第14話 出立ダークマッチ
2021/10/24追加
開け放たれた窓から薄い煙が入り込んでくる。
網戸型のフィルタを超えてくるこの空気は連邦国の匂い。
暑さに関していえば、室内側は冷気を逃さない構造だ。
早朝から排煙が刺すような日差しを遮っている。
おかげで汗ばむことも少ない。
これも含め、異国であることを強く認識させる。
「んん……。」
昨夜は結局どれくらい図面を引いていたのだったか。
白磁の下に隠された碧瞳がぼんやりと開かれる。
小さく身じろぎした白い体躯が、冷えすぎた部屋の中で温もりを探す。
少し空調が効きすぎだ、目の前にある暖かさに指を伸ばして暖を取る。
落ち着く匂い、とくりとくりと押し当てた耳に届く鼓動。
再び眠りの腕に抱かれそうになる。
「……んん?」
違和感に気がつき、ばちりと碧瞳が開かれた。
すぐ頭の上からすう、すうと寝息が届く。
抱きついたものの正体に気づいたお嬢様は上半身を起こした。
慎重にだ、うっかり相手を起こす真似はしない。
今起こしてしまえば、少女の部分が悲鳴を上げる事は想像に難くない。
「えっと。」
周囲を見回す際についてくる長い金髪が邪魔なため、耳の後ろにかける。
床にはきちんと整頓された資料、その脇にガーターリングが揃えられていた。
相方の鞄の上にはまとめられた蒸気技術と魔力の再融合論の書類。
その上に認識阻害の眼鏡と、魔力撹乱の扇が置かれている。
インナーのホルターネックが解けていることに気づき、慌てて結び直す。
改めて視線を真下に戻した。
王国製のシャツを全開にされた相方は幻ではないらしい。
暖かいし、跨る姿勢になった下半身へ質感が返ってくる。
ラフに着崩されたシャツだ、眠りながら嗜好に興じれば簡単にボタンが外れる。
「き、昨日はたしか……。」
視界から得られた情報と言えば、少しズレた趣味くらい。
ぎゅうと目を瞑って思考を切り替え、記憶を遡る。
資料を作っている最中、色々と浮かんで書き記したところは覚えている。
接続方式の変更方法、魔力への置換、エネルギーの伝播効率。
魔力と蒸気に適した素材、ピストンか羽根車か、蒸気弁を真似た魔力弁。
浮遊岩の構造から、化石樹と組み合わせることで損失が抑えられる可能性。
途中で相方から、いい加減に寝るように何度も声をかけられた。
終わってしまえば離れてしまうと、随分ぐずった記憶にたどり着く。
「……わ、私どうにかしていました。」
抑えた頬がみるみるうちに熱く染まる。
あれだけ甘えられたのは、きっと夜だったからだ。
冷静になれば昨晩覚えた以上の羞恥心に襲われた。
だが全く後悔はない、むしろ満足感まであるのが困る。
気づけば安眠する恋人から視線が外せなくなっていた。
惹き込まれるような黒銀色は彼固有の魔力だ。
どくどくと心臓の悲鳴を聞きながら、白い繊手が逞しい体をなぞる。
細身ながら引き締まった腹筋から胸板、鎖骨、首筋から顎、頬。
白銀の柔らかな髪と続いて、枕元に一枚の書き置きに気がついた。
『ド阿呆共。』
気づけなかったのがおかしいほど大きな文字でそう書かれていた。
筆跡からフォクシ嬢のものだ。
「うぐっ。」
怒鳴られた気がして、思わず頬を抑えた手のひらで顔を覆う。
ひとまず深呼吸、表情を隠すのは貴族にとって必須技能だ。
表情を整えれば、それに応じて心も次第についてくる。
シャツをはだけさせた件については、記憶の奥底に封印した。
熟睡している相方を起こさぬように、そっとベッドから離れる。
駄々をこね続けた挙げ句、いつの間にか寝てしまったのだろう。
「はぁ……、ここまで振り回されるだなんて。まだまだ心は未熟です。」
悪夢を通して、自身の内面をある程度把握したつもりだ。
お嬢様を形作る鍵が想い人だったことから重症なのは解っている。
とは言え異世界での経験を含め、ここまで理性を焼き潰す熱は初めてだ。
ベッド端に腰掛け、足首近くまで下がってしまったニーソックスの位置を正す。
落ちたガーターリングで止め直し、着衣の確認をしてから身支度へ。
髪や肌の手入れは怠らないが、極力簡略化しているので時間は取らない。
「……どうしてこうなったのでしょう、ねっ。」
未だに寝息を立てる想い人の頬へ、そっと唇を寄せる。
その後に起こすために軽くおでこを弾いてやった。
抑えすぎてはならないが、抑えなければいつまでも欲しがってしまう。
