1話 岩の鳥亭:グンダ鳥のプディング
風が吹く丘の上……
少女が、強風に荒れる長い銀髪を抑えつける。
「……髪留めでも買おうかな」
独り言は風に乗って、煙突から煙吹く、活気ある街へ下り落ちていった。
少女はそのまま追い風を背に受けながら、順調に丘を下りていったが、生憎か、街の門番に止められた。
大分壮年ではあるが、その肉体は衰えて間もないといった具合で、林檎程度なら握りつぶせそうと思えるくらいには剛健に見えた。
「お嬢ちゃん、どうしたんだい?」
鎧で顔も隠れているが、少なくとも、自分より頭一つ分は小さい童顔が、どうしてこんなところにいるのか困惑しているということが、門番のその声の上ずりから、少女は察することができた。
「ムース・パラネットと申します。 学院認定の錬金術師です」
「………」
門番は、この子どもの対処をどうするか、密談でもするように、相方とそっと目線を合わせる。
「…おい! 身分証明書! 学院の印も押されてるやつ!」
「………ああ、本当だ。 こいつはどうも………」
門番の男はしゃがんでその書類を受け取り一読すると、そうっと優しく返した。
「謝意も詫びもいらないから、さっさと通してください」
「え、ええ勿論。 けど、なんで錬金術師様がこんな街に?」
ピクッとムースの体が固まる。
が、一瞬思案した後に彼女はペラペラと薄っぺらい、それらしい言葉を語り紡ぐ。
「……私はぁ、隕石なんかの未知の素材の研究が主ですから。 旅をしていて、寝泊まりできる場所を探しに来ただけです。 ほら、無駄話はいいから、早く通して」
「ああ、はい……」
未だにこんな少女が何故錬金術師などになれるだろうかと、門番達の疑問は尽きなかったが、そこに彼らが踏み込む前に、ムースは街の中に入っていった。
街に入った途端、彼女の足取りは軽くなり、小さく鼻歌を鳴らしながら、ある一件のカフェのドアノブに手をかける。
今一度看板に『岩の鳥亭』と書かれているのを確認した後、ゆっくりと、彼女はドアを開いた。
ドアベルの音が鳴り響くと、目の前には民家を改造したような温かい雰囲気が溢れており、よく活気づいてはいた。
だが、入った瞬間、静寂が辺りを包む。
……いや、正確には周囲では話し声も響いてはいたが、彼女は完全に、自分だけの世界に没入していた。
ムースは空いた席に座り、外套を脱いで膝に置いた後、壁にかけられたメニューをそれらしく一読し、その目線をそのままネックレスの時計に向けた。
(さて、丁度2時半、私にとっての甘美なる時間…!)
わざとらしく咳き込んだ後、店員を呼ぶ。
来たのは少しふくよかな女性で、忙しいのか長い茶髪を適当に結って穏やかに微笑んで………母性やらを全身に纏っていた。
「ご注文は……」
「『グンダ鳥印のプティング』を一つ!!!」
今日一番の声が響き渡った。
が、その声は、たった一言にかき消される。
「……ごめんね。 今は卵がなくて作れないのよ」
「なっ……! 今はもうグンダ鳥の産卵の時期なのに! なんで!」
「あら、詳しいのね。 …………私たちも、あなたみたいな子にはぜひ食べて欲しいのだけれど、今はドラゴン? だとかが森を占拠していて、衛兵さん達が倒してくれるまで、卵は取りにいけないのよ……普段は店長の夫が取りに行ってくれるんだけれどねぇ」
椅子から転げ落ちそうなほどに取り乱しながら聞くが、返ってきた答えは虚しくムースの胸に染み込んでいく。
「本当に……ウチの子にも毎年ちゃあんと食べさせてあげたいし、本当に残念なんだけれどねぇ……」
店員の目線の先では、齢10歳ほどの幼女が一生懸命に皿を洗っていた。
が、それとは関係なく、彼女の涙がだんだんと溜まっていって、口元がブルブルと震え始めていく。
(この小さい街でドラゴンを討伐となると、加勢を求めるのにも時間がかかり、終わる頃には産卵の時期ではなくなってしまう! スイーツが食べられなくなる……!!)
