9話 テナ八番ストリート:ドライフルーツ
意識が浮上してくる。
瞼を開けるより先に、ムースはまず、自分の状況を頭の中で組み立てにかかった。
床は硬く、後ろ手に縛られている。頬に当たる空気は埃っぽく、微かに木片の匂いがした。
(……状況整理として、私はおそらく誘拐されていて、持ち物は没収され、ニーハの所在も不明。 時計がないから現在の時刻もわからない)
ネックレスの重みが、首から消えている。あの懐中時計——『スタルトスの石』がなければ、錬金術は発動できない。
視界が慣れてくると、薄暗い部屋の隅で、一人の男がこちらを覗き込んでいた。
「おお、起きやがったか」
にやついた顔つきと、緩みきった気配。それを一目見て、ムースは腹の中で小さくため息をついた。
(嫌だけど、ビスクの真似事でもするかな)
彼女は瞳をうるませ、精一杯あどけない声を作った。
「お兄ちゃん、誰?」
「俺か、俺はお前をここに連れてきた男だ」
(あ、馬鹿だなこいつ)
一瞬で見極めがついた。
「オルテ……つまりお前の親父から身代金と……えっと、何か設計図をぶんどるために、悪いが捕まっててもらうぜ」
(目的まで話した! 本当に馬鹿なんだな!! というか、私オルテの娘って勘違いされてるし)
どうやらこの男、ムースがオルテと連れ立って歩いていたのを見て、勝手に親子と早合点したらしい。訂正してやる義理もない。
「ここ、どこなの?」
「ここは街の………あ、言っちゃいけないんだった」
自分で口を塞ぐ仕草に、ムースは内心で天を仰いだ。
「ねぇ、私のことはお兄ちゃんだけで攫ってくれたの?」
「ああ、それでボスに言われて、一人でここまでお前を連れてきてやったのさ」
(やけに喋ると思ったけど、こいつ暇なんだな。 だからここまで喋るんだな)
見張りに一人、退屈しきった男を置いた。相手の油断は、こちらの武器になる。
ムースは、身を乗り出さんばかりに目を輝かせてみせた。
「……凄い! お兄ちゃん一人だけで攫ってきたの!? 私鈍臭いから、絶対そんなこと出来ないよ!」
「え? そ、そうか?」
「うん、ホントスゴーイ」
まんざらでもなさそうに鼻を擦る男に、彼女はさらに畳みかける。
「あ、あと、お兄ちゃんの名前は?」
「俺はラッチっていうんだ」
「私トネラ! ラッチお兄ちゃん、よろしくね!」
(私を助け出すためによろしく馬鹿ラッチ)
偽名すら、もはや流れるように口をつく。
ムースは、男の腕にちらりと視線を送った。捲れた袖から、稚拙な墨の絵が覗いている。
「そう言えば、ラッチお兄ちゃんのそのタトゥーってグンダ鳥でしょ? カッコイーネー」
「おお、分かるか!」
「うん、私が今まで見てきた中で一番だよ」
「そうかそうか! 見込みのあるやつだ!」
胸を張るラッチを前に、ムースはここぞとばかりに、声を湿らせ始めた。
「……お兄ちゃん、ありがとうね…………」
「?」
「私、実はお父さんにいじめられててぇ、酷くってぇ、お前は馬鹿で鈍臭いって言われてぇ、うっうう〜……」
肩を震わせ、しゃくり上げる。演技のはずが、涙腺までもが忠実に仕事をこなした。
「そ、そうだったのか! 酷いやつだな………」
「実は、宿にいたのはね、それが理由で逃げてたからなんだぁ。 でも、お父さん、私を殺すくらいの勢いで探してるみたいでぇ……」
(ある程度親密になったんだ、しっかり聞いてねそこらへん…!)
