顔を盗む
「おや、もうお目覚めかい。
おはよう、まき毛のおちびちゃん」
「君がほしいのってこれだよね」
学生服の奏夜が胸の4冊のノートを前につき出して挑戦的な笑みを浮かべる。
えんじの奏夜はそれに答えるようにニヤリと笑い、素早く変装を解いた。
そこには黒い服に青白い髪の青年が立っている。
対面の奏夜より頭一つ分背が高く、肩幅も広い。
月下の怪盗、Moonlit Skyだ。
「ああ、4冊もあるのか。
探す手間が省けたよ。ありがとう」
乱れている髪をかきあげ、
その手を奏夜に向ける。
奏夜は咄嗟にノートを持っている手をなるべく怪盗から遠ざけた。
「父が遺したあなたに関する記録帳、全部読みました!
その上でこうやって会えるなんて——」
奏夜は「嬉しい!」という言葉を飲み込み唇を少し噛む。
しかし、小鼻をひくつかせ、興奮は隠せない。
「喜んでくれて光栄だね。
で、私とひと時のおしゃべりでもするつもりかい?」
「君、やっぱり盗むものが実際どんなものなのか直前まで具体的には知らなかったんだね」
「だから予告状には盗むものは曖昧に
【私事】と書いて、逆に侵入方法を具体的に
【硝子を一枚割る】って書いたんだ」
怪盗は何も答えない。奏夜は続けた。
「盗むものが曖昧だったのは知らなかったっていうのもあるけど、あえて父の名を出して僕の気を引いて探させる目的もあったんでしょ」
「坊ちゃんが私の想像通りの子で助かったよ。
それで?」
「ガラスを割るって具体的に書いたのは当日のための仕込み。怪盗が時間通り僕ん家に入り込んだと思わせるためのね」
「でも実際の君は僕の変装をして堂々とうちに居座ってた」
奏夜は怪盗が先程まで身につけていた変装用の
抜け殻が床に落ちているのをチラリと見る。
「坊ちゃんになるのは容易かったよ」
怪盗は愉快に笑う。
「君は感情が揺れると、少し幼い喋り方になるね。普段はそれを隠そうとして、背伸びをした話し方をするだろう? 言いたい言葉を飲み込んで口をムズムズさせたりもする」
奏夜の背筋が凍る。
「嫌なことがあると足を踏み鳴らす。
面白いものを見つけると、小鼻がぴくっと動く。
ほら、さっきも私と話すときに小鼻が動いてた」
「……」
「そういうのを少しずつ真似していけば、
坊ちゃんになるのは難しくなかったよ。
君は素直でかわいいね」
「っ……」
奏夜は歯を食いしばり、怪盗を睨み返した。
自分が無意識に見せていた癖を、
この男は一つ残らず覚えていた。
いつ見られていた? いつ観察されていた?
———そうか、あの時。
玄関先で交わした何気ない会話。
意地の悪い郵便屋。
あれは自分の癖を探るためだったのだ。
「君あの郵便屋でしょ」
「わざと僕を煽って揺らして観察したんだ。
予告状だって君が直接渡せば足がつかない」
「そんなにベラベラ話してくれたら、
君の変装がもっと上手になってしまうな」
怪盗は眉をあげ目を細める。
「父もノートに書いてたよ、君のこと変装の天才って。本当だね!」
「名探偵殿に認められるとは光栄だね」
「君は僕になる前、まずはばあやに変装して家に潜伏したんだ。おそらく僕が書斎に籠った辺りからじゃないかな」
「……」
「警備の打ち合わせもばあやになった君は何食わぬ顔で聞いていたんでしょ」
「さあて、どうかな」
怪盗は芝居がかったように肩をすくめ、
両手を軽く広げる。
奏夜は眉間に少し皺を寄せたが、
また真剣な顔をして続けた。
「潜伏中に屋敷内をある程度把握して、予告状当日、僕の夕食に催眠剤を盛ったんだよね」
「……朝まで目覚めないと思っていたよ」
怪盗は目を細め片方の口角を上げる。
奏夜は想像以上に大量の催眠剤を入れられていたことに驚いたが、すぐに笑顔になった。
「今日は緊張して半分も食べられなかったんです。でも、完食しないとみんな心配するから……残った分は捨てちゃった!
せっかく作ってくれたのにごめんなさい」
「ああそうかい。それはお粗末さま」
「で、書斎の鍵を鍵師みたいに開けて中に入った。ここで本棚に細工をするんです」
「細工っていっても、入ってるものを
ちょちょっと寄せたり、その辺に放ったり。
もともと散らかり放題の部屋だから、
多少荒れても気づかないし、時間もそんなにかからない」
「……」
怪盗は片手を自らの顎にやる。
「そして眠った僕を二階の寝室に連れて行って縛りつけたんです。
首にかけていた鍵もここで抜かれたみたい」
怪盗は無言で革の手袋をはめなおしている。
奏夜は怪盗の顔を覗き込んだ。
「でも残念。僕、縄抜け得意なんですよね。
昔父に教えてもらって」
奏夜は小脇にノートを挟むと、
満面の笑みで怪盗に手首の縄のあとを見せつけた。
怪盗は鼻で笑って一蹴した。
「で、今日。定刻通りにわざと派手な演出で現れて、予告状通り窓ガラスを割った」
「でもあれは君じゃなくて君の協力者。
月下の怪盗の予告状はいつも必ず実行されるから、当日ガラスが割れれば『怪盗がやった』って皆思うでしょ」
怪盗はその言葉を受けて無表情になる。
奏夜は眉を少し上げる。
「二階に注目を集めている間に、君はばあやから僕に変装し直した。でも、窓を破るだけだと引き付けが足りないから、一階の電気を消灯させた」
「そして、蓮司さんの目が慣れないうちにランプに灯りをつけて、目線を下に誘導したんだ。
で、書斎に案内した」
「見てたかのように話すね」
「実はね、見てたんだよ。
いかにも本物がいると意外と気づかれないんだね。君と協力者みたいに」
奏夜はニヤリとイタズラっぽく笑って続ける。
「そしてその間に、隠れていた君の協力者が月下の怪盗として警察たちの面前に現れて
【私事】は頂きましたとでも言って立ち去る」
「へえ"協力者"ねえ」
「僕になった君は、蓮司さんと一緒に堂々と鍵を開けて書斎に入った。
そして、あらかじめ準備してあった空っぽの本棚を見せる」
「あとは君が僕の顔でうんと辛い表情をして
『一人にさせて』とでも言って、蓮司さん達を帰せばゆっくりお目当てのものを探して回収できる。そうでしょ?」
全てを言い切った奏夜は、息を荒げながら胸を張り、「どうだ」と言わんばかりの得意顔で怪盗を見上げた。
怪盗は肩を振るわせ、唇を噛んで耐えていたが、ついに吹き出した。
「御名答、御名答!
その手柄顔は、ふふっ……実に愉快だ」
小さく拍手をしてクスクスと笑いを堪えながら話す怪盗を見て奏夜はムッとしたが、その苛立ちもすぐに好奇心に変わり、真剣な眼差しで怪盗を見る。
「ねえ、聞きたいことがあるんだ。
君はノートの存在を初めから知っていたの?
それになんでこのノートにこだわるの?
世の中にはもっと分かりやすくお金になるものが沢山あるじゃない。あの金屏風みたいに」
「……坊ちゃん、私が質問に答えると思うかい?」
怪盗は表情を消すと、
奏夜に向かって手を伸ばした。
「……さあ、名探偵ごっこはおしまいだよ」
「ノートをこっちに寄越せ」




