2.不穏な再会
半年後。
「いらっしゃいませー!」
元気よく声を張り上げながら、すみれは段ボールを抱えて店内を走り回っていた。中に入っているのは薬草でも魔石でもない。カップ麺やポテトチップスである。
「工藤さん、ごめん! 飲料お願い!」
「はいはーい!」
薬師協会を追われて半年、彼女の今の肩書きは、スーパー『マルマツ』のアルバイト。時給1300円。制服は緑のエプロン、研究室の白衣はもうない。最初は悔しかったし情けなかった。それでも、生きるためには仕方ない。
「工藤さん、仕事早いねぇ。」
「ありがとうございます。」
「うちの社員にならない?」
「いやぁ、今はちょっと。」
すみれは店長の言葉に笑って返す。社員になれば生活は安定するだろう、でも、どこかでまだ諦めきれなかった。もしかしたら、いつか薬師に戻れるかもしれない。そんな叶うことも無い希望だけは、まだ捨てられずにいた。
◇◇◇
「お疲れさまでしたー。」
「お疲れ!」
夜9時、すみれは制服を脱ぎ、小さなロッカーを閉めスマートフォンを開く。銀行のアプリで今日振り込まれた給料を確認する。
「……よし。頑張った。」
少しだけ笑いまた1ヶ月生き抜いた自分を褒める。すみれは帰り道でコンビニへ寄ることにした。バイト先のスーパー買い物すればいいのだが、どうにも自分が何を買うのか知られるのが恥ずかしくてコンビニの冷蔵ケースの前で腕を組んでいる。
「今日は給料日だから……。」
500mlのプライベートブランドの安い缶ビールを一本だけ取りレジへ向かう。
「贅沢しちゃうもんねー。」
帰り道、誰も聞いていないのに宣言した。夜風が気持ちよくすみれの長い髪を揺らし、途中の公園でベンチに座った。ぷしゅっ、という音を立てて缶を開け一口飲む。
「くぅ~……うま。」
疲れた体にアルコールがゆっくり回っていくのが分かった。
「明日は休みだし、洗濯と掃除してぇ。........でもやっぱり昼まで寝る。」
細やかな幸せだったが今のすみれにはそれで十分だった。
「それにしても……。人生って分かんないもんだなぁ。」
空を見上げて呟く。半年前まで、最新ポーションの研究をしていた。それなのに今はカップ麺を並べている。
「……ま、死んでないだけマシか。」
そう呟いて笑ったその時だった。気配もなく、すみれの目の前に影が落ちた。
「……え?」
顔を上げたそこには大柄な男が立っていた。
「ひっ!」
190cm近い長身に黒いシャツとズボン、きっちり撫で付けた黒髪と夜には似つかわしくない黒いサングラス。すみれはその威圧感に耐えられず反射的に身を固くした。缶ビールを放り投げそうになりながら、その場でしゃがみ込み、両手で頭を守る。
「ご、ごめんなさい!」
何に謝っているのか自分でも分からない。ただ、昔の癖だった。父親に殴られていた幼い頃のトラウマのような悲しい癖。
「こんばんはー。」
ところが頭上からは妙に明るい声が降ってくる。
「……はい?」
すみれは震えながら恐る恐る声の主を見上げる。男は、にこにこ笑っていた。
「こんばんは。」
「……。」
「こんばんは?」
「……いや、こんばんはですけど。」
なんだこの人、怖い。とすみれは思った。その笑顔がより不気味さを引き立てている。
「突然すみません。」
男は丁寧に頭を下げた。
「一つだけ、お聞きしたいことがありまして。」
「は、はい?」
「半年前。」
その一言で、すみれの心臓が小さく跳ねた。
「防壁の近くで、瀕死のハンターを助けませんでしたか?」
「……。」
なんで知ってる。と言いそうになり何とか言葉を飲み込む。いやしかし、目の前の人物と自分が助けた青年は顔が全然違う。
「.....人違いじゃないですか?」
「そうですか?」
「はい。」
「本当に?」
「はい。」
「そうですかぁ……。」
男は困ったように笑い、じゃあ。と言いながらゆっくりとサングラスへ手をかける。その下から現われた黒い瞳とどこか幼さの残る顔立ち、そして前髪が風に吹かれてさらりと少し崩れた。
「これなら思い出しました?」
「……あ。」
すみれは「天国ですか?」とほほ笑んだ青年を思い出した。
「あっ!」
「思い出してくれました?」
「えっ、あの時の!?」
「はい。」
青年は、ぱぁっと顔を輝かせた。
「良かった、見つかって。半年も探したんですよ。」
「半年!?」
「はい。」
「なんで!?」
「お礼が言いたくて。」
「お、お礼とかいいよ!」
「そうですか?」
「うん!」
「でも。」
一歩、青年が近付くとわずかに緩んだ空気が再び凍った。
「僕は、よくないんです。」
「え?」
青年はすみれを持ち上げる様にぎゅうっと抱き締めた。その衝撃で缶ビールが地面に転がり、土の上に染みを作っていく。
「ちょ、ちょっと!」
「あぁ……。本当にいた。夢じゃなかった。」
青年は安心しきった声で呟いた。
「え?」
「良かった。見つけた。」
その声は、恋人を見つけたようにも迷子になった子どもが母親を見つけたようにも聞こえた。
すみれの背筋がぞくりと震える。
「ちょっと離して!」
「嫌です。」
「嫌ですじゃない!」
「半年待ったので、絶対に離しません。」
「そんなの知らないって!」
青年は困ったように笑う。
「すみれさん。」
「え?何で私の名前知ってんの?」
「帰りましょう。」
「は?」
「僕の家へ。」
その無邪気な微笑みにすみれの恐怖が臨界点に達した。青年の腕から逃れようともがきながら叫ぶ。
「意味わかんねぇよ!!行くわけねぇだろ!」
「行きましょうよ。」
「行かないって言ってんの!」
「困りましたねぇ。」
青年は少し考え込むように首を傾げた。
「すみれさんは僕がお願いすると、断るんですね。」
「当たり前だ!」
「それなら....。」
青年がにかっと歯を出して笑い、すみれに見えない様にシャツの袖口から小さな注射器を取り出した。
「少しだけ寝ててください。」
「……え?」
「大丈夫です。ちょっとちくっとするだけで痛くないので。」
「いやいやいや!」
逃げようと更にもがくが青年の力は、信じられないほど強かった。
「離せ!」
「すみれさん。」
青年が愛しそうにすみれの名前を耳元で、優しく囁く。
「安心してください。僕、あなたを傷付ける気は本当にないんです。」
「そんな台詞、信用できるか!」
ぷすりと首筋に、小さな痛みが走る。
「あ。」
視界が揺れ、腕に力が入らない。
「な、に……。」
「大丈夫です、ちょっと強めの鎮静剤と睡眠薬です。」
恐ろしい事を笑顔で言って、青年は優しくすみれの髪を撫でた。
「おやすみなさい、すみれさん。」
意識が闇へ沈む最後の瞬間、青年の心から嬉しそうな声が聞こえた。
「今度は、どこにも行かせません。」




