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ちょとつ!@異世界にて  作者: 月蝕いくり
第四章~ギミックだらけの遠征試合~
47/112

第4話 現実世界ストーリー

2021/05/07大規模修正

 夜になってようやく姉弟子の言葉が理解できた。

 妙に気分が高揚していて眠気が来ないのだ。

 気が急いて急いてじっとすることを許さない。

 フォクシ嬢が淹れてくれたお茶は、セラがよく淹れてくれたものだ。

 それでも落ち着かないことは、以前学園でもあった。


「うう……。」


 なので現在は相方の膝の上に座ってくっついている。

 いきなり距離が近くなった自覚は大いにあるが、気にしている余裕もない。

 宥めるように艶のある金髪を撫でてもらう。

 一方、お嬢様からも柔らかな銀髪を撫でていた。

 寝る前な事もあってフードの下で結わえていた髪も全て解いている。


「ほら、深呼吸。ゆっくり吸って、ゆっくり吐いて。」


 ぐっと頭を胸板に押し付けて甘えて誤魔化す。

 念の為きっちり前は留めてもらってある。

 魂の中では散々知っている男性の体つきだが、いざ現実として見ると違う。

 基本となっているのはお嬢様の視点であり、記憶も経験も後付だ。

 つまり、お転婆であれどご令嬢として育ってきた身としては大変心臓に悪い。


「すぅ、はぁ……。」


 気分を落ち着かせるための呼吸だが、この距離だと逆に落ち着かない。

 呼吸の度に鼻孔をくすぐる相方の匂い。

 そわそわする、ざわざわする、ぞわぞわする。

 これは大変困った状況だ。

 何せ落ち着かないのに、体が逃げようとしてくれない。


『……匂いがする。』


 絆に乗せた言葉はどちらが発したものなのか解らない。

 お嬢様がこうなっている以上、相方も似たような状態だ。

 ただし彼の場合、一緒に育ったことで得た鋼の意志でねじ伏せる。

 大体お嬢さまのせいで身についた能力だ、誠に申し訳ない。


「落ち着けなさそう?」


「……。」


 解っているくせに聞いてくる、こくんと頷いた。

 ぱちり、と焚き火が爆ぜる。

 夏に入って日にちも立つ、流石に夜の気温も増してきた。

 事前に汗は拭いてあるし、髪のケアも終わらせてある。

 入浴こそしていないが、清潔感はフォクシ嬢含め三人とも気を配っている。

 不衛生にしすぎれば少しの怪我が大事に至る。

 冒険者の持ち物講座のときに衛生タオルが挙げられた理由だ。

 それでも密着し続ければ、火照って汗が滲んでくる

 ケープは脱いでいるため、細い肩には薄っすら朱が差していた。


「僕は一日くらい眠らなくても平気だけれど、エルはそういうわけにもいかないし……。」


 同じ竜人の姿を取ってくれているので忘れがちだ。

 相方は魔王であり、竜なのだ。

 生活周期を人に合わせることもできるが、ずらすことも容易。

 お嬢様は咄嗟に着物襟を摘んで見上げる。


「解ってる。一緒だから、一緒に居るから。そんな不安そうな顔をしないで。」


 見上げた顔は随分な凶器だ。

 珍しく相方の方が視線を逸らした。

 時間がズレてしまえば過ごせる時が変わる。

 それは嫌だ、ずっと一緒にと誓いあった以上認めない。

 休息は取らねばならなかった。

 強制的に意識を落ち着かせる方法は、無いわけではない。

 とはいえこの場で敢行できるかと言えば流石に無理だ。

 儀式は部屋の中で、誰にも気づかれないと思ったからこそできたこと。


「どう、しましょう……。」


 寝不足で行軍の足が鈍るなど論外。

