見えていた嘘
「なあ桐生。怪盗はもうカイトで飛び立ったって言ってただろ。もう諦めろよ」
相棒のSは促したが、蓮司は鴉間邸の屋根を見ながら首を横に振った。
二人は玄関に貼ってあったよくわからないメモ一枚で、寒空の中鴉間邸の前でかれこれ小一時間は待機している。
Sは長年の付き合いから彼がとんでもない頑固者で、首を横に振ればそれを覆すのが難しいことをよく知っていた。
小さくため息をつく。
「んー……何にもなかったら奢りな」
「いいよ。何が良い?」
「今はあっついおでんが食べたい」
「それは賭けとか無しに終わったら行こう」
「おう……」
Sは鼻水を啜ると、また辺りを見回すだけの作業に戻る。
「あっ、流れ星……」
Sがそう呟いた瞬間、隣の壁男の目が光った。
いや、流れ星にしては軌道がおかしくないか?
「カイト! 怪盗!」
蓮司が小さく叫ぶ。
よく見ると屋根の上にはカイトに乗って飛び去るため助走をつけている月下の怪盗が見えた。
しかし現場には二人しかおらず、屋根の上などもう間に合うはずもない。なすすべもなく頭上で怪盗が飛び立つのを許してしまった。
———その時だった。
「アッ」
地上の二人の声ではない。
頭上のMoonlit Skyだ。
Moonlit Skyが乗ったカイトが空からゆっくり降ってきた。
身に危険が及ぶため避けると、ちょうど二人がいた家の側面に落ちた。
「確保!」
急いで駆け寄り掴んだ月下の怪盗の腰は、
黒い布団にくるまれた、この家の女中だった。
目隠しをされ、猿轡を噛まされ、手足を縛られている。
カイトがふんわり落ちてきたことと、包まれた布団がクッションになって、女中には傷一つなかった。
蓮司は急いで女中につけられた拘束を外す。
「女中さん、ハルさん! 大丈夫かい!」
女中は包まれていた布団の上で小さないびきをかいて眠っていた。
Sと蓮司は顔を見合わせて、
ほっと胸を撫で下ろす。
怪盗が鴉間邸の屋根の上でカイトに乗るため助走をつけていたのを二人は見た。
しかし、落ちてきたのは布団に包まれ眠っている女中。
ということは落ちる瞬間に入れ替わったのか。
ならば怪盗はどこに消えたんだ。
変装か?
蓮司は女中の呼吸や脈を確かめると同時に、
顔をつねったり触ったりしたがどうやら変装ではなさそうだ。
カイトを見ると数箇所穴が開いていた。
「こんなぼろぼろのカイトを? 何か理由が?」
頭に沢山の疑問符が浮かび、落胆する。
こういう時にアレが、真白がいれば、
自慢げに状況を説明してくれるんだろうか。
蓮司はめまいがして、悪い夢を見ているような気分になった。
しかし、この短時間で入れ替われる、ということは、怪盗もそう遠くに行っていないはず。
「S、悪いがこの辺りを見回ってきてくれ。俺は女中さんを連れて奏夜のところに行ってくる!」
蓮司は女中を抱き抱え持ち上げると、
急いで本日二度目の鴉間邸に駆け戻った。
***
鴉間邸は怪盗に破られた窓から入る夜風でひんやりしており、不気味なほどに静かだった。
書斎は開け放たれ、たくさんのメモ紙の山が
扉から漏れ出ている。
蓮司は一階の様子を横目に、
女中を抱えたまま階段を登ると、
彼女の寝室へ行った。
そして布団の上に彼女を寝かせて部屋を後にし、急いで書斎へ駆け降りる。
開け放たれた書斎を覗くと、
そこには黒い学生服を着た奏夜が
うつぶせに倒れていた。
そして、その傍らには抜け殻のように、
奏夜の顔のマスクとえんじの揃いが落ちている。
「ああ……」
小さく声を漏らす。
これでようやく理解した。
自分が先ほどまで話していた奏夜は変装した怪盗だったのだ。
疑わなかった。
いや、疑えなかった。
親友の忘れ形見を疑うという発想そのものが、
最初から蓮司の中になかった。
怪盗は、その隙を知っていた。
「くっ……」
自らの拳を太ももに叩きつける。
———いや、打ちひしがれてる場合か。
急いで奏夜に駆け寄る。
「おちび!しっかりしろ奏夜!」
体をゆすると、小さな呻き声が聞こえた。
ああ良かった、生きている。
「無事だったか」
うつぶせの体を仰向けにしてやる。
奏夜は頬に涙の筋を一筋残し、規則正しい寝息を立てていた。
まさか、薬で眠らされているのか?
辛い目に遭わされて泣いていたのか?
何故学生服を着ているんだ?
いろいろな疑問がわいた後、
もしやと思い寝ている奏夜の顔を一応つねったり触ったりしたが、どうやら変装ではなく本物の鴉間奏夜のようだった。
そして、強めにゆすったり顔をつねったにもかかわらず、奏夜はその手を鬱陶しがって払い除けただけで、起きることは無かった。
もう何が何だかよく分からない。
疑問が次々と沸いて出る。
蓮司は奏夜を抱えると、応接間にある大きなソファに寝かせた。
話はおちびが起きたらゆっくり聞こう。
それまで自分も鴉間邸に居ることにした。




