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ブラックなネコ  作者: 椿 雅香
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武史さんと公子さん(4)

 最初、武史さんは、公子さんを恋人にしようと目論みました。元の世界へ連れて帰れる人だからです。 

 でも、その夢はあっけなく破れました。

 

 始めてのデートのときのことです。

 この日のデートは、武史さんが誘いました。三月ですから、まだ肌寒かったのですが、極楽寺の梅を見に行こうと誘ったのです。

 極楽寺の梅林は近隣では有名です。広い境内にたくさんの梅が植えられていて、できた梅で梅干しを作るのです。

 梅の香が広がる梅林には他の客もいました。

 公子さんは会う人会う人に挨拶しています。公子さんがこっちへ来たのは二月の始めです。まだ一か月しか経っていないのに、こんなに知り合いがいるのです。

 武史さんは感心しました。武史さんは、かれこれ十か月も経つのに、宮森書店のお得意さんぐらいしか知り合いがいません。

 素直に、大したものだと思ったのです。


 帰り道、周りに人がいないことを確認して、二人は、本来の目的である情報交換をしました。

「この前ちょっと言ったけど、僕は20××年で三十八歳。〇〇〇〇に勤めてる」

「すごい、〇〇〇〇って、テレビでよくCMやってる大手やない」

「大したことないよ。学生時代、一生懸命勉強してたら、就職できただけだ」

「そやろか?でも、学生時代、一生懸命勉強したってのが、すごいやない」

「公子さんは、学生だったの?」

 

 公子さんは、意味深な笑いを浮かべました。

「いやあ、あのネコの真似して、訊かれんかったらウヤムヤにしとこ思とったんやけど、ダメやろか……」

「ウヤムヤって、君ねえ」

 

 武史さんの抗議ももっともです。公子さんは観念して白状しました。

「職業は専業主婦や。大学出て、県庁に就職して、結婚して、退職して、子育てして、毎日、平凡に暮らしとったんやけど……魔が差したんや」

「魔が差すって?」

 

 武史さんは、公子さんが専業主婦だと聞いて驚きました。目の前の公子さんは、どうみても社会へ出たことのない世間知らずの娘です。

 でも、考えてみれば、武史さんも、本当は三十九歳なのに、ここでは十九歳になっているのです。あり得る話でした。

 でも、目の前の華奢な女の子が子育てしている専業主婦だなんて、一体誰が信じるでしょう。

 それより、そんな絵に描いたように幸せな人が、どうしてあんな胡散臭いネコの誘惑に引っかかったのでしょう。それが理解できません。


「平凡な生活が、一番幸せで充実しとる。それは、分かっとるんやけど……。 

 でも、子供も手ぇ離れたし、時間に余裕ができたせいやろか?

 時々、魔が差して、どっか遠くへ行きたいって思てしもたんや……」

 

 子供も手を離れたって、子育てが一段落したってことか?

 もしかして、この人、思ったより年食ってるかもしれない。


 そう気が付いて、ため口を止めて敬語に変えます。

「どっか遠くへ行きたいって、誰でも思うもんじゃないんですか?」

「そうや。誰でも思うもんや。ただ、ウチが変わっとったんは、その遠くが、現実世界やのうて別の世界へ行くことやったんや。しかも、このツワーにかかる時間が限りなくゼロに近いって言われて。

 それって、素敵やと思わへん?」

「そんなことが、そんなに素敵ですか?」

「時間がかかったら、家族が迷惑するやない。

 それに、帰ったら浦島太郎になっとったってオチやったら、洒落にならん」

「確かに」

「マクベスでは、魔女は一見マクベスに都合の良い提案をするけど、結局は、魔女が言わんかった方法でバーナムの森が動いて破滅したやろ?

 あんな胡散臭いネコが言うことなんか、話半分で聞かなならん」


 変わった人だ。 

 

 武史さんは、認識を改めました。


 この人は、あのしたたかなネコと対等に交渉したのです。

 それってもしかして、ある意味すごいことかもしれません。


 しかも、あのネコと渡り合っただけじゃありません。そもそもあの胡散臭いネコの誘いに乗る、普通じゃない嗜好というか、感性を持っているのです。


 大学出て、就職して、結婚して、退職して、子育てして、ということは、大学、職場、家庭でこの人と付き合う人たちがいたわけです。

 こんな人が側にいたら、周りの人達は大変だったでしょう。

 公子さんが既婚者だったことに少なからず落胆した武史さんですが、失望を隠して知りたくてたまらないことを尋ねました。


「ところで、おいくつなんですか?」

「あんた、20××年で三十八て言うとったな」

「はい」

「ってことはその次の年で三十九ってことやな。ウチ、あんたが消えた翌年の二月から来たんや。

 ところで、干支は何?」

「辰ですが……」


 これって、年齢を言いたくない女の人がよく使う手だよな?干支で苦労してるとどさくさでもって胡麻化すんだ。そんなに年の話はしたくなんだろうか?