ここに、一つの問題があった。
だがしかし、ただのお菓子のためだけに、それを解決しようとする人間がいた。
ムースが深呼吸すると、その表情は、年頃の、18かそれ以上の女性の顔つきに変わる。
「……よし、ドラゴンが討伐されれば問題はないんですよね」
「え? それはそうだけれど……」
立ち上がり、膝の外套を即座に身に纏う。
太陽の光が、ネックレスを照らして輝く。
「行ってきます。 プディングの下準備を終わらせておいてください」
「いや、ちょっと!?」
「私は錬金術師ですから、ご心配なく!」
そう言い残すと、錬金術師は、ドアを閉じて去ってしまった。
「行っちゃった…………あら? あの子は………」
◇◇◇
岩の鳥亭を出た後、ムースは急ぎ足で森に続く南門へと向かっていく。
外套やらポケットやら、紛失がないかを確認しながらのその足取りは、大分辿々しかった。
「全く、とんだ災難だなぁ……旅の疲れもあるというの、に………」
不意に、鞄の中身をみようと、少し屈んだ時だった。
彼女の目線の丁度先に、さっき厨房にいた幼女がいた。
「………君は……」
「アタシ、フレジエ。 9歳!」
物心がとっくについて、それでも成長途上のフレジエの喋り方というのは、正に年頃の傲岸不遜な女の子といった具合だった。
ムースは大人気なくというか、嫌そうな顔を隠さずにフレジエに向ける。
「帰ってね」
そのまま無視して、再び門へと向かう。
だが、フレジエは彼女の右足をひしと掴んで離さない。
「……なんなの」
もはや、子どもに向ける目ではない。虫がびっしりついた岩の裏でも見るような、そんな表情である。
フレジエの方はというと、そんな顔をされても眉ひとつ動かさず、実に生意気な凛々しい顔だ。
「卵はとくべつな取り方があるんだけど、知らないままで、大丈夫なの?」
「……じゃあそれを教えて帰ってよ」
「つれていってくれないなら、いや」
ムースは、髪を掻きむしって、空いた左足をトントンと揺らしてためいきをつく。
仮にも年上が見せていいような行動ではないのだが、生憎そういった行動の一切合切、幼女様に効果はなく、諦めがついたのか、少ししゃがんだ後、無理矢理にムースはフレジエの手を取った。
「………絶対に私から離れないでね」
◇◇◇
その後、また門番との一悶着を終えたムースは………ムースとフレジエは、森の中を悠々と歩いていく。
今は春かそこらだろうに、虫も鳥も鳴いておらず、辺りは草葉が触れ合い擦れる音だけで構成されていた。
「静か……」
「ドラゴンは凶暴だし、下手に音を出してると食べられちゃうから、そりゃあね」
「……そもそも、ドラゴンなんて………なんでこの街に来たんだろ……」
「ドラゴンは錬金術で作られた色んな動物の合成獣だからね。 帰省本能だとかがおかしくなったりで、変なところに湧いたりするんだよ」
フレジエは立ち止まり、ムースを見上げる。
子どもは、完全な馬鹿ではない。ある程度、推理する力もある。
「錬金術って………じゃあ……お姉ちゃんが作ったの!? あの化け物を!」
それは、ムースが異様に詳しいからこそ起きた猜疑心だった。
だが、そんな言葉にあてられても、やはり彼女は顔色を変えず、淡々と進み歩くだけである。
しかし………後ろの足音が小さくなっていくのに気づいたからか、自らも立ち止まり、フレジエに向かって振り返った。
「それは話が飛躍しすぎというか、違うよ、違う。 私の専門じゃないし、そもそも……見たの?」
「…………」
見れば、フレジエの瞳には涙が潤んでおり、今にも口が大きく開いてしまいそうなほど、唇が震えていた。
「ハァ………ちょっと休憩しようか」
適当な切り株に座ったムースは、立ったまま涙を抑えようとするフレジエを、じっと見つめる。
