3.歪な生活
人は一度くらい、自分の人生を振り返って思うことがある。
――あの時、ああしていなければ。
工藤すみれにもある。半年前の防壁の外れで死で倒れていた一人の青年を助けたこと。
「.....はぁ」
実のところ助けたことは後悔していない、見捨てるなんて、多分あの場のすみれにはできなかった。彼女が後悔しているのは助けた相手が、よりによって彼だったことだ。
◇◇◇
「おはようございます、すみれさん。」
「……。」
朝八時、調合室の扉が静かに開く。白衣姿のすみれは返事もせず薬草を刻み続ける。
「今日は機嫌悪いですね。」
「毎日悪い。」
「そうでした。」
「納得すんな。」
男は相変わらずにこにこ笑っている。佐々木圭、26歳。この国では知らぬ者はいないS級ハンター。彼は20歳という史上最年少でS級に昇格した、いわゆる天才だった。そしてすみれを誘拐・監禁した張本人でもある。
「今日は暴走指数も安定してます。」
「へぇ。」
「全部すみれさんのおかげです。」
「そう。」
「嬉しくないですか?」
「全然嬉しくない。」
「えぇ~どうして?」
圭はわざとらしく肩を落とす。
(いや、落ち込むな。なんで被害者の私が慰めなきゃいけない空気になるんだ。)
彼に誘拐された夜、目が覚めたすみれはこの部屋にいた。おそらく高層マンションの最上階。広すぎるリビング、寝室、風呂。そして、薬師なら誰もが夢見るような調合室。最新式の蒸留器に魔力濃度測定器。精密秤と保存庫、そして薬草乾燥機。協会本部ですら数台しかない設備まで並んでいた。すみれは初めてそれらを見た時、ほんの少しだけ感動した。彼の口から「ここから絶対に出さない」という恐怖の台詞が飛び出すまでは。
◇◇◇
最初は当然抵抗した。怒鳴り、泣いて逃げようとした。しかし、玄関は施錠されておりパスキーは指紋認証式。窓から外を見たが飛び降りたら死ぬ高さで足がすくんだ。一度だけ圭が出掛けた隙を見て、ベランダから助けを呼ぼうとした。しかし、声をあげようとした背後で「危ないですよ。」と彼の声がして死ぬほど悲鳴を上げた。どうやら監視カメラで見ていたらしい。それ以来、脱出は諦めた。というより諦めさせられた。
◇◇◇
「すみれさん。」
圭がすみれの隣へぴったりとくっつく。
「近い。」
「はい。」
返事だけして動かない。
「離れろ。」
「はい。」
圭は返事だけして動かない。
「返事だけすんな。」
「はい。」
「だから!」
ようやく圭は一歩下がる。無駄な徒労にすみれはうんざりという顔をした。
「ところで。」
圭はそんな事は気にせずに調合台を覗き込む。
「今日は新しい配合ですか?」
「試作品。」
「わぁ楽しみです。」
「まだ完成してない。」
「でも、すみれさんが作るんですよね?」
「そうだけど。」
「じゃあ成功します。」
「そんな保証どこにもない。」
「あります、すみれさんですから。」
人懐っこい笑顔にすみれは奥歯を噛み締めた。
(その顔は....反則。ほんと、調子狂う。)
薬師協会では誰もすみれを信じなかった。研究費も削られ成果は上司の手柄になり最後には全部奪われた。
(この男だけは何の根拠もなく私ならできると言う...。)
「腹立つ...。」
◇◇◇
圭の体質は特殊だった。膨大な魔力とそれを制御しきれない肉体。普段は問題ないが戦闘で限界を超えると、魔力が暴走する。筋肉、神経、内臓、その全てを内側から焼き尽くすほどの熱が襲うのだ。普通の回復薬では治療不可能と言われたその症状にすみれの試作品が効いた。それは圭にとっては幸福な偶然だった。運命の女神は圭は生き延びさせ、そしてすみれはここに囚われている。
「すみれさん。」
「何。」
「いい匂い。」
「……は?」
圭はうっとりとした表情で深く息を吸う。
「薬草とすみれさんの匂いが混ざってこの部屋、最高です。」
彼の満面の笑みにすみれの前身の毛が逆立ち、肌が粟立つ。すみれは乳鉢を置き、引きつった顔で呟く。
「黙れ変態。」
「えー。」
「何が『えー』だ。」
「本当にいい匂いなのに。」
「聞いてない。」
「安心するんですよ。帰ってきたって感じがします。」
「知るか。黙れ。」
薬草を刻む、ざく、ざく、という音が部屋に響く。
「気が散る、黙らないなら出てけ。」
圭はしばらく私を見つめた。
「……分かりました。」
しょんぼりと肩を落とし扉の前まで行った圭は、ふと振り返った。
「完成したら、一番に飲みますね。楽しみにしてます。」
そう言って出て行った。ようやく部屋に静寂が戻る。すみれはようやく大きく深呼吸した。
「ほんっと人の言葉をしゃべる妖怪みたいな奴。」
すみれはふっと口元が緩みそうになった自分に気付いて、慌てて首を振る。
「いやいや。慣れるな、監禁されてるんだから。」
すみれはそう自分に言い聞かせるにもかかわらず、静かになった調合室が少しだけ物足りなく感じてしまったのを感じていた。




