8話 テナの宿「貝殻の家」:睡眠剤
しばらく歩いて……鶴嘴の音も聞こえなくなった頃、オルテが立ち止まった。
「この先にデカい石がある。 隕石か分からんが、見てくれ」
案内された広間の中央に、それは鎮座していた。
大人が三人がかりでも抱えきれないだろう黒い岩塊に、ムースは手袋の指先で触れて、空中にするすると小さな術式を描いていく。
描き終わると……その岩の一部は崩れ、ビー玉程度のサイズへ整形された。
それを淡々と、隅から隅まで見た後、ムースはその玉を懐へしまった。
「………うん、隕石です。 それも未発見の成分ですね」
「へぇ! そりゃいいや! ここからそんなもんが見つかるなんてなぁ……!」
オルテは、まるで自分のことのように、豪快に笑った。
その屈託のなさが、ムースには少しだけ意外だった。
「随分、錬金術に好意的ですね。 一部の地域じゃ悪魔やら魔女やら、いまだに言われてるのに」
「ん、これはな、俺がガキの頃の話……いや、長くなるから、ちょっと腰掛けて話そうや」
「……そうですね。 間食の時間にはできませんが、インスタントコーヒーくらいは持ってきてますよ」
その答えに対し、オルテはまた自然と返そうとした様子だったが、最後の言葉に引っかかったのか、片眉を上げて、わずかに思い出そうと思案した後、すぐにそれは自身の記憶にない単語だと察した。
「インスタントコーヒー?」
「お湯で簡単にコーヒーが作れる粉ですよ。 よく遠征するような錬金術師は持ってます。 学院が認定した店舗にもあるかと。 ……抽出作業だったりもあるので、簡単には商品に出来ない品です」
それを聞いて納得したのか、理解することを諦めたのか、それ以上にオルテは追求せず、ムースの方もこれ以上に話したい様子でなく、すぐにその会話については終わった。
手頃な岩に腰を下ろして、携帯用のカップに湯気が立つ頃、ランタンの明かりの中で、オルテはゆっくりと語り始めた。
「俺は生まれも育ちもここでな。 俺はガキ大将気取りの生意気なアホで、裏路地でリーダー気取りだった。 このままいけば、ロクな大人には……今がそうだが、もっと酷い奴になっていたような感じだ」
自嘲気味に笑って、男はコーヒーを一口啜る。
「ある日に、洞窟に女の錬金術師が来ると聞いた。 開発の進んでいなかったこの洞窟は、子どもが秘密基地や遊び場にするのにちょうどよくてな。 俺は錬金術師ってのにムカついて、洞窟に入ろうとしてたその人に石を投げちまった。 抵抗しないその人に、俺は臆病者と決めつけた」
ランタンの炎が、ゆらりと揺れた。
「だが、洞窟の中で錬金術師を驚かせてやろうって、みんなで入った時だ。 俺は仲間『だった』奴らに、穴に落とされた。 中が空洞で、水が溜まってるところだ」
『だった』のところで、男の声は、少しだけ低くなった。
「今思えば当然だ。 大将気取りで鼻につく、飴と鞭の概念もわからねぇ教養のない人間っていうやつの末路は、いつも一緒だ」
『助けてくれ!! 誰か!!』
「助けはしばらく来なかった。 泳ぎが得意な訳じゃなかったから、ゴツゴツの壁に、爪が剥がれそうになるくらいになるまでしがみついていた」
『助け……ゴホッ……助けて……』
「いよいよ声も枯れてきた時に、あの錬金術師が来た。 だが、手には縄も何もないし、俺を嘲笑いに来たんだろうと思った時に、その人は、石で梯子を作った。 術式を描いて、魔法みたいに文字を輝かせていた」
コーヒーの水面に、遠い日の光景が揺れているかのように、男はカップの中をじっと見つめていた。
『なんで……助けた……』
『君の血肉が、あのままでは無駄になるからだ』
『はぁ?』
『あのままでは……あの魚もいない狭い空洞の中では、蝙蝠も魚も近寄らず、血肉は循環せず、いつ大地に還るかさえ不明だったからだ』
『助ける気はなかったってことか…?』
『あの水の中に大量のピラニアでもいたなら、そうしただろうな』
『アンタ、アタマイカれてんのか?』
『人間として私は理性的だよ。 自然というものを理解しようと努めて、循環する命には日々感謝さえしている。 理知的生物としてこれ以上の上等はないさ』
◇◇◇◇
「……その答えを聞いて……ああ、イカれてんだって思ったよ。 でも、信念を持って行動するあの人が俺には酷く輝いても見えた。 だからまぁ、錬金術師を見たら少し程度は尊敬しようって思ってる。 そんだけだ」