「あの、あのドラゴンは、アタシとお父さんで卵を取りにここに来た時に現れたの……」
しゃくり声が無くなってきた頃、フレジエは語った。
ドラゴンは、空からいきなり目の前に現れたこと。
父が自分を抱えて、無理矢理に逃げたが途中攻撃を背中に受けて、今は寝込んでいることを……
「アタシ、お父さんにプディングを食べさせてあげたら、元気になるかなって、そう思ったけど、もう森には入れなくなってたから………」
胸に溢れそうなものを必死に仕舞い込んで、フレジエは、深々と頭を下げる。
「お願いします! お父さんのために、あのドラゴンを倒してください!」
「嫌だ」
錬金術師は、切り株から立ち上がり、絶望する幼女の顔を覗き込むようにしゃがんだ。
「私は、『グンダ鳥印のプディング』のために戦う。 私はいつでも、お菓子の味方だからね」
フレジエは、一瞬驚いた後、体勢も、口元も朗らかに緩めた。
「プディングのためって………ふ、ふふ! 変なの!」
「変で結構だけれど………そろそろ来るかな」
そう言うと、ムースは懐から黒い手袋『一つ』を取り出して右手にだけはめた。
そのあとは、その右手で、スラスラと空気中に文字を描く。
文字、というのは、ホログラムのような光の集合体で………まるで、空に虹を描くように、美しくその軌跡を残していく。
「?」
手を止めた次の瞬間………彼女のネックレスに取り付けられた『懐中時計』が光ったかと思うと、土が隆起し、フレジエを閉じ込めた。
「大人しくしててね」
段々と、空気の圧が強まり、静寂は一層に増して、その災害を予言している。
風を切る音が、2秒か3秒響いた後………ムースの目の前に、小山ほどはあるかという巨体を携えて、ドラゴンが飛来した。
土埃が外套を汚し、翼が空を覆い隠す。
「ゴアアアアアアアアアアア!!!!」
「相変わらず五月蝿いな……こんな騒音装置を、どうして卒業制作にしてんだろうね学院は!」
再び、描かれた式はほどけ、時計は黄金に輝き、土が槍の形に盛り上がって、竜を突き刺さんと螺旋する。
が………槍は腹に触れたかと思うと、鉄にでも当たったように弾かれてしまった。
「やっぱ太陽光エネルギーじゃ威力不足か……」
無から有は産み出せない。
錬金術には式や物質など様々なものを必要とする……太陽光でも、地熱でも、何かしらのエネルギーも例外ではない。
(ドラゴンの力も無際限ではないけど……パワー不足はこっちだね)
ムースが次の攻撃を繰り出そうとした時、竜が口を開き、赤い光体を口内で練り出しているのに気づく。
すかさず、今まで書いていた文字を掴んで捨てて、再度違った式を書き出す。
だが、それが終わる前に、火は放たれて、草木を巻き込みながら進撃する。
一種のレーザーのようなその火災が当たるかと思われたその時、透明な結界が、炎を包み込んだ。
だが、その防壁は自らを守るというよりも、その形は凹状で、周囲を守るような形だった。
「森が燃えたらさぁ………! 卵取れなくなっちゃうでしょうが!」
一瞬何も傷や怯えのないムースにドラゴンは怯むが、それも束の間に、再び火炎を解き放つ。
しかし、それは錬金術師の周囲で勢いを無くして、それどころか、ムースの周囲で踊るかのように回り出す。
「もうその炎の作り方も原理も分かってる。 錬金術のためのエネルギーにだって、変換できるんだよ」
言葉の意味がわかるわけではないが、自己の炎が無効化されたことに気づいたドラゴンは、鉤爪を光らせて、ムースに飛び込む。
だが、いつのまにか地面はぬかるんでおり、ドラゴンはその足を取られてしまった。
「残念」
ムースは外套から一つの『赤く光る石』を落とし、それがまだ宙に舞う間に、書き終わっていた錬金術式を開放する。