 相方に背負ってもらうなどもっての外。

 無理矢理に意識を奪って貰ってでも眠るべきだろうか。

 かなり真剣に物騒な事を考えていると、相方が渋面になる。


「僕はエルに手を上げない、絶対に。」


 断られてしまった。

 襟を摘んだまま、お互いに眉尻を下げる。

 ……かくなる上は、もう一つの最終手段。


「ん……。」


 はしたないとは解っている。

 匂いと熱を感じ、見つめ合っている間に我慢が効かなくなった。

 お嬢様からぐっと身を寄せて、柔らかな唇を重ねにかかる。

 触れて、すぐ離れる。

 顔が熱いけれど、物足りなくてもう一回。

 二人で儀式(・・)をし合えば、きっと眠れる。

 それが建前なんてことは百も承知だ。


「――お返し。」


 応じてくれた相方からも振ってくる。

 これで収まるのなら何度でも、伝わる想いが熱い。

 少し息が弾み始め、とくとくと心臓が早鐘を打つ。

 視界一杯を相方で埋め尽くされる。


「ふ……ぁっ――。」


 よんかいめ。

 優しく唇を割られた。

 背中にぞわりとしたものが駆け上がり、きゅうと目を瞑る。

 妙に音が生々しくて、思わず襟を掴む手に力が入る。

 呼吸させるように唇が離れる、細い橋ができていた。

 緩むように瞼が上がり、潤んだ碧瞳と青瞳が絡み合う。

 相方の舌に浮かんだ翼の刻印が酷く濡れていた。

 あれは舐め取られたものだと解れば、思考と感情がぐるぐる渦を巻く。


「は……。」


 随分と艶めいた息が溢れた。

 知識はある、魂に関して言えば経験だってある。

 ただしそれは異性での経験だ、この場合は相方の方が上手く使える。

 これ以上には進まない、お互いが決めた一線。

 だからこの儀式に没頭する。


『もういちど――。』


 どちらから言い出したのか解らない。

 同格であり、二人で初めて一人前。

 それならどちらからでも関係ない。

 定着しきった固定魔法によって、停滞の一部は即座に世界(じぶん)へ書き換わる。

 渡されたところで身体に害は及ぼさない。

 眠れるように寝袋の上に横にされ、覆いかぶさられた。

 唇が触れ、湿っぽい音と共にお互い熱くなった吐息を交わす。

 お尻から背中にかけて熱が這い上がり、眉尻が下がる。

 ――その折、お嬢さまの指が手槍に触れた。

 投擲まで一切の躊躇がない。


「――ガッ!?」


 当たったらしい、木々の向こうで男のうめき声が聞こえた。

 気が立っている現在、敵意や殺意には非常に敏感だ。

 ましてや魔力が不自然に動けば、即時逆探知が行われる。

 そんな気配があれば、フォクシ嬢が目を覚ます。


「バレた途端に殺気立つか、野盗の類だ。」


 幸いにも寝袋に押し倒されていることは不問にしてくれた。

 流石にハーネスと大袖は外しているが、太刀は側から離さない。

 数度耳が動いたことから音を広い、情報を得たらしい。 


「数はどれくらいかな?」


「存外多いな、一人やったみてーだが、あと十人はいやがる。追手とは関係ねぇな。」


 相方が体を起こす。

 お嬢様も手を引かれて立ち上がった。

 思考は戦士に切り替わっている。

 槍は投擲したため、一見すればお嬢様は足手まとい。

 その上人数差があれば、いい獲物に見えることだろう。

 王都から遠く、国境に近づく中間地点では警備が手薄になる。

 魔獣でも魔物でもなく、人が襲ってくることもある。


「では、手心を加えていては――。」


「殺される危険が増すだけだな。」


 捕虜狩りのように人を売るだけの伝手などそう作れるものではない。

