真白の書斎
Moonlit Skyは名探偵・鴉間 真白が生涯捕まえることのできなかった終生の好敵手。
少なくとも世間ではそう言われている。
だが実際の父は彼に対して時には悔しそうにしていることもあったが、同時に好奇心も強く刺激されていたようだった。
『すごいんだよ、Moonlit Skyは!』
父から語られる月下の怪盗はどこか自慢話のようであり、その目は難しいパズルを前にしてワクワクしているような表情で、聞き手も同じような気持ちにしてしまう話ぶりだった。
名探偵が残した好敵手の大怪盗の私事。
私事とはなんだろうか。
思い出だろうか。秘密のことだろうか。
それとも事件の記録だろうか。
【書き留めた】とある以上、紙の形で残されたものなのは間違い無いだろう。
奏夜の父、真白はメモ魔だった。
常に帳面を持ち歩き、頭に浮かんだことを書いてはその辺に放っていた。
内容は無作為で、探偵らしく関わった事件に関係のありそうなものもあるが、その場にそぐわない全く意味不明なものも多かった。
例えば、自宅の食堂で父と食事をしている時に、彼がおもむろに帳面を取り出し書いて足もとに放ったものをそっと見ると、
【靴下のあとがなかなか消えない】
と書かれていた。
また、応接間で客人の相談を聞いている時に、相談内容とは全く関係のない裸の女性の絵を書いて、それをいつもの癖でうっかりその辺に放ってしまい、目玉が飛び出るほど怒られているのを目撃したこともある。
父がその辺に放った紙は、ばあやか蓮司によって書斎前に集められる。
そうして出来た紙の山は、気がつくといつのまにかなくなっていた。
どうやら彼が書斎に引き込んでいるらしかった。
父は怪盗について別に記録帳でも作っていたのだろうか。
いや、父のことだ。
そんな几帳面な真似はしそうにない。
乱雑な紙の束の中から怪盗に関するものを拾い集めるつもりなのだろうか。
しかしもし、記録帳のようなものが本当にあるとなれば、
新聞や雑誌の記者はもちろん、
父を敬愛する者や怪盗の熱狂者、
そしてもちろん怪盗自身にとってさえも喉から手が出るほど欲しい代物だろう。
奏夜はいろいろな考えを巡らせたあと、警察官で、父の長年の友人でもある桐生 蓮司にその手紙を見せることにした。
いつも弁当を持ってきてくれる朝にしよう。
彼ならMoonlit Skyの事件も担当しているし、父との付き合いも長いので何かわかるかもしれない。
* * *
「次の満月は六日後か……」
蓮司は手紙を見るなりそう呟いた。
もともとの渋い声が一層渋くなり、それが深刻な状況なことを物語る。
「やっぱり本物、ですよね」
「この封蝋の紋章も、署名の筆跡も一般には知られていない。間違いないよ。しかし、アレがマメに記録を残すなんて正直まったく想像できん。
おちびは、何か心当たりはないのかい」
「あの、……いや……」
奏夜は落ち着かない様子で、
その場を二、三歩行き来した。
「どうした?」
「書斎。父に『入らないでね』って言われていて、一度も入ったことがなくて。父が散らばしたメモ紙ってあの部屋にあるんですよね?」
奏夜の目線の先には真白の死後から一度も開けられていない、父の書斎の扉があった。
「たしかに、そこが一番あやしいな」
「父には開けるなって言われてたし、鍵ももうどこにあるかわからないので、ずっとそのままでした」
蓮司は後頭部を少し掻いて考えたあと、ゆっくり口を開いた。
「書斎の扉、開けてみないか?」
「え……閉まっている方が怪盗に入られないのでは?」
「やつは煙のようにどこにでも入り込むよ。
それに怪盗の目当てのものがあるのか無いのか、そもそも何があるかもわからないんだ。
開けてみた方がいいと思う」
奏夜は下を向いて唇を噛み締めた。
しかし、小鼻はひくつき、口元はむずむずと動いている。
「真白の居た場所をそのままにしたい気持ちも分か——」
「父にはダメと言われていたけど、ホントはね、ずっとそこに入ってみたかったんだ!」
奏夜が笑顔で蓮司を見上げる。
その目は明らかに好奇心に満ちており、生前の真白が難事件を前に見せていた表情によく似ていた。
蓮司は苦笑し「まったく、親子だな」と小さく息をついた。
* * *
鍵師が作業を開始すると、真白の死後開かずの間となっていた書斎の錠はあっけなく開いた。
「では、合鍵が出来たらまた。夕刻くらいですかね」
鍵師を見送った二人は早速書斎の前に立ち、奏夜がノブをひねる。
当然、何の抵抗も無い。