すると、踊る炎は霧散し、石は地面と接触した瞬間溶け出して、その周囲が赤く光り出す。
一瞬の間の後に…………
紅い槍が隆起し、それは宙に放たれた。
音速を超えて、衝撃をまき散らしながら、それは爆進していく。
そしてそれは瞬きの間に………竜を穿った。
五月蝿い咆哮さえも響かず、竜は、地に伏した。
「……お前の血肉じゃ、お菓子なんて作れやしないね」
終わってみれば、たった1分の戦いである。
ムースは死体と成り果てたドラゴンに背を向けて、フレジエを閉じ込めていた土の檻を開けた。
「おはよ」
フレジエは、涙や鼻水でぐちゃぐちゃになった顔でムースを見つめる。
「け、怪我は………?」
「ないよ。 ない」
穏やかな笑顔を浮かべるムースに、幼女は飛び込み、ひしと抱いた。
「よがっ……よがっだああああ!!」
一瞬、またムースは嫌そうな顔をしたが、小さくため息を吐いて、フレジエの頭を優しく撫でた。
(やっぱり……お菓子以外は、私は苦手らしい)
◇◇◇
「…体調が、崩れそう…!」
竜を倒した後、少し活気を取り戻した森を、二人は歩く。
だが、ペースを崩さず歩くフレジエに対して、ムースは少し息切れ気味だった。
しかし、本当に少しの息切れで、このまま歩くのに支障はなさそうに見えた。
「……体、悪いの? 病気?」
「いや、健康だけど、お菓子の時間を楽しむために、私は腹の調子を常に一定に管理してるの」
「? お腹空いてた方が美味しいよ?」
少し深呼吸をしてから、ムースは語り出す。
「それは食事の話。 おやつの時間は、食事の時間とは違う。 生きるためじゃなく、楽しむためにある。 腹を満たすためではなく、味わうためにある。 それには、平坦な状態が一番正しいの」
「ふーん、とりあえず、なんでお姉ちゃんはそんなにお菓子が好きなの?」
一瞬立ち止まった後、悩むように髪をかき出した後、ムースは林を見ながら、ポツポツと、一人ごとのようにまた話し出していく。
「……孤児だったんだけどね。 初めて食べたアップルパイが美味しかったんだよ」
「? それだけ?」
「それだけでもうこれからの生き方を決めようと思えるくらい、人は愚かなものだよ」
「ふーん? よく分かんないけど、きっとウチのプディングも負けてないよ!?」
「ああ、存分に期待させてもら……」
ふと前を見た時だった。
道を塞ぐように大岩が置かれていて、その周りだけ荒れている様子から、竜が暴れた影響であるように見えた。
だが、フレジエは気にせず進んで行って、止めるようにムースは右手を向ける。
「………錬金術を使ってどかすから! どいた方が」
フレジエは、その岩を、ひょいと持ち上げて、そのままソレを森に投げ込んでしまった。
「? あれくらいならアタシ持てるよ?」
(ドラゴンより怖い)
少しペースを緩めた彼女に追いついたムースは、冷や汗と疲れが混じった水滴を額に浮かべて、隣で歩くフレジエを見つめる。
「ドラゴンに遭遇して生きてるって時点で丈夫と思ってたけど、お父さんからいい体を貰ったね」
「?」
意味のわからないままに、二人は進んでいく。
いよいよ休憩しようかどうか、という時に、ついにフレジエは立ち止まって、左手で進もうとするムースを制止する。
「あったよ、グンダ鳥の巣」
「いやどこ」
立ち止まった場所は崖沿いだったが、巣を作れそうな木も隆起もなく、ただ一面に壁しかなかった。
痺れを切らしたフレジエが、外套の裾を掴んで、壁を指差す。
「ほら、あれ」
ムースがその方向をよく見ると、ほんの少しだけ、崖が盛り上がっている部分があり、さらにそこを見てみると、灰色の羽があった。
「………! あれ、鳥!?」
