7 . 見合いの始まり
その日の朝は騒がしかった。
焼き立てのクロワッサン、フルーツジュースをお盆に乗せ、空いている席に移動する際にも、
「おはようございます!」
「今日は特別な一日ですね。しっかり食べて英気を養ってください」
「団長とお見合いする方が羨ましいです!」
「悔しいですけど団長の幸せが一番ですもの泣」
「あ、ありがとう」
団員たちに次々に声をかけられる。
お見合いだというのに、まるで成婚が決まったような祝福ムードだ。
元々、私はこの白百合騎士団で最年少の騎士団長だからか、年下として可愛がられることが多かった。
恋愛関係の噂話はとんとなく、それ故珍事に皆盛り上がっているのかも知れない。
食欲が湧かないまま一口ずつ食べ進める。
昨夜眠れなかったこともあり、頭が重い。
緊張しているのだ。
ルパートにどう告げたらいいのか。
このお見合いは成立しないとしても、どうにか円満に終わらせたい。
だけれど、心の何処かで、終わりまでの時間を長引かせることができないか足掻く自分がいた。
パン屑一つも残さず皿をきれいにして立ち上がり、団員たちの祝福の声を聞き流しながら、ドレスを預けたままでいる洋装店に向かう。
店では既に店主の婦人が待ち構えて、ドレスを用意していた。
「お待ちしておりました」
婦人がドレスを広げる。
深い藍色のドレスは鏡の前で広げられると想像以上に華麗だった。
長袖のレースは月光のように繊細で、編み上げ式の背面は傷を完全に隠しつつも優雅な曲線を描いている。
「こちらでいかがでしょう?団長様のご要望に最大限お応えいたしました」
どこか得意げな婦人に、言葉を失う。
こんな装いをしたことがない。
騎士として鍛え上げた身体を覆い隠す柔らかな布地に戸惑いを覚える。
「素敵ですわ!クラウディア様の凛とした雰囲気にぴったりでございます」
衣装店の従業員たちから口々に賞賛の声をうけるも、私は不安だけが募っていく。
こんな姿で彼に会うのか。
女のような、こんな姿で?
鏡の中の、迷子のような不安そうな顔の自分に耐えきれず、思わず視線を逸らした。
次々と持ってくる装飾品の中に、例の琥珀色のイヤリングがあった。
彼の瞳を思わせるその色に一瞬心臓が跳ねたが、すぐに自己嫌悪に変わった。
柔らかな布地も装飾品も虚飾でしかない。
ルパートがこんな自分を好むわけがない。
無意識に握った拳は震えていた。
これから始まる破滅的な時間への恐怖を抑えきれなかった。
重々しいドレスを引きずるように私は衣装店の扉を開ける、馬車を待たせていたはずだが、と辺りを見渡せば、待たせていたはずの馬車が、豪奢な金装飾の馬車に変わっていた。
いやそんなわけはない。
現実逃避したくなる私を前に、御者が恭しくドアを開ける。
「クラウディア!」
その声には明らかな怒りが込められていた。
いつも冷静なエルヴィラ王女の顔が不満で歪んでいる。
私は反射的に背筋を伸ばし、ドレス姿なのも構わず、騎士の礼をとってしまう。
「殿下、なぜこのような場所に?」
「何故ですって?!わかるでしょ?!これは立派な浮気よ!」
頭が痛いし、周囲の視線も痛い。
慌てて馬車に乗り込み、通行人の好奇の目を閉ざすように素早く扉を閉める。
王女は私のドレスに視線を走らせ、顔をしかめた。
「…悔しいけど似合っているわ。そうだ、こう思うことにしましょう。クラウディアはわたくしとのデートのために、ドレスを新調したのだわ。他の男、ましてや熊団長とお見合いするために着飾ったわけじゃないわ。そうよ、クラウディアはわたくしの王子様で、わたくしが成人した暁には素敵な結婚式あげるの。そして、いずれはわたくしの子どもを産んでもらわないといけないわ」
私は言葉を探し、頭を振り絞る。
13歳の王女にはまだ性教育が行われていないのかも知れない。
今この場で女同士では子どもができないと現実を突きつけていいものか。
既に興奮状態にある王女殿下の出方が分からない。
ゴトゴトと揺れる馬車の座席で、私は重いドレスの裾を膝の上で整えた。
いつもならば気にも留めない馬車の振動が、今日は異様に神経に触れる。
肘掛に触れると革が冷たく、窓枠を掴む指先が微かに震えた。
向かいの席ではエルヴィラ王女が膨れっ面のまま、フリルが溢れそうなドレスの裾を引っ張り続けている。
「お兄様もわたくしの気持ちを知ってるくせに!」
幼い頬は桜色に上気し、私は思わず苦笑いを噛み殺した。
こんな純粋な感情をぶつけられると、罪悪感さえ芽生える。
「…殿下、私は子どもを産めません」
「あら、でしたらわたくしが産むだけですわ。クラウディアは何人くらいの子どもが欲しい?」