拍子抜けしながらも扉を少しだけ引くと、押し込められていたメモ紙の束がずるりと足元へこぼれ落ちる。
少しだけ開いた扉から
紙とインクとホコリの匂い。
その奥にかすかに父の残り香がした気がした。
二人は顔を見合わせ、中の様子が粗方確認できたことを目で合図し合うと扉を一気に開け放つ。
紙、紙、紙の山。
目の届く範囲全てが紙と帳面と開きっぱなしの本だった。
そして何よりも床に散らばったメモ紙。
まるで地層のように重なって、それらを退くと底無しの穴になっている気さえした。
人が入らなかったせいで空気がよどみ、クモの古巣がホコリを吸着させている。
「これはひどい。想像以上だ」
蓮司が咳込み、動くのを迷っているのをよそに、奏夜は興奮気味にずいずいと中へ入っていく。
そして時折立ち止まっては散らばった書類やメモ紙を読んでいる。
「蓮司さんも来てくださいよ。立っていても何も探せませんよ」
奏夜は書類を読みながら蓮司を手招く。
「おちびは小回りがきくが、俺は無理なんだよ……」
壁のような図体を持つ蓮司は、進むたびに書類や本の山を破壊していた。
「ああもう! 進むも戻るも地獄だな」
顔面にホコリまみれの蜘蛛の古巣があたり、蓮司は進むのを一旦諦めた。
奏夜は構わずメモを読み続けている。
「怪盗がこの紙の層から【私事】を探して持っていこうとしたら、この部屋で動けなくなってる蓮司さんでも簡単に逮捕出来ると思うよ」
奏夜の声が聞こえ、蓮司がその方向に目をやると、
【壁】の文字と蓮司の似顔絵が描かれたメモ紙をこちらに向けて笑っている。
蓮司がたまたま見た足元のメモには文字が書いてあった。
【女装? 咄嗟に右利き。しかし両利き】
「怪盗は何かアテがあるのか……?
ここから何かを探すのは至難の業じゃないか」
知と好奇心の断片を思いつくまま書き散らし、
積み上げた結果がこの部屋なのだろう。
二人はしばらく無言で紙の山を見渡す。
書斎というより、まるで真白の頭蓋の中を
そのまま覗き込んでしまったようだった。
* * *
夕刻になり鍵師が合鍵を作って持ってきた。
蓮司は奏夜に真新しい小さな鍵を渡す。
「これはおちびが持ってろ。首に下げるといい。
まあ鍵師があんなに簡単に開けていたから、気休めにしかならんとは思うがな」
奏夜はばあやに毛糸をもらうと、鍵に通して即席のネックレスを作り自分の首にかけた。
「でも少なくともこの鍵で開けられる事は無いですよね」
結局今日は怪盗のことを記した資料らしきものは見つからなかった。
「何も心配するな。警察には俺から連絡しておくよ」
「あの……」
奏夜は立ち去ろうとした蓮司を呼び止め、言いにくそうに途切れ途切れ話し始めた。
「警察に連絡したら、その後どうなりますか」
「捜査官が書斎を探して、怪盗の目当てが見つかれば予告状の日まで警察側で保管するかな」
「……それってお断りしたら、僕……逮捕されますか?」
奏夜の表情は険しくなると同時にみるみる赤くなった。
その様子を見た蓮司は少し困った顔をして頭を掻く。
「あのなあ——」
「嫌です!父の書斎に入って好き勝手に調べられるのも、没収されるのも!」
こんなに感情を露わにする奏夜を見たのは初めてだった。
蓮司は言葉を失ったがすぐに落ち着き、奏夜の肩に手をやる。
が、その手は奏夜の手によって払われた。
「奏夜の気持ちはわかるよ。
でも、俺たちも怪盗を野放しにするわけにはいかない」
「新聞で読みましたよ。屏風事件の時だって大勢で守備を固めて、そのせいで人が集まって、結局失敗じゃあないですか」
「それは久我が騒いで想定外に人が集まったんだ」
「じゃあ、人が沢山集まって失敗したこと、認めるんですね」
「おいおい……」
「僕が怪盗の私事を探して、僕が守ります。
怪盗とは僕が交渉します」
奏夜はそう言い放つと、書斎に入り中から鍵を閉めた。
「遊びじゃないんだぞ!おちびに何ができる!」
蓮司は書斎の扉を何度も強くノックした。
応答はない。
「危険なことはよしてくれ、勘弁してくれ……」
手で顔を覆って肩を落とす蓮司に、ばあやが寄り添い腰の辺りを優しくさすった。
「蓮司様、お疲れでしょう。
坊ちゃまも今は聞く耳を持っていないようです。
今日はもうお引取りなさって。
どうぞ、お休みくださいまし」
「すいません、取り乱してしまって……」
蓮司は肩を落としたまま鴉間邸を後にした。
書斎の扉の向こうでは、
紙をめくる音だけが静かに響いている。




