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軍、かつての怪物を恐れる。

「4601番のその後は掴めたか」


 重厚な装飾の施された椅子にゆったりと座る、たっぷりとあご髭を蓄えた初老の男が、直属の部下に問いかける。


「はっ、閣下。村の制圧完了後、小隊が引き上げる際に人数確認を怠り行方不明となった奴隷の所在ですが、現在は一切の足取りが掴めておりません」


「……なに?」


「順を追ってご説明します。つい先日、当該の村にて魔法の痕跡を発見しました。どうやら転移魔法を使った模様で、関連性を調べたところ、直後に奴隷の首輪に内蔵された発信装置がアルカディアへ移動した事が分かりました」


「ふん、あの忌々しい小国か」


「すぐさま本軍と合流するよう命令を出したのですが応じなかったため、止むなく処分しようとしたところ、まもなくして消息を絶ちました」


 閣下、と呼ばれた男は、コツコツと指で机を叩く。

 死んだか。否、死んだとしても首輪の所在地はこちらで把握している。

 とすれば、首輪を外し、更には破壊されたというのか。まさか。あり得ない。


「また、報告によりますと、使用された転移魔法に組み込まれた魔法術式が、200年ほど前に突如として消えたウィンター・クラメルのものと酷似しているとのことです」


「なに?奴が生きていると言うのか!?いや、その男ならありえぬ話でもない…。ワシも名前だけなら知っている。天才的な頭脳と魔法の才を持ちながら、全てを捨て去り足跡一つ残さず消えた男が、まさか…」


「ただ、不可解なのが術式には第三者のものと見られる残穢が残っており、詳細は分かりませんが、ウィンター・クラメルの魔法術式を何らかの媒体を用いて使用したものと思われます」


 仕組みは不明だが、魔障石を物に定着させ長時間維持する方法があるのだろう。

 だが、小石一つ分でさえ希少な魔障石で膨大な魔力を必要とする転移魔法を扱える物なのか?

 魔障石とは、道具の稼働を維持するためのいわばエネルギーに等しいものだ。

 一般的な魔障石一つ分に込められた魔力などたかが知れている。一度の転移魔法を使う事さえ不可能だ。

 ……あのクラメルが絡んでいなければ、の話だが。


 話の観点から、魔法を使用したのはクラメルではない別の人物。だが、高度な魔法術式を組み込んだ首輪を解析し、正確に破壊できる者がいるとするならば、それはクラメルに他ならない。

 魔塔にいた頃から、死者の蘇生や不死の身体などというものに異常なほど興味を示し、研究していた奇特な人物と聞いている。

 200年も前の人物でありながら、今なおこの男を超える者は現れず、伝説として語り継がれている。

 慎重な男で、消息を絶つ前に自身のあらゆる記録を燃やし尽くし、肖像画の一つさえ残っていない。

 語られているのは名前と、口伝(くでん)から察せられる人物像だけだ。


「……あの、閣下。一つ、よろしいでしょうか」


「なんだ」


「なぜ、たかが奴隷一人に固執するのですか。代えはいくらでもいるのです。恐れながら、閣下がそこまで目をかける必要はないのでは?」


「ああ、たかが奴隷だ。だが、4601番……はっきり言って彼奴(あやつ)は怪物だ」


「怪物……ですか」


「戦において強い者とは何だ」


「それは……敵を迅速に制圧するための知略と武力では」


「それは強者の証で、誇るものだ。ワシが言っているのは精神面の方だ。戦というのは、一瞬の迷いが死に直結する。だが奴はな、ただ殺す事を目的としている」


「それはそういう命令だからでは?」


「そうだ。命令だから奴は従う。一切の慈悲も躊躇もなく、殺し尽くし、殲滅する。そこにあらゆる感情は存在しない。何も思考していないのだ。

 お前は想像できるか?殺意のない者が次の瞬間には自分を殺しにかかってくる恐怖を」


 殺意がない。だから、味方のみならず相対した敵でさえ油断して、侮る。そうした結果、殺される瞬間、身構える間も無く命が飛ぶ。

 戦場では、いかに相手の動きと思考を読むかで戦況が一気に変わる。言わば読み合いなのだ。

 殺そうと向かっていけば、自分が殺されるかもしれないという感情に支配される。ある程度の動揺や恐怖は付き物だ。体に力が入り、必ずどこかに隙が生じるもの。それを見抜かれ、逆手に取られられれば、反撃されてあっという間に死んで行く。

 本来、人を殺そうとすればどこかに兆候が出るものだ。

 だが、奴にはそれがない。殺意を抱かず、無感情に、予備動作もなく相手の急所を容赦なく突き、確実に息の根を止める。ごく自然体でだ。

 敵からしてみれば、害のない植物かと思い触れたら突然死んだ。毒にやられたのかもしれない。だが、その意味を理解する前に一瞬で死に絶えるのだ。そういう感覚に近い。


 ごくり、と部下が生唾を飲む。

 言わんとする事がようやく理解できたようだ。


「彼奴が野放しになっているのだとしたら、国家の危機に瀕する。そのうちに軍隊でも組織されては面倒だ。奴が大人しくしている内に何としても見つけ出し、始末しろ」


「はっ。仰せのままに」


 敬礼した部下が部屋を出て行く。

 男は、深く椅子に沈み込んだ。

 以前、一度だけ目にした事のある4601番の風貌はよく思い出せない。

 奴隷に落ち、自ら命を絶つ者も少なくない過酷な環境下において、皆一様に淀んだ生気のない目で、いずれ来る死を今か今かと待ち侘びている。だが、あの子供は……教えを忠実に吸収し、どれだけ痛めつけられようが表情一つ変わらず、喜怒哀楽は完全に欠落しているように窺えた。戦において殺戮の限りを尽くす姿に戦慄し、その強烈なインパクトが先に立つ。こと戦闘能力においては、およそ人間技とは思えないほど残酷で、容赦がない。

 だがやはり、思い出せる事は少ない。特徴のない子供……だったかと思う。

 たかが奴隷。されど奴隷。逃げ出したのなら捨て置いても良かったのだが、目立つ行動が多すぎる。戦いに身を置き続けた者は、戦いにしか価値を見出せない。そういうものだと男は認識していた。

 国家の危機……は、少々大仰だったかもしれない。奴隷一人、恐るるに足らないが、束になればどうだろう。

 この国にごまんといる奴隷達が結託し、万一に革命でも起こされれば、国は簡単に瓦解してしまう。数の暴力の恐ろしさたるや。このドミニアが脅かされるような事があってはならない。

 大半の国民は気付きもしないが、この国は、最下層の奴隷という存在に支えられていると言っても過言ではないのだ。


 将来来るかもしれない危機のため、若いうちにその芽を摘む。自我を確立させ、意志を持ち始めるその前に。

 今はまだ羽虫のような存在なのだ。それを、長い奴隷生活の中で植え付けた。羽虫など、踏み付けてしまえばそれで終わりだ。

 消息を掴めさえすれば、あとは簡単なこと。

 この時は、すぐに片が付くだろうと思っていた。

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