 ならば話は簡単だ、被害者の口を封じ、持ちうる財産を全て奪えばいい。

 行商人や移動中の冒険者は格好の餌だ。

 運が悪ければ散々尊厳を踏みにじられた挙げ句に殺される末路。

 この世界でよくあることだが、そんな末路は真っ平御免だ。

 きゅ、とお嬢様の目に力が籠もる。


「名乗りも口上もねえぞ、最初からやる気で行け。」


 それが姉弟子からの助言。

 お嬢様の耳にも聞こえてきた複数の足音。

 扇子に意識を同調。

 二度の呼吸で出力を調整し、身体の内部へ竜を封じる。

 姿の変質までは起こさない、魔法阻害の範囲も広げない。

 相方も剣の柄をくるりと回して準備はできている。


「クソが、全員殺しちまえ! 楽しんでる余裕はねえぞ!」


 悪態と投石が飛んできた。

 闇に紛れられるよう暗い装束で身を包んだ団体。

 かつん、とフォクシ嬢が駆けると共に邪魔になるものだけを切り捨てた。

 いくつか抜けてきたものは相方がことごとくを切り払う。

 お嬢様の半覚醒に呼応し、こちらも準備は終わっている。

 木々を壁にしているものが四名、六名は短剣を手に向かってきた。

 殺気立つ彼らを黄金の瞳が見据え、一歩でフォクシ嬢に並び、二歩で追い抜く。


「――!」


 呼気が音にすらならず、着地した左足。

 一歩目から流れてきた力が二歩目に追いつく。

 開手した左手を斜め下から最前列の男の鳩尾へ。

 華奢な娘の手のひらで打たれただけで、大柄な男が吹き飛んだ。

 手に残ったのは臓腑を潰し、背骨を打ち砕いた感触。


「あいっかわらず訳わかんねえなあ妹弟子!」


 続いて姉弟子、抜刀した太刀をそのまま振り下ろす剛の剣。

 手の内で更に速度を増させ、受けようとした短剣ごと野盗の腕を切り落とす。

 かと思えばぬるんとその軌跡が変化する柔の剣。

 一筆書きのように歩法の勢いは変わらず、腕を失った男の足を奪って背後へ。

 背中側から首を刎ね飛ばす。


『――ルゼイア。』


『解った。』


 一方相方は、お嬢様から絆の意思を受けとる。

 刃は生み出したものの、向かう方向は野盗向けてではない。

 最初に投げた手槍の回収が第一。

 あれはお母様手製だ。

 不意打ちのために投げはしたが、早めに手元へ戻したい。


「男の方が逃げたぞ!」


「気にすんな、もう三人やられてんだ! さっさと片付けてずらかるぞ!」


 被害を出してなお引くつもりはないらしい。

 お嬢様が身につけている衣装は、控え目に仕立ててあると言えど高級品。

 ならば奪えればどれだけの富になるのか。

 目利きができなければ野盗もできない、世知辛い話だ。

 そのせいで引き際を誤る。


「この細いやつ、槍はブラフだ!」


 男一人を吹き飛ばした後も減速しない。

 完全再現にはやや遠いが、舞う様な足さばき。

 ふつと金の髪を廻して身を落とし、鋭く足を刈りとる。

 流石に避けられる、ならば追いすがるようにもう一回。

 引っ掛けると同時に下半身が浮き上がり、胴へ一蹴、顎へ一蹴。

 倒れる体へ止めに踵を落とした所で上下反転、着地したときには構えはできている。

 刹那右肩に痛みが走る、投げナイフが掠めた。

 白い肌に赤い線が浮かんだが、薄皮一枚程度だ。


「くそ、何なんだこいつら!」


 フォクシ嬢の振るう太刀は周囲の暗さのせいでまともに見えない。

 わざと焚き火で白刃を反射するため余計に混乱させる。

 蛇のように柔らかな動きから、突如猪の如き突き。

 首を貫き、一人を絶命に至らせる。

 細められた赤い瞳には一切の躊躇がない。

