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白馬の王子様と呼ばれる女騎士は、熊団長に恋してる  作者: 御仕舞


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0-4 . ハリボテの王子様






 その夜は特に寒かった。

冬の訪れを告げる北風が屋敷の窓を震わせる中、少女は侍女から男爵の私室へ行くよう告げられた。

抵抗しようとしたが、侍女長の冷たい目が少女を黙らせた。

断ればさらなる制裁が待っているかもしれない。


 男爵の部屋は豪華な調度品で飾られていたが、少女にとっては監獄も同然だった。

ベッドサイドに立つ彼は普段より上機嫌だった。



「来たか」



 男爵の声には期待が滲んでいた。



「さあ、こちらへおいで」



 少女は震える足で一歩前に出た。

行きたくない。

抵抗したい少女の手を取り、男爵は無理やりベッドへ導こうとした。

その手を振り払う勇気はなかった。


 ベッドに座らされた少女は、恐怖で硬直していた。

男爵の手が少女の肩に触れると、全身に鳥肌が立った。



「緊張しているのかい?大丈夫だよ。何も怖くない」



 男爵の声は異常なほど優しかった。

彼の言葉とは裏腹に、その眼差しには欲望が渦巻いていた。


 男爵の指が少女の顎を持ち上げる。

その手は冷たく湿っていた。

彼の顔が近づくにつれ、少女の中で何かが決壊した。


 突然、激しい吐き気が襲ってきた。

必死に堪えようとしたが遅かった。

少女は反射的に男爵から離れようとして床に倒れ込み、そこで嘔吐してしまった。

吐しゃ物が床を汚す。

男爵は凍りついたように立ち尽くした。

彼の顔から血の気が引いた。



「この汚らわしい売女が!」



 少女は震える手で口を押さえた。

体が動かない。

男爵の怒号に全身が凍りつく。

彼は急いでベルを鳴らした。

数人の侍女が慌てて駆けつけた。



「この愚か者を連れ出せ!浴室で徹底的に洗浄しろ!」



 男爵の目には侮蔑と憤怒が燃えていた。

少女は侍女たちによって強引に立たされ、引きずられるように部屋を出された。

抵抗する気力もなかった。






 浴室に連れて行かれると、三人の侍女が少女を取り囲んだ。

彼女たちの目には同情も憐れみもなかった。

ただ義務的に命令を遂行する機械のような存在だった。

冷水が頭上から浴びせられる。

寒さが骨まで染みる。

一人の侍女が石鹸を泡立てると、少女の肌を擦り始めた。

それは洗浄というより拷問に近かった。

もう一人の侍女が少女の口に布を押し込んだ。



「吐しゃ物の匂いがするわ」

「旦那様がこれほど怒られるのも当然です。恥を知りなさい」



 少女は黙って耐えた。

声を出せばさらに酷い目に遭うことが分かっていたからだ。


 全身が擦り切れるほどの洗浄が終わった後、少女はタオル一枚で放置された。

寒さに震えながらバスローブを羽織ると、侍女たちは無言で少女を追い出した。

侍女長が冷たく命じた。



「旦那様のもとへ戻りなさい」



 少女は虚ろな目で頷いた。

頭がぼんやりしている。

身体も心も凍りついたようで、思考がまとまらない。

男爵のもとに戻らなければならない。

