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ブラックなネコ  作者: 椿 雅香
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武史さんと公子さん(3)

 そんなとき、井田屋食堂に新しい店員が来たのです。

 

 ときおり雪が舞う二月のことでした。


 元の世界でバレンタインデーのチョコレートをたくさんもらったことを思い出し、こっちでは義理チョコすらもらえないだろうと暗い気分になっていたとき、その人は現れたのです。

 

 その人は、娘さんがお嫁に行って少し寂しくなった井田屋食堂へ、入れ替わりのように現れました。

 

 新しい店員は中肉中背の女の子で、いろんなことに興味を示すキラキラした瞳の持ち主でした。年齢は十八ぐらいで、特段の美人というわけじゃありませんが、なぜか気になる人でした。

 性格が好ましかったせいかもしれません。お客に媚びを売ることもなく、物おじしないで言いたいことをはっきり言う人です。後に、人並み以上に押しの強い性格だと知りましたが、言いたいことも言えないより良いことだと思いました。

 武史さんは、ここでは十九歳ということになっています。ですから、年が近いということで、すぐに仲良くなりました。まあ、一つぐらい良いことがないと、やってられません。

 

 そのまま普通に付き合えば、恋に落ちたかもしれません。でも、彼女を元の世界へ連れていくことができるかどうか分からないと思うと、踏み切れません。

 先行きがどうなるか分からないのに、恋するわけにはいかないと考えるのが、武史さんの武史さんたるところです。

 確かに、女の子を元の世界に連れて帰れるかどうかは、賭けのようなものです。武史さんは、そんな危険な恋はしたくなかったのです。

 

 でも、後に、恋をしてはいけない相手だと分かっていても恋をしてしまうのが、恋というものなのだと、公子さん本人に笑われました。

 何しろ、武史さんは、今まで恋らしい恋をしたことがなかったのです。だから、公子さんが話してくれる恋愛談義は、どんな授業よりためになりました。


 公子さんは、かつて少女マンガや恋愛小説を読みまくったおかげで、岡目八目で他人の恋愛については、アドバイスできるそうです。


 せっかく本屋の店員をしてるのだから、店番の合間に少女マンガやハーレクインでも読んだら良いのに、と無茶苦茶なことも言われました。


 ただ、そんな公子さんも、自分の恋愛については盲目になるもんや、と笑うのでした。


 そんな公子さんがまぶしくて、武史さんは、元の世界に帰ったら、公子さんみたいな人に会えたら良いのに、と思いました。恋人にはなれないものの、恋愛指南と言う意味で、公子さんに会えたことがこっちの世界へ来たことの最大の収穫だ、と思ったからです。



 三月に入ったある日、武史さんは、井田屋食堂からの帰り道、真っ黒なネコを見かけました。もしかして、ブラックなネコかもしれません。

 

 十か月目にしてようやく出会ったのです。慎重に尾行して、人気のないところで額を確認すべく一気に前に回り込んで確認し、結果、ガッカリしました。but in vainです。


 額に星の模様がなかったのです。


 尾行中の緊張感が半端じゃなかっただけに、失望感も半端じゃありませんでした。

 だから、未練たらしく、他の世界に兄弟のネコがいないかとか、自分を元の世界へ戻すことができないかとか、尋ねたのです。


 このとき、公子さんに見られていたことを、後で知りました。



ちごとったら、ごめんやで。

 もしかして、富岡さんって、ネコ探しとるんちゃう?」

 

 いつものように、井田屋食堂で夕ご飯を食べていると、突然、公子さんが小声で尋ねてきました。

 かつ丼のカツが喉に詰まって、力いっぱいむせました。

 

 どうして、それを?

 

 目で問うと、味噌汁を差し出しながら、公子さんがあっけらかんと答えました。


「実はね。二週間ほど前、富岡さんがネコの後つけるのを見てたん」


 見られてた。

 そう言えば、ネコを見つけたとき、この人が側にいたっけ。


 武史さんは、ガマの油のガマです。冷や汗がタラリタラリと流れます。どうやって言いつくろえば良いでしょう。下手すると、変質者です。


「でね、しばらく知らんぷりして、そっとしといたげよって思たんやけど、あんまり煮詰まってるみたいやし、協力した方が良いかなって」


 一体、何が言いたいんだ?


