6話 コーカスト平原:錬金術師のスモア
ビスクに教えられた喫茶店を巡りながら、街道をいくつか越えた先……一人と1匹は、また新しい街の大通りを歩いていた。
石畳の上には露店が立ち並び、呼び込みの声と、焼けたパンの匂いが行き交っている。
そんな雑踏の中、ふと、ムースの足が止まった。
視線の先、通りの角の店先に、木彫りの看板が吊るされている。
「あ、四角と蛇」
「身分証明書にも、同じマークがありますよにゃ?」
外套のフードの中から、ニーハがひょこりと顔を出す。
「うん、学院のマークなんだけど、ああいうところにある時は雑貨屋だね」
学院で学んだ者が、卒業後に開ける店。錬金術師御用達の材料屋である。
ムースはしばらくその看板を眺めて………それから、何かを思いついたように、口の端をゆっくりと持ち上げた。
「………うん、明日は外でお茶にしようか」
「?」
首を傾げるニーハを他所に、彼女は軽い足取りで店のドアをくぐり、カウンターに置かれたベルを鳴らした。
チリンという音に応えて、奥から人の良さそうな男が顔を出す。
「ああどうもどうも。 何かお探しで?」
「得意系統は?」
「系統……ああ、お客さんも錬金術師ですか。 僕は薬学専攻だったので、特に品揃えがいいのは薬やら粉末ですね」
「そっか。 ……ゼラチン、砂糖、片栗粉、ある?」
「ありますが、何グラムにします?」
「ゼラチンは10グラムずつ袋に分けて10袋ずつ、砂糖は0.5キログラム、片栗粉は100グラム」
淀みのない注文に、店主は少し感心したように眉を上げてから、手際よく棚から瓶を下ろしていく。
「分かりました。 少し待っていてくださいね」
量りの上で粉が踊り、袋がきっちりと口を結ばれていく。
「お値段は、これこれこうで………グルテ銀貨2枚になります」
「ん、思ってたより安いね?」
「同じ釜の飯を食べたかは分かりませんが、同郷のよしみということで、今後ともご贔屓に」
店主の営業めいた笑みに軽く会釈を返して、ムースは袋を抱えて店を出た。
その足で、今度は市場の方へと向かっていく。
「林檎一つエルナ銅貨2枚! 新鮮で美味いよ!」
威勢のいい声を横目に流しながら、彼女の目は棚から棚へと忙しなく動いていた。
「クッキーあるかなぁ……」
ゼラチンに、砂糖に、クッキー。
その組み合わせの答えを知る者は、この市場には、まだ誰もいなかった。
◇◇◇◇
その日の夕方、宿の一角。
借りた台所の机の上に、買い込んだ材料が几帳面に並べられていた。
その横には、ムースの手書きらしい、やたらと字の綺麗なレシピが一枚。
「よし、じゃあニーハ、このレシピ通りにお願い」
「ご主人様はやらないんですかにゃ?」
「私は食べる派だし、わざわざ作るなんて2年に一度くらいだよ」
椅子に深く腰掛けて、完全に観客の姿勢である。
ニーハは尻尾の大鍋を意気揚々と降ろすと、腕まくりでもするように前足をぐるぐると回した。
「では、腕によりをかけさせていただきますにゃ!」
それからしばらく、台所には泡立てる音と、粉の舞う音が続いた。
ゼラチンと砂糖が白いふわふわの塊に姿を変えて、片栗粉を纏い、四角く切り分けられていく。それをクッキーで挟めば………
「できました! スモアです!」
誇らしげに掲げられた皿を、ムースはじっくりと検分して、頷いた。
「……うん、まぁ、まだ完成ではないけどね」
「?」
マシュマロをクッキーで挟んだだけのソレは、確かにスモアの形はしている。
だが、このお菓子の本当の完成には、あと一つ、決定的な工程が残っているのだ。
明日は外でお茶にしよう……その言葉の意味を、ニーハはまだ知らない。
◇◇◇◇
翌日の昼下がり、街を出て少し歩いた草原で、小さな焚き火が爆ぜていた。
ムースは枝の先に刺したマシュマロを、火の上でくるくると回している。
表面がきつね色に染まって、ぷくりと膨らんだところで、それをクッキーの上に滑らせて、もう一枚で挟み込む。
「……できた」
一口齧れば、香ばしいクッキーの音の向こうから、焼けた砂糖の香りと、熱でとろけたマシュマロが溢れ出す。
(外側は焚き火の香ばしさ、中は搾りたてのクリームみたいにとろとろ………同じマシュマロの中に二つの世界がある! こんな贅沢、外でしか味わえない!)
