10話 オルテ商会本拠地:チーズマカロン
誘拐犯を縛り上げて回収した後、駆けつけたオルテ商会の男達の一人が、屋上に上がってきた。
その後軽い事情聴取はあったものの、ここではなんだろうというオルテの意向で、そのまま、ムースはオルテ商会の本拠地へと移動。
オルテによると、ムースのことは常に見張らせていたものの、何者かによって妨害を受けて、取りこぼした……とのことだった。
「何者かって?」
「それが分かってたら今頃この机にはそいつの首置いてる……いや、本当にすまなかった」
静止するように背後の構成員さえ差し止めて、オルテは頭を深々と下げた。
「いいです別に、というか、もう一つ、あるものを知ってるか、聞いてもいいですかね」
そして、ムースは端的にオルテに問うた。
「硝煙?」
「ええ、知って……ないですよねそりゃあ」
その単語に、若い衆は一瞬きょとんとしてから、慌てて口ごもった。
「あー……ん、あ、うん。 ………正直話すのもダメなんだけど『○○』ってのがあるんですよ」
「○○?」
「そう、まー悪党には便利ですよ? 作り方も硫黄やら硝……あ、忘れて今の!」
「……??」
「あの」
低い声が、オルテの隣から飛んだ。
振り返れば、黒髪の男が上がってくるところだった。馬車の上で、ナックの頭に拳を落としていた男である。
(確かシュウって人だっけ)
足音の遠さからして、今しがた口を滑らせた分までは、届いていなかったらしい。
「まず、すみません。 うちのせいで手を煩わせ危険に……」
「いいよ、それより、後ろのボディガードさん達は下げといて」
「おいてめえら、出ていきな」
若い衆を一睨みで下がらせて、シュウはムースの前まで来ると、きっちりと頭を下げた。
それから、しばらく黙って、彼女を見た。
どこまで話すか、この男は今、謝罪をしながらも品定めは続けている。そう分かる沈黙だった。
「……硝煙は、あるものが燃えた後の匂いです。 それ以上は、私の口からは言えません。 そういう決まりなので」
シュウは、その名を知らない。だが、危険なものであることだけは、匂いと、この錬金術師の慎重さから察しがついた。
目線がじっくりと、なぶるようにムースの肌を撫でる。
「……ところで、このマカロンは食べていい奴?」
緊張を消すように、シュウへムースは逆に目を合わせ、質問した。
シュウの方はというと、一瞬動揺したものの後は自然と片手を前に突き出した。
「はい、好きな分どうぞ、土産に包みましょうか」
「いや、いいけど……」
ムースは、ゆっくりと、そのマカロンを口へ運び、咀嚼した。
瞬間、著しい脳内刺激がムースを襲った。
(ち、チーズ……このチーズ、上手くマカロンとブレンドされるよう、見事に調整されてる……! マカロンはサクサクとした生地が特徴だけど、甘みがしつこいことがある、チーズも濃厚さから同様……だけれども、これは甘さを抑えつつ引き立てる、マカロンを最大限引き立てるようなチーズ……! これだけで食べたら薄味……なんだろうけど、それを、マカロンを使うことで……!)
「〜〜っっっっっっ!!!」
ムースは膝を折って、その場へ落ちた。
それを瞬時にシュウが受け止めようと腹を支えるが、一瞬ガクリと落ちたものの、地面の寸前で、ムースは止まった。
なんとか、顔から転ぶのは防げた、のだが……当然、その様子は感動というより疾病にでも見えるのが自然であり……
「だ、大丈夫ですか!」
「大丈夫じゃないかも……」
「……く、怪我をしていたとは……! すぐに救急を」
「いやおかわりを……」
「おかわり!?!?」
◇◇◇◇
「ど、どうぞ、今ある分持ってきました……」
そう言ってマカロンが置かれたが、最初よりも少なくなっていた。
怪訝そうな表情を返すムースに対して、シュウは視線を落とす。
「すみません。 いざこざでまだ十分に材料を持ってこられず……」
「……いや、ありがたいよ、ありがたい」
そのまま、マカロンを食べながら、ムースは話を再開した。
「話を戻して……なんですけど、さっきの件が私の口から言えない理由は、世界治安統制局の管理下の素材だからなんです」
「統制局か。 あー、戦争やらに介入しましただとか、たまに聞くが……」
「錬金術師のルールを破ると、そいつらが飛んできて首も飛んでいくんですよ、物理的に」
「ああ………なるほどな。 で、『硝煙って?』」
「局に通報しなきゃいけない危ないものです。 以上……」
「……そこまで、ですか?」
シュウの声が、わずかに硬くなった。
何かが引っかかった顔だった。だがそれが何なのか、この時の彼にはまだ形にならなかったらしく、男はそれきり口を噤んだ。
そこで話を打ち切って、ムースは立ち上がった。埃を払う彼女の背に、いつのまにか屋上に上がってきていたオルテが声をかける。
「……で、これからどうする気だ? 俺達としては、こっちに落ち度があるわけで、全面的に保護したいんだが……」
娘と勘違いされた誤解はすでに解けたが、それでも自分の縄張りで客人を攫われたとあっては、オルテのメンツが立たない。
「この近辺には郵便がないようなので、通報が一週間ほど遅れますから、まずもって安全確保が重要です」
「ああ、だからおとなしく……」