ムースが戸惑っている間に、フレジエは適当な石を拾い上げて、鳥に向かって投げる。
すると、本当に鳥が飛び上がって、元いた場所には穴が現れていた。
鳥の方はというと、羽を広げた姿は成人男性と同じ程度の巨体で、翼の先と足の先にはまるで釣り針のように『かえし』がついていて、随分に攻撃性の高そうな見た目をしていた。
「グンダ鳥は、ああやって崖に穴を掘って、そこに卵を入れた後に自分で蓋をするの。 で、背中がゴツゴツしてるからバレにくいし、雄が餌を取ってきて崖上から落として食べさせるから、普段雌は動かない」
「なるほ………いや待て! なんか投げてくる!?」
何か丸いものを巣から取り出したグンダ鳥は、人の頭一つ分はありそうなそのままそれを二人に向けて投げる。
だが、フレジエがそれを手際よくキャッチして、スカートで優しく包む。
「よしっ」
それは、よく見れば、卵だった。
「親が卵投げるんだ………」
「大切な子どもの入った卵は奥に入れるけど、いないのは追い払うのに使うんだよ」
(……子供のいないってのは…………無精卵ってことか)
(確かに、一度有精卵を産んだらあとはじっとして、無精卵は敵を追い払う武器に貯めて、取り出して……理にはかなってる)
そして、無精卵もなくなったか、そこから続いて投げる様子はなく、グンダ鳥は、こちらの様子をじっと伺うのみだった。
「……それで、卵は美味しいの?」
「うん! とっても!」
フレジエのその満面の笑みに、ムースもフッと笑った後、本格的にグンダ鳥が追撃を始める前に、二人は帰路に向かって歩いていき、そのうちに森の影に溶け込み、姿を消した。
◇◇◇
次の日の昼頃、ムースは、一人宿で何かの執筆をしていた。
ある程度書き進めてきた頃、大きくあくびをして、懐中時計を軽く見た後、筆を置き、外套を着て部屋のドアを開けた。
宿は酒場との併設であり、階段を降りると、何人かの男たちが酒を飲んで騒いでいた。
そのうちの一人がこちらに気づくと、三人の大男が彼女の方に歩いてきた。
「アンタ、ドラゴンを倒したっつー錬金術師だよなぁ…?」
リーダーと思しき先頭の男が尋ねる。
ムースは、懐から手袋を取り出して、壁に手をつけ、バレないようこっそり文字を書きながら応答する。
「まぁ、そうなるけど、なに」
大男は、ムースの小さい手を取って………
頭を下げた。
「ありがとう! ほんっとうにありがとうなぁ! アンタのおかげで、滞ってた伐採がすぐ始められる!」
ムースは、その返答に驚いた後、素早く壁の文字をさっさと消して、長い話にならないだろうかと外に目を向けたが、その時に、リーダーのその隣の男の視線に気づく。
感謝、というよりは、猜疑心に寄った表情だった。
「………なぁ、ドラゴンっつーのはそもそも錬金術師が作ったんだろ? マッチパンプ………? ペンプだったか? なんにしろ、八百長じゃ」
言い終わる前に、リーダーが、その男の脳天をぶちのめして地に落とす。
気絶しているのか、ピクピクと痙攣して起き上がる様子はなく、当然にムースは動揺する。
「ぅぇー………?」
「気にしないでくれ。 馬鹿のくせに頭いいように振る舞っちまうんだよ、コイツは」
気にしないでというのは無理があったが、ムースは、どちらかというと心ここに在らずといった様子で、外の方に関心があり、男もそれに気づいたあと、何か確認するようにポケットの硬貨をチャリンチャリンと鳴らす。
「で、これから出かけるのか? 酒くらいならいくらでも奢るぜ?」
「………わざわざ持ち金の確認までしてもらって申し訳ないけど、下戸だから遠慮しようかな。 それより、この街の北にある………アルタでお菓子を売ってる店、知らない?」
「んぁ? お菓子は分かんねーけど、喫茶店だったら四番街の『星屑亭』ってのがあったはずだぜ」
