武史さんと和也くん(1)
第8章 武史さんと和也くん
武史さんが、いつものように宮森書店で店番をしていると、リクルートスタイルの青年が本を見ているのに気が付きました。
それも、裏表紙をめくってすぐの発行日を確認しているのです。
武史さんは、ピンときました。
この青年は、今が何年なのか調べているのです。まるで、最初の頃の自分のようです。
武史さんは、目の端で和也くんを追いました。そうして、こっそり後をつけ、昼ご飯に誘ったのです。
ちょうど昼時でしたが、井田屋食堂には二人の他に客はいませんでした。武史さんは青年を最奥の席へ誘って焼肉定食を二人前注文します。
さて、これからが本番です。
この青年は、武史さんがこちらへ来て出会った二人目の元の世界の住人です。
どうやって、話を始めたらいいでしょう。しばらく考えましたが、ここは、相手の意向に頓着せず洗いざらいぶちまける公子さん方式が良いだろうと、決めました。
武史さんは、ここ数か月の付き合いで公子さんから絶大な影響を受けていたのです。ま、本人は気付いていないのですが……。
そして、公子さんがやったのと同じように、目の前の青年の動揺も混乱も全く無視して、サラリと告げたのです。
「僕は富岡武史。今は、二十歳だけど20××年、平成××年五月では三十八歳だった。で、こっちへ来たときは十八になってた。その後、こっちで誕生日が二回来たから、向こうでは四十歳だけど、こっちでは二十歳ってことになってる。
君は?」
目の前の本屋の店員が、突然、非常識な告白をしたのです。しかも、すこぶる爽やかに。
和也くんは、腰を抜かさんばかりです。
見てくれは、自分と同じぐらいの青年が、元の世界では三十八歳だったと言うのです。あり得ない話です。しかも、こっちで誕生日が二回来ているということは、向こうにいれば四十になってることになります。
一瞬固まってしまった和也くんですが、何とか踏みとどまって言葉を探しました。
よく考えると、和也くんだって、本当は二十三歳なのに、十八歳になっているのです。ここでは、三十八歳の人が十八歳になっても不思議でも何でもないのです。
面白いもので、人間というのは、驚くと何の細工もできないものです。で、その結果、バカ正直に答えてしまいました。
「俺は、筒井和也といいます。あなたのいた年の翌年の九月からこっちへ来たんです。あっちでは、二十三でした」
敬語になってしまったのは、相手が四十歳だと知ったからです。
本当かどうかは分かりません。でも、本人がそう言う以上、年上として遇するのが無難です。 まあ、そういうことで、とりあえず敬語を使うことにしたのです。
まあ、一種の条件反射のようなものかもしれません。何しろ、和也さんは、就活の真っ最中で、言葉遣いに気を遣うのが習い性になっていたのです。
「今は……大学の四回生かい?」
対する武史さんは、憎らしいほど自然体です。多分、自分の方が年上だと確信しているのでしょう。
浪人してダブってることなんか気付いているのでしょうが、全くと言って良いほどスルーして話を続けます。
「ああ、就活の真っ最中ですよ。そんなとき、あのネコに会ったんです」
「額に白い星の模様がある黒いネコ、だね」
「そうです。あの忌々しいネコに騙されたんです。
こっちの方が就職しやすいっていうから来たのに、ここにはハローワークもないんですよ。
さっき、町中を探したけど、ハローワークの『ハ』の字もない。全く、詐欺にあったようなものですよ」
この時代なら、ハロワじゃなく職業安定所を探せ。という突っ込みが喉まで出かかりましたが、武史さんは全力で止めました。ここで、話の腰を折るのは得策じゃありません。
武史さんが何も言わないのを良いことに、和也くんの繰り言は続きます。
「ネット使おうにも昭和四十七年じゃマイナビやリクナビなんかないしでょ。どっちにしても、ここじゃスマホも使えないから、どうしようもないんですけどね。
社員募集ったって、せいぜいチンケな店の店員か、いつ潰れるか分かんないような工場の従業員ぐらいしかないんです。
こんなんだったら、向こうで就活頑張った方がマシでしたよ」
やっと、発言権が回って来ましたので、ごく自然に尋ねました。
「でも、就職だけ考えたのなら、どうして、君は若返ったんだい?二十三歳のままでも良かったのに、今の君は、どう見ても十七、八だ」
「内定をもらった友だちが、TOEICの点数が良かったり、留学したりしてたから、そういうことする時間が欲しいと思って……」
「TOEICねえ。まあ、頑張ってみなさい」
「他人事だと思って。で、四十歳の富岡さんは、どうして俺と同じ年頃になってるんですか?」
「武史で良いよ。見てくれは、二十歳なんだから」
「じゃあ、四十歳の武史さんは、どうして二十歳になってるんですか?」
「いちいち四十歳に突っかからなくても良いだろ」
武史さんは、笑いながら、それでも正直に話しました。この青年相手に、見栄を張っても仕方がありません。
