12 . 女騎士は恋をしている
お母さんは言った。
「私はあなたのお母さんじゃない!!」
「私は確かに男の子を産んだんだ!」
「それをあの女!泥棒猫!横取り女が、私の子を奪いやがって!本当だったら男の子を産んだ私が国母のはずだったのに!あんな掃き溜めに捨てられ!苦渋を舐め!王子様に見放されて!あの女の子どもだけどあんんたの世話だってしたのに体を売りたくない?ああ、あんたはあの女そっくりだ!自分が可愛くて他人がどうなろうと知ったこっちゃない!!育てた恩を忘れて、仇で返しやがって!王子様は私が好きだと言ってたのに!男の子を産んだら喜んでくれたのに!どうして迎えに来てくれないのよぉぉ!!!!」
男爵は言った。
「王家の血をひく娘だというから引き取ったのに、この阿婆擦れめ!!」
「金さえ渡されなければ、貴様ら売女どもを引き取るわけなかったものを!汚れた体を慈悲深くも抱いてやろうとしたのにクソがクソがクソが!」
「いっそのこと他の奴らに肚を貸し出したっていい。尊い血を欲しがる人間は、いくら売女といえど、それなりにいるだろう。あの女狐によく似た顔だから、甚振りたい奴らの需要もたくさんあるだろうし、だとしたら、手足はもういらないな」
男たちは言った。
「お母さん?何の話だよ、このガキ。ひゃははははオレたちゃお姫様にちょおっとばかし民の声を届けにきただけだ、お母さんなんて知らないねえ」
「はあ?だから知らねっての!ああそれともあの女のことか?はした金で股を開いたユルユル女!頭も股もユルユルでなあ!阿呆面さらして喘いでいたぜえ!」
「おいおいそいつじゃねえよぉ。オレたちが皆で親切にしてやった年増だよな?いい年して発情しやがって鳥肌たっちまったぜ」
「たってんのは違うとこだろ!」
「これはあの女じゃなく、お姫様や貴族の侍女様たちにだよ!あの年増なら今頃オレたちの馬に乗って楽しんでんだろ!」
「帰ったら馬子が生まれてたりしてなギャハハハ!」
血塗れになった私と同じ銀色の髪を持つ王女殿下は言った。
穢らわしい男どもの血に汚れていたが、私の手は剣を手放すことすらできず、震え、怯える彼女の前でも固く握りしめられていた。
「助けてくれてありがとうございます。あなたは誰ですの?」
どうしようか。
生まれてから一度も重いものを持ったことのないような白魚のような手。
暴行されかけた恐怖に怯えながらも、幼いながらも気丈に振る舞うその姿は王族そのものだった。
何もかも私と違う。
同じ母から生まれてきたはずなのに何故。
見下ろす手は血塗れで薄汚い。
私は固く握りしめた剣を見つめる。
「王子様」
ぼんやりと血の臭いに酔いながら、考え込む私に、私の妹は言った。
「白馬の王子様のようだわ」
慈しみにあふれる幼子の顔は、どこかの誰かを想像させた。
勘弁してくれ。
もう、私は限界なんだ。
誰かの理想の王子様を演じるのは疲れたんだ。
どう足掻いたって生まれ落ちた時点で、罪を背負って生きてきた。
誰からも愛されないのに、誰かに愛されたくて藻掻くのはもう嫌だ!
どうして、捨てるために私を生んだのか。
どうして、憎んでいる子どもを手元においたのか。
僅かな間違いが、私を期待させ、裏切り、苦しめるのに、私はまた間違いを犯そうとしている。
皆殺しにして死んでしまいたい!!