配分が実に難しい。
大体想いを共有してくれる彼のおかげだ。
念の為ということもあったのだろう。
扉前で待ってくれているフォクシ嬢を放置するわけにはいかない。
* * *
流石に今朝は宿の食事に頼る。
フォクシ嬢とミリィ嬢からの呆れたような、非難するような視線が刺さる。
ゼルド氏は先に席の確保に向かっていた上、まだ回復魔道具を身に着けている。
お嬢様と相方の同衾に関して意識を割く余裕はあまりないらしい。
宿の一階、併設された酒場は、朝には宿客の食事処に変わる。
空路に乗り換えるため、中堅どころの宿は特に賑わいが大きい。
お嬢様は当然認識阻害を最大にしている。
「また匂い付けしてる。」
「うぐっ。」
「それは、うん。面目ない。」
思わず身を縮める二人だった。
ミリィ嬢は反応を確認すること無く耳へ意識を向けている。
裏世界の住人として、周囲の警戒をしているのだろう。
不穏な音がすればフォクシ嬢も反応するが、視点が違えば見る世界も変わる。
「そりゃあの状況じゃ匂いも移るだろうさ。今はエルシィが依頼人だ、個人的なとこにゃあまりつっこむ気はねーけど。」
お嬢様と相方の間で取り決められた一線はフォクシ嬢も知っている。
今朝のあれは肉体的接触という面で言えば行きすぎだ。
一方で男女の仲という意味では超えていない。
結局のところ、判断は当事者二人に委ねられる。
「あれは押し付けられた事に関する色々な対策を練っていた結果の不可抗力と言いますか、決して離れたくなかったからというわけではないんです。あ、ですが心地よかったことは否定しません。そもそもこの件に関しましては急がねばならない理由もありまして――。」
「エル、凄い早口になってる。……ああ、いや、無理に眠らせた僕が悪いんだけど。」
他人事のような発言をする相方へ、お嬢様が強めの視線を向ける。
相方は即時両手を上げて降参の姿勢を取った。
通常の魔法ならば、お嬢様に効果を発揮させることはできない。
完全に影響を及ぼす前に固定魔法が術式ごと食い尽くすからだ。
だが、魔王の扱う空白を利用した擬似的なそれならば話は別。
何のことはない、彼が中々眠らないお嬢様の意識を気づかれぬよう落としたのだ。
その後資料の仕上げをしてベッドに運んだところで同じように眠気に負けた。
過去のことから学んでか、寝起きと共に自白してくれた。
「ま、その辺はオレらにゃ口出しできねぇな。何にせよマギク州からの連絡と一緒に航空便のチケット届いたのは幸いだ。購入となりゃ、かなり早くから並ばにゃならねーらしいぜ。」
「またコーンブレッド……。ぽっぷこーんが欲しい。塩味だけでもいい。」
「で、でかけ際に作りますね。」
朝食に並ぶのはコーンブレッドとベーコン、それにフライドエッグ。
充分美味しそうだが、ミリィ嬢は飽き飽きしているのだろう。
欲を言えば葉物野菜が欲しくなるが、この辺りの土壌では中々育たない。
空輸に頼ろうにも新鮮なものとなれば高級品だ。
やはり空路の開拓は領地に益を落とすための先行投資として使える。
「この後は北の発着場に向かうのだろう? 日に何便も出ているとは言え、早めに出たほうが良いと思うのだが。」
「エルは調理も控えてるからね。それじゃあ、食事を済ませちゃおうか。」
――食事後は何事もなく出立準備を終え、北部の発着場へ向かう。
樹海が近くなるため治安は悪くなるが、大通りを通れば被害は財布程度で収まる。
その危険性に関しても、お嬢様と相方はある程度捌くだけの力量持ち。
フォクシ嬢など言わずもがな。
うっかりしそうなのはゼルド氏だが、ミリィ嬢のおかげで心配はなさそうだ。
「昨日警告しておいたから。キナップはそうそう手を出せない。」
片手にポップコーンを山盛りいれた紙袋を抱え、掴んでは口に投げ込むミリィ嬢。
もともとトウモロコシは彼女が買ったものだ。
調理代として数本分けてもらっている。
とはいえ豪快な食べっぷりは、よほど気に入ったらしい。
「助かります、ミリィさん。……それにしても、随分と建物の様相が変わってくるのですね。石に、採掘場から取れた金属類、化石樹に――。」
「帝国に比べりゃ精度は粗いが、ガラスまであんな。」
発着場に向かうにつれて、西部劇じみた建物は減っていった。
配管油で汚れた石材と配管が入り組んだ高い建物が増え、路地の闇が濃くなる。
建物が高いのは、大掛かりな装置を内包しているためだ。