 少し角度をつけて勢いよく引き抜き、血煙をくぐるように更に進む。

 常に動く耳が木の陰に隠れている存在を把握していた。

 飛んでくる石や矢も全て切り捨てる。

 お嬢様を追い越して更に向こうへ。

 意識の隙間を縫う動き、相変わらず気を抜いたら見失う。


『――おまたせ。』


 相方からの意志が伝わる。

 ひぃん、と鋭く空気を切り手槍が裂き飛んできた。

 空中で掴んで、その勢いで円を描く。

 ひぅんと空気を断つ音と共に手槍を回し、穂先に付いた血を払って構え直す。


「フォクシさん、そのまま木の影の方を、あとの二名は私が。」


「無茶すんなよー。」


 殺し合いの場に似つかわしくない軽い口調。

 それとは真逆に振るわれる太刀が、重い金属音を響かせる。

 隠れていた四名との交戦に入ったようだ。


『ルゼイア、そのまま――。』


『フォクシさんを手伝うよ。』


 既に野盗の数は半数近く減っている。

 右肩の浅い傷程度ならば動きを阻害するに至らない。

 野盗達からすれば逃げ出すには距離が近すぎる。

 双方に在る選択肢は殺すか殺されるかのみ。

 ゆえに相手からの切り込み速度も鋭くなる。

 心臓を狙ってきた右側の短剣を避け、反撃に転じる前に顔を狙ってきた左側の短剣。

 かくりと膝を抜くことで体を落とし、石突で倒れきる前に体を支えた。

 右側の短剣が逆手に持ち直され、腹部を狙って振り下ろされる。

 手槍を背中側に回し、体を捩って回避、その捻りのまま柄を叩きつけた。

 留めていない髪はお嬢様の動きに合わせて金色の軌跡を描く。


「……ち。」


 淑女らしからぬ舌打ち、矢張り相当気が立っていた。

 膝で力が抜けていったせいで威力は大したことがない。

 掠めた切っ先がヘソの下を浅く切り裂いた。

 矢張り刃物相手に防具なしは少々面倒だ。

 大した傷では無いが、後で相方に怒られる。


「く……そが!」


 柄で打たれた男は意識を失うこと無く、短剣を握った拳で顔を狙ってくる。

 容姿で動きを止めることができるのは、所詮戦闘前。

 いざ命をかけるとなれば二の次だ。

 だから最も致命傷を与えやすい部位を狙う。

 顔への攻撃は良いフェイントだ。

 槍から手を離し、拳を巻き込むように腕を添わせ、真下へ叩き落とす。

 どつ、とその腕へ左側の短剣が突き刺さる。

 腹を狙った動きは見えていた。


「ぐぎっ……! こ、のアマぁ!」


 二対一、ならば一人だけを注視しているわけにはいかない。

 八方を漠然と目し、動きに応じて流れを変える。

 戦いの最中に罵詈雑言は必要ない。

 こちらを睨んで来たところで膝を横頬にめり込ませる。

 たん、と足を下げると同時に逆足。

 足を下ろす勢いを使い、浮き上がった無防備な男の顎目掛けて。


「――ふっ!」


 蹴りを入れ替える際の体の捻りを力へ流用。

 フリルに彩られた青いスカートが翻る。

 ごきゅ、と低いヒールへ顎骨を砕いた感触が伝わる。

 下手に喋っていたせいか舌を巻き込んだのだろう、盛大に血が溢れた。

 これでこちらはあと一人。


『ルゼイア、そちらは?』


『もう終わる。』


 流石に実戦慣れしている。

 相方が加勢したとは言え、こちらと同じ二対一の状況だろうに。

 とはいえこちらとてもう間もなく。

 彼我の実力差は既に見えている。

 残る一人は崩れ落ちる男の向こう側だ。

 そちらへ注意を向けた矢先、蹴り殺した男の短剣が突然切っ先を向ける。


「――っ!?」


 魔力がほんの僅かに動いていた。

 相手に取っては時間稼ぎのつもりだったのだろう。