「ええ、私があなたを守りましょう」
だけれど、少女の顔は幼い頃に見た、鏡の中の自分に似ていた。
泣きそうな顔で、救いを待つ顔。
助けを、愛を求める迷子のような。
私は諦めた。
妹に、自分と同じような思いをさせるのは、死んでも嫌だった。
だから。
朝靄で少し湿った石畳の訓練場に、木刀が打ち合う乾いた音が響く。
王都郊外にあるこの広場は、数十人の男女の騎士で埋め尽くされていた。
遠くでは初心者騎士が型稽古に励み、中央付近では小隊単位での模擬戦が繰り広げられている。
土埃が舞い、呼吸が荒くなる中、私は笑みを浮かべながら、訓練用の木刀をルパートに向ける。
美しい琥珀色の瞳が静かに私を見据え、私を待ち構えていた。
私は胸を弾ませ、地面を蹴り、一直線に駆け出す。
地を這う蛇のように低く滑走し、ルパートの懐を狙うが、ルパートは微動だにしない。
巨体に似合わなう驚くほど静かな姿勢で、意図を見極めようとしている。
三歩以内の距離に飛び込み、下段から切り上げるフェイントを放つと同時に、左手の木剣を逆手に持ち替え、足を狙う。
周囲の騎士たちのざわめきに対して、ルパートの表情は変わらない。
彼は素早く半歩後退し、同時に巨大な木剣をまるで重みを感じさせない速さで振るう。
剣の腹を当て、私の腕を弾くのではなく、その勢いを吸収するように優しくいなす。
体勢が崩れることは避けられたものの、完全に攻撃の方向を逸らされてしまった。
舌打ちをし、低い姿勢を保ったまま、すぐに距離を取る。
頬が紅潮しているのを感じる。
計算された虚偽の攻撃も、相手の死角を突く精密な動きも、目潰しすら辞さない冷徹さも、すべてが、ルパートの余裕綽々とした防御の前に、紙のように翻弄されている。
唇が自然と笑みの形をとる。
圧倒的な身体能力と卓越した技術を持ち、巧みに受け流し続けている。
それはまるで、獰猛な猛獣の爪先だけで遊ばれているかのようだ。
三度目の接触で、私は賭けに出た。
懐がガラ空きになるのを気にせず、上段からの一撃を放つ。
それは当然のごとく、ルパートの剣によってあっさりと受け止められた。
しかし、私は重心をずらした。
ルパートのバランスを崩すために、押さずに引いたのだ。
柔らかい水がすり抜けるように、予期せぬ変則的な体重移動に、ルパートの足がほんの僅か、石畳を擦った。
たった一歩、ごく小さなブレだ。
それでも、決定打になるはずだった。
瞬間、視界が逆転した。
ルパートが崩れた体勢を利用して、逆に足払いを仕掛けたのだ。
転倒こそ免れたが、完全に重心を奪われる。
振り下ろされる巨大な木剣。
風圧が頬を撫でた。
反射的に体の前に出した木剣は、甲高い音を立て、二本のうち一本が空中高く弾き飛ばされる。
宙を舞う武器を目で追う暇もなく、残る一本は既にルパートの巨剣に絡み取られていた。
丸腰となった私の首筋に、ひんやりとした木剣の切っ先が、そっと添えられる。
決着は一瞬だった。
私は天を仰ぎ、肺の奥から湧き上がる笑い声を堪えきれずに吐き出した。
それは悔しさではなく、心底からの歓喜に満ちた、清々しいまでの哄笑だった。
「ふふふ! あはははは!足払いは私の十八番じゃないですか!してやられました。ルパート。正々堂々たる騎士団長のあなたに足払いされるなんて思考の隙を突かれました」
観衆が呆然と見つめる中、私は震えながら膝をつき、そのまま仰向けに転がりそうな勢いで笑い続ける。
泥に塗れた白い制服も、乱れた髪も気にしない。
ルパートは武器を下ろし、少し困ったように苦笑しながら、差し出された右手を私に向けて伸ばす。
「やっぱり、歯が立ちませんね」
差し出された手を掴み、立ち上がる私の声は弾んでいた。
訓練用の服についた土をぱたぱたと叩き落としながら、肩で弾む息が妙に心地よかった。
ルパートは穏やかに首を振る。
「いや。今日のはかなり驚いたぞ。俺でも受けきれなかったフェイントがあった」
周囲には数人の騎士が模擬戦を観戦したり、自分の訓練に戻ったりと散らばっている。
彼等の投げかけてくる視線には敬意もあれば羨望もあり、時には畏怖も混じっているのが分かる。
