5
夜は、静かだった。
昼間の騒ぎが嘘のように、城は落ち着きを取り戻している。
けれど――
「静かすぎるのよね」
窓辺に立ち、外を眺めながら呟く。
灯りは点いている。
人も動いている。
それでもどこか、“気配が薄い”。
まるで――
「舞台の幕が下りた後みたい」
誰もが役を終えて、引っ込んだ後のような。
そんな違和感。
「お嬢様、夜風は冷えます」
セリーヌが、そっと肩にショールを掛ける。
「ありがとう」
素直に受け取る。
彼女の動きは、完璧だ。
――だからこそ、怖い。
「セリーヌ」
「はい」
「今日一日で、何か気づいたことは?」
少しだけ、間。
「……いくつか」
「聞かせて」
彼女は視線を伏せ、言葉を選ぶように口を開く。
「使用人たちの動きが、揃いすぎています」
「揃いすぎている?」
「はい。本来なら混乱し、判断が遅れる場面で……」
顔を上げる。
「まるで“次に何が起こるかを知っている”かのように動いています」
――同じ結論。
「あなたも、そう思うのね」
「はい」
静かに頷く。
「ただ」
言葉が続く。
「それが“経験によるもの”なのか、それとも――」
「別の理由か」
「……判断がつきません」
十分だ。
そこまで見えているなら。
「ねえ、セリーヌ」
ゆっくりと振り返る。
「もし、“誰かが物語を見ている”としたら」
彼女の瞳が、わずかに揺れる。
「どう思う?」
「……物語、ですか」
「ええ」
一歩、近づく。
「登場人物がいて、筋書きがあって、結末が決まっているもの」
沈黙。
「そして」
さらに、言葉を重ねる。
「それを“外から眺めている存在”がいるとしたら?」
セリーヌは、答えない。
ただ、静かに私を見る。
「荒唐無稽かしら」
「……いいえ」
小さく、首を振った。
「お嬢様がそう仰るなら、意味のある仮定かと」
「そう」
微笑む。
「なら、もう一つ」
声を落とす。
「“その存在が、介入している”としたら?」
――空気が、変わる。
その瞬間だった。
カタン。
小さな音。
ほんのわずか。
けれど、確かに。
「……今の、聞こえた?」
「はい」
セリーヌが即答する。
音のした方へ視線を向ける。
――何もない。
窓は閉まっている。
カーテンも揺れていない。
「妙ね」
ゆっくりと歩み寄る。
そして。
手を伸ばし――
止めた。
「お嬢様?」
「……いる」
小さく、呟く。
「何かが」
見えない。
触れられない。
けれど確かに、“そこにある”。
「誰かいるの?」
声をかける。
返事はない。
当然だ。
――普通なら。
「聞こえているのでしょう?」
続ける。
「ずっと、見ているのよね」
静寂。
けれど。
「分かるのよ」
胸の奥が、ざわつく。
これは恐怖じゃない。
確信に近い感覚。
「三回目に入ってから」
指先が、わずかに震える。
「“視線”が増えた」
一度目にはなかった。
二度目にも、なかった。
「あなたでしょう?」
問いかける。
その時――
「……っ!」
セリーヌが、息を呑んだ。
「どうしたの?」
「いえ……今、一瞬……」
顔色が変わっている。
「何を見たの?」
「“影”が……」
影。
「どこに?」
「窓の、外に……」
振り返る。
外は、夜。
庭が広がっているだけ。
「……いないわよ」
「はい……ですが、確かに……」
セリーヌの声が、わずかに震えている。
彼女がここまで動揺するのは珍しい。
「ふふ」
思わず、笑みがこぼれた。
「やっぱり、いるのね」
確信した。
これは偶然じゃない。
「ねえ」
もう一度、窓の外へ向かって言う。
「見ているだけで満足?」
風が、わずかに揺れる。
「それとも」
目を細める。
「少しは、触れてみたくなったのかしら」
沈黙。
けれど。
――その瞬間。
“何か”が、確かに動いた。
見えない糸が、引かれるような感覚。
空気が、歪む。
「……そう」
小さく頷く。
「やっと、反応した」
胸の奥が、静かに熱を帯びる。
恐怖ではない。
これは――
「交渉成立、かしら」
ゲームが、変わった。
駒同士のやり取りではない。
「盤の外にいるあなた」
静かに、告げる。
「今度は、“私が見ている側”に回るわ」
風が止む。
すべてが、静止する。
その中で。
私は、はっきりと理解していた。
この世界には。
「“観測者”がいる」
そして――
「私は、もう気づいてしまった」
だから。
もう以前のようには進まない。
決められた結末も。
用意された断罪も。
すべて――
「壊してみせる」
窓の向こう。
見えない何かへ向けて、微笑む。
「覚悟はいい?」
返事はない。
けれど。
確かに、“視線”だけが残っていた。




