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――異形の出現。混乱の坩堝。
どこに逃げて良いのかも判らず、生徒が駆けずり回っている。
「……………………さあ、出てこい」
こんなクソみたいな地獄を楽しんで笑っていられるのは俺くらいなものだ。もし他にも笑っていられる人間がいるとしたら――その人間は、どうしようもないくらいに壊れている。
――殺人鬼、磯良修はパニックで逃げ回る生徒を尻目に、観客席の真上にある屋根の鉄骨に座りながら、動向を見守っていた。
異形に生徒が襲われようとどうでも良い。弱い人間は死ぬ。戦えない人間も同じく死ぬ。勝てないと解って諦める人間も――同じく死ぬ。
勝てないと解っていても、どうしようもない運命に立たされようとも、無抵抗を選ばず、戦おうとする人間が生き残るのだ。眼下は死が荒れ狂う、精神掻き回される暴挙に為す術もなく飲まれてゆく生徒。
訓練生とはいえ、アレでは異界で生き残るのは難しい。もし運良くいまを生き残れたとしても、きっと異界で彼らの命は物の数にもならない。
磯良は目を細め、異形の姿を見たわけでもないのに、泣き叫ぶ生徒たちの声を無視しながら、避難誘導する教師達。その一人一人に目を凝らす。
「…………アレか」
吹き抜けの中央。集団が徐々に誘導によって捌かれ、人が居なくなってゆく。
残されたのは養成所の職員と、それら職員とは別の服装をした人間が三人。
彼らは全員、紺青の服装。ブーツに雨よけ用のフード付きコート。剣や刀を携えている。
――間違いなく、彼らは養成所の職員ではない。
――本部、ブラックボックスから派遣されてきたサイファーである。
磯良は、檜山から渡されていた三人の名前と顔写真を思い出す。同一人物。間違いない。
「他の連中がどうなろうが知ったことじゃない……俺は――俺の仕事をするまでだ」
残虐な笑み。首から頬にかけて見えている、半身を埋める回路図のような刻印が、今か今かと使用される時を待ち焦がれ、疼く。
オレンジ色の片目が細められ、磯良修は三人のサイファーが行動するその時を静かに待つ。
まさか自分達が狙われているとは思いもしないサイファーたちは、突然現れたという異形の出現を冷静に分析していた。
「…………なぜ異形が、こんな場所に?」
「わかりません。敵はどうやら人型のようですが、どこにいるのか判っていない状態です」
「――まずは、生徒の非難を優先させろ。異形を確認次第、我々で応戦するぞ」
何年もサイファーをやっている人間からすれば、異形の一匹で取り乱すことはない。
問題は、これが十八区で現れたと言うことであり、異界で異形を発見するよりも奇怪な状況下にあるということだ。
三人のサイファーは練習場に集まっていた生徒たちの避難が完了したのを確認し、次いで職員を避難させる。誰も居なくなったところで、ようやく剣や刀を引き抜いた状態で異形がいるであろう、その場所を目指した。
「幸い、この施設は魔力がある環境だ。いざとなれば刻印を総動員させて一気に闘滅を図る」
彼らは感情に急かされて走り出すことをしなかった。
人型だからといって、異形は地面にいるとは限らない。
危険なのは、異形がどれほど強いかではなく、異形に出遭うまでの過程だ。
――思い込み。人間は思い込みと錯覚の起こしやすい生物だ。少しの事で脳は信じ込み、錯覚し、誤作動を誤差として認識できない時がある。脳は繊細でありながらも、多くの不完全さを兼ね備えている。
人型の異形と聞いて、人と同じと思い込んでしまうのは命の危険に関わる。
大きさも判らない。その細かな形状も不明。そもそも地面を歩く生き物なのかさえ曖昧だ。
異形は人と違う行動を取り、サイファーが死亡するときは、最初の遭遇から始まるケースが多い。注意不足。普段の訓練から人を相手にしているから、相手も人と同じような行動原理を持っていると勝手に考えている思い込み。どんなに注意を払おうとも、意識的な思い込みが無意識に隙を生み、そしてその隙に当てはまりやすいのが、異形の多角的な動きだ。
地面以外にも注意を払わねばならない、天井――人の入り込めないであろう隙間。あらゆる場所が異形の地面であり、人間を襲うのに最高のタイミングで奴らは仕掛けてくる。
「――『カウンター』があれば」
一人のサイファーが思わず毒突く。異界に行くときは所持しなくてはならない魔術機器。使用すれば大まかな異形の居場所を知ることができる探知機。
ソレさえあれば、標的はすぐに見つけられるはずだった。
彼らが歩いていたのは一階の駐車場。車両は疎らで誰かがいる気配はない。
天井は高く、斜めになっていた。おそらく観客席に沿って斜めになっているのだろう。
太い柱がいくつも並び、もしココで異形と戦いになれば、十分対応できる環境。
三人は進み続け、目の前に誰かいるのを確認して立ち止まった。
「誰だッ!」
緊張状態。剣を構える力がこもる。
「………………良い舞台だな。お前らを殺すには、最高のタイミングだ」
ロングコートに頭をすっぽりと覆うフードを被った青年は笑っていた。
背中には刀を背負い、三人のサイファーに立ち塞がる。
「名前と所属はッ!」
学生でないと解り、すぐに確認をしたかった。仲間であるなら一人でも多い方が心強い。
「所属……名前、ねえ。は、ハハハ。――相も変わらず、サイファーってのは堅苦しくてしょうがねえ」
青年は自らフードを取り去る。中から出てきたのは異様な姿。頭髪の半分が白く染まり、その片目は人間離れしたオレンジ。首から伸びる奇妙な刻印の紋様。
「…………………………まさ、か。…………お前」
「あえて言うなら――セカンド・サイファーってとこか。…………名前は、聞かずとも判ってんだろ。お三方」
名乗った青年は、異様な雰囲気を滲ませていて、班のリーダーの額から嫌な汗が流れ落ちた。




