5.猛獣の心
人間、どのような環境に置かれたとしてもある程度の期間過ごすと『慣れ』というものが生じる。すみれの場合、異常と言えるこの監禁生活にも段々、慣れてきていた。慣れたくはないと思っても人間の適応力というものは残酷である。朝起きて顔を洗い朝食を取り、調合室に入る。ポーションの改良と調合を経て、昼食。その後はまた調合室に籠り、夕方、圭が帰ってくればポーションを飲ませて様子を見る。夜が来れば夕食を共にして身支度を整えて就寝。
「……普通の生活過ぎない?在宅勤務的な。」
すみれはそう呟きながら調合台に突っ伏した。外には出られない。ベランダには出られるがとても逃げ出せる高さではない。そこから飛べば自由にはなれるだろうが、まだ自分の人生を諦める事は出来なかった。
「暇.....。」
すみれはこの生活に適応したにより人間として当たり前の感情である『退屈』というものを思い出したのだ。薬を作っている間は良かった、手を動かしていれば嫌なことを考えずに済む。問題はその後の寝るまでの時間。何もしないでいると、じわじわ現実が押し寄せてくる。誘拐されたこと、逃げられないこと。
なぜか監禁犯が毎日嬉しそうに帰宅すること。
「だめだ。暇すぎてろくでもない事しか考えられない。」
すみれは大きく深呼吸して、立ち上がった。
「娯楽が必要。」
人間には娯楽が必要だ、食事と睡眠と娯楽。この三つがないと心から死んでいく。今、すみれに圧倒的に足りないのは娯楽だった。
◇◇◇
「娯楽、ですか。」
その日の夜、圭はすみれの『娯楽が欲しい』という言葉を繰り返した。黒い戦闘服の上着を脱ぎ、リビングのソファに座っている。いつも通りサングラスは外しており家の中の圭は外で見るS級ハンターの姿よりずっと若く、前髪が少し落ちて表情も柔らかい。すみれは黙っていればいい男なのにといつも思う、そして彼の倫理観の無さにいつもげんなりする。
「そう。娯楽。」
「僕と話すのは娯楽になりませんか?」
「ならない。あんたの話つまんないもん。」
彼はほとんど自分の話をしない。いつもすみれが一日どう過ごしたのかそればかり。逆に彼女が一日どう過ごしたのかと聞いても「毎日同じですよ?」と返される。彼には決定的に人としてあるべき何かが欠落しているのだ。
「つまらない......。」
圭はしゅん、と肩を落とす。
「事実だし、落ち込まないでくれる?」
「.......すみれさんは、何が好きなんですか?」
「本。」
「本?」
「読むの好きなの。」
「なるほど。」
圭は真剣な顔で頷いた。
「本ですね。」
「あと映画もドラマも好き。インドア派」
「インドア派。」
「復唱しなくていい。」
「覚えておきたいんです。」
「その目やめて、怖い。」
すみれはマグカップを持ち直した。中身は温かい紅茶で圭が買ってきたものだ。すみれが一度「これ、悪くないね」と言ってから紅茶の種類だけはやたら増えた。圭はすみれが肯定したものを直ぐに増やす。その加減の無さが怖いのだった。
「本は、どんなものを?」
「色々読むよ。ミステリーとか、現代小説とか、ファンタジーとか。」
「恋愛小説は?」
「読むけど、甘すぎるやつはそんなに。」
「なるほど。」
「なにその顔。」
「いえ。」
圭は少し嬉しそうだった。
「すみれさんのことを知れるのは、楽しいです。」
「……。」
圭という男はこういうことを、さらっと言う。さらっと言うくせに、本人に口説いている自覚はない。その無自覚さにすみれは余計に腹が立つのだ。
「じゃあ、今から選んでください。すみれさんの好きなだけ。あぁ本棚も大きいのを買わないと。」
「え?」
「本と本棚ですよ。」
「あ、いや、そこまでしなくても――」
「します。退屈なのは良くないので。」
「監禁が良くないんだけど。」
「それは別問題です。」
「おかしいだろ!犯罪なんだよ!」
圭はにこにこして話が通じない、いつものことだった。圭は楽しそうにタブレットを差し出してすみれの隣に座った。大手の通販サイトのページを開き、すみれが2、3冊選ぶと不満そうにもっと選んでくださいと言う。
「いや、そんなに一気には読めないから......。」
「一気に読まなくてもいいですよ。貴女の欲しいものを欲しいだけ。ね?もっと選んでください。」
「いや一番欲しいものはここから出る自由なんだけど.....。」
「それはダメです。すみれさんに何かあったら僕、生きていけない。」
「いや、それはそうなんだけどさ。」
確かに今、圭はすみれの作るポーションに生かされている。それまでの不調が嘘のように活躍できるので最近は彼の任務もかなり効率よく進める事ができているらしい。
「ここが一番安全なんです。外は危険がいっぱいでしょ?」
すがるような表情はまるでお気に入りのおもちゃを手放したくない子供のようだった。
「あのさぁ大事だからって法律とか相手の意思とか無視していいわけじゃないだって。」
「そうなんですか?」
「は?何言ってんの?」
「今まで誰も教えてくれなかったので。」
そのきょとんとした顔にまた言いようのない恐怖がすみれの背筋を走った。
「家とか学校とかで教わる、でしょ?」
「んー実の両親は物心ついた頃から僕の力を怖がってあまり近づいてきませんでしたし、10歳でアカデミーに預けられてからは一度も会っていません。アカデミーでは訓練と座学とかばかりだったので。すみれさんは本当に僕の知らないことをたくさん知ってて凄いですね。」
すみれは冷水を浴びたような気持ちになった。確かに力が強い子がその使い方を誤らないためにアカデミーに預ける話はある。しかし圭の話はまるで子捨てだ。
「アカデミーでさ、あんたに優しくしてくれる人とか親身になってくれる人とかはいなかったの?」
「んー訓練や座学が上手くいくと褒められましたよ?」
「いや、そうじゃなくて.....。」
(こんなの本当に戦うだけの化け物じゃない・・・。)
すみれは圭の倫理観の無さに納得がいった。彼は本当に何一つ知らないのだ。誰もそれを彼に教えなかった。ただ彼の強大な力のみに目を向け、その中にある彼の心は無視したのだ。そんなものは虐待と変わらない。すみれはタブレットに再度目をむけて小さな子供向けの道徳心を育たせるような本を探した。
「すみれさん、それ子ども向けですよ?好きなんですか?」
「あんた用だよ。」
「僕はもう成人してますよ?」
「人間は体ばっかりでっかくなっても心が育たなきゃダメなの。好きな物好きなだけ買えって言ったのあんたでしょ?」
圭はよく分からないという顔をした後に「すみれさんが欲しいなら」と笑った。すみれは何だかその笑顔がひどく悲しいものに見えた。