「実は、友だちがみんな結婚したんだ。中には子供ができた連中もいる」
「それで?」
「高校卒業した頃からやり直せば、彼女ができるんじゃないかと思ったんだ」
「なんすか?それ?」
たった、それだけのことで、こんなところへ来たのです。和也くんには信じられないことでした。
「まあ、なんだな、そういうことだ」
和也くんの驚きようを見て、武史さんは急に恥ずかしくなりました。穴があったら入りたい気分です。
「で、こっちで彼女、できたんすか?」
あまりのバカバカしさに、年上として敬う気も失せたのでしょうか。敬語のレベルが下がります。
「問題があって」
「どんな問題があるんすか?」
「ここが、単なる過去か、異世界若しくはパラレルワールドか分からないんだ」
「ええ?それって、問題になるようなことなんすか?っていうか、どう違うんす?」
「異世界やパラレワールドなら、何をしても、元の世界は影響受けない」
「過去だったら?」
「元の世界に影響を与えるようなことはしてはならない」
「何で?」
「例えば、間違って事故を起こすとするだろ?」
和也くんは、武史さんの説明にコクコク頷きます。
「で、誰かが大怪我したり、死んだりするとする」
「それがどうしたって言うんすか?よくある話じゃないっすか」
「事故のせいで過去が変わる。最悪、亡くなった人から生まれるはずの人が生まれなくなって、元の世界で生きていた人が、生まれないことになる」
「それって?」
「それが、自分かもしれないってことになるんだ」
「マジっすか?」
もはや完全に敬語がおかしくなってしまいましたが、二人とも気が付きません。
「ああ、だから、ここが単なる過去なら、歴史を変えてはいけないんだ。だから、ここでできた恋人を元の世界へ連れて帰ることはできない」
「それで、彼女ができない、と」
「ああ、でも、公子さんに笑われた」
「公子さんって?」
次から次へと話が飛ぶので、和也くんは付いて行けません。
「そこにいる彼女だ。
彼女も君と同じ年から来たんだ。確か、二月だったと思う。しかも、僕たちと同じく、年齢設定を変えてね」
「え?彼女って、向こうで、いくつだったんすか?
どう見ても俺たちと同年齢じゃないっすか」
やっぱり、気になるのはそこか。
武史さんには、和也くんに公子さんの年を教える気はありません。
もっとも、武史さん自身、公子さんのことを四十九歳(四十八歳でこっちへ来て、九月に誕生日が来たので四十九になってるはずです)だと思っているのです。
知らぬが仏とは、このことです。
「女性の年齢をばらす気はないから、本人に訊いてくれ。
で、彼女が言うに、恋人を連れて帰ることはできなくても、ここで女の子との付き合い方を学習して経験値を上げれば良い、つまり、恋をすれば良いって、言ってくれたんだ」
「なるほど、一理あるっすね」
「もっとも、彼女は関西出身だから関西弁で言ったんだけどね」
そういうと、武史さんは肩を竦めました。
和也くんは、配膳カウンターの前にいる女性に目を向けました。中肉中背で十八、九の美人じゃないけど感じの良い人です。
さりげなく二人を見ていたようで、目が合うと、慈愛に満ちた眼差しで微笑んでくれました。
その笑顔で和也くんの胸がキュンと鳴りました。和也くんは、一目で公子さんのことが気に入ったのです。
なんて素敵な笑顔だろう。知らなかった。世のなかに、こんな女性がいたんだ。
これって、恋だよな?うん、確かに恋だ。恋に決まってる。
こんなとんでもないところへ来てしまったんだ。恋ぐらいしなきゃ、やってられないさ。
一目惚れでしょうか。心ここにあらずの和也くんの耳に武史さんの声が意味をなさない音として流れて来ます。
「ということで、今、僕たちがしているのは、あのネコと同じ姿をしたネコを探すこと、と、ネコが見つかるまで、向こうではできない経験をすることなんだ」
上の空で頷く和也くんを見て、武史さんは嫌な予感がしました。
和也くんは、本人の申告によれば二十三歳です。公子さんが四十九歳(本当は六十一歳ですが、武史さんは四十九歳だと信じているのです。事実を知ったら、ますます武史さんの苦悩が深まることでしょう)だから、親子ほど年が離れています。恋愛の対象になり得ないはず、なのです。
でも、見てくれだけ言えば、公子さんは美人でこそないものの愛嬌ある顔立ちで、何より非日常をエンジョイしていますので、若さと好奇心(ここがポイントです!)に輝いているのです。性格だって、姉御肌で面倒見が良く、武史さんだって頼りたくなるような存在感があります。実際、実年齢が上ということもあって、いろいろお世話になっているのです。
和也くんが公子さんと恋に落ちたら、向こうへ帰って悲劇が起きることでしょう。
神よ。この気の毒な若者を救い給え。
思わず、天に祈りました。
「いらっしゃい」
そんな武史さんの耳に、公子さんの声が素通りして行きました。
何も知らない和也くんは、公子さんに恋をするのでしょうか。