「うん、外はサクサクで中はとろり。 上手くできてたよ」
満足げに頷くムースの前で、しかし、ニーハは焚き火番をするばかりで、皿には手をつけていなかった。
「? そうえいば、ニーハ食べないの? ずっと食べてないよね」
「いえ、僕は太陽光が食事みたいなものですし、味覚機能がないので……」
その瞬間、ムースの手からフォークが滑り落ちた。
「なんて可哀想なの…!」
「そこまで?」
「だって、それって生きてる意味があるの?」
「そこまで!?」
ドラゴンを前にしても眉一つ動かさなかった錬金術師が、今、心の底から憐憫の目を1匹の猫に向けていた。
ニーハとしては生まれてこの方不便を感じたこともなかったのだが、この主人の前でだけは、自分がひどく不幸な生き物であるような気がしてくるのだった。
「とりあえず、残りは携帯食にして進もうか」
焼く前のマシュマロとクッキーを包み直して、火を消して、二人はまた街道を歩き出した。
◇◇◇◇
道すがら、焚き火を借りてはスモアを焼き、齧りながら歩く。
そんな吞気な旅路に、野太い声が割り込んできたのは、次の街道に出て間もなくのことだった。
「姉ちゃん、それ美味そうだねぇ」
見れば、道の脇に数台の馬車が停まっていて、荷を検めていたらしい男達が、こちらを見ていた。
金髪の軽薄そうな男が、遠慮もなくスモアを覗き込んでくる。その後ろから、黒髪の落ち着いた男が、窘めるように歩み寄ってきた。
「一人と……1匹だけで旅? この辺りは錬金生物も少ないけれど、大丈夫ですか?」
心配というよりは、値踏みのような視線が、ちくちくと肌を刺す。
ムースが返事の代わりにスモアをもう一口齧った、その時だった。
「テメェらどうした?」
馬車の陰から、一際大柄な男が現れた。
歳は五十絡み。日に焼けた顔には古い傷がいくつか刻まれていて、堅気と呼ぶには、少しばかり凄みが効きすぎている。
「ああボス。 女の子が……」
金髪が言い終わる前に、『ボス』と呼ばれた男の目が、すっと細められた。
その視線は、ムースの右手………黒い手袋の上で、止まった。
「………その手袋、アンタ錬金術師かい?」
「かもね」
次の瞬間、ゴツンと鈍い音がして、金髪の男が頭を抱えてうずくまった。
「いったぁ! 何するんすかボス!」
「間違いねぇ。 女の子なんかじゃねえ、この人は錬金術師様だ」
男は部下を軽く睨みつけてから、ムースに向き直り、意外なほど丁寧に頭を下げた。
「ウチのが粗相をしてすまん。 馬車に空きがあるんだが、よければ途中まででも、乗ってくれないか?」
ムースは、男達を順繰りに眺めて……少しだけ考えた。
「……うん」
(何にもされてないけど、いっか)
疲れた足と、馬車の魅力の前には、警戒心など安いものだった。
◇◇◇◇
ガタゴトと揺れる荷台の上は、思いのほか賑やかだった。
「んにゃあああ! こそばゆいにゃあ!」
「ひゃあ〜、喋る猫とは珍しいなぁ……」
金髪の男が、ニーハの喉やら腹やらを遠慮なく撫でくり回している。
その光景を横目に、ムースは向かいに座る大男へと視線を戻した。
「一応聞くけど、なんで私が錬金術師って分かったの……ですか?」
途中で口調を取り繕った少女に、男はニヤリと笑う。
「んー、その『空に文字を書く手袋』もそうだが、その懐中時計、『スタルトスの石』だろ? 何回か見たことあるぜ」
ムースの指が、無意識にネックレスの時計に触れた。
ただの商人にしては、随分と目が肥えている。
「……詳しいのは結構だけど、学院を卒業せず、我欲を貪るような錬金術師もいるんだから、気をつけてくださいね」
「職業柄、一線を踏み越えたようなのは見てきてる。 心配いらねーよ」
『職業柄』という言葉の中身には、あえて触れないでおくことにした。
男は膝を叩いて、改めて名乗りを上げる。
「改めて、オルテ商会のアタマやらせてもらってる。 オルテ・ダリルケイドだ、よろしくな」
この時、ムースは思わなかった。
この男と、それを取り巻く抗争の渦へ、自ら飛び込むことになると。




