吉野玲奈ちゃんの場合(2)
町のことはさておいて、ネコの話が真実なら、ここでは玲奈ちゃんは十八歳になっているはずです。
掌を見ると、気のせいか、大きくなっているようです。そんなことより、歩くと胸元がブルブルして、安定感に欠けるのはどうしてでしょう。
触ってみて気が付きました。
玲奈ちゃんの胸が、お母さんや近所お姉さんみたいに、大きくなっていたのです。
十八歳になるって、こういうことだったのです。
ブラジャーが要るわ。
デパートの下着売り場へ行くと、色とりどりの可愛いブラジャーが並んでいます。玲奈ちゃんは、あのレースやフリルがいっぱい付いた可愛いブラジャーに憧れていました。
ここでは、あれを身につけることができるのです。
でも、あれって、どこで買えばいいのでしょう。こんな野暮ったい町にブラジャーなんか売っているのでしょうか。
とりあえず、商店街の端から端まで歩いてみることにしました。
商店街では、圧倒的に食料品を扱う店が多いものです。ところどころに、薬局とか食器を扱う店とかありますが、この中から衣料品を扱う店を探さなければなりません。
ようやく食堂の二軒隣にマスヤという衣料品店を見つけました。大喜びで入ろうとして、足が止まりました。よく考えたら、お金を持っていなかったのです。
ブラジャーって、いくらぐらいするんだろ?
今着ている服はTシャツとジャンバースカートです。体が大きくなったのに、そのまま着れてます。それなのに、ブラジャーだけがないのです。
ネコも、玲奈ちゃんの体を大きくするとき、ついでにブラジャーの心配までしてくれれば良かったのに、そこまでしなかったのは手落ちです。今度会ったら、文句を言ってやらなければなりません。
問題は、玲奈ちゃんがお母さんと喧嘩して出て来たきりでしたので、お部屋にあった豚の貯金箱を持って来なかったということです。
あれには数千円たまっていたはずです。
でも、今は、はっきり言って、ポケットに入っている小銭入れだけです。百五十円ほどしか入っていません。チョコレートやガムを買うぐらいはできるでしょう。でも、いくらなんでも、ブラジャーを買うことなんかできない相談です。
困ったなぁ。
マスヤ衣料品店の前で、頭を抱えていると、食堂の出前持ちが通りました。大きくなった玲奈ちゃんとの同じぐらいの年頃の女の人です。
出前持ちの女の人は、玲奈ちゃんをチラリと見るとそのままどこかへ行ってしまいました。
あの人も、ブラジャーをしていました。きっと、この店で買ったのでしょう。
玲奈ちゃんは、どうやってブラジャーを買おうか考えました。お母さんがいたら、お金を出してくれたはずです。でも、ここには、お母さんはいません。
玲奈ちゃんが望んだとおり、大人になっているのです。大人は、自分のものは自分で買うものです。
玲奈ちゃんは、お母さんの口癖を思い出しました。
「玲奈。自分のことは自分でしなさい」
それが、お母さんの口癖でした。
ブラジャーが欲しかったら、自分で何とかするしかないのです。でも、どうやって手に入れれば良いのでしょう。玲奈ちゃんは、お金がないのに欲しいものを手に入れる方法なんて知りません。
お母さんがいれば、買ってくれたのに。お父さんがいれば、お小遣いをくれたのに。
どちらも、この世界にはいません。
玲奈ちゃんが大きくなっていて、お母さんやお父さんから、やいのやいの言われない世界なのです。
玲奈ちゃんは、生まれて初めて知りました。
やいのやいの言うお母さんたちがいないと、玲奈ちゃん一人じゃ、何も買えないことに。
気が付くと、涙が流れていました。
ここでは一人ぼっちだということに、気が付いたのです。
お金だけじゃありません。
お家もありません。お洋服だって、今着ているのしかないのです。
よく考えたら、ご飯もおやつもありません。
元の世界にいれば、あって当たり前のものが、ここにはないのです。
一人ぼっちの玲奈ちゃんは、ブラジャーだけじゃなく、お家もご飯もお洋服も何から何まで一人で手に入れなければならなくなったのです。
パッと見十八歳の玲奈ちゃんですが、中身は小学二年生です。二年生の玲奈ちゃんに何ができるというのでしょう。せいぜい、学校へ行って勉強したり遊んだりすることしかできないのです。
どうしようもなくお家へ帰りたくなりました。
ネコは、「俺と同じ姿をしたネコを探して帰りたいって言えば良いんだ。そうすりゃ、そいつが、お前をこっちへ送り返してくれることになってる」と言っていました。
あのネコと同じ姿のネコを探さなければなりません。
それも、お腹がすく前に。
それも、夜になる前に。
今や、玲奈ちゃんが欲しいものは、ブラジャーではなく、額に白い星の模様がある黒いネコになりました。
早く探さないとお腹がすきます。早く探さないと夜になります。お家もないのに夜になったら、どこで寝れば良いんでしょう。ホームレスになってしまいます。
玲奈ちゃんは、公園なんかにいるホームレスの人を怖いと思っていました。あんなところに寝ないで、ちゃんとしたお家で寝れば良いのに、と思っていました。
ホームレスさんは、好き好んでホームレスをしていたんじゃなかったのです。何らかの事情でお家がなくて、仕方なくホームレスをしていたのです。
早くネコを探さないと。
心がはやるのに、ネコはいません。
ようやく見つけたネコは、三毛猫だったり、黒くても足の先やシッポの先だけ白かったりして、あの自称特別なネコのそっくりさんじゃありませんでした。
泣きながらネコを探しました。
歩くたびに揺れる胸が邪魔でしたが、贅沢言ってる場合じゃありません。
何回商店街を往復したことでしょう。
でも、ネコはいません。
郊外の田んぼや畑の方まで足を延ばしましたが、あのネコと同じ姿のネコに会えませんでした。
疲れ果ててしゃがみ込むと、お腹が鳴りました。
そりゃそうです。商店街の端から端まで何回も往復しただけじゃありません。小さい町ですが、隅から隅まで歩き回ったのです。しかも、郊外の田んぼや畑の方まで行ってきたのです。
後は、商店街の向こうにある駅から電車(後に、電車じゃなくて汽車だと知るのですが、このときの玲奈ちゃんは軌道を走る列車は全部電車だと思っていました)に乗って、別の町を探すしかありません。でも、電車に乗るには切符を買わなくちゃなりません。お金がないのですから、電車に乗ることはできません。
今夜は、野宿になるでしょう。
ポケモンのアニメでは、登場人物が楽しそうにキャンプをしています。でも、彼らは、シュラフも持っていれば、テントも持っています。お金もお家もないから、やむなく野宿する玲奈ちゃんとは全然違います。
しかも、商店街を何度か往復して気が付いたのですが、ここは、昭和四十七年の十一月のようなのです。
玲奈ちゃんのお父さんとお母さんは、昭和五十二年生まれですので、二人ともまだ生まれていないことになります。
玲奈ちゃんは、本当に一人ぼっちなのです。
書いていて、玲奈ちゃんがかわいそうになりました。なまじ胸が大きいとブラジャーが要るのです。