要は、誘拐の目的である『設計図』——その在り処に、こちらから話を誘導していく。
「そりゃまた、どうして?」
「お父さんから、何か秘密の紙を盗んできたから」
「秘密の紙?」
「うん、なんかねー、ジュウヨーな、マイゾーキン?とかぁ、ザイホウ?とか言ってたぁ。 ムシャクシャしてたからぁ、持ってきちゃったんだぁ」
「な、なるほど…………」
生唾を飲み込むラッチの喉が、はっきりと上下した。
欲に釣られた人間ほど、扱いやすい獲物はいない。
「あ、でも見つけにくい場所に置いてたし小さい紙だったから、今頃しわくちゃかなぁ」
「で、どこだ?」
「うーん、どこだったかなぁ………」
(ここ2階? 地殻変動エネルギーへの接続が薄いな……)
とぼけながらも、彼女の意識は、足の裏から伝わる大地の脈動を測っていた。装置がなくとも、長年の勘でどこにエネルギーが滞留しているか程度は察知できる。
が、石がないことには無意味だ。
ムースは周囲を再度見渡すが、暗さでどこに何があるのか掴みにくい。
「暗くて分かんないや、お日様の光あるう?」
「おう、待ってな」
ラッチが、板張りの窓の覆いを外す。差し込んだ光が、埃を金色に照らした。
(随分凝った窓だな……誰かの隠れ家を改装したのかな)
窓枠の意匠を横目に、ムースは光の角度から時刻を割り出す。
時間が14時であることを確認すると、彼女は次の一手を打った。
「あっ、そう言えば途中で落としちゃったんだぁ」
「はぁ!? どこでだよ!」
「外が分からないと分かんない」
「くそ、ついてこい」
苛立ったラッチが、彼女の縄を掴んで引き立てる。まんまと、である。
途中、ムースは足元の『時計』を引っ掛けると、器用に腰に隠した。
屋上に連れられると、街の景色が一望できた。太陽は真上近く、頭上には遮るもののない、たっぷりの陽光。
ムースは、ちらりと空を見上げてから、のんびりと切り出した。
「……ねぇ、お菓子、ない?」
「あ? ドライフルーツなら………ほれ」
投げ渡された干し葡萄を口に含んで、彼女は薄く微笑む。
「ありがとう。 もし近くであなたの裁判が起きたら、擁護くらいはするね」
「なんか雰囲気変わったか? ……で、紙はどこなんだよ?」
ラッチが、ようやく異変に気づき始める。だが、遅い。
ムースは、あどけなさを脱ぎ捨てた、年頃の女の顔で、屋上の彼方を指差した。
「………ほら、あそこだ、あのお花畑」
「? そんなもんどこにも……」
男が視線を逸らした、その刹那——
「あるじゃん、その頭の中に立派なのが」
言葉が終わるより早く、屋上の一角に、ぬっと石が湧き上がる。
それは、すぐに丸くなると浮遊し、男の後頭部を叩いた。
倒れた男を一瞥した後、周囲を見渡すと、中々に良い景色が広がっていた。
が、それすら一瞥した後に、ムースは、建物内を巡り、物品を探り始めた。
その内、宝箱が、大きな壺が入りそうなくらいの大きさの宝箱が、ムースの目を奪った。
そこを開けると……
「……ちょっとでも陽の光があれば四六時中元気いっぱいなんて、実はコスパいいよね、ニーハ」
そこにいたのは、疲れ果てた様子のニーハだった。
「逆にないと、てんでダメですから……」
「イコールの考え方はいいけど、ポジティブな方に使わないと欠点ばかりになるよ」
「おお、いいこと言いますね」
「と、友人が言っていた」
「受け売りかよ……って、何してるんです?」
見れば、ムースは膝をつき、床に鼻先を近づけて、しきりに何かを嗅いでいた。
「んー、なんかここさぁ『アレ』の匂いがするんだよ」
鼻の奥に残る、独特の刺激臭。彼女の記憶が、それを一つの単語に結んでいった。