語り終えて、男は照れ隠しのようにコーヒーを飲み干した。
「そうですか」
ムースはすでにカップを仕舞い、立ち上がって、外套の埃を払っていた。
「おいおいおい、かなり俺の本質を形作る話を聞いて反応がそれかよって……帰るの!?」
「オルテさんは邪険に扱っても酷いことをするわけではないと分かったので、早く明日のお菓子に備えないといけませんから」
「いや、じゃあずっと品定めでもしてたのかよ?」
「はい。 というか、私お菓子以外は基本どうでもいいですから」
あっけらかんと言い放つ少女を、オルテはしばらく呆気に取られて見つめて………それから、ふっと、懐かしむように目を細めた。
「……似てるねぇ、なんか……」
「?」
「いや、なんでもない。 帰りの案内もさせてくれや」
◇◇◇◇
洞窟の出口が近づくにつれて、光が目に刺さってくる。
「くっ……目が明かりに慣れるまではゆっくり行ってくれよな?」
「そりゃ私も目に障害が出来たらお菓子を見るのに支障が出るので」
「そこは錬金術じゃねぇのかよ………」
呆れ声に肩をすくめて、ムースは、思い出したように付け足した。
「あー、あと洞窟の採掘の音ですけど、『口外』はしませんから」
オルテの足が、半歩だけ、止まった。
不審なのは、誰からも見て取れた。
もしも合法な採掘ならば、レールや拠点が近くにあるだろうに、洞窟近くは無人もいいところで、洞窟周りの草木が見えやすいよう刈られている程度だったのだから。
逡巡し、オルテはムースを上からなぞるように見る。品定めというよりは、判別のような、取り調べのような緊張感が合った。
だがそれも一瞬のことで、男はすぐに、いつもの豪快な笑みに戻る。
「そうかい、やはり錬金術師達は賢くていいな」
街への帰り道、別れ際に、オルテは折り畳んだ紙をムースに手渡した。
「ここら辺の地図だ。 この赤丸のところは絶対来るなよ」
広げてみれば、丁寧に描かれた地図の一角に、赤いインクの丸が、ぽつりと一つ。
「暗いところは嫌いだし、そうしますね」
素直に頷いて、少女は男と別れた。
このやり取りが、後にどんな意味を持つのか………この時の彼女は、まだ知る由もなかった。
◇◇◇◇
その夜、宿の部屋。
書きかけの論文の筆を置いて、ムースはふと、窓辺を見た。
丸くなったニーハが、ぴくりとも動かずに眠っている。太陽光を糧とするこの猫は、日が沈むと、こうして置物のように静かになるのだ。
「……夜は動かないのは、猫らしくないね」
小さく笑ったところで、廊下の床板が軋んだ。
「まだ起きてんのか? 精が出るねぇ」
扉越しに、宿の主人の声。灯りが漏れていたらしい。
こんな夜更けに、随分と気が利くというか、不気味だと言うか。
なんにしろ、特異な行動だった。
「もう寝るよ、そっちも見回りとは真面目だね」
「ああ、余計なお世話かもしれねぇが……」
声が、少しだけ潜められた。
「あんた今日、オルテんとこのアタマと一緒に出てったろ。 悪いことは言わねぇ、あそこにはあんまり近づかねぇ方がいい」
「……どうして?」
「あの洞窟な。 入った人間が、出てこねぇって話だよ」
ムースは、答えなかった。
昼間に聞いた、二十いくつの鶴嘴の音が、まだ耳の奥に残っていた。
あそこで終わった話しだといいのだが……と、僅かな不安を内に、ムースは静かに突き返す。
「……忠告どうも」
「それとだ、あとな、夜中に物音がしても、気にすんなよ」
「?」
「ネズミが出るんだ。 この宿、古いからさ。」
「なっんで最後にそういうこと言うの……!」
「はは、俺は気にしねえんだが……まあ、出たら言ってくれ」
「またどうにもできないんでしょうがあ!」
「はは、そこは退治くらいはするよ」
軽い調子でそう言って、足音は遠ざかっていった。
彼女がランプの灯りを消そうと、手を伸ばした……
その時だった。
背後で、空気が動いた。
「……! んん、ふむんぐ……!」
声を上げるより早く、布のようなものが口元に押し当てられて、視界が黒に塗り潰されていく。
すぐに懐の『空に絵を描く黒い手袋』へムースは手を伸ばすが、それよりも早く、その布に塗られた成分が脳と神経へ届いた。
薄れゆく意識の中で、錬金術師は、実に冷静に、今日の記憶を反芻していた。
ニーハの安否のことや、オルテのこと、分からないことも多くあるが、ただ一つ確かなこととしては……
明確に、巻き込まれたということだった。