 不自然にならない言い訳を必死で考える武史さんにおかまいなく、公子さんは片目をつぶって小声で言いました。


「実はね、ウチも額に白い星の模様がある黒いネコにこの世界へ運ばれた口なん」



 武史さんは、絶句しました。

 

 信じられないことでした。

 確かに、この世界へ紛れ込んだのは、自分一人じゃないかもしれないと思ってました。

 でも、毎日通う井田屋食堂の看板娘(公子さんは、登場して三日と経たずに看板娘になっていたのです)が同じ境遇だったなんて……、考えたこともありませんでした。


「ウチは、『異世界で非日常を体験できるけど、どう?』って言われて、面白そうやなて思て、こっち来たん。いうたら、変わった体験できるツアーみたいなもんや。

 でも、富岡さんは、ちゃうみたいやな。なんか、こう、元の世界へはよ帰らなならん、みたいな悲壮感があるんや。

 せっかく普通じゃ経験できんことができるんや。ゆっくり楽しんだら良いのに」


「キミちゃんは若いから、気楽なんだ。

 僕は、こっち来たとき三十八歳だったけど誕生日が来たから一つ年をとって、本当は三十九なんだ。だから、こっちで十九歳になってるけど、向こうじゃ社会人だ。

 早く帰って仕事をしなけりゃならないんだ。

 もう、かれこれ十か月以上こっちにいるんだ。クビになってるかもしれない」

 

 思わず、声が大きくなりかけると、公子さんが唇に指を立てて制します。


「シーっ。声、もちょっと小さくね」


 確かに、こんな話を他の人に聞かれたら、変人だと思われてしまいます。


「分かった。気を付けるよ」


 素直に謝る武史さんに、公子さんが小声で尋ねました。


「ネコに聞かんかった?」

「何を?」

「帰る時の時間を指定できるって。だから、こっちへ来た日のこっちへ来たあの時間に帰るよう、こっちのネコに頼めば良いんや。誤差は五分以内やて」


「聞いてない!何でキミちゃんにだけ、そんなことまで教えてくれたんだ?」


 また声が大きくなりそうになって、武史さんは慌てて手で口を押えました。

 

 今までの苦労はなんだったのでしょう。焦って、早く帰ろうと必死でジタバタしてきましたが、全くの徒労だったわけです。

 へなへなと力が抜けて、椅子から落ちそうになりました。


「そりゃあ、ネコは嘘はつかんけど、真実も言わん。こっちが、訊かんことは教えてくれんのや」

「僕がバカだったってことか?」

「バカやない。バカやないけど……富岡さん、素直すぎるんや」



 武史さんは、頭を抱えました。


 でも、動揺が収まると、この世界で得難い友人を得たことに気が付きました。何しろ、これまで異常な体験を共有する人間なんていなかったのです。


 この人こそ、こっちへ来てから、長い間望んでいた心の友です。


「キミちゃん」

「何?」

「友だちになってくれないか?」

「良いわ。お友だちになろか」


「お友だちになりましょう」というのは、女が男を振るとき使うセリフです。まさか、男の自分が使うことになるなんて、思ってもみませんでした。


 どう考えても、普通じゃありません。

 でも、ここにいること自体異常なのです。

 

 この世界での生活は、いつまで続くのでしょう。

 もう、やけくそです。


 どちらかというと人見知りする武史さんですが、この日は、長い間求めていた友人をゲットして浮かれたせいでしょうか。自分から、言い出しました。


「できたら、下の名前で呼んでくれないか?」

「良いよ。何て言うん?」

「武史」

「じゃあ、武史さんで良いんやね。ウチは、公子。佐藤公子や」

「じゃあ、公子さん、だね?」

 

 井田屋食堂に出入りする客、みんなが使う『キミちゃん』じゃなく『公子さん』と呼ぶのは、二人だけの約束のようで、親しさが増したように感じました。


 こうして、二人のお付き合いが始まりました。

   

 



真面目でストイックな武史さんは、大阪のおばちゃんと知り合って、救われる予定です。

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