「そっか、じゃ、その人の介抱ちゃんとしてあげてね」
「おう! 本当にありがとうな! 錬金術師の嬢ちゃん!」
手を振る男二人に軽く会釈をした後、ムースはまた少し急ぎながら店を出た。
出たあとは、看板や煙突を目印にしながら、また『岩の鳥亭』のベルを鳴らした。
中に入ると、またあの店員が……フレジエの母親が厨房から飛び出して、左手にコーヒーカップの乗った丸盆を乗せて、深々と礼をした。
「ムースさん! 改めて、本当に……本当にありがとうございました! うちの子のことも、本当に迷惑をかけて……!」
「いえ、そういうのはいいので、『グンダ鳥印のプディング』を一つ、お願いします」
ムースは、実に淡々とした声で、冷徹な無表情で答えた。
それから席に座り、足を軽く揺らし、机をトントンと軽く叩きながら、懐中時計を見る。
(時間は2時半のゴールデンタイム。 腹も5分目という程度。 水分補給から3時間の経過。 疲労なし。 完全なる平坦。 この甘美なる時間を堪能するのに、完璧な体調だ)
むふーっと息を吹いた後、暇になって、ここから厨房にいるフレジエでものぞいてみようかと思った時、タイミングよく、待望したものがテーブルに置かれた。
「お待たせしました! 『グンダ鳥印のプディング』です!」
プディングは卵黄で黄色く染まり、彩るように紅茶と焼きメレンゲが添えられていた。
目をキラキラとさせて、ムースはじっくりとプディングを隅から隅まで凝視して、優しくスプーンに触れて、やっと………
プディングを、口に入れた。
「………」
目を瞑って、まずはこの味を分析する。
(卵の濃厚さが脳髄にまで染み渡るなぁ………グンダ鳥はおそらく、巣を作る時と餌を探す時以外ああして滅多に動かないんだろう。 だからこそ、雌は卵を作ることに集中できる、と……)
食べつつ想像をしつつ、更にこのお菓子の世界を、ムースは楽しんでいく。
(当然に卵は卵白はいれず卵黄のみ、蜂蜜牛乳控えめに卵の良さを極限にまで引き立てている。 さらに極め付けはこの焼きメレンゲ。 プディングの柔らかい食感と焼きメレンゲのサクサクシュワシュワとした感覚で言い換えれば濃すぎる味を飽きさせないようにしている!!)
気づけば、プディングは残り半分だった。
(あと半分は、味だけをゆっくりと……………)
スプーンに黄色く輝く、黄金にさえ等しいゼリー状のそれを口に運ぶ。
泡を焼いたような不思議な感触を口に広げて、花の香りを振るう液体を喉に入れる。
あっという間に………皿は空っぽになった。
「おいしかっ、たあ〜………」
余韻に浸って、天井を見つめるムースの横から……フレジエが皿を回収しに来る。
それに気づいた錬金術師は、椅子から、独り言のように呟いた。
「……また、食べにくる」
「うん!」
そして他の客の迷惑になる前にとすぐに席を立つと、ゆっくりと外套を羽織って、ムースはドアに手をかけた。
鈴の音色が響く前に、高く落ち着いた声が、彼女の耳に響く。
振り返れば、フレジエの母が、そこにはいた。
「あの、お名前……フルネームは……」
一瞥した後に、ムースはドアの方を向く。
ベルを鳴らして、ドアを閉じながら、最後に小さく、口を開いた。
「ムース・パラネットです。 プディング、美味しかったです」
扉は閉じて、他の客の談話する声だけが、そこに寂しく残った。
◇◇◇
そうして、また風が吹く。
錬金術師の少女は、お菓子を求めて丘を登る。
それは、生きる上で必要な、食事の時間ではない。
ただ味を求める時間であり、安らぐ時間であり、文化的な、人間にしかあり得ない、昼と夜のその狭間、この甘美なる時間の最果てを、彼女は求め、歩いていく。




