次は何をするのか
「さあ、ノートをこっちに寄越せ」
怪盗が一歩踏み出す。
奏夜も反射的に一歩退いた。
「嫌です。渡しません。まだ読みたいんだから」
怪盗は構わず距離を詰める。
怪盗の歩幅に押されるように、
奏夜の踵が床を滑る。
奏夜はついに本棚を背負うまで後ずさると、
四冊のノートを背中に隠して怪盗の顔をキッと睨んだ。
その威嚇にならない威嚇に怪盗は片方の口角だけ上げる。
「鴉間の坊ちゃん。
君、自分の運がいいことに気づいているかい?
催眠剤入りの食事を回避したのも、
縄抜け出来たのも運。
私が優しい聞き上手さんなこともね」
奏夜は怪盗から目が離せない。
膝が震える。
革手袋をはめた怪盗の手が奏夜の顎にそっと触れた。
「君の目の前にいるのは犯罪者だよ。
後ろ手で大丈夫かな?」
「か、怪盗は人を殺さない!
ノートにそう書いてありました!」
奏夜は震える声でそう叫ぶと、
顎に触れられた手を払うように顔を横に向けた。
怪盗の手は一瞬奏夜の顎から外れたが、
再び顎を捉えると、横へ向いた顔をゆっくりと自分の方へ戻し、目を合わせる。
「そんなの私の匙加減だよ。
それに今危ないのは坊ちゃんだけじゃない。
ここの女中さん、今頃何をしているかな」
「うう……」
怪盗は奏夜にやった顎の手を離す。
「私も手荒なことはしたくない、取引しよう。
女中さんを返す代わりに、ノートを寄越して」
「交渉決裂です!どっちも大切なんだから!!」
奏夜は涙目になりながら地団駄を踏んで抗議した後、後ろ手のノートを胸に抱え直し、怪盗に背を向けて小さく丸まる。
その様子に怪盗は大きなため息をついた。
「坊ちゃんには鴉間探偵の残したものが沢山あるだろ。いくらだって金になるよ」
ほらこんなに、という風に怪盗は手を広げる。
彼の手の先には名探偵鴉間真白の残した整理のつかない資料がそこら中にあった。
奏夜は怪盗の手の先をチラッと見ると首を横に振る。
「このノートじゃないと意味がないんです。
Moonlit Skyのノートじゃないと、この状況を突破しないと」
「……何故だい?」
「僕、いつもどこに行っても、何をしても『名探偵の息子』なんです」
奏夜は小さく笑った。
「父を知る人はみんな父の話しかしない。
名探偵はすごい!かっこいい!世間が求める正義の味方!って。僕も当たり前のようにそれを期待されるんです」
怪盗は黙って聞いている。
「僕は父が好きです。尊敬もしています。
でもね……」
次の言葉を探す。
「僕は父の続きじゃない。僕は僕なんです」
奏夜は怪盗にこんな身の上話をしても意味がないと思いつつも、止められなかった。
「ノートは全部読みました。あなたが盗んだものやその手口、被害者の人柄まで父の考察も交えて事細かに書いて、あなたのことを捕まえるために研究していました……」
話しながら怪盗の表情を盗み見る。
怪盗はその視線に気づいて小さく頷く。
「いいよ、続けて」
「……最後の締めには必ず【次は何をするのか】と書いてあって。一冊目も、二冊目も、全部。
父はあなたの次の一手に最後の最期まで夢中だったんです。僕もこのノートを読んで心躍ってしまった。だから初めてあなたに会った時、
あの……嬉しくて……いや、怖いんですけどね」
怪盗は奏夜の丸まった背中を見て、少し口角を上げた。
「ノートの一番最後もやっぱり
【次は何をするのか】って書いてあってその後は白紙になってました。それで、ね……」
父の話をしようとすると声が詰まってしまう。
奏夜はノートを胸に一層強く抱き、言葉を手繰り寄せて続ける。
「この、この白紙を埋めていけば、父が見れなかった景色が僕の目で見られるんです。
僕の目で見て僕が感じたことは僕だけのものだ」
「……」
「【次は何をするのか】の次に書くのは
僕の人生だ。だからあなたには絶対渡さない!」
奏夜は立ち上がり向き直ると、ノートの最後のページを開いて怪盗に突きつけた。
ノートには新聞の切り抜きが貼られ、
その下に自分の考察を書き込み、最後に
