7話 蟲の洞窟:インスタントコーヒー
「改めて、オルテ商会のアタマやらせてもらってる。 オルテ・ダリルケイドだ、よろしくな」
オルテの自己紹介に合わせて、ムースの方も、礼儀正しく、胸へ手を当ててお辞儀をした。
「ムース・パラネットです。 錬金術師です」
「そこの金髪のバカはナック、左の黒髪はシュウ。 馬車動かしてんのがカルーだ」
「よろしくっす」
ナックと呼ばれた金髪は、挨拶の間も手を止めていなかった。
「その猫は、ニーハって言うんですけど……」
「ご主人様〜! 助けて〜!」
「いい加減にしろバカナック」
シュウの拳が軽く落ちて、ようやくニーハは解放された。
ひとしきり空気が和んだ、その隙にというように、シュウがオルテの耳元へ身を寄せる。
「ボス。 こないだの……若いの、どうします。 沈めときますか」
オルテは面倒臭そうに顎を掻いて、それから、なんでもないことのように言った。
「……うちは葬式代は出せねんだ、折るか詰めて返せ」
「へい」
軽口を交わすような調子だったが、後半は冗談の響きがしなかった。
ナックもカルーも、聞こえているはずなのに、誰も何も言わない。それが当たり前の家の、当たり前の決まりごとであるらしかった。
ムースは膝の上で指を組んで、それきり、その話には触れないでおいた。
そうしてから、オルテが本題を切り出す。
「それで、テナが行き先って話だが、まともな店もないようなあんなとこに何しに行こうってんだ?」
「仕事です。 『蟲の洞穴』と呼ばれる大洞窟に、隕石が飛来した記録があったので、その調査に」
その言葉に、オルテの表情が、ほんの一瞬だけ止まった。
「あぁ、あそこ………あそこか」
顎を撫でて、何かを計算するような間があって。
「うん、案内してやる。 シュウ達は留守頼む」
ムースは、そのあまりに速い決断に、瞬きを一つした。
(……いきなり強引になった? なんで………あ、そうか)
心当たりに行き着いた後も、彼女の顔には、何も浮かばなかった。
「詳しいんですか? 助かります」
にこりと、営業用の笑みだけを返しておいた。
◇◇◇◇
街に着く頃には、日はとっくに落ちていた。
「じゃあ、明日の朝には北門で待ってるから、ゆっくり来てくれや」
「はい。 おやすみなさい」
男達と別れて、通りで一番安そうな看板を選んで、ムースは扉をくぐった。
「へい、いらっしゃ……お、ずいぶん小さい客だね」
帳場から出てきたのは、歳の頃二十二、三の男だった。人の好さがそのまま輪郭になったような、気のいい兄ちゃんである。
「三泊。 お風呂は?」
「井戸水を沸かしゃ使えるさ」
「分かった。 宿帳と、あとペンは?」
「あー、宿帳は……いいや、うちは取らねぇ主義でね」
「いいの?」
「名前も素性も、聞かれたくねぇ客ってのはいるもんだからね」
悪びれもせずそう言って、男は笑った。
旅人には有難く、街の治安にとってはいささか迷惑な方針である。
鍵を受け取ろうとしたその時、男の目が、黒い手袋にいった。
「———」
男の動きが、止まった。
そして次の瞬間には、帳場から身を乗り出していた。
「へぇ、錬金術師さんかい! いやぁ久しぶりだ、俺ぁ錬金術師の客は好きでね、いやはや、その手袋の仕組にだって本当興味のつきない……」
「……企業秘密」
「はは、正解正解! こんな男に話すもんじゃないよな!」
からりと笑って、男はあっさり引き下がった。
ただの野次馬にしては、質問の刻み方が妙に的確だったが……まぁ、宿屋という商売柄の人好きだろう、とムースはそれきり忘れた。
「そういえば、この宿、なんか変な匂いしない?」
「ああ、裏で炭焼きやってる家があってな。 風向きでこっちに流れてくるんだ。 すぐ慣れるだろうが……気になるなら言ってくれ」
「気になるからどうにかして」
「いや言ってみただけでどうにも出来ない」
「やばいよアンタ」
「ごめんて……」
なんとか部屋に落ち着いた頃、窓辺で毛繕いをしていたニーハが、ふと口を開いた。
「でも、意外ですね」
「何が?」
「洞窟の件、ご主人様だったら断るかと思いましたよ。 人付き合いが好きそうには見えませんし」
「そりゃ嫌だよ」
「? ならなんで」
ムースは、外套を椅子にかけながら、窓の外……夜に沈む街並みを、ちらりと見た。
「うーん、洞窟の中だけが危険って訳じゃないしね」
「?」
その言葉の続きは、語られなかった。
ただ、あの男達の物腰、目配り、腰に隠した得物の膨らみ………『商会』というには、いささか荒事に慣れすぎた気配のことを、彼女は思い返していた。
こういう手合いの縄張りでは、下手に独りでいるよりも、懐に入ってしまった方が、よほど安全なのである。
(と、ビスクが言っていた)
「おはようさん。 おっさん一人で悪いが、勘弁してくれ」
翌朝の北門には、宣言通り、オルテが一人で立っていた。
「……はい、今日はよろしくお願いしますね」
そうして半日ほど歩いた先、山裾にぽっかりと口を開けた大穴の前に、二人は立った。
「ここが蟲の洞穴だ。 中は入り組んでいてうっかり穴にハマることもあるから、離れないようにしてくれ」
ランタンの明かりを頼りに、二人は闇の中へと足を踏み入れる。
ゴツゴツとした岩壁が、蟲の食い跡のように、幾重にも枝分かれして続いていた。
と、その奥から、規則的な音が、微かに反響してくる。
カン、カン、と、硬いものを打つ音。
それも、一つや二つではない。十、二十——もっとだ。
そして、その合間に時折、重たい金属が石を擦る、引き摺るような音が混じる。
「…この音…採掘でもしてるんですか?」
「ああ、ウチの管轄でな。 まぁ、見ても特に面白いもんでもねーよ」
さらりと、あまりにさらりと流された。
風向きが変わって、音のする方から、埃っぽい空気が流れてくる。土とも黴とも違う、鼻の奥に微かに刺さるような匂いが、その中に混じっていた。
人の匂いも、混じっていた。
(……鶴嘴の数に対して、話し声が一つもない)
二十人からの人間が、誰一人口を利かずに岩を叩き続けている。それがどういう場所なのか、説明されるまでもなかった。
(……ビスクとの付き合いで、一通りの人付き合いというのは覚えた。 とりあえず、そのおかげで、この人には、この洞窟には、触れてはいけない逆鱗があるのが、分かった)
ムースは、それ以上、音の方を見なかった。
(早く帰れるといいけど……)