緊急時、飛行船の整備が可能な施設も点在している。
この辺りは空の便を支える工業地区としての側面もあるのだ。
「こんな所にまで枝が伸びてきているのか……。つくづく世界の広さを思い知らされる。」
ゼルド氏の関心は、建物よりその奥にある木々に向けられている。
樹海近くとは言え、天を衝く木々はずいぶん先。
にもかかわらず、時たま揺れる梢で影がかかる。
梢を揺らすのは大小問わず飛行船だ。
樹海手前にある町は、樹上や浮遊岩上の都市への玄関口。
駆動音までは伝わってこないが、発着場に近づくほど遭遇する頻度が高まる。
「排煙はともかく、風と影は夏場にはありがたいね。流石に樹海の中は湿気がひどくてあまり入りたくないけど。」
「あれは……ルゼイアの風魔法が無ければ悲惨でした。」
実際には相方が有する空帝竜としての風を操る権能だ。
表立って口にすれば、自身の身分が簡単に看破されてしまうためのつくり話。
見破られたら、その時はまた別の手段で変装を考えなければならない。
折角認識阻害と魔力撹乱、フードを被って誤魔化しているのだ。
これ以上の隠匿は中々難しい。
バレるまでは冒険者のエルシィとルゼイアで通したい。
「おや、こんな所で出会うなんて奇遇だな、勝頭巾!」
そんな矢先に、聞きたくない声を耳にして一行は歩調を早めた。
魅了の魔法こそ振りまいていないが、見下すような声は聞いて楽しいものではない。
フォクシ嬢を先頭に、ゼルド氏とルゼイアが側面、ミリィ嬢が最後尾に移動する。
最もこの程度で振り切ることができるのならば五ツ葉とは呼ばれない。
相変わらず香と女性の臭いを染み込ませたルカン氏は付かず離れずついてくる。
彼は連邦国を拠点にする冒険者だ。
タイミングはともかく、空へ向かう玄関口に来ている可能性はあった。
「つれないな、折角三ツ葉に推薦してやったのに。ああ、もちろん力量はもっと上であることは解っている。けれど俺だって、勝頭巾がコネを使ったやら分不相応やら囃し立てられるところを見たくはなかったんだ。」
相変わらずの軽装で、ろくな武器も見当たらない。
戦い方を想像できない足の運びに意識の向け方。
一見すれば舐められるタイプの冒険者だというのに、随分と読めない相手だ。
「てめえ……。それが解ってんなら推薦制度なんて使うんじゃねぇ。」
低く唸るような声でフォクシ嬢が威嚇する。
出会い頭に無理やり従わせるような魔法を使われたのだ。
フォクシ嬢は完全に敵と認識している。
太刀を抜かないのは町中なのと、相手が五ツ葉のギルド関係者だからだ。
三ツ葉や四ツ葉までなら、多少の刃傷沙汰などじゃれあいのようなものだ。
だが五ツ葉以上となればもはや中堅、相応の態度が求められる。
「先日は挨拶ができずに申し訳なかった、『万能』の娘殿。確かフォクシさんだったかな。だが古い考えに囚われすぎて、腕前に対して正当な評価を得られないのはおかしいと思わないかい?」
「……。」
肯定の沈黙ではない。
理解できないのなら話しても無駄だと断じた拒絶の沈黙だ。
剣呑な空気の中、割り込むようにゼルド氏が踏み出した。
「正当な評価というものは、個々人が実績の積み上げによって成されるものだ。」
ルカン氏が横槍に意外そうな顔になる。
一方、フォクシ嬢も驚いたように目を瞬かせた。
ゼルド氏はこういった場合、一歩引くか、自身の中で考え込むことが常だ。
自身の中でどれだけ過去の贖いを求めようと、結局踏み出さねば結果は生まれない。
セラに指摘され、自分の外へと目を向けたゆえに出てきた言葉だ。
急激な変化はようやく突破口に気付かされたがためのもの。
「推薦に関しては、せめてこちらの意志も聞いてほしかったね。手は払わないけれど、感謝もしない。」
続いて相方が言葉を続けた。
これ以上の階級へ梯子をかけるな、と釘を刺すためでもある。
お嬢様は注意は向けど、視線をあわせるつもりはない。
「これは手厳しい。騎士はともかく、飼われているだけの男まで出てくるとは。」
「……!」
ルカン氏が小さく言葉を漏らすと同時、ぞわりとお嬢様の背筋が粟立った。
内心を読めるはずのフォクシ嬢や、空気に敏いミリィ嬢に反応はない。
ならばこれは、ただの苦手意識。
そう断じれば早いが、理屈ではない場所が警鐘を鳴らしている。
相方も同様の気配を感じ取ったのか、諍いに備えて警戒度を上げた。