けれどルパートの大きな背中は、そうした全ての声を完璧に遮断していた。
ルパートは、自身に向けられた尊敬の眼差しなどまったく気にも留めていないようだった。
彼の琥珀色の瞳には、目の前の笑いを噛み殺そうとしている私しか映らない。
そこには一切の驕りも侮蔑もなく、ただ純粋な賛美と温かな何かがあった。
ルパートの分厚い手が私の熱を持った頬に触れ、しばらくじっと見つめ合う。
鍛えられた皮膚は硬くごつごつとしているのに、その動きは驚くほど繊細で優しい。
ルパートの深い瞳から目が離せない。
琥珀の湖面の奥で揺らめく感情の意味を探りたくなる。
二人だけの間に流れている時間が、訓練場の喧騒を遠くに追いやる。
他の騎士たちの話し声や木剣の打ち合う音が、まるで水中で聞こえるようにぼんやりとしか届かない。
どれくらいの間、そうして見つめ合っていたのだろう。
永遠にも刹那にも感じられるような不思議な沈黙。
ルパートの瞳の奥に宿るものが、徐々に形を結ぼうとしているように思えた。
「今回の見合いは成功か?」
ルパートがふと口を開く。
低い声には冗談めいた響きはない。
若い騎士たちが、ちらりとこちらを盗み見る気配を感じた。
確かにこれは見合いのはずだった。
豪華な食事も、庭園の散策も、形式的な会話もない。
あるのは木刀と石畳、汗と土埃、そして今この瞬間だけ。
私は思わず小さく吹き出した。
見合いが訓練場で終わるなんて、きっと後世の社交界の笑い話になるだろう。
でも、
「大成功です。私はもっともっとあなたが知りたくなりましたし、知ってほしい。もっとあなたと一緒にいたい」
形式をこなすことには興味がない。
彼の剣技、判断力、何よりもあの澄んだ瞳。
それらがルパートの人となりを教えてくれる。
「だから、もう一手合わせお願いします」
言葉が自然と口をついて出た。
これ以上何も飾らなくても良い、という安堵が私の中にあった。
見合いの成果は形ではなく、この一瞬一瞬の共有にあった。
ルパートは一瞬目を丸くしたが、次の瞬間、口元に大きな笑みが広がった。
訓練中の厳しい表情とは違う、少年のような無邪気な笑顔だ。
彼は私の肩に手を置き、くるりと背を向けると、訓練用の長剣をもう一本拾い上げた。
「分かった。全力で行くぞ」
その背中から、彼の喜びが伝わってくる気がした。
二人の本当の姿を見せ合う方が彼も好きなのかもしれない。
私も足元を確認し、再度剣を構える。
周囲のが呆れと興味の入り混じった視線を向けてくるが、そんなものはもう気にならない。
私たちはまた向き合い、今度も互いの呼吸を測るように静かに距離を詰めていく。
私の中の不安も恐怖も消え、そこには純粋な未来への期待と、ルパートへの限りない温かな想いだけが膨らんでいた。
訓練場を囲む石垣の一角に、一台の馬車が密やかに停車していた。
窓のカーテンは薄く開けられ、その隙間から二人の人影が見え隠れする。
金糸の刺繍が施されたソファに腰かけたアルフレッド王子は、肘掛に頬杖をつき、退屈そうに目を細めていた。
一方、その隣に座るエルヴィラ王女は、大きく見開いた紫瞳を、石畳で繰り広げられる壮絶な模擬戦に釘付けにしていた。
馬車の外には五人ほどの黒服の騎士たちが、警戒の視線を四方八方に走らせながら護衛に当たっている。
厳重すぎるほどの警備だ。
しかし、今日の目的は単なる移動の安全確保だけではない。
アルフレッドは内心で毒づいた。
本来ならば、白百合騎士団長のクラウディアと王国騎士団長のルパートの正式なお見合いの日のはずだった。
場所はこの訓練場からほど近い貴族邸宅。
それがどうしてこうなったのか。
朝一番で届いたルパートからの急な連絡と、それを聞いて乗り気になったエルヴィラの我儘が原因だ。
『申し訳ございません殿下。急遽、クラウディアとの見合いを訓練場で行うことになりました。是非とも王女殿下にもご覧いただきたいと』
そんな報告文だったと記憶している。
エルヴィラはといえば、お見合いということもすっかり忘れた様子で、興奮気味に窓枠を掴んでいる。