 魂に紐付いた戦闘経験は、固定魔法によって再現できる。

 ただしあの世界に魔法はない(・・・・・)。

 解析してしまう癖が仇となった。

 単純に物体を加速させ、打ち出すだけの術式。

 物理法則を完全に無視した軌跡は、近すぎた事もあって反応が遅れる。

 とつ、と右太ももに刃が沈んだ。

 ぬらりとした液体が脚を濡らすが、幸い加速はそれほどでもなかった。


「こいつで――!」


 男性にしては高めの声。

 脚に傷を負わせたことで勝機と見た。

 人質にすれば逃げられると考えたのだろう。

 襟元を捕まれて引き寄せられる瞬間。

 手槍と共に両手を上から被せ、手首を折る。


「ぃぎいっ!」


 これだけ近ければ苦悶の表情もよく見える。

 ねじるように腕を極め、その状態から無理やり踏み込んで接触。

 激痛が走ったが、無視をする。

 これくらいなら回復用の魔道具ですぐ塞がる。


「――はっ!」


 踏み込む力は普段の三割、それでも威力を増すには充分だ。

 吹き飛んでしまわないよう腕を抑え、槍の穂先で足を貫く。

 小柄な身から想像できない勢いで肘がめり込んだ。

 相手の腕から、ぶぢりと筋が千切れる嫌な音と、ごぎんと骨が外れる音がする。

 肘のめり込んだ位置は心臓から肺にかけて。

 大の男すら吹き飛ばす威力を減衰なしで全て叩きつけた。

 威力など説明するまでもなく、多少のクッションなど役に立たない。


「……げぶっ……。」


 口から血を吐いて絶命。

 見開かれた目から光が消える。

 柔らかい胸部から肘を引き抜き、女性の死に顔を金の瞳が見下ろす。

 行動を起こした初日は散々なことが積み重なる。

 追手に見つかり、気が昂ぶり、抑え込もうとしていたら襲われる。

 挙げ句、魔法の存在を失念して無駄に傷を負わされた。

 相方には伝わっただろう、急いで向かってくる気配がある。


「……うぶっ――。」


 殺し合いが収まれば、戦士のスイッチが切れる。

 投擲したにもかかわらず、手槍で刺し殺した感触がある。

 骨を砕いた感触を思い出した、臓腑を叩き潰した感覚が残っている。

 脳まで崩し、肉を引き裂き、骨を外して自らの意志で殺した(・・・)。

 返り討ちにして誰かに攻められるような状況ではない。

 こうしなければ自分自身が殺した相手の代わりに転がっていただろう。

 恐怖はない、後悔もない、気が昂ぶってそう断じているわけでもない。


「う……っ、ぐ……!」


 それでもこみ上げる吐き気ばかりはどうしようもなかった。

 明確な敵意を主に向けてくる魔獣や、憎しみを向けてくる魔物とは相手が違う。

 言葉が通じ、意志の疎通が可能であったかもしれない人(どうぞく)を初めて手に掛けた。

 背を丸めてその場でうずくまる。

 目の前が揺れ始めた。


「エル!?」


「無理せず吐いとけ。初めてだったんだろ。」


 相方が近づいて背をさすってくれた。

 フォクシ嬢は、太ももに刺さったままのナイフを引き抜いて応急処置をしてくれる。

 激痛にびくっと背が震えたが、えずきのせいで悲鳴も上がらない。

 脂汗が浮かんで、手ががたがたと震えている、きっと顔も真っ青だろう。

 記憶の中の数人も、初めて誰かを殺めた時はこうなっていた。

 こればかりは理屈ではなく感情の領域だ。

 人相手でも殺さなければ殺される、脅威が魔物だけだなんて幻想に過ぎない。

 かつては隣国と戦争だってしていたし、王国の成り立ちからして巨人との戦争だ。

 街道が安全ならば、行商人は護衛を雇わない。

 これが王都から離れた世界の現実で、これから過ごさなければならない世界。


