7話 進まない道
拓真は白いセダンの後部座席で、手帳を開いていた。
ページはびっしりと予定で埋まっている。
赤いペンを走らせ、一つずつ項目にばつ印を付けていく。
会議、打ち合わせ、確認事項、取引先との会合。
今日、本来こなすはずだった予定だ。
一つ消すたびに、胸の奥がわずかに軽くなる。
同時に、取り返しのつかない感覚も残った。
隣では、琴美が窓の外を見ていた。
後部座席に座ったまま、街の様子を黙って追っている。
運転席の智和は、前を向いたままハンドルを握っていた。
車内には、エンジン音とウインカーの規則的な音だけが流れている。
ラジオから、ニュースが流れた。
《――都内中心部で発生した大規模なデモは、現在も拡大を続けており、
衝突による怪我人が多数出ているとの情報が入っています》
拓真はペンを止めなかった。
《警察は周辺道路に交通規制を敷き、付近を通行中の車両に対して迂回を呼びかけています》
琴美が、ふと身を乗り出した。
窓の外には、大きく潰れた自動車があった。
フロント部分が押し潰され、道路脇に斜めに停められている。
その周囲で、警察官が交通整理をしていた。
「……ねぇ」
琴美が小さく声を出したが、言葉は続かなかった。
拓真は、最後の一行にバツを付け、手帳を閉じた。
そして、目を閉じる。
先ほどの電話のことを思い出す。
緑岡には、家族の事情で、とだけ告げた。
それ以上、詳しいことは話していない。
《分かりました。後は任せてください》
緑岡はそう言って、詮索もせずに電話を切ってくれた。
……上手くやってくれるといいが。
帝国製薬と関連会社との交渉。
今日一日で決まる重要な案件だ。
失敗すれば、これまで積み上げてきたものが無駄になる。
拓真は、そう思った。
なぜこんな不合理な選択をしてしまったのか。
急遽の休暇を取ったのは、琴美を出産した日以来だな、あの時の選択も極めて不合理だった。
そう思って、拓真は目を閉じたまま、わずかに口元を緩めた。
車は、ほとんど進んでいなかった。
前方には、長い渋滞の列が続いている。
突然、窓を叩く音がした。
拓真が目を開けると、警察官が立っていた。
運転席の智和が窓を下ろす。
「すみません。この先、交通規制で通れないんですよ」
警察官は、落ち着いた声でそう言った。
「デモが拡大してましてね。
中には、かなり危険な行動を取っている人たちもいます」
琴美が窓から警官を見上げる。
冷静さの中にも若干の疲労が混じっているように思えた。
「デモ負傷者の様子も、ちょっと妙でして……」
智和は、短くうなずいた。
「分かりました」
そのまま、ハンドルを切る。
ナビ画面を操作し、別の道を検索する。
白いセダンは、静かにUターンした。
渋滞の列から外れながら、
拓真はもう一度、目を閉じた。
大阪に着いたら理恵子に会うことになるのだろうか。
夫婦の関係性を今後どうするのか、正しい答えを出すための時間も距離も、もう十分には残っていなかった。




