魔女、永遠を許す。
軍上層部の命により、決死の捜索が行われている最中。
夜永とノアは穏やかな日々を送っていた。
ノアの首輪が外れた事は国も把握しているだろう。おそらくは、それが破壊された事も。
「前の構造に比べて術式が複雑化しているネ!より強固なものになってて、ワタクシじゃなきゃ絶対に壊せなかったよ〜」
ウィンターは、研究の足しにもならないと、一切の迷いもなく首輪を破壊してしまった。現代の首輪の解析は完了しているから問題ないとのことだ。抜け目がない。
リアルタイムで所在を確認されているのだとしたら、アルカディアに渡った事も当然把握されているだろう。魔法の痕跡から、ウィンターが関わっている事も知られているはず。
ウィンターは万一に備え、結界をより強固なものとし、塔に篭ると言っていた。
外部との一切を遮断するため、通信連絡もできなくなるとのことだった。
彼は、国に見つかれば非常にまずい立場なのだ。
とはいえ、国を超えて敵対国まで押し寄せることは無いだろう、と言うのがウィンターの見解だ。夜永もそう思う。
転移魔法で帰って来た時も、森や、来る時に使った村からより離れたところに目的地を設定した。
夜永とノアの所在は今のところ掴めていないはず。
軍の手がノアに伸びているのだとしたら、なぜ一奴隷などに固執するのかは分からないが、用心に越した事はない。
夜永は、しばらく森から出ない事を決めた。
少なくとも、ノアは森から出さない方がいい。
夜永だけなら問題ないかもしれないが、何をどこまで国に把握されているか未知数なため、気をつけて然るべきだ。
「夜永、魔獣狩ってきた」
「まあ、今日はごちそうね」
庭先で本を読んでゆっくりしていると、結界から出て危険な森に出かけていたノアが帰って来た。
最近のノアは、夜永が何も言わなくとも自主的に物事を考え、行動できるようになってきていた。
食事の足しにと魔獣を狩ってきたり、夜永の読む本の内容に興味を示したり、いつのまにか歴史書まで引っ張り出して来て、夜永の隣で静かに読書する事も増えた。
文字が読めないため、たまに付属しているイラストを眺めているだけなのだが。近いうちに文字も教えてあげよう、と夜永は密かに思った。
森から出られない今、ノアは少しでも楽しめる事を見つけようとしている。
ある程度の事は一人でも出来るようになっており、夜永の言う事にはどんな事でも従うノアだが、一人で風呂に入る事だけは何故か渋っていた。
ドミニアの成人年齢は16歳。
ノアが10歳前後の子供ではなく、14歳という、青年期に移行する手前の年齢だと分かった事から、今後は一人で入るようにと命じたら、複雑な顔をしていた。
随分、気持ちを顔に出してくれるようになったものだ。
家庭菜園も手伝ってくれるようになり、畑の虫や、たまに遊びに来る動物とも触れ合っている。
いやはや、子供の成長とは早いものだ。知らぬ間に親心が芽生え、心身ともに成熟しつつあるノアを眺めてしみじみとしていると、トトト、とノアが駆け寄って来た。
「夜永、これ」
ノアの手には、色とりどりの野花が握られていた。
中には、危険過ぎて夜永にはおよそ採取できない場所に自生している貴重な薬草もあった。
これは非常にありがたい。
魔法が使えない夜永にとって、解熱剤や傷薬の類はいくらあっても困らない。
薬の材料にはならない草花は、花瓶に生けて窓辺にでも飾ろう。
大事なお土産だ、無駄にはしない。
「とっても助かるわ。これなんかは良い薬になりそうね」
ノアの頭を優しく撫でると、ノアは少しだけ口元をキュッと引き締めた。本人としては笑ったつもりなのだろう。
感情の起伏により表情も少しずつ緩んできたが、それでもまだまだ硬い。
無理して作っているわけではないと分かっているため、夜永もそれを咎めることはしない。
何でもかんでも否定的では、ノアの成長にも悪影響だ。
彼のする事に、夜永はなるべく口を出さないようにしていた。
「ノアが独り立ちする日も近いかもしれないわね」
それは、独り言だった。
ノアの生き方に口出しする権利は夜永にはない。
寂しさを感じつつも、それもノアのためになるのなら、自由にさせてやりたいと思う。
一緒にいたいと言ってくれた。もちろん夜永も同じ気持ちだ。
それでも、いつかノアにやりたい事ができたなら、全力で応援しようと思う。
本当に純粋な母性故の言葉だが、ノアはそう思わない。
ガシャン、と何かが砕ける音がして目を向けると、花瓶が床に落ち割れていた。
それを手にしていたノアは目もくれず、夜永を見つめて呆然と佇んでいる。
「ノア、怪我はない!?」
驚いてノアに近付き、滑らかな頬を両手で挟み込む。
見たところ怪我はなさそうだ。
ホッと息をついて床に目を落とした夜永の耳に、異様に低い声が届く。
「夜永、僕といたくない?」
「え?」
花瓶に気を取られていた夜永は一瞬、何のことかと目を瞬き、ノアと目を合わせる。
夜永の返答を待っているのだろう。口を閉ざし、じっと見つめてくるノアの鋭い視線に怖気付く。
思わず目を逸らすと、ノアの体が不自然に揺れたのが分かった。
「僕、邪魔…?」
「ノア、何を言ってーー」
「僕を、捨てるの…?」
ノアの、かつて常に抱えていた不安げな眼差しが夜永を射抜く。
不安定な少年の心を落ち着かせるべく、夜永は努めて優しく諭す。
「前にも言ったわね、私は貴方を捨てないわ。ただ、私は貴方が自分で生きていけるようになってきた事がとても嬉しいの。だって貴方はもう自由だもの。どこへだって行けるわ」
夜永としては、喜ぶべき事だと思ったのだ。
だが、ノアにとってそれは絶望に等しい。
「一人で生きられるようになったら、ここにいちゃ駄目…?」
純粋に問いかけられて、夜永はハッとした。
奴隷時代、軍では役割が与えられていた。役に立つからと生かされていたのだ。
自身の生死に興味がないノアは、ただ命令に応え続けた。
求められなければ存在する意味がないと、そう思っていたのだ。
だからノアにはまだ、「何もせずともここにいていい」という感覚が完全には育っていない。
何かをしなければ夜永と一緒にいられないと思っている。
夜永は、小さく震えるこの少年の心を癒したかった。
ただ、安心させたい一心だった。
「あなたがここにいたいと言うのなら、ずっといてくれて構わないわ」
「本当…?」
「ええ。ここにいてくれる?」
「……うん」
ギュッと抱きついてくるノアを受け止めて、小さな体を両腕で優しく包み込む。
その温かさを感じ、ノアは目を瞑る。
『ずっとここにいていい』
ノアにとってそれは、自分を受け入れてもらえる唯一絶対の真理となったが、その事に夜永は気付いていなかった。




