい筆記試験があるので諦めましたが、できればなりたい職業の一つです。


「公子さんって、公務員だったんすか?」

 思わず詰問してしまいました。

「辞めたんやけどね」

「どうして?もったいない」

「一身上の都合や」

「でも、試験、よく受かりましたね。難しかったでしょ」

「司法試験やってたし。教養ほどほど取れば何とかなったんや」

「すごっ、司法試験受けたんすか?」

「受かるのは難しいけど、受けるのは誰でもできるんや。願書出したら良いだけやし。

 ウチが就職活動したんは男女雇用機会均等法のなかった頃やから、四大出の女子は民間企業に就職できんかった時代や。あの頃は、企業の募集要項に男子に限るって書いてあったし。

 そやから、女の子は法曹か公務員目指すしかなかったんや。まあ、司法試験の勉強しとけば、公務員の採用試験ぐらいは受かるって聞いてたし」

 

 二人の会話に武史さんも参戦しました。公子さんが司法試験の勉強をしてたなんて、初耳だったのです。

「どうして司法試験やめて、公務員になったんですか?あれって、何回も受けるもんじゃないんですか?」

「一身上の都合や」

「何ですか、それ?」

「他に言いようがないんや」

 

 和也くんも尻馬に乗りました。

「俺も聞きたいっす。何があったんすか?」

「まあ、いろいろあったんやけどな」

 思わず身を乗り出す二人に、公子さんが意味深に片目をつぶりました。

「女には、いろいろ秘密があるもんや。それに……」

「「それに?」」

 

 期せずして武史さんと和也くんの声がシンクロしました。


「知らんと就職したんやけど、行政マンちゅうのは法曹より面白い仕事やったんや。

 法曹は事件が起きてから白黒をつけるのが仕事で、いうなら、後始末や。

 けど、行政マンは社会のニーズを把握して新しい制度を一から作る仕事や。いうなら、社会を変えることができる仕事やったんや。こっちの方が断然面白おもろいやない。

 ラッキーやったわ」

 

 目の前の公子さんは、華奢でどこにでもいるような少女です。でも、衣の下からパワフルなおばさんが見えるようです。

 こんなパワフルなおばさんが職場にいて、豪快に走り回っていたとしたら、周りのみなさんはどんなに迷惑したことでしょう。

 武史さんは、秘かに、自分の会社に公子さんのような女傑がいなかったことを感謝しました。


 和也くんは、男女雇用機会均等法なんか知りません。政経の時間に勉強したのかもしれませんが、興味もなかったのでスルーしたのです。

 公子さんの説明で、そういう時代があって女子が就職に苦労したことを初めて知りました。

 でも、そんな状況で就職に苦労したあげく、裁判官とか弁護士になったり、それがダメでも公務員におさまったなんて、お約束のハッピーエンドのようで、面白くありません。


 公子さんは、他に道がなかったから、公務員になったのです。きっと、もっと簡単に就職できる状況だったら、法曹や公務員なんか目指さなったでしょう。

 

 和也くんも就職に苦労しています。でも、このまま行けば、ハッピーエンドとは程遠い結末を迎えることでしょう。一体、どこが違うのでしょう。


 簡単なことです。

 公子さんは、女子の就職が難しいことを大学に入学した時から知っていて、就職を念頭に猛勉強したのです。

 目の前の公子さんは、どちらかと言えば平凡な少女です。この人の、どこにそんな行動力があったのでしょう。想像もつきません。

 就職するのに、公子さんのような行動力が必要なのでしょうか。しかも、大学に入学してすぐ行動を起こさなければならないのでしょうか。

 だとしたら、四回生になってジタバタしている和也くんは、手遅れも良いとこです。 


 真っ青になった和也くんの肩を公子さんがポンとたたきました。


「どっちにしても、人生ってなるようになるもんや。ジタバタするのも人生やし、流されるのも人生や。どっちでも好きな方を選んだら良いんや。

 選択する局面は、いくつもある。そうして、結局、縁があるところに落ち着くんや。

 ただ、決めるのは自分や。

 他人に言われて決めるんやない。自分で決めるんや。

 そやろ?そうして、自分で選んだ結果なら、諦めもつくし、納得もできる」


 決めるのは、自分です。

 要は、自分がどういう人生を送りたいかです。

 自分なりの人生を模索する中で、縁のあるところに落ち着くのです。


 和也くんは友だちがエントリーシートを出したからと、流されていくつもエントリーシートを提出しました。

 でも、本当にその会社に入りたかったのか、と自問すると分からなくなりました。有名な会社だから入りたかったのでしょうか。その会社でやりたかったことがあったのでしょうか。

 歩道橋の上で切羽詰っていたことを思い出しました。

 就職活動が思い通りにならなくて、他の友だちのように内定がもらえなくて、それで人生が終わったように感じて絶望しました。今となってみれば、やりたいことも分からないのに、内定なんかもらえるわけがないです。

 それに、内定をもらうだけが、人生じゃないのかもしれません。他の道があるかもしれないのです。


 今まで周りに流されて、この道しかないと思い込んでいました。でも、それは誤りだったのかもしれません。


「どうしたんだい?」

 和也くんの気配が変わったことに武史さんが気づきました。

「いやあ、こっちの世界へ来て思ったんすけど、俺の悩みって、半分以上思い込みだったのかなって……」

 

 公子さんが、柔らかい声で褒めました。

「あんた、それに気ぃ付いただけでも、こっちへ来た甲斐があるわ。良かったやない」

 武史さんも、保護者然と微笑みました。

「そこまで悟ったのなら、もう元の世界へ帰っても良いだろう。何が悲しくて、こんなところに長居する必要があるんだ?」

「でも、ネコ探さないと帰れないっす」


「それよね」

 公子さんがため息をついて、ぼやきました。

「何が悲しうて、〇〇〇〇のエリートがこんな所へ流れて来たんやろ。ネコが姿現さんの、あんたのせいゃう?」 

 これには、武史さんもカチンと来ました。

「そういう公子さんだって、愛しいご主人や子供さんがいるのに、何が悲しくてこんなところへ流れて来たんです?」


 和也くんは、今度こそ、立ち直れないほどショックを受けました。


 一目惚れした公子さんには、ご主人と子供がいるのです。

 略奪愛をするほどの根性はありません。和也くんの恋は、あっけなく終わることになりました。



公子さんに夫と子供がいることが分かって、和也くんは六十一歳のおばあちゃんに恋するという悲劇(喜劇?)を回避できました。めでたしめでたし。

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