罰を受けるのだ。

それがどんなに恐ろしいことであっても。


 重い足取りで廊下を進む。

石造りの通路は寒く、ランプの灯りが揺れる。

だが目的地に近づくにつれ、少女の足取りは次第に鈍くなっていった。

何かが本能的に少女を引き止める。


 曲がり角を過ぎたとき、少女は突然立ち止まった。

前方には男爵の執務室へと続く長い廊下。

だが少女の目は別の方向、裏口へと向かう通路を見ていた。


 無意識のうちに足がそちらに向かって動いた。

一歩、また一歩。

思考は停止したままなのに、足だけが意思を持って前進する。


 裏口の扉は半分開いていた。

扉を押し開けると冷たい夜気が吹き込んだ。

満月が雲間から顔を出し、雪を被った庭を銀色に染めている。

屋敷の外壁に沿って進むと、正門が見えてきた。

鍵はかかっているだろうか。

正門の横にある小さな通用門は幸いにも半開きだった。

少女は躊躇なく通り抜けた。


 振り返ると、巨大な屋敷が暗い影となって聳え立つ。

貧民街から見た時はあんなにも憧れた、期待した理想の暮らしがそこにあるというのに、今はただ重く冷たい牢獄に見えた。


 少女は何も持たずに出てきた。

雪の上で凍えそうな薄いバスローブ一枚。

ポケットには何も無い。

何もかもを置いてきた。


 街明かりが見えてきた頃、道の先から三人の男たちが近づいてきた。

酒臭い息と下品な笑い声が夜の冷気に混じる。



「おいおい、こんな時間にそんな寒そうな格好で何してるんだ?」



 リーダー格の男が赤ら顔で声をかけてきた。

他の二人も少女を取り囲む。



「ガキが一人でうろつくなよ。迷子か?」

「家族と喧嘩でもしたか、気狂いか」



 少女は黙って俯いた。

疲労と寒さで言葉を発する力もない。

リーダー格の男が突然少女の腕を掴んだ。

骨が軋むほどの強い力で。



「寒いだろ?一緒に温まろうぜ」



 上機嫌な彼は仲間に目配せした。

抵抗する間もなく少女は引っ張られた。

強い力で掴まれた腕が痛み、足がもつれそうになる。

男たちは路地裏の奥へと少女を引きずっていった。



「お兄さんたちが温めてあげるからね」



 残りの二人が下品な笑い声を上げた。

彼らの目には情けも理性もない。

どこに行っても救いなどない。

男爵の屋敷でもここでも同じことだった。


 でも、しょうがないのだ。

助けを必要としている母を置いて、自分可愛さに逃げ出したのだから、罰を受けなければならない。

王子しか縋るもののいなかった母を、見捨てて逃げ出し卑怯者には相応しい末路だ。


 少女は抵抗しなかった。

どうなったって良かった。

どうなろうと結末は同じ。

悪因悪果。

悪い行いには、悪い結果が返ってくる。



「全員動くな!」



 突然、闇をきり裂くような凛とした声が響き渡る。

青い制服に身を包んだ若い騎士が剣を構えて立っていた。



「何だお前は!」



 リーダー格の男が吠える間に、騎士は躊躇なく飛び込んだ。

訓練された動きでナイフを持つ男を制し、自分に突進してくる男も壁に押し付ける。

残る一人も即座に取り押さえられた。

男たちがもがく中、騎士は素早く縄を取り出して拘束していく。


 少女は信じられない思いでその光景を見つめていた。

夢ではない。

少女を助けに来たのだ。

でも何故?