「確かに身勝手な行動だったな、謝罪しよう。ああ、先程の飼われていると言った発言も取り消そう。あの時はともかく、今はきちんと周りを見ているらしい。」
だが、ルカン氏はあっさり両手を上げて退いた。
悪寒の正体を探るため、碧の瞳が改めて彼を捉えるも目立ったものは見当たらない。
絆を通して相方に尋ねてみたが、彼の目を通しても何ら異常はないと返ってきた。
「邪魔。野次ならもう行って。」
二人の様子を察してか、ミリィ嬢が本格的に追い払いに出る。
本人の目の前で考察することは、場合によってはこちらの手の内を晒す行為だ。
わざわざ必要以上に警戒していることを教える必要はない。
割り込んだミリィ嬢に対するルカン氏の反応は、恐怖を含んだ後ずさり。
彼女とて見目が悪いわけではない。
好色な彼の反応としては随分と以外だ。
「……まさかキミがいるとは。気配の消し方は聞いていた以上だ、『泣き虫』殿。ビーイでは死んだと言われていたが――。」
「過去の話は嫌い。」
不吉な響きの二つ名が飛び出した。
ミリィ嬢が低く唸るような威嚇の声を上げる。
同時にキュリリと何処からか鋼糸の擦れる音が響いた。
瞳が大きく開き、心なしか髪が逆立っている。
「……まだ首は惜しくてね。」
その様子を確認したルカン氏は、慌てて踵を返した。
ミリィ嬢は背中を見送った後、今度はじろりとお嬢様達へ視線を移す。
言われるまでもなく、追求するつもりはないと両手を肩まで上げた。
「レオンさんのご友人であれば、信頼に足ります。」
連邦国出身で、裏世界に関わりがあったのならば組織との関係もあるだろう。
彼女の手際の良さはその辺りに起因していると推測が立つ。
だが、知るべきはそれだけで充分だ。
わざわざ楽しくもない話を暴き立てる必要はない。
それよりに気になるのは、ルカン氏が残した言葉だ。
「あちこちに繋がりがあるのは王国の墓荒らしと似ているね。裏組織の規模的に、冒険者とも多少の繋がりはあるんだろうけれど……。」
同じことを相方は感じたらしい。
まるで昔のミリィ嬢をよく知っているかのような口ぶりだった。
裏世界の二つ名など、表の世界にはよほどでなければ出てこない。
知れ渡っている名であれば、連邦国の新聞や雑誌に上がることもある。
『泣き虫』という呼び名はここまで来て一度も目にしたことがなかった。
「昔の同業者ですら、所属していた組織の構成員を掴んで居なかったはずだが……。」
「先程の気配といい、あの方はどうも苦手です。」
「……オレにゃ胡散臭さしか解らなかったが、きちんと力の差を把握して引く所は腹立たしいな。」
行動を起こした日には、何かがおきることは想定内だ。
だからこそ何もおきないことが逆に不気味に感じられる。
そのジンクスを知らないミリィ嬢は再びポップコーンを口へ運んでいた。
「ま、今までがドタバタしすぎたと思えばいいさ。騒ぎのあるようなところに居るわけでもねぇ。」
「ですが、勘を馬鹿にできないことも確かです。」
「警戒は続けておこう。今日はまだ始まったばかりなんだし。」
これから搭乗手続きを経て、マギク州行きの飛行船に乗り込むのだ。
護衛船団もついているとはいえ、道中何かが起きる可能性だって残されている。
何せ州長の娘ですら襲撃を受けたのだから。
州章を渡されたお嬢様達へ手を出し、面子を潰そうとすることも考えられた。
「こちらから行動に移れないのが歯がゆいです。……そろそろ、搭乗時間が近いですね。」
バシリス嬢が送ってくれたチケットは最高級品だ。
マギク州便限定ではあるが、普段は使われない特等室のもの。
そのため搭乗時間さえ守れば待つこと無く乗船が可能だ。
飛行船の浮力は気嚢と魔法刻印によって、推進力は蒸気機関によって賄われている。
垂直に浮き上がるため、バシリス嬢の変わった飛行船でなければ広さは必要ない。
異世界の記憶に比べ、この世界の空港の敷地面積は驚くほど狭かった。
「今度はどこで仕掛けてくるのでしょう……。」
発着場の様子を見ながらお嬢様は独りごちる。
特等室なだけあって、ガラスは曇りのない帝国産のものだ。
浮かんでいく船体から見える風景は、今のところ化石樹の幹くらい。
普段ならば内装や構造を見に飛び出そうとするのだが、今回ばかりは大人しい。
結局その日からマギク州へ到着するまでの二日間、不気味なほど何事もなかった。




