1.正義の末路
薬というものは、不思議だ。人を生かすこともできるし、人を殺すこともできる。だからこそ薬師には、腕だけではなく誠実さが求められる。
―そう教えられてきた。
私、工藤すみれはその言葉を誰より信じていた。だから、全部失った。
◇◇◇
「工藤さん。本日付で、あなたの薬師登録を抹消します」
白い壁の会議室は不気味なくらい静かだった。机を囲む理事たちは、誰一人としてすみれと目を合わせない。机の中央には証拠品として数本のポーションが並べられている。
「違います。何かの間違いです。」
すみれは震える声で言った。
「その薬は私の物じゃありません。上司が違法素材を使って」
「黙りなさい。」
年配の理事が冷たく遮る。
「証拠は揃っています。」
「証拠なんて……!」
「あなたの研究室から押収されたんですよ?」
押収されたのではない、わざと分かりやすくそこに『置かれた』のだ。すみれは知っていた。直属の上司が高額な闇取引に関わっていることも、ポーションを横流しして帳簿を改ざんしていることも。だから告発しようとした。しかし、その翌日に私の研究室から「違法なポーション」が見つかった。出来すぎた話だ。
「……私はやってません」
誰も返事をしない。
「お願いです。調べてください。」
静寂とため息。
「私が薬師になったのは、人を助けたかったからです」
返ってきたのは、事務的な一言だけだった。
「今回の事は協会の信用問題に関わります。内々で処理するのがせめてもの温情だと思って下さい。さぁ登録証を返却して荷物をまとめなさい。」
内々で処理する?その馬鹿げた発言にすみれはピンときた。彼らは知っているのだ。上司のしている事を。もしかしたら彼等もグルなのかもしれない。もう勝ち目は無い。
「分かりました。」
その瞬間、すみれが懸命に積み重ねてきた人生が、音もなく崩れた。
◇◇◇
研究室を追い出された夕方、私物は段ボール一箱だけだった。
「……まいったな」
すみれは力なく誰に言うでもなく笑う。笑わないと泣きそうだった。ロッカーの奥から取り出した小さな革鞄には、こっそり持ち出した試作品が入っている。別に違法ではない。全部、自分が休日も寝る間も惜しんで作った研究成果だ。魔力暴走を鎮める試作品。完成まであと少しだった。
「……もう関係ないのに...。」
薬師じゃなくなった自分に、研究なんてと自嘲気味に笑う。空は茜色だった。
◇◇◇
都心の外れ、古い防壁沿いの帰り道。あまり人気はないその道をすみれは肩を落として歩く。
「家、探さなきゃなぁ……」
仕事もない、肩書きもない、安月給で貯金だって大してない。会社の寮を追い出されたので今夜の宿を考えるだけで胃が痛くなる。何だか、腹の底から怒りが湧いてきた。
「クソがー!!どいつもこいつも死ねー!!」
汚い言葉で叫んだその時だった。ゾワリ、と背筋が粟立つ。
「……え」
地面が揺れ遠くから聞こえる複数の低いうなり声。
嫌な予感がして近くの建物の物陰に身を隠し、壁際から顔を出す。そして血の気が引いた。
「嘘でしょ……」
魔獣だった。大型の狼型の群れで、しかも暴走状態。普通ならハンター部隊が駆除しているはずなのに、どうしてこんな市街地近くまで。
「最悪……!」
すみれは息を殺し、壁の陰へ身を縮めた。見つかったら終わる。鼓動だけがうるさい。けれど、それはすみれのところには来なかった。ザシュッという何かを切り裂く音とぎゃん!という断末魔のような唸り声だけが聞こえてあっという間に静かになったのだ。
「……え」
助かったのか?本当に?すみれが壁際からそっと通りを覗いた時だった。切り裂かれた魔獣に囲まれ、壁にもたれるように一人の青年が倒れていた。黒い戦闘服、ハンターの物だろう。ところどころ裂け、血が滲んでいる。呼吸は浅く、顔色は死人のように白い。年は20代半ばくらい。恐る恐る近づく。
「だ、大丈夫ですか?」
そう声をかけると青年の体がぐらりと横に傾いた。途端にぶわりと目には見えない陽炎のような熱気が彼から吹き上がる。
「これ……魔力暴走?」
あり得なかった、普通なら、とっくに身体中を燃やして命を落としているレベルの魔力暴走にすみれは驚きを隠せない。
「ちょっと!」
熱気に耐えながら青年の肩を揺する。反応はない。唇は青く、熱気は感じるのに彼の体の体温は驚くほど冷たかった。まだ、生きているしかし放っておけば十分ともたない。
「……マジかぁ」
すみれはため息をついた。
「見なかったことにすれば楽なのにねぇ。私も馬鹿でお人好しだよねぇ。」
そう言いながら、もう鞄を開けて試作品の瓶を取り出していた。透明な液体が夕日にきらめく。
「成功率……三割くらいかな?」
そのポーションは人体への正式試験はまだで効く保証もない。副作用も分からない。
「……でも、まぁ死ぬよりはマシでしょ」
青年の頭をそっと持ち上げる。
「飲める?」
返事はない。
「仕方ない」
瓶の栓を抜き、少しずつ唇へ流し込む。こくりと喉が小さく動いたその瞬間だった。青年の全身を覆っていた荒れ狂う魔力が、ふっと静かになる。
「……嘘。」
試作品が効いたのだ。
「本当に……?」
信じられず見つめていると、青年の睫毛が微かに震えてゆっくりと瞼が開く。深い黒の瞳とどこか幼さを残した顔立ち。彼はぼんやりとすみれを見つめた。
「……あれ」
掠れた声で笑う。
「お姉さん....天使ですか?ここは天国?」
「違う違う」
まだ、意識が朦朧としているのか青年は目の焦点が合わない。
「じゃあ……」
青年はゆっくり瞬きをした。
「お姉さん……誰ですか?」
その問いに、すみれは少しだけ困ったように笑った。
「いやぁ」
胸の奥が、ちくりと痛む。もう自分は薬師じゃない。名乗る資格もない。
「……名乗るほどの者じゃないよ」
そう言って立ち上がる。青年が何か言おうとしたがすみれは軽く手を振る。
「元気になったなら、それでいい」
すみれは夕焼けの中、背を向けて歩き出す。一度も振り返らない。
だから、知らなかった。
その青年が、半年という歳月をかけて世界中の監視網と人脈を使い。たった一人の「名乗るほどの者じゃない」女性を探し出すことになるなど。この時のすみれは、夢にも思っていなかった。




