魔女、少年を連れ出す。
「ノア、動かないでね」
心地の良い風が吹く昼下がり。
人々から恐れられ誰も立ち入らぬ深淵の森には、暖かな日差しが降り注ぐ場所がある。
魔女の隠れ家と言うべきか、開けた平原に建つ一軒の家の軒先には魔女と奴隷の少年の姿があった。
刃物を手にした夜永は、ノアの白い肌を傷付けないよう、傷んだ銀髪に慎重に刃を入れる。
酷くうねり伸びきった髪が一束、二束と地面に落ちて行く。
ショキショキと軽やかな音が静かな空間に小さく響き、ノアの元来細く柔らかな髪が襟足で切り揃えられて行く。
前髪は重たくなり過ぎないよう、しかし短くなり過ぎないよう目元付近で細かく微調整を加える。
「こんなものかしらね」
刃を軽く布で撫でて細かな毛を落とすと、夜永は満足気に微笑んだ。
すっかり軽くなった頭に手を当て、何度も髪を梳くノアは初めての経験なのだろう、夜永が止めなければ永遠に髪を撫でつけていそうだ。
散髪したことで露わになった、その素顔を夜永はまじまじと見つめる。
白い陶器のような肌、小さく高い鼻筋、僅かに赤く色付く薄い唇、長い睫毛に縁取られた燃えるような赤の瞳。
幼さの残る顔立ちは未発達で、あどけなさを残しつつ庇護欲を誘う。
まだ痩せっぽっちではあるが、しっかり栄養のある食事を摂れば、頬もふっくらとし、全体的に肉付きも良くなるだろう。
「貴方の部屋を片付けて、服も見繕って来ないとね。今日はやる事が多いわよ。たっぷり手伝ってもらおうかしらね」
そう口にすると、ノアは不思議そうな顔をして頭を僅かに傾ける。
自分の部屋や、服といった単語が必要かどうかを思案しているのかも知れない。
昨日の今日で分かった事だが、主に困った時に首を傾げるのはどうやら癖らしい。
これはこれで分かりやすい反応のため、矯正する必要はないだろう。
表情に現れない分、行動で気持ちを示す様は邪気がなく、非常に純粋だ。
今日は街に出るのだから、唆されて言葉巧みに連れ去られないかが心配だが、問題はないだろう。
腐っても戦闘用奴隷。最悪、自分を守る術は心得ているはず。
とはいえ、危機管理能力の欠如もあるためノアには口を酸っぱくして教える。
「街で知らない人に声をかけられてもついて行かない事。甘い言葉に惑わされない事。私の言いつけを守って、私の言うことにだけ従う事。あとはそうね。自分の身に危険が迫っていると感じたら、手加減はいらないわ。迷わず相手を叩きのめしてしまいなさい。良い?貴方の傷の大小に関わらず、暴力や脅しをかけられた時もよ」
「うん」
彼の戦闘の実力はこの目で見た事がないから分からないが、これだけ言えば逃げるくらいはできるだろう。
そうして、一日の大半を掃除に費やし、夕刻には2人は直近の街へと繰り出すのだった。
*****
「はい、ノア。しっかり、フードが取れないように気を付けてね」
途中で遭遇した辻馬車に乗り、御者に金を払って2人は街の少し手前で降ろしてもらう。
紺色のマントを纏い、フードを深く被ってノアの装備も落ちないように首元までしっかり隠れるようキュッと紐を結んでやる。
奴隷の首輪を隠す意味もあるが、ノアの稀有な容貌を人目に晒さないよう、余計な面倒事に巻き込まれるのを防ぐ目的もある。
暑いだろうが、こればかりは我慢してもらうしかない。
自身も揃いのマントを身につけ、街中へと繰り出す。
ここは森からほど近い場所にある商業都市・ノアール。
それでも歩けば5、6時間はかかるが、馬車を使えば2時間程度で着ける。
隣国との国境沿いにある比較的大きな街のため、商人や旅人などが多く立ち寄る。
宿屋や娼館も多いため、暗がりの奥まった場所や路地裏には近付かないのが鉄則だ。
また、国境沿いに位置するため国の玄関口でもあり、半端な冒険者や荒くれ者の類が流れてくることがある。
特に注意が必要なのは奴隷商だ。
ドミニアでは人攫いを規制する法律がないため、首都・バリンを除けば、民間人にとっては大きな街ほど危険が伴う側面もある。
出る前に、ノアに口煩く言い聞かせたのはそのためだ。
「良い?私が言った事を忘れては駄目よ。自分を第一に考えなさい」
「うん」
最後の念押しをしてから、ノアの頭を撫でる。
されるがままのノアは、夜永の手を拒む事はなかった。