【次は何をするのか】で締めくくられている。
怪盗は目を細め
【次は何をするのか】の文字を
薬指でそっとなぞった。
その後、しばらく黙っていたが、
やがて小さく笑う。
「……坊ちゃん。君は勘違いをしているよ」
「え……」
奏夜は目を丸く見開き怪盗を見た。
「鴉間探偵はね、正義とか、研究とか、私を捕まえることだって、本当はきっとどうでも良いと思っていたよ」
怪盗は足元に大量に落ちているメモ紙を一枚拾って弄ぶ。
「何度か私を捕まえられるまで迫ったことがある」
「……」
奏夜は胸にノートを抱えなおした。
その目は真っ直ぐ怪盗を見つめている。
怪盗は気にせず続けて語る。
「私と対峙した時、さっき君がしてたみたいに自分の考えを一通り話した後、ずっと質問されたよ。
『今回の仕組みはどうやって思いついたの?』
『なんでこの作品を盗んだ?』
『ところで甘いもの好き?』
本当に根掘り葉掘りだよ。
頭まわりの長さや手足の長さまで測られたこともある。その度に帳面に書き込んでいた。
私が答えなくても、目の動きや口元で見透かされていたかもしれない」
「……」
怪盗は書斎をゆっくり見回す。
開きっぱなしの本、
紙の束、
床に層をなすメモ紙、
インクの匂い。
「鴉間探偵はね、好奇心でぜんまいを巻いてただ前に進んでるだけのおもちゃだよ」
奏夜は口を半開きにし、瞬きもせずに怪盗を見て、彼から語られる父の姿に熱中していた。
「さ、おしゃべりは終わりだよ。
ノートを寄越して」
怪盗の表情がスッと消え、感情のない顔になる。
奏夜はその様子に少し焦ったが、頭を左右に振り、上を向いて顎に手をやると二、三歩足踏みをした。
「……まって、なんか変だ。
ノートが本当に欲しいなら、騒ぎ立てる必要はない。わざわざ予告状を出して、警察を集めて、僕の興味をひいてノートを探させて……」
「まだ何かあるのかい?」
怪盗は深いため息をつく。
「……あなたが欲しいのはノートじゃなくて、
"このノートを怪盗が盗んだ"っていう事実ですね」
「……」
「さっき話していた父の話も、あなたから憎しみや恨みを感じられなかったんです」
「だからなんだ」
「"怪盗がノートを盗んだ"という事実があれば、もうそれ以上誰もこのノートを暴こうはしない。もし、誰かが何か言ったって、全部その人の想像の範疇にしかならない」
「このノートを誰かに見られたら、僕が勘違いしていたみたいに、父が怪盗を捕まえる正義のために研究してたと解釈するものも現れるかもしれない」
奏夜は柔らかな笑顔で怪盗を見た。
「あなたは父の本当の姿や、あなたとのやり取りが世間に勝手に解釈されて、事実みたいに語られるのが嫌なんだね」
怪盗は視線を左にそらす。
「……鴉間探偵の世間の印象を守るとか、そういう話ではないよ。坊ちゃんの言う事はまだ浅いところにある」
そして、奏夜の目を見た。
「本質のわからない者に、世間から表面の価値で語られるくらいなら謎のままの方がずっと、美しい」
奏夜は、大切なものに触れるような、静かな表情をする。
「正直、君の考えはよくわからないよ。
でも僕はこのノートをもっと読みたい。
知りたいよ。父のことも、あなたのことも。
知って、このノートを埋めていけば——」
「何の意味がある?」
「ノートと僕の好奇心が満たされるだけかな!
このノートはここで終わりじゃないよ。
Moonlit Skyの中だけの美しさに縛られたくない」
奏夜の目は真剣に怪盗の目を見据えていた。
その表情に怪盗は初めて柔らかく微笑んだ。
———瞬間。
怪盗は奏夜のみぞおちに一発拳を入れる。
ウッと息が止まり膝から崩れ落ちて床にうつ伏せに倒れた奏夜の首筋に催眠剤を注射した。
「君たちは親子揃って知りたがりさんだな」
胸のノートが抜かれるのを感じる。
霞んでいく視界の中で奏夜が見たものは、
月明かりの様に青白い髪を持ち、
低い位置に浮かぶ満月と同じ、不気味なオレンジ色をした瞳を持つ整った男の顔と、
彼が去る後ろ姿だった。