絶句してしまう。
切り返しの早さも、自分がウジウジ考えてきたことを何でもないことのように言ってのけてしまう王女に、私は思わず笑ってしまった。
おそらく無知からくる無神経さなのかもしれない。
だとしても、私はずっと悩んでいた重荷が、自分の思い込みで重くしすぎていることに気付いた。
別に私が子どもを産む必要はないのか。
本当に私が男であったなら、この子と結婚することもあったかもしれない。
といっても、不敬にも妹にしか思えないが。
「ありがとうございます」
「あら、いいのよ、クラウディアにはクラウディアにしかできないことがあるのだから。わたくしが産み、クラウディアは共に立派な子どもたちを育てましょうね」
「子どもはともかく…」
馬車の振動で、王女殿下の勢いに呑まれて肝心なことを聞き忘れたことに気付く。
これでは団長も護衛も失格だ。
「殿下?どこへ向かっているのですか?」
「わたくしの別荘よ。誰にも邪魔されずに今日は一緒に過ごしましょう」
無邪気な宣言に背筋が凍る。
エルヴィラ王女についていくためとはいえ、見合いを取り仕切ったアルフレッド王子の顔に泥を塗ることになるのではないか。
「いけませんエルヴィラ王女殿下。アルフレッド王子殿下が」
「…おかしいわ」
無邪気に笑っていた顔が、窓の外を見て一変する。
血の気の引く王女の顔を見て異常事態が起きたのだと判断し、まずは室内の安全確認をし、失礼ながらも王女殿下の隣に移動する。
震えながら、こちらを見上げる王女殿下の手に触れ、励ますように握りしめる。
馬車の窓から見える風景は確かに別荘地帯とは異なる山道で、緑深い森に挟まれた狭い道を進む。
いくらルパートの件で動揺していたとはいえ、行き先の確認を怠り、ろくな護衛も期待できず、武器は隠し持っている短剣のみという心許なさ。
無事に王宮へ帰ったら団長という名を返上してもいいくらいだ。
もともと、王女のコネで団長になっただけのこと、私以外の団員たちの方が、団長に向いている。
馬車が停車すると同時に扉が乱暴に開け放たれた。
男たちが扉の外に群がり、その視線には侮蔑と下品な好奇心が混じっていた。
男たちは見るからに荒くれ者で、統率された兵士の動きではない。
目の前には朽ちかけた木造の小屋。
人里離れた場所にある廃墟のような建物だ。
周囲の林は人里離れた場所で、ここがどこかさえ特定できない。
「ここは…?」
王女の声が震える。
私の手を握る指に力がこもった。
その温もりが逆に現実を突きつける。
私は反射的に、ドレス姿では動きにくいことを承知しながらも背筋を伸ばし身構えた。
短剣では心許ないが、隙を見せないよう注意深く姿勢を整える。
男たちの一人が馬車の中に入ってくる。
「姫様!外へでてくださいよ!」
エルヴィラ王女が恐怖で硬直している姿を前に、咄嗟に踏み出す。
心臓は早鐘のように鳴っているものの、毅然として振舞うことによって、相手をひるませようとするが、男たちはニヤニヤ笑うばかり。
相手の身のこなしから言って、相手は素人だ。
それでも、体格のよい成人男性十人に対して、こちらは護衛対象を守りながらの私一人。
御者はあちらの手の者だったらしく、王女が別荘に行くと知っている面々からの即急の応援は期待できない。
絶望的状況だ。
私はエルヴィラ王女と知り合うこととなった事件を思い出す。
王宮に入り込んだ男たちに、エルヴィラ王女は命を狙われ、その時も私は王女殿下以下使用人たちを守るために、戦った。
私の力量不足で、男たちは死に、殿下たちは首謀者が分からずじまいだったが、おそらく今回も同じ首謀者の計画だろう。
王宮の警備が厳しくなったので、外に出るのを何年も待ち構えていたのではないか。
その執念にゾッとするもの感じる。
私はスカートの奥に隠した短剣の柄を探る。
護衛の騎士は、自分一人きり。
しかも、このドレスでは満足に動けるかどうかも怪しい。
私は絶望していた。
強くなるために、ここまで努力したのに。
弱い自分を変えたくて、辛い訓練に耐え、女性という生き方すら捨て、がむしゃらに鍛えてきたのに、こんな理不尽な状況で、全て無に帰してしまうのか。
「エルヴィラ王女殿下、申し訳ありません」
馬車に入り込んだニヤけ面の男の背後で、加虐心溢れた男たちが囃し立てるように王女殿下を呼んでいる。
背後の王女殿下は気丈にも、震えながらも唇を噛み締め、強い眼差しで男たちを睨みつけていた。
「恐ろしいと思うのですが、目を瞑っていただけますか?」
助けは来ない。
絶望的だ。
今回も皆殺しにしなければならないなんて。