「いえ、早くしなければ、しばらくお菓子を食べられませんので、こちらから動きます」
オルテの言葉を、ムースはあっさりと遮った。
「お菓子って……正気か?」
「正気……正気ですよ。 狂気に見えますか」
「いや、そりゃ……………」
「この街のチーズは美味しい。 だからこそ、この現状打破が、私の最優先事項です」
大の男を口ごもらせて、彼女は外套の襟を正す。
「一応言っておきますが手伝ってもらいますからね。 恩も謝意もいらないですから」
「……分かった。 アンタみたいなのに何言っても変わんねえだろうからな……今いるウチの若いの、10分以内に集めてくるから待ってな」
オルテは、渋面のまま、しかしどこか楽しげに、階段を駆け降りていった。
◇◇◇◇
十分と経たずに、建物の下の路地には、二十人近い男が並んでいた。
「サグ、いつも通りに豪快にやっていい、ジャローは少し落ち着けよ。 酒は飲みすぎねえように」
オルテは、一人ずつ名を呼んで、励ましたり、役割を振ったりしていく。
誰の得物が何で、誰が昨日しくじって、誰の女房が身重なのか——その全部を覚えている男の口から、名前が抜け落ちることはなかった。
「ナックが先頭。 カルーは後衛で物見櫓だ。 ……それと、シュウ」
「はい」
「お前は残れ。 洞窟で怪我したその肩、まだ塞がってねぇだろ」
黒髪の男が、何か言いかけて、口を噤んだ。
「……差配だけでも」
「そりゃ任せる。 だが前には出すな。 お前に倒れられたら、うちは明日から算盤も弾けねぇ」
「……はい」
不服とも見えないその返事に、しかしオルテは、通りすがりに一度だけ、無事な方の肩を叩いていった。それだけで、男の背筋が伸びた。
「それと」
そこで、オルテの声が一段低くなった。
「極力殺すな。 あいつら敵だしグズだが格下だ。 やったやられたの繰り返しをするのが家族にとっても割に合わねえ、いいな」
返事はなかった。ただ、二十人が同時に背筋を伸ばした音だけが、路地に落ちた。
(……飴と鞭、か)
ムースは、洞窟で聞いた昔話を、少しだけ思い返していた。
飴と鞭の概念も分からない、教養のない子どもだった。この男は、自分をそう言った。
その子どもが、今は二十人分の名前と怪我と家族を覚えていて、殺すなと言えば誰も殺さない場所に立っている。
そこまで来るのに、どれだけの時間と、どれだけのやり方が要ったのか。
(……まぁ、私には関係ないけど)
関係ないと思いながら、彼女は、その背中から目を逸らさなかった。
ふと、隣に立ったシュウが、同じ背中を見ているのに気がついた。
喋りに、東の訛りが薄く残る男である。この辺りの生まれではない。袖口から覗いた手首に、輪になった古い傷が、ぐるりと一周していた。
「……ああ、これ……俺、東からの流れ者で、ボスが拾ったんですよ」
「だから? 要領を得ない会話は……」
そういうと、脇からニーハが顔を出して、ムースの裾を引っ張った。
「ご主人さま……もう少し聞いてあげたほうが……」
「いや元々聞く気はあるって……! でも無駄な話はしたくないだけ……!」
二人の会話を見てか、シュウは罰が悪そうに頭をかきむしる。
「あー、つまり、恩義があるんです。 だから、迷惑かけたら死んでも死にきれない」
しばらく静かになって……シュウは、ムースの前に身を乗り出した。
「……硝煙の、〇〇の材料、教えてくれませんか」
「知って何の徳が?」
「この怪我のもと……俺がムースさんがいなくなって、洞窟に行った時でした。 いつもならいるはずの門番が消えていて、突然明るくなったと思ったら、これです」
そう言って更に袖をめくると、シュウの腕には酷い焼け跡が残っていた。
「実のところ、見張りの妨害もそいつの仕業だというのが予想です。 ……洞窟にムースさんはいないのに……無関係とは思えない。 あの洞窟自体俺の管轄です、だから……!」
「悪いけど話せないよ。 話すだけでお互い危険になるんだから」
「……ですよね、すみません」
一瞬、引き留めようとした手をすぐに下げて、シュウはムースたちを見送った。
◇◇◇◇
集められた男達の先頭に立っていたのは、ナックだった。
崩れた着崩しに、目つきの悪さ。馬車の上で猫を撫でくり回していた軽薄な金髪は、もうそこにはいない。「堅気の商会」という体裁を、取り繕う気もない風貌である。
「この風貌、いよいよ隠さなくなってきましたね」
「そう言わないでくださいよ。 これでも堅実丁寧で張ってんだから」
軽口を返すナックに、ムースは単刀直入に尋ねた。
「見た目は気にしないけど、この町で今敵対しているファミッ……ああいや、商会は?」
「サンテビスタ、主なのだとそれっス。 最近じゃ妙な動きや接触もあるみたいだし、それで俺やボスは商売先から戻ってきたくらいっす」
「うん、じゃあ、カチコミ行こっか」
「今からっスか!?」
「まぁ、あっちはとっくに準備を終えてるだろうし、今のうちにね」
「?」
〇〇を、あの『硝煙』を、どこかの誰かが街にばら撒いている。それを使わせている以上、敵はもう動き出している。ならば、後手に回る理由はない。
ナックも理由の半分も飲み込めないままだったが、それでも、この小柄な錬金術師の背についていくことに決めたようだった。
そして、撃鉄は起こされる。