「――ぇほっ、ぅえ、ぇっ……!」


 意識が遠のく。

 なるほど、野盗がただの短剣だけで戦うわけがない。

 意識や自由を奪えればそれだけ簡単にことが進む。

 毒を塗り込んでおくことは常套手段。

 気が立ちすぎて失念していた。

 吐瀉物に塗れた地面に顔から沈む前に、相方が体を受け止めてくれた。


 * * *


 野盗の死体は適当にまとめ、魔法で燃やす。

 下手に残っていては停滞にあてられて魔物に変質しかねないからだ。

 そのため、基本的に動物であれ人であれ形は残さない。

 お嬢様は自分の寝袋の上で苦しげに胸を上下させている。

 意識はない。

 青ざめた顔は気分が過度に高揚していた上に殺人処女を切ったから。

 毒は自分たちに返って来るときのことを考え、解毒薬を用意するのが常。

 しっかり見つけ出して処置を施した。

 肩や腹に掠めた傷にも念の為消毒された包帯が巻かれている。

 血塗れになったニーソックスは洗濯箱に叩き込まれた。

 お陰で今お嬢様はほぼ下着姿にタオルをかけられただけの状態だ。


「……お前さんは平気なんだな。三人やったろ?」


 切り裂かれたシャツとインナーを縫い直しながら、フォクシ嬢が呆れ声を向けた。

 幸いにも損傷は大きくない、あっという間に修繕は終わる。

 ルゼイアは困ったような顔で笑みを浮かべている。

 寝込んだ相方が心配でしかたがないらしい、離れようとしない。

 フォクシ嬢が相手をしたのは、木の陰に隠れていた一人だけ。

 手槍の投擲後、彼は不意を突いて三人を順番に切り捨てていた。

 同等であるというのならば、相方と同じように動揺していてもおかしくはない。


「僕には別途、魔物の行動原理があるからね。」


「妹弟子といちゃついてる印象が強くてすっっっかり忘れてたわ。」


「それは……そう言われると怒れないなあ。」


 そう言えばこの男は魔王だった。

 記憶を一時的に引っ張り出す。

 魔物は世界を憎み、破壊しようとするもの。

 動物もまた世界を構成するもののうちの一つ。

 世界を壊すほどの憎しみならば、命を奪った所で感情に揺らぎはない。

 たかが三人、この世界で生きるものの総数から見れば砂粒にも満たない。

 とりあえず冷やしたタオルを弟弟子に放り投げ、妹弟子の看病を任せる。

 相方同士が想い合っていることに偽りが無いことは知っている。


「間違っても起こすなよ。何であれやっと眠れたんだ、朝までそのままにしとけ。夜番はオレが変わる。」


 姉弟子が焚き火側で太刀を添えて警戒に当たる。

 全滅はさせた、だがこれで終わる気がしない。

 半分以上はただの直感だが、それを軽んじて命を落とす者はそこそこの数に上る。

 冒険者や傭兵は虫の知らせに従う。


「そうしたいところだけれど……。」


 珍しいことに、ルゼイアがお嬢様から少し離れた。

 手には魔道具の柄が握られている。

 虫の知らせは大当たり、ということだ。

 魔力の流れによる逆探知は騎士だけの技ではない。


「……ああもう、矢継ぎ早に! なんてもん連れてやがったんだ!」


 即時、遮音の魔法をお嬢様の周辺に三重展開。

 悪夢の中だろうがこのまま翌朝まで眠っていてもらわなければ行軍に支障が出る。

 燃える野盗の死骸に照らされ、大きな熊が魔力を流して音を操っている。


「ァァァァアアアアアア――!!」


 人の悲鳴じみた咆哮。

 咆哮熊(スクリーマー)と呼ばれる、音を歪めて襲ってくる魔獣だ。

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