いや、アルフレッドも何度もお見合いだということを忘れそうになったというか、どう見ても訓練にしか見えない。
「見て! お兄様! クラウディアったらすごいわ! ルパートのあの巨大な木剣をまるで玩具みたいにあしらっているじゃない!」
少女らしい純粋な称賛に、アルフレッドはため息をつく。
「あしらわれているの間違いだろ。実際、クラウディアの攻撃はほぼ全て封じられているじゃないか」
「でも! 一瞬でもルパートの防御を突破したわよ。ああ素敵!二刀流なんて強者の証、浪漫がありますわ」
エルヴィラは誇らしげに言う。
(馬鹿馬鹿しい)
アルフレッドは心の中で呟いた。
ルパートが本気で動けば、クラウディアなど秒で制圧できる。
それをわざと隙を作って遊ばせてやっているだけだ。
騎士道精神なのか、あるいは別の感情なのか、考えるだけで頭が痛い。
彼はちらりと隣の妹を見やる。
エルヴィラは兄とは似ても似つかない、天真爛漫な性格だった。
だが、そんな彼女にとってクラウディアは、最も信頼できる大切な存在である。
戦いのクライマックスは一瞬だった。
クラウディアがついに無手となり、その首筋に木剣が突きつけられた瞬間、エルヴィラは短い悲鳴を上げ、アルフレッドは小さく鼻を鳴らした。
(やっぱり、結末は変わりようがない)
模擬戦の後、互いに笑い合うクラウディアとルパートの姿が見えた。
親しげに握手を交わし、ルパートが何か諭すように言葉をかけていたが、声までは馬車までは届かない。
エルヴィラは突然、ぷっくりと頬を膨らませた。
先程までのご機嫌だったのが一転した変化に、アルフレッドが怪訝な顔をする。
「何だい、急に」
「だって…!」
エルヴィラは窓ガラス越しに、遠くのクラウディアを見つめながら口を尖らせる。
「…クラウディア、楽しそうだわ。あんなに笑っている顔、初めて見た。ルパートといると、あんなふうに笑うのね。ずるい…わたくしの王子様なのに!」
恋敵に向けるような嫉妬深さに、アルフレッドは思わず吹き出しそうになるのを必死でこらえた。
気を取り直したアルフレッドは、わざとらしく咳払いをした。
「まあ、お似合いだとは思うけどね。どちらも騎士馬鹿だし、趣味も合うだろう」
その言葉にエルヴィラはさらに不満げに唇を歪める。
「アルもクラウディアが好きなのに、ルパートに取られて悔しくないの?」
アルフレッドは思わず咳き込みそうになる。
「なっ、なんの話だ!? クラウディアは確かに騎士として優秀だが、僕はそれ以上の感情は抱いてないぞ!」
「素直じゃないのは負い目があるからかしら」
エルヴィラはじっと兄の顔を見つめ、それから小さく息をついた。
まるで見透かしたような瞳だったが、そこには兄を責めるような色はなく、ただ一抹の寂しさが浮かんでいるようだった。
「…わたくしはクラウディアが幸せになれる人じゃなければ認めてあげないわ」
彼女はそう言って、再び窓の外に視線を移した。
訓練場では、白百合騎士団の若い団員たちがクラウディアに駆け寄り、熱っぽい視線を送っている。
その中心で、クラウディアはいつもの毅然とした表情を取り戻し、何事もなかったかのように部下たちに指示を出していた。
馬車の中には、再び静寂が訪れた。
外では木刀の打ち合う音が響き、騎士たちの掛け声が重なり合う。
だが、この小さな空間だけは、妙に緊張感を孕んだ沈黙が支配していた。
アルフレッドは、クラウディアの過去を、そして彼女が抱えるかもしれない秘密を思い巡らせながら、これから先の展開を考える。
同時に、この無邪気な妹が、どれほど深くクラウディアを想っているかも感じ取っていた。
彼は静かに目を閉じ、しばし思考を整理する。
そして、傍らで遠くを見つめる妹の横顔に視線を落とす。
エルヴィラは何を考えているのか、再び模擬戦を眺め始め、時折、小さな呟きを漏らしている。
馬車の外では、護衛の騎士たちが静かに立哨を続け、春の風が石畳の上を滑る。
アルフレッドはゆっくりと、次なる一手を考え始めた。
兄姉妹それぞれの思惑を胸に秘めながら、時間は過ぎていくのであった。




