第二話 旅人の居場所
彼は少しだけ遠慮するような素振りを見せた後、馬から降りた。
長旅だったのだろう。
地面に足を着いた瞬間、ほんの僅かに身体が揺れる。
それを誤魔化すように馬の首を軽く撫でた。
「お疲れさんだな。」
ガルドが言う。
若者ではなく馬に向けて。
栗毛の馬は小さく鼻を鳴らした。
「うちの裏に繋いでいいよ。井戸もあるし。」
「……ありがとうございます。」
彼は少し戸惑ったような顔をした。
礼を言われるほどのことでもない。
旅人が来れば場所を貸す。
この村では当たり前のことだった。
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雑貨屋の中はそれほど広くない。
棚には干し肉や保存食。
旅人向けのロープや火打石。
針や糸。
鍋の蓋。
薬草や傷薬。
用途の分からない細々とした品まで並んでいる。
彼はゆっくりと店内を見回した。
「何でもあるんですね。」
「そう見えるだけだよ。」
ガルドは棚の商品を整えながら笑った。
「無い物も結構ある。」
「例えば?」
「王都の流行り物とか。」
「なるほど。」
「あと洒落た服とか。」
彼は思わず吹き出した。
「雑貨屋ですからね。」
「そうなんだよ。」
ガルドも笑う。
ほんの少しだけ。
彼の表情が柔らかくなった。
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店扉が小さく開き、入口からリナが顔を出した。
「お客さんですか?」
「お客さんじゃなかったら何なんだ?」
「聞いただけです!」
「そうか。」
「そうです。」
リナは彼に向き直る。
営業用の笑顔だった。
「宿でしたら向かいですので、よかったらご利用ください。」
「ああ、ありがとう。」
「部屋も綺麗だし、飯も美味いよ。」
ガルドが口を挟む。
リナが一瞬だけ目を丸くした。
「宣伝ありがとうございます。」
「あとでパン一個な。」
「高いです。」
彼はそのやり取りを見て、思わず口元を緩めた。
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鈴の音が鳴り、店の扉が開いた。
「ガルドさん、釣り針あるかい?」
入ってきたのは白髪の老人だった。
ガルドは棚を指差す。
「奥の二段目ですよ。」
「ああ、あったあった。」
老人は商品を手に取る。
そして初めて彼に気付いた。
「旅の人かい?」
「ええ。」
「そうかそうか。」
老人は頷く。
それだけだった。
彼は少し拍子抜けした。
もっと色々聞かれると思っていたからだ。
どこから来たのか。
どこへ向かうのか。
何者なのか。
そういうことを。
だが老人は釣り針を会計に置きながら言った。
「今日は良い天気だな。」
「え?」
「旅にはちょうどいい。」
老人はにっこり笑う。
「道中気をつけなさい。」
それだけ言うと店を出ていった。
扉の鈴が小さく鳴る。
彼はしばらくその音を聞いていた。
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今度は勢い良く店の扉が開かれた。
「ガルドー!」
元気な声と共に村の子どもが飛び込んでくる。
十歳くらいの少年だ。
「木剣直った!?」
「ああ。」
ガルドはカウンターの下から一本の木剣を取り出した。
少年の顔がぱっと明るくなる。
「ありがとう!」
「次は折らないようにな。」
「頑張る!」
「頑張るところじゃないな。」
店内に二人の笑いが広がる。
少年は木剣を抱えて飛び出していった。
すぐ外から友達の歓声が聞こえた。
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静かな時間が戻る。
彼は少年が消えていった扉の方を見ていた。
「…子どもにも頼られるんですね。」
「頼られるというか、押し付けられるというか。」
「雑貨屋ですよね?」
「一応ね。」
「木剣も直すんですか?」
「せっかく持ってきたのに断るのも悪いだろ?」
ガルドは不思議そうな顔をした。
当たり前のことを聞かれたような顔だった。
彼は思わず笑った。
今日初めて見る、自分でも驚くほど自然な笑顔だった。
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それからしばらく。
誰かが釘を買いに来た。
旅人向けの水袋を買いに来た者もいた。
村の主婦が塩を買いに来て。
ついでに旦那の愚痴をこぼして帰っていく。
その度にガルドは話を聞き、商品を渡し、笑って送り出した。
特別なことは何もない。
本当に何も。
だが不思議だった。
誰も彼に興味を示さない。
いや、違う。
無関心ではない。
挨拶はする。
笑いかけてもくれる。
だが、
「何者なんだ?」
とは聞かない。
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店の外では春風が吹いていた。
どこかで犬が吠える。
村人の笑い声が聞こえる。
穏やかな昼前だった。
そんな空気の中で。
彼はふと思った。
いつ以来だろう。
誰も自分に何かを期待していない場所にいるのは。
名前も。
肩書きも。
役目も。
何も聞かれない。
ただの旅人として扱われる。
それが少しだけ心地良かった。
だからだろうか。
気付かないうちに、張り詰めていた肩の力が少しだけ抜けていた。
そのことに気付いたのは。
ガルドの方だった。
「少し顔色が良くなったな。」
彼は驚いて顔を上げる。
ガルドは棚の整理をしながら続けた。
「疲れてる時は無理しない方がいい。」
「……。」
「宿に泊まるなら、今日はゆっくり休みな。」
それだけ言って、また仕事に戻る。
説教でもない。
助言でもない。
ただの世間話だった。
彼はしばらく黙っていたが。
やがて小さく頷いた。
「そうします。」
その返事は、自分でも驚くほど素直なものだった。