 

 目の前の少女が急に胡散臭く見えてきました。


「ウチは、申や」

「申……ですか。20××年は未だったから、公子さんが消えたと年は申。年女だったわけですか?」

「そや。いやあ、頭の良い人は、説明が簡単で良いわ」

「ってことは、あの年、誕生日が来たら三十六になってたってことですか?」

「いやあ、悪い。あんたより年上なんや」

「年上の申って、もしかして、四十八ですか?」

 

 僕より十歳も年上なんだって?信じられない。

 

 信じられなくても、公子さんはそこに存在するのです。信じるしかありません。

 唖然とする武史さんに対し、公子さんは平然としたものです。


「想像に任せるわ」

 と、ちゃっかりごまかしました。

 まあ、積極的にサバを読んだわけではありませんが、せっかくネコのおかげで十八歳になっているのに、わざわざ還暦ですと白状したくなかったからです。

 こんなところまで来て、赤いチャンチャンコなんかで年寄り扱いされるのはゴメンです。

 ただ、いつまでも年の話をするは危険ですので、話題を変えました。


「でも、あんた、そんな良い会社に勤めてるのに、なんでまた酔狂な、ネコの陰謀に引っかかったん?」

 

 公子さんはストレートです。真正面から傷をえぐるというか、訊かれたくないことを訊いてきます。

 真面目な武史さんは、正直に答えざるを得ませんでした。


「……実は……すごく言いにくいんですけど……」

「ふんふん」


 公子さんのことを四十八歳のおばさんだと思い込んだ武史さんは、これ以後彼女に頭が上がらなくなるのですが、公子さんの方は武史さんの変化なんか気にもとめません。興味深そうに身を乗り出して耳を傾けます。


 思わず、武史さんは、顔を覆いました。


「言わなきゃダメですか?

 無茶苦茶恥ずかしいんですけど……」


 できれば、白状しないで済ませたいと思う武史さんですが、いくらエリートでも大阪のおばちゃんの強引さにかなうはずもありません。


 諦めてというか、開き直って告白しました。


「四十を前にして、友だちがみんな結婚して家庭を持ったのを見たら、僕も結婚したくなったんです」


 公子さんは、首を傾げました。

「結婚とネコに騙されるのと、どういう関係があるん?」


「ですから、最後まで聞いてください」

「悪い。続けて」

「で、いざ結婚しようと思ったら、恋人どころか女友だちもいなかったんです」

「気の毒に。って、あんた、その顔と〇〇〇〇のエリートって経歴で、何で恋人がおらんの?」

「学生時代は勉強に夢中で、会社に入ってからは仕事に夢中で、忙しかったんです。で、気が付いたら、このざまです」

「女の子が放っておかんかったやろ」

「忙しいから意図的にスルーしたのもありましたし……。下心が見え見えな場合が多くて、付き合う気にもなりませんでした」

「なるほどね。で、どうして、ネコに騙されたん?」

「ネコは、若返ることができるって、そして、若くなれば、恋人をつかまえるに時間が十分できるって、言ったんです」


「なるほどね。上手い手や。あのネコ、詐欺の才能あるみたいや。

 まあ、あんたが言うとおり、ブラックなネコやわ。

 で、帰り方とか聞いたん?」

「あのネコと同じ姿のネコを探して、帰りたいと頼めば良いとのことでした。

 それで、若返って恋人を見つけて、元の世界へ連れて帰ってくれば良いかなって、僕も、そう、魔が差したんでしょうね」

 

 公子さんが、意地悪く問い質します。

「で、去年の春からこっちにいるって話やけど、恋人、できたん?」


 武史さんは、頭を抱えて降参しました。

「勘弁してください。できるわけないでしょ。

 良く考えたら、こっちでできた恋人をあっちの世界に連れて帰れるわけにいかないんです」

「何で?」

「だって、ここって、過去か異世界か分からないんですよ。万一過去だったら、過去の人間を未来へ連れてくことになって、歴史を変えてしまうじゃないですか。そんな無責任なことできるわけないじゃないですか」

「それがどうしたって言うん?」

「それがどうしたって、公子さん。あなたのようなおばさんには分からないかもしれませんが、過去を変えちゃいけないんです。SFの基本じゃないですか」

 

 

 武史さんは、初歩的な知識もないおばさんにどうやって説明しようかと、頭を悩ませます。無知はある意味最強なのです。

 

 そんなことより、そもそも目の前のどう見ても十八歳の少女が五十近いおばさんだというのが許せません。

 理不尽の一言に尽きます。頭で分かっていても感情が付いて行かないのです。


 ただ、どんなに納得できなくても、三十九の自分が見てくれ十九という現実があるのですから、無理やり納得するしかないのです。


 そんなこんなで、ますますあのネコが嫌いになったのですが、それはまた別の話です。



公子さんは、年齢を誤魔化します。消極的な方法でサバを読んだわけです。女は、いくつになっても若い方が嬉しいのです。

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