全てが終わると、騎士は床にへたり込む少女に近づいた。



「怪我はないか?」



 その声には優しさがあった。

彼の琥珀色の瞳が真摯に少女を見つめている。

少女は震える唇を開いたが、言葉にならなかった。

嗚咽が漏れる。

涙が堰を切ったように溢れ出す。

騎士は驚いたように一歩下がった。



「すまない、怖かったな」



 少女は首を振った。

この安心感は何だろう。

誰かに守られるという感覚。

少女は呆然と彼を見上げた。

まるで神様のような人。

そうか、そうなのだ。


 この人こそが待ち望んでいた本物の王子様だ。



「とにかくここから出よう。寒いだろう」



 彼は自分の外套を脱いで少女の肩に掛けた。

騎士が手を差し伸べる。

少女はゆっくりと彼の手を取った。

電流が全身を駆け巡るようだった。

若く端正な顔立ちの瞳の奥には揺るぎない決意が宿っている。

この世で一番見惚れるように美しいと少女は思った。








 騎士団の詰所での事情聴取は長く続いた。

少女は断片的な記憶を辿りながら説明した。

男爵家を抜け出した理由については曖昧にし、単に迷子になったとだけ述べた。

真実は口にできなかった。


 ようやく解放されると、男爵邸に戻されてしまった。

短い家出は終わり、使用人たちは騒然としている。

侍女長が顔色を変え、即座に執務室へ案内する。

男爵は怒りで顔を真っ赤にしていた。



「どの面を下げて帰ってきた!」



 開口一番の怒号が屋敷中に響く。

男爵は少女を蹴り飛ばし、床に転がる少女のお腹を執拗に蹴りつける。

少女は体を曲げて、防御姿勢を取ろうとするが、腕でお腹を庇っても、大人の男の力強い蹴りの痛みに耐えきれない。



「せっかく高値で買ったのに、あんな粗野な男たちに体を汚されるとは!何のためにお前を買ったと思っている!」



 男の罵声は耳を通り過ぎるばかりだったが、男の、



「堕りろ堕りろ堕りろ堕りろ堕りろ!」



 呪詛のような言葉が、頭の片隅にこびりつく。

痛みの中、少女は思ってしまった。

誰の子どもも産みたくない、と。



「出て行け!二度と私の屋敷に足を踏み入れるな!」



 床でもいいから、痛みに横たわったままでいたいのに、使用人たちに腕を捕まれ、引きずるように自室の前に置かれる。

部屋の中までついてきた使用人たちに指示され、年季の入った鞄に入れられたのは少額の小銭と数枚の下着と靴下のみ。

必要最小限の物を持って階段を降りていくと、オリビアとソフィアが待ち構えていた。



「あら、汚らわしい売女が帰ってきたわ。貧民に体を売ったんですってね、穢らわしい。所詮売女の子は売女ね」



 オリビアの嘲笑に続き、ソフィアが嘲るように手を振る。



「早く出て行ってよ。私たちの品位まで落ちるから」



 少女は言葉を返さなかった。

ただ静かに玄関へ向かう。

玄関ホールで最後に母と対面したとき、少女は胸が張り裂けそうになった。

母は憔悴しきった顔で少女を見つめていた。

その瞳はほの暗く、恨めしげで、少女の最悪の予想は的中する。



「どうして私を捨てたの?」

「…ごめんなさい」

「また私を捨てるの?」

「ごめんなさい」

「王子様との子どももいるのに?あなたが望んだ男の子なのに?」



 かすれた声で謝るのが精一杯だった。

どこかにあった期待も消え去った。

母を捨てた身で、自分の身の無事を喜んでくれるかもしれないと、縋るような、祈るような気持ちが、希望が心の内にあったことに、少女は気付かされてしまった。

男爵から逃げ出しすほど、恐ろしかったのだと、辛かったのだと少しでも理解してほしいと思ってしまった浅ましい自己。


 少女は悲しくなった。

最後まで自身が、母のために生きることも守ることもできない無能のお荷物だと改めて理解した。

あの売春宿に少女を捨てることだってできたのに。

母はそれをせず、狂気にまみれながらも、少女を育て、守ってくれていたのに。

それなのに、それなのに…。


 少女は死にたかった。

自分が本当の王子様だったら、と何度も願った。

だけど、所詮少女は自分が可愛くて、自分を守るために母を捨てる卑怯者の人でなしなのだ。


なぜこんなことになったんだろう?

なぜお母さんと二人で穏やかに暮らすことすらできないんだろう?

私が王子様じゃないから?

男じゃないから?

私が弱いから?



あああああああ生まれてこなければよかったのに!!



「お母さん、ごめんなさい…」

「私はあなたのお母さんじゃない!!」














 少女はまず理髪店へ向かった。

髪が切り落とされる音は、彼女の過去との決別の音のようだった。

短い金髪を揺らしながら、少女は古着屋で男性用の服を買い求めた。

粗末なシャツとズボンとブーツ。

すべて安価だが実用的だった。

鏡に映る姿はただの旅人か農夫の少年のようだ。


 城下町の大通りに出ると、早朝から人々の賑わいが見られた。

商人たちが荷車を走らせ、職人たちが工房へ急ぐ。

その中に一際目立つ掲示板があった。

王国騎士見習い募集。

文字が太陽の光に輝いて見える。


 少女は震える足で掲示板に近づいた。

周囲には既に数十人の志願者が集まっていた。

皆逞しい身体つきで、鎧や武器を身につけている者も多い。

年齢層も様々で、10代後半から30代前半まで様々だ。


 少女の心臓が早鐘のように打つ。

これは本当に正しい選択なのか。

しかし後戻りする余裕はない。

少女は意を決して列に加わった。



「13番、クラウディアです、よろしくお願